南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

ラッセル思想辞典(牧野 力・編)

ラッセル思想辞典

牧野力編『ラッセル思想辞典』、早稲田大学出版部、1985年

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【服部 洋介・撰】


解題

ラッセルについては、これまでにもあちこちの剳記で取り上げてきたから、今さら詳しく説明しようという気にはなれないし、別にラッセルがどんな人かを知っていただく必要もないのだけれど、ノーベル文学賞の受賞者でもあり、ナニか小説家のような人と勘違いしている御仁も少なからずおられることであろうから、ともあれ、この人は論理学者であって、文学者ではないということについては、ご理解いただく必要があろうかと思う。なにゆえにノーベル文学賞なんかとっちまったのかといえば、平和にかんする多数の著作が評価されたからであって、ホワイトヘッドと著した本業の代表作『プリンキピア・マテマティカ』(『数学原理』)が評価されたものではない。もちろん、本業の論理学における業績も卓越したもので、数学者の中村八束博士も東工大のゼミで初っ端から「プリンキピア」原書を読まされたと述懐しておられた。「私のレベルが低かったから感動するまではいかなかった」と笑っておられた。「連続体仮説から無限を引き出せてしまう矛盾を防げると書いてあって、それがすごいのかすごくないのか、わからなかった」というのが、当時の感想であったという。何もわかっていなかったので、先生にヘンな質問ばかりして恥ずかしかったという話だ。*1

さて、ラッセルは大正時代に夫妻で来日して、その際、パパラッチに追い回されて、かなり不快な思いをしたらしい。おまけに中国贔屓ときていたから、全体に日本に対しては厳しい見方をしている。日本は西欧文明の「優秀な弟子」であったけれど、科学と宗教を結合させたわけのわからん国体思想を創始し、その国民性は、残忍、不寛容で、自由な考え方ができないと痛烈な批判を加えている。幕末に日本を訪れて好意的な感想を記した外国人旅行者とはえらい違いで、どちらかというと、戦国期に来日した宣教師たちの感想に近いのではないかというような気がする。日本には全体として敬意を払うに値するナニかがあるけれど、そうではないナニかも応分にあるという見方である。同じ東洋にあって中国がその美点を失わず、日本帝国と同じ轍を踏まないことを、ラッセルは切望していた。同国人のバジル・チェンバレンは、日本文化の模倣的であることを批判的に書いているが、少なくとも西欧文明の摂取ということに関しては、ラッセルもチェンバレンと同じ感想を抱いたもののようである。役に立つものは、倫理的に考えることもせず、何でもパクる。西洋人が正しいと言っているものは、嘘でも反証が出ない限りは信じ込む。その点が中国人とは異なり、宗教的であると感じたようである(「日中両国民の相違点」・「日本」の項を見よ)。中村博士は、日本人はローマ人に似て、実用的なものばかり重視して、ギリシア人のように原理的なものを発明することがなかったと嘆いておられたが、ラッセルと通じるところのある感想といえるのかもしれない。

さて、本辞典は、ラッセル思想の研究者たちが寄ってたかった「日本バートランド・ラッセル協会」の面々が編集したもので、ラッセルの思想を要領よく抜き出してまとめた便利な書物である。先にラッセルの読み捨てエッセイを集めた『人生についての断章』の剳記をアップしているけれど、あれと同じような感覚で気軽に読めるものとなっているから、私としてもお勧めするものである。

ところで、ラッセルが戦前の日本でどのように受け止められていたのか、谷川徹三の「「ラッセル思想辞典」の発刊によせて」にいささか記述がある。これによると、谷川は、京都帝国大学文学部哲学科に在学中、西田幾多郎の哲学概論でラッセルを知り、『哲学の諸問題』(The Problems of Philosophy, 1912)を京都の丸善の書架で見つけて読んだ、という。しかし、当時のならいとて、ドイツの哲学に専ら牽かれていた彼は、それっきり、ラッセルの研究はしなかったもののようである。戦後、『西洋哲学史』を読んで、ラッセルがフィヒテシェリングをほとんど黙殺していることにおどろいたという*2。それもそのはず、ラッセルは大の観念論嫌いで、『権力』のなかでフィヒテをボロクソに書いている。それはつまり、フィヒテ形而上学的な唯我論をドイツをおかしな方向に導いた狂熱的なナショナリズムの元凶と見ているからでもあろう(「ナショナリズムの功罪」の項を見よ)。おそらく、教え子であるヴィトゲンシュタインの唯我論にも不愉快なものを感じていたのではないだろうか。一方のシェリングについては、そもそも取り上げる価値がないか、言ってることの意味がわからなかったかのいずれかであろう。

さて、本剳記で取り上げるのは、結婚論・恋愛論社会主義的な政治論、中国論、日本論などであるけれど、そのほかにも、「西欧文明と東洋の知恵」〔17-01〕、「西欧人の進歩論」〔17-12〕、「西欧の価値」〔43-Ⅱ-13〕など、西欧文明を批判的に論じたもの、「性教育」〔23-Ⅱ-12〕、「性的好奇心」〔23-Ⅱ-12〕など、性の問題を論じたものなども面白い。幸い、webで『バートランド・ラッセルのポータルサイト』の「ラッセル思想辞典*3というページにアクセスしていただくと、ネットでもあらかた読めるので、お勧めするものである。なお、ラッセルの当時は、今よりもフロイト理論の革新性が注目されていたもののようで、ラッセルの教育論は、しばしば精神分析の有効性を前提として展開されている。今回取り上げた項目でいえば、「優生学と断種」〔28-11〕がそれに該当しよう。なお、ラッセルは断種について慎重な意見を述べているけれど、しょせん「科学的に明確な結論が出るまで、断種の法制化はすべきでない」というようなもので、結論が出たら断種もアリなのかという意味で、今日の倫理からすればいかがなものかというような議論も見られる。念のため、お含み置きいただきたい。

その他、個別に検討を深めてみたい事柄は多々あるけれど、ラッセルにかんしては、そのいうところについて、どのようにしたら実現できるかという点を別にすれば、別段、ツッコミたくなるような箇所もないので、内容をそのまま紹介するにとどめたいと思う。なお、各項目に付した番号は、巻末の「ラッセル原書目次一覧」に対応するものであるが、煩雑にすぎるため、出典の大部分は省略した。各項目の執筆者および執筆分担は、牧野の「「まえがき」にかえて」(viii~ix頁)を参照されたい。

 

所蔵館

市立長野図書館(禁帯出)

県立長野図書館

 

関連項目

人生についての断章(ラッセル)

 

ラッセル思想辞典

ラッセル思想辞典

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 早稲田大学出版部
  • 発売日: 1985/05
  • メディア: 単行本
 

 
本文

 

ナショナリズムの功罪
〔61-Ⅱ-05〕

p.25~26 政治的統一性と文化的多様性

ナショナリズムは中世体制の衰微と共に始まり、外国の支配に対抗することが起源。それが勝ち誇ると帝国主義になる。政治面では、世界機関は連邦制であるべきで、好戦的国家主義教育は絶滅させるべき。文化的にはナショナリズムには価値があって、芸術・文学を画一化させるのは無用。文化的特性と政治的統一性の結合・調和の道を発見すべき。政治的統一世界でこそ、文化的多様性が発揮されるべき。
出典)「FACT AND FICTION」(『事実と虚構』、1961)。


自慰
〔69-Ⅲ-13〕

p.144 自慰は有害ではない

自慰は有害ではない。


試験結婚
〔28-12〕

p.151~152 友愛結婚というのがあってもよいのではないか

第一次大戦以来、結婚観は大きく変化した。両家の子女は貞操の価値を認めなくなった。米国では、禁酒法と自動車の普及が婚前の性体験の持主を増やした。若い男女の性関係は、愛情よりも、虚勢、見栄、自己陶酔から結ばれると、最も愚劣なものになる。(151~152頁)

リンゼイ判事の「友愛結婚」は穏健で保守的な提案。(イ)当分の間、子供を生まぬ、(ロ)妊娠、出産、子供のない間は同意離婚できる、(ハ)離婚しても慰謝料を払わぬ、というのが従来の結婚と違うところで、これが法律的に確立されたら結構なこと。性と仕事の結合、両立が可能になる。妊娠するまでは一切結婚に関する法的拘束力は除くがよい。避妊具は性と結婚の姿を変え、両者を区別する必要を生んだ。単に性欲の満足のための売春、性的要素を内包する友愛、相愛の家庭を作るための3種類の男女関係は、現代では混同されてはならない。


自殺は違法か
〔75-27〕

p.155 生命は本人のもの

英米では自殺未遂は殺人未遂。警察に捕まって教訓を教え込まれる。これは二重に不合理。まず自殺企図を犯罪視すべきではない。自分の時計を海に投げ込むのと同じくらいのもの。生命も所有物同様、法的には本人の自由に任せるべき。防止の観点からも処罰は無駄。自殺問題を人命尊重に関連させると戦争を非難することになる。不幸な未遂者に人命尊重論を説くのは偽善も甚だしい。


私有なき社会への道
〔11-02・03〕

p.184 土地と資本の私有は生活を面倒にし、文明の前進を阻害する。だが、革命は不要

土地と資本との私有は、公正の点と社会的に必要な物を安く生産する方法の点から考えて、弁護できない。私有に反対する主な理由は、(イ)男女の生活の発展を阻害すること、(ロ)成功に寄せる尊敬心が私有を美化する心情を生じること、(ハ)物質的な品物の入手に毎日過度の時間・労力・配慮を強制すること、(ニ)文明の前進と創造力を甚だ妨害すること、などである。(184頁)

この悪に染まらない社会に近づくのに、革命や蜂起のような強攻策はいらない。困難があるとすれば、次の三点。(一)勤労者が今受けている禍いは無しですませることを十分理解させること、(二)禍いを排除することに強い希望を抱くこと、(三)排除の方式のために広い想像力・思考力を養い、時間と精力をかければ、これらは克服できること、である。革命的な考え方は不可欠だが、革命的な行動で困難は押し切れないし、また必要でもない。


政治の目標
〔11-01〕

p.240 所有衝動を抑えて創造衝動を発露させるのがよい政治制度

政治家にとって、男・女・子供を度外視して考えられる事柄は何一つないはずだ。政治の目標は、まずできるだけ良い個人生活をもたらすものでなければならない。(240頁)

人間は様々だが、人々の価値判断の指針となる幅広い原則は確かにある。人々をあれこれの方法で型にはめたがるのは、楽に仕事をしようとする役人か、できの悪い教師が考えること。人々はこれを嫌うし、このことは、個性と独創性を踏みにじる。実現されるべき理想は、万人に唯一つの型の理想を押し付けるものではなく、一人一人の望みを許すゆとりをもつものであるべき。人間には欲しがるものと、欲しがる衝動とにそれぞれ二種類ある。個人が私有・独占できるものと、万人が均しく共有できるものの二種がある。ある人が私有すると、他人に迷惑か犠牲を与えるものがあって、それは争いや悪の源にもなる。経済生活の現状では大半がこれに当てはまる。他方、誰かがある知識を得ても、他人がその知識を得る邪魔にはならず、邪魔にならないどころか、その知識が助けとなるようなものがある。これは精神的なもの。芸術家の創作活動や、誰かの善意が、他人の創作意欲や善意を刺激するような場合。人間には、共有できないものを所有させたがる所有衝動と、独占する必要のない精神的なものを生み出したり、誰かにも使わせる創造衝動がある。創造衝動を最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる生活が、最良の生活。現行制度では、人が所有したいと思うものを一部の人が独占して不当に配分。政治や社会制度の良否は、個人に幸福と害悪のいずれを与えるかで判断される。所有欲と創造力のいずれを伸ばすかを問えばわかる。失業と貧困への恐怖は、人々に臆病と安全第一の考え方を植えつける。世のためになる生き方を幸せと思う人も、財産を独り占めするのを幸せと思う人もいるが、今の制度は、どちらの生き方を選ぶかという点で、人々に誤った選択をさせやすい。


中性一元論
〔16, 25-Ⅳ-26〕

p.293~296 中性一元論

1921年から中性一元論の信奉者だった。主客の二元性はない。シェファーの理論は真と信じる。


貯金の行方
〔75-14〕

p.297 もてる国ともたざる国があるのは問題だ

世界のどこでも、この2年間、営々と貯金してきた人は、自分たちが貧乏になったことに気づく。金はどこへ流れたのか? 世界が今体験している大恐慌は、人力を越えた自然発生的な現象ではなく、全く人間の愚かさと組織力の欠如の結果。金を有り余るほどもちすぎている国があり、他の国は余りに足りなさすぎる。アメリカはイギリスに金を貸し、イギリスはそれをドイツに貸し、ドイツは英仏への賠償金の支払いのために破産寸前。英仏は独の支払いを継続させながら、軍備拡張をやり、戦争になりかねない。初めにどれだけ金があっても、それを戦争で使い果たす。世の中が複雑になり、生産機構を把握しにくくなるにつれ、誰もが個人的に自分の金の最善の見返りを求める方法に正しい判断を下しにくくなる。

 

日中両国民の相違点
〔17-11〕

p.315 中国人は西欧文明を無批判に摂取しない

西欧から学ぶとき、中国人は、富や軍事力を与えるものにではなく、倫理的かつ社会的価値あるいは純然たる精神的関心を満たすものに引かれ、西欧文明に無批判ではない。日本人は己の欠陥に西欧の欠陥を取り込んだが、中国人は自己の長所を失わず、西欧の長所を加え、日本と正反対の選択をするだろうという希望がある。


日本
〔17-06〕

p.315~317 科学を取り入れたのに宗教と合体させた日本人

現代の日本国民は独特(ユニーク)、西欧人が両立しがたいと想定する要素を結合し、

人間業とは思えないほど明治維新の指導者の企画通りに国民も忠実に追従してきた。(…)日本帝国の強化拡大に指導者が勇躍すれば、国民も等しく勇躍した。(315頁)

明治維新以後の日本について驚嘆すべきことは、科学教育が人間を合理主義に走らせやすいのに、日本では時代錯誤的特色である天皇崇拝の強化に科学教育が合体された点である。国家的能率に役立つ西欧の特色を一つ残らず吸収したが、内面は東洋的で、東洋と西洋との要素が真にどれほど融合しているかは甚だ疑問である。

西欧が開国を強要し、日本は屈従よりは対等に闘う決意をした。ドイツから最新の陸軍、英国から最新の海軍、米国から最新の機械技術、欧米全体から新思想を導入、模倣した。

中国人は証明されない限り信用しない人種であるのに、日本人は証明されるまで、うそでも信用するから、日本は宗教的な国である。本質的には民族的宗教で、旧約聖書ユダヤ人の宗教に似ている。国教である神道は維新後に考え出された国家主義イデオロギーで、古来の土着宗教であった神道の改訂版である。仏教は普遍的宗教だが、日本仏教は英国教会(チャーチ・オブ・イングランド)に似て、強烈な国家色に染まっている。(317頁)

 

p.317 工業の芸術化、真面目だが不寛容な国民性。労働者は米国ほど圧迫されていない

日本人は工業面に美的意識を適応させる驚くべき能力をもつ。真面目で、熱中しやすく、意志強固で、理想には底なしの犠牲を払う。欠点は対人関係に現れる。ユーモアに欠け、残忍、不寛容で、自由な考え方ができない。国民の中にはもちろん例外的な人物も多い。全く珍しい優れた人物にも会う。全体的に見ると、日本文化には最高の敬意を受けるに足る活力と決断とがある。

工業の進展に伴い必然的に社会主義と労働運動が発達したが、米国におけるほどひどい迫害は受けていない。(317頁)

ラッセルは1921年(大正10)に来日、7月26日に大杉栄など日本の知識人と会見した。


無用の知識
〔33-01〕

p.387 思索の効用とは

実際生活にすぐ役立つとは限らない「無用」の知識の一番大切な長所は、心の瞑想的な習慣を強めることであろう。(…)行動より思索の中に喜びを見出す習慣は、無知に陥らず権力悪に染まらぬための安全弁であり、不幸や苦悩に会っても心の平静を取り戻す手段である。(…)思索の習慣には人間に益する所があり、非常にささやかなものから最も深いものに及ぶ。

教養の与える楽しみは、現実生活の悩みを取り去る。(…)自尊心を傷つけないで、自己の姿を適切な見方で眺めればよい。
芸術と歴史のような人間生活全体の目的という考えを奮い起こさせる知識をもち、宇宙の中に生きる人間の不思議なほど偶然ではかない地位をいくらかでも理解すると、コセコセとしない、個人的でない普遍的な気持とおおらかな認識から、知恵が最も生まれやすいからである。(387~388頁)


優生学と断種
〔28-18〕

p.396 断種の法制化は政府に悪用されるので、科学的結論が出るまですべきでない

人類の「種」の向上をめざす優生学は、遺伝的要素を強調するが、先天的特質と教育環境のいずれが優位を占めるかを定める資料はまだない。私は教育において良い結果が生まれると確信する。優生学は反政府的意見の持主や少数派の者に低能者か精神異常者の烙印を押す政治的問題を巻き起こす。断種は精神的欠陥藻の精神薄弱者に限るべきだが、米国アイダホ州法のように常習犯、性的変質者、道徳堕落者にも適用したら、ソクラテスプラトン、シーザー、パウロまで断種される危険がある。精神分析で治療できる者も、遺伝の結果でない者もその中にいるからだ。精神分析学者の著書に無縁な人たちが法律を起案し、政府は反対派にこの法律を適用する。科学的に明白な結論が出るまで、断種の法制化はすべきではない。民族優生学は排外的国粋主義にすぎず、国家主義の生む国際的無政府状態と知恵を欠く科学者が合体すると、このような危険が人類を襲う。科学は邪悪な目的にも奉仕するからである。


四時間労働の世界
〔33-02〕

p.402 生産を科学的に組織すれば4時間労働で暮らせる

世界大戦が証明してくれたことは、生産を科学的に組織すれば、現代世界の労働時間をずっと減らしても、民衆に十分な生活を遅らせることができるという事実である。

四時間の労働は不可避でも、余暇を生き甲斐のある“自分の時間”に当てられる。自由時間に没頭できれば、一般の男女幸福な生活に近づく機会に恵まれる。今までよりも他人に親切になり、他人を苦しめず、疑いの目で見ることもなくなり、好戦的気分も消えよう。(402頁)

近代的生産方法は、四時間労働の社会の可能性を保証しているのに、人々は過労、病気、恐怖、飢餓、不信、競争への道を捨てない。機械の出現以前と同様にあくせく働いている。人間が今後も愚かでなくてはならない理由などないはずだ。


ロマンチック・ラブ
〔28-06〕

p.433~434 恋愛を楽しめる制度は大事だが、恋愛結婚の幻想で離婚が盛行

性愛を禁欲的に観たキリスト教会は、男女間の愛を美化できず、貴族がそれを美化した。中世では、貴族の風習と宗教とが人生の性的役割を堕落させた。独身制の確立、教権強化を果たしたグレゴリー7世は、聖職者の妻帯を一掃しようとした。不自然な愛を抹殺する使命をキリスト教はもっていたが、淫売宿のような修道院もあった。ロマンチック・ラブが一般的に情熱の姿をとるようになったのは中世以後で、貴重なものを贈り、女性のよろこぶ詩歌で愛を得ようと苦心するところにある。この喜びを味わえる社会制度は大切。フランス革命以来、結婚はロマンチック・ラブの結果であるとの考え方が成長した。この結婚観は米国では厳粛にとり上げられたが、幻想がまさって結婚の現実的側面を忘れたので、離婚が流行した。
出典)「ROMANTIC LOVE」『MARRIAGE AND MOLALS』(1929)。『結婚論』として邦訳あり。


論理学と推論
〔27-04〕

p.434 人間の推論はまちがっているので、論理学では推論を控えることを教えるべき

人間が自然にやる推論は、ほとんどまちがいというのが明白になったので、昔は推論の技術だった論理学が、今日では推論を控える技術になった。だから、論理学は学校で人々に推論しないことを教えることを目指すべきだと、私は結論する。
出典)『SCEPTICAL ESSAYS』(1928)。邦訳『懐疑論集』。

 

 

*1:インタビュー、2015年9月1日。

*2:谷川徹三「「ラッセル思想辞典」の発刊によせて」(牧野力編『ラッセル思想辞典』所収)、早稲田大学出版部、1985年、i頁。

*3:松下彰良氏がまとめられたサイトのようである。https://russell-j.com/beginner/SISO-IDX.HTM

社会とつながる音楽家(カールーザース)

社会とつながる音楽家

グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」(ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』所収の第6章)、久保田慶一編訳、春秋社、2018年

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【服部 洋介・撰】


解題

本剳記で紹介する「社会とつながる音楽家」は、ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』(2012)の第6章として執筆されたもので、著者は、カナダのブランドン大学、レイクヘッド大学、ウィルフレッド・ローリアー大学の音楽学部長を歴任したグレン・カールーザース氏である。先にミュラーの『音楽と教育——社会学的アプローチ』(1957)の剳記解題で、かなり長々と引用したから、くりかえしになるような部分もあるけれど、ミュラーの論稿が書かれた戦後まもなくの頃に比べれば、職業音楽家を取り巻く状況の変化は、その速度を増しており、今やロマン主義精神にかぶれた音楽家の出番など1ミクロンもなくなっている。カールーザース教授は、リーマンショック以降、没落に歯止めがかからない音楽大学のカリキュラム刷新ということを訴えているが、そのためにも、音楽家は専門家としての特権意識を捨て、社会の中で多様に活動し、コミュニティに貢献する能力を身につけることが求められているというのである。今や音楽大学における非演奏的な教育の比重は、演奏スキルを身につけるための教育と比べても、劣るどころか重要性を増しており、ソリャ本末転倒なんじゃないのって気もしないでもないが、わが国における大学教育というものも同じ課題に直面しており、エンプロイアブルな職能にかかわりのない教養教育などという概念は、今や死滅しつつあるもののようである。そもそも、私の頃の国立大学には、就職課という部署それ自体が存在しなかった。国立大学で初めて就職課を置いたのは、一橋大学だったと思う。97年秋の金融破綻を受け、就職氷河期といわれた、あの頃の話だ。今や大学側としても卒業生が路頭に迷わないようにキャリア発達の世話を焼くのは当然のことであるし、就職説明会に親がついていくという現象も戯画的に報じられている。そうなるといささか極端な事例だけれど、こうした問題はひとり日本で発生したものではなくて、実はすでに海外で先行して出来していたことどもなのである。

その意味で、音楽家を社会・経済のなかに位置づけて教育しようとするミュラー社会学的なアプローチは、先進的なものであったというほかない。カールーザース教授は、学生たちと社会学者との交流を推奨しているが、ここまでくると、いよいよ芸術もオシマイって感じがする。しかし、社会学的に見ると、ロマン主義の大芸術家というのはみな実業家であって、社会に背を向けて神的な世界に閉じこもっていたわけでは決してなかった。つまるところ、真のロマン主義者がいるとすれば、ゴッホのように人知れずどこかでオダブツになっていたに違いなく、生き延びて名を成した音楽家というのは、みな演奏以外のスキルを多分に身につけていたに違いないのである。どんな非演奏的能力が必要なのか、それは本文の抜き書きをご覧いただきたいが、しまいには必死すぎて大学側の本音もポロッと書いてしまっていて面白い。「鍵となるのは、学生をどれだけ入学させればどれくらいの収益につながるかという、価格モデルなのです。おそらく今後も広く大衆受けする科目を、どんどん提供していくことになるでしょう。市場でシェアを維持するためには、大学は公共機関や企業などとの連携を充実させ、推進していかなければならないでしょう」*1。なるほど、正直で大変よろしい。

これが個人の問題であれば、芸術家がどうやって生きようが、特に問題ということもないのであろうが、音楽大学ともなれば、国のカネも何かしら投入されているであろうし、学生たちの期待に応える責務もあろう。これも一つのビジネスであろうから、大学をツブしてしまったら困る人たちも出てくる。学生は音大を受験せずに、もっと社会的ニーズの見込まれる分野に進学すればよいであろうけれど(実際にそういう現象が起きていると、カールーザース教授は言う)、教員としては困ったことになる。日本でも、国立大学から非実務系の文系学部を締め出して、私学に丸投げしようという動きがあるが、公共のカネに頼るとロクなことはない。少なくとも、いろいろと制限が生まれるのも事実であろう。私も国のカネをとってくる仕事をしているが、それはそれで煩わしいものである。これからの音楽家には、こうした助成金獲得のためのスキルも必要になるし、書類仕事もできなくてはならない。私も知り合いの美術家からカネ獲得のための申請書の作成について相談を受けたことがあるが、彼らときたら、申請書を作る以前に、お上が定めたフォーマットをいきなり「書式破壊」してしまい、事業計画書の作成に進むことができなかったという。いや、それはマズイ。なお、芸術関係にかぎらず、工学系の事業計画の相談をもちかけられたこともあったけれど、私も極めて多忙だった頃でもあったので、途中から、国立大学の研究者や、科学技術振興機構のマッチング・プランナーを紹介して丸投げしてしまった経緯がある。相談者は非常にアクティヴな人で、その行動力と実行力には実におどろかされた。実際、わずかな期間でアイディアを製品化して販売実績もあったから、大したものである。この人の経歴はおもしろくて、有名実業家の秘書をつとめたのち、企業から資金を募ってヒマラヤにのぼった登山家でもあり、陶芸家の夫を支える経営者でもあり、紆余曲折の結果、新たな事業を思い立たれたのであったが、とにかくアイディアの展開が早いため、説明がまったく追いつかないというのが玉に瑕であった。

さて、カールーザース教授によれば、音大の学生にも、こうした多様な経験が必要であるという。かといってヒマラヤに登る必要はないであろうが、ヒマラヤに登るための事業計画やスケジュール調整、資金調達の能力は、音楽家にとっても必要なものであるという。実際、私の知っている音大卒業生も大したもので、音大時代に様々な活動に駆り出された結果、社会に出てからずいぶんと役立つ能力が身についたもののようである。「どうせ音楽しかできないんでしょ?」という見方は誤りであるという。ケンブリッジのキングス・カレッジで初めて音楽を専攻した女性として知られる英国のピアニスト・スーザン・トムス氏も、次のように書いている。

 

(…)音楽家たちは、オーケストラ、バンド、室内楽アンサンブルなどの活動で培った、さまざまな職業で活用できる汎用的スキルを、もっと自慢に思うべきです。リハーサルや公開演奏会の経験は、本人たちが意識しなくても、多くのことを教えてくれたはずなのです。

楽家たちは自律的に物事が考えられますし、チームで働くこともできますし、集中する方法も学習しています。遠い目標に向かって辛抱強く取り組むこともできますし、ネットワークの作り方も知っています。コミュニケーション力もあり、自己アピールもできます。複雑な日程も調整できますし、緊張や不安をコントロールすることもできます。そして仲間たちの会話するときの社交辞令をも、心得ています。こうしたことすべてによって、音楽家たちは、音楽以外の仕事においても、その仕事のさまざまな領域でうまくやっていきます。*2

 

なるほど、音大生の学生生活というのはハードで、先輩の公演も見にいかなアカンし、かけもちで演奏会にも出なアカン、レッスンもあるし、研究室のアレコレもあるし、地域の音楽教室に出かけたり、ホールも押さえなアカン、教授のご機嫌取りもせんなナラン。ものすごいスケジュールである。おかげで汎用性の高い能力は身についたが、音楽を仕事にするのは絶対にゴメンということにもなったらしい(笑) まったく、聞くだに壮絶である。

しかし、いざ音大を出て、音楽家として生き延びるためには、まだまだやらなくてはならないことがある。クラシックの演奏家には永遠の変化が必要であると、サウス・クロス大学のマイケル・ハンナン准教授は指摘する。

 

芸術におけるフリーランスと同様に、音楽のフリーランスもビジネスです。ビジネス・マネジメントに何が必要で、自分の作品を聴いてくれる聴衆をどのようにして広げていくのかがわからないような音楽家は、自分を安売りするしかありません。しかもたいていのプロの音楽家は生きていくために、さまざまな活動をしていますが、これらの活動は決して生きていくためだけに行われているわけではありません。音楽家であるということは、演奏家、作曲家、編曲家、プロデューサー、オーガナイザー、監督、教育者、研究者、批評家、思想家、プロモーター、広告家、ファシリテーターという多くの顔をもつことです。これまでに教育や経験を通して獲得したスキルを活用する方法は音楽家にはたくさんあります。そしてたいていの音楽家はこのような形で活動できることを誇りに思い、満足しているのです。*3

 

ハンナン氏は、音楽家がこのようにいくつもの顔をもつことを、ギリシア神話のプロテウスにたとえて「プロティアン」と表現する。かつて、ドイツ観念論の哲学者のうちでもとくに難解といわれたシェリングが「プロテウス」と呼ばれたが、それはどちらかという否定的な意味においてであった。考え方がコロコロ変わると見られていたからだ。一方の「プロティアン」というのは肯定的な意味で、多才で適応力が高いさまを指す。私は音大では学ばなかったけれど、一時期、専門家から教育を受ける機会があって、そこでもこの「プロテウス的であること」が重視されていたのを思い出す。今にしてみれば悪くないプログラムであったのかもしれないけれど、私はいささかウンザリして、まったく適当にしか受講しなかった。

ところが、イザ逆の立場に立ってみると、私というのは案外、プロテウス主義的な輩だったらしく、母校が文科省からSGHに指定された際、国から予算がついてるのに、ただなんとなく勉強して終わらせたんじゃアカンから、この事業自体を実社会で価値化して、研究の成果を実業的に発展させる手法まで取り組みの中に入れるべきだと、担当の先生と話もした。まあ、さぞ迷惑な提案であったろうと恥じ入るばかりである。そもそもSGHという課程自体にあまり関心のない先生方もおられるし、生徒の熱意もまちまちであったから、教員にとっても生徒にとっても、SGHというプロジェクトは、相当な負担であったろうし、もし私が生徒だったらこんなのは絶対にかかわりたくない手のシロモノである。ただ、私の経験からすると、子どもの興味関心を特技といえるほどの実際的な能力に育てようとするならば、やはり、教育の組織化ということは欠かせないように思われる。もっとも、外向的で積極的な子どもであれば、私たちかが世話を焼かなくても、こうしたカリキュラムに積極的に取り組むであろうけれど、私のような〈自由という名の野良犬〉には、まったく効果はないであろう。現代の教育というのは、このような形でどんどんとエンプロイアビリティ(employability:さまざまな職業で通用する能力)*4を強調する方向に向かっているのであろうと私も実感するところであるけれど、おそらく、結果としては、社会的な能力の高い人と低い人との格差は拡大せざるを得ないであろうと思われる。

このような能力を、すべての人が獲得できるかというと、現実にはむずかしいのかも知れない。私も年を取ってからは、本当にそういうのにウンザリし始めている。呑気に同じ仕事だけして暮らせるなら、よっぽど安心である。なぜそれが許されないのかということについて、根本的な社会構造や経済構造に立ち入って考察すると、とんでもなく長くなってしまうからやめておくけれど、工業技術の発展によって、人間が労働から解放されるという展望を抱いたわれわれの先輩たちが、見事にその期待を裏切られたのには、それ相応の理由がある。AIが登場して仕事がなくなるなら万々歳のはずであるが、それでも人類がさらに高度な産業を展開して、新たな仕事を作り出し、それに適応していかなくてはならない事情というのは、音楽家たちがプロテウス的な変化を求められるのと変わるところがない。今や私としては、社会において享受される過剰なサービスや利便の総量を減らしてでも、人類の労働を軽減させることがぜひとも必要であるように思われるけれど、そう簡単にはいかないのにも、やはりそれ相応の理由というものがあるのである。

いずれにしても音楽教育の問題というのは、このような面から見てみると、教育全体の問題の縮図のようでもあるから、まこと興味深いものである。すでに私は「姫の歴史を研究するのは無意味か」と題する文章で、大学教育の問題について一考しているけれど、これからの大学というものが、ある程度まで実業学校化するのは、やむを得ない流れなのであろうと思わなくもない。社会史的に見れば、音楽にとどまらず、大学というものもまた、時代からその存在様態を規定され、変化せざるを得ないものであるということは明らかだからである。大学がこれまでに果たしてきた社会的機能を、これからも有用なものとして残していきたいということであれば、結局はその収益モデルを示さなくてはならないであろうから、思い切った改革も必要であろうし、大学の価値というものを広く社会に説得することも必要なのであろう。とりわけこのことは、わが国の人文社会系の学部・大学院にとっては死命を決する問題に直結するものであろうけれど、かねてから、大学教育における文系分野の縮減について絶対反対の立場を崩さない経済学者の佐和隆光先生(この人の過去のお説については、すでに「姫の歴史を研究するのは無意味か」で取り上げさせていただいた)は、新聞紙上で何度か論陣を張って、人文社会領域の研究が、今まさに役立とうとしていることを力説しておられる。佐和先生は、伊集院静氏の小説『ミチクサ先生』から、東京帝大の建築科を目指す漱石に対し、「それより文学をやりたまえ」と忠告した友人の話を引用する。文学なら何千年後にも伝えられる大作もできる、それが新しい国家の役に立つというのである。佐和氏は言う。

 

忠告に従い漱石は大学で英文学を専攻するのだが、その実、漱石の大作は今もって読み継がれている。それが「国家のため」になる時代、社会のために役立つ時代が、人々を労働から解放する人工知能のおかげで、今、目前に迫っているのだ。労働から解放された人々の関心は、生産や経済を離れ、哲学、歴史、芸術、純粋自然科学へと移行することは請け合いなのだから。*5

 

なるほど、さすがはランズバーグの『ランチタイムの経済学』の監訳者だけのことはある。人類が「労働から解放され」ること、つまり〈失業〉状態というのは、ランズバーグからすれば一概に悪いことではない。

 

ジャーナリストは失業率を経済全体の良し悪しを表わす指標に使いたがる。だが失業をめぐる議論においては、ふつう、失業が人々の望む状態であるという事実が見過ごされている。余暇を何もせずにのんびりと、あるいは好きなことをして過ごすのは、一般に好ましいこととされている。しかし、それが「失業」という名で呼ばれるとなると、突然、悪者のように聞こえる。*6

 

まったくその通りである。ところが、AI時代になっても、なんでか私たちは、AIにはできない仕事とやらに駆り立てられるわけである。そりゃAIにできない仕事は多々あるだろうけれど、それって何か高度な仕事なのであろうか? 案外、カネになりにくい仕事だったりするんじゃないの、とか思ったりしなくもない。もちろん、AIやロボットにもできないむずかしい仕事というのも多くあるであろうけれど、そりゃ凡人にはどうしようもないような仕事なのであって、すべての人間がそういう非凡な人間になっちまったら、世界はどうなっちまうんだろうと、私なんかは逆に思うけどね。しかし、そういう仕事をしないと、これからはカネなんてのはもらえないわけで、要するに、このカネというやつが労働そのものよりも重要な、いわば労働の〈黒幕〉なのである。言ってみれば、AIがどれだけ人類の仕事を肩代わりしてくれたとしても、ローンを組んで家を買った人の借金をどう返せばいいのかという話である。その人は、仕事をせざるを得ないであろう。ところが、AIが仕事をしてくれるものだから、カネを返そうにも仕事がない。嫌でも労働を作り出さないと破産である。それも、カネになるのはAIにはできない、高度なスキルを必要とする仕事ばかり。このあたりまでくると、もはや本末転倒である。ま、カネなんてのは国のした借金の借用書からできているわけだから、労働が減らない事情もなんとなく察しがつくであろう。

こういう状況の中で、AI時代の労働スキルを磨くってのは、そもそもどういう意味なのかということも考えないでもないし、漱石みたいな大作家も大学教育で作ろうってことになると、ソリャ音楽教育とまったく同じ発想なわけで、それはそれでしんどいもの、いずれにしても有能な人のやることである。まあ、一人でできないことも、分業することで楽になるということもあるであろうから、音楽家や文学者がすべてのことに責任をもたなくとも、マネジメントの専門家とジョイントすることで、より多くのコンテンツを世に問うということも可能になるのであろう。そういう方向でアーティストを支援しようという実業家もいないわけではない。ありがたい話である。ただ、かくいう私なども、アート・プロジェクトを手掛けている方から「こういうのは、正直、文章を書ける人が大事なんだよ。ねえ、何か文章書いてくれない?」と頼まれたりしても、ついつい「いやいや、そんな売れそうな文章とか思い浮かばないんで」と断ってしまうくらいで、この年になると、努力してモノを考えるのも嫌になる。好き勝手書かせてくれよってなっちゃうわけだ。若い頃は面白がって、ネットの小説投稿サイトに作品をアップして、ある分野で(ごくニッチなジャンルではあったけれど)アクセス・ランキング1位をとったこともあった。どういう時間帯にアップすればアクセスが伸びるのか、どんなキーワードがユーザーにアピールするのか、そういうことを試して自己宣伝に励んでいたのだが、今さら自分でやろうって気力はない。

ともあれ、有能な人は、言われなくても抜け目なく社会で生きていくであろうから、あまり心配したものでもないけれど、問題は、あまり社交的でもない芸術家を、当の大学教育でどうにかできるのかって話である。このまま放置しておいたら、抜け目のない人間がどんどん抜け目なくなるだけで、ラッセルが危惧したような事態が拡大する一方である。これはすでにラッセルの『人生についての断章』の剳記で書いたことであるが、再掲しておくこととする。1932年の文章である。

 

十九世紀自由主義の標語であった自由競争は、疑いもなく多くの取柄を有した。それは諸国民の富を増大させ、手工業から機械工業への移行を加速し人為的不正を除去して、才能への門戸開放というナポレオン流の理想を実現した。しかしそれは一つの大きい不正――不平等な才能にもとづく不正をそのまま放置した。自由競争の世界では、神が活動的で抜け目ない者に作った人間は金持ちになり、他方その長所が自由競争に向かない人間は金を稼げなくなった。その結果、大人しい瞑想的なタイプの人間はいつまでも無力にとどまる半面で、権勢を獲得した人間は、自分の成功が自分の徳行の賜物だと信ずるに至る。それゆえ負け犬の人々は、成功を招くような種類の能力を持った代弁者を見出す機会を絶えて有しない。*7

 

実生活での成功を生む資質は、必ずしも最大の社会的効用をもたない。一例を挙げれば、多くの発明家が窮迫して死ぬのに反して、その発明を利用する事業家は巨利を博す。このような例外的事例ほどではないにせよ、呑気で少々愚鈍で、そしてあまり活動力のない普通の平凡な市民も、当然一人前に扱われるべきであるのに、彼自身、それに必要な活力を持たぬゆえに、自分の言い分を効果的に唱道することができない。*8

 

成功への技倆を持たぬ人々にも、彼らの権利がある。そしてこの種の技倆の持主のみが成功を収める環境で、彼らがこの自分の権利をいかに確保するかは、難しい問題である。自由競争が社会正義の実現の手段である、という信念を放棄する以外にこの解決策はない。*9

 

しかるに、AIで仕事がなくなろうというのに、われわれが労働市場で競争力を上げ続けなくてはならないというのは、とどのつまりはカネのためなのであるけれど、カネってやつは、ベルナルド・リエター(昨年亡くなったベルギーの経済学者)の表現を借りれば、「使用者間で「協調」より「競争」を促進するように設計されて」おり、また、「工業社会の旗印である「永続的な経済成長」を可能にした影の功労者であり、エンジン」でもあった。さらにマズイのは、「このマネーシステムにおいては個人が財産の蓄積(富の貯蓄)を奨励し、それに従わない人々は懲らしめられるようになっている」*10というようなものなのである。今どき「永遠の経済成長」とか、グレタさんに怒られんぞ、と私なんかは思うけどね。もちろん、リエターは、こうしたマネーの性質を問題視しているわけである。

ま、一応そういうことも考えながら、本書を読まれるがよろしかろう。佐和先生は、西洋の大学をほめちぎっておられるが、デリダの頃のフランスがそうであったように、西洋の大学教育といえども、必ずしも古き良き昔のままではいられなかったもののようで、アングロ・アメリカン方式の金融経済が世界を席巻するさなか、欧州古来の知性主義なるものがどれだけ尊重されているのか、おぼつかない面もあるんじゃないのかなあ。その事情は、西洋の偉大な文化遺産であるクラシック音楽を教授する音楽大学においても変わるところはない。日本の大学教育を考えるうえでも、裨益するところの少なくない読み物といえるのではないであろうか。

なお、本書においては、西洋の学生さんがなぜボランティア活動にいそしむのかということも明らかにされるから、日本の学生さんも、ただ履歴書に書いておくためという消極的な理由ではなしに、エンプロイアビリティの獲得をめざしてこれにいそしむのがよろしかろう。

 

関連項目
ジョン・H・ミュラー「音楽と教育――社会学的アプローチ」

 

所蔵館
県立長野図書館

 

音大生のキャリア戦略 音楽の世界でこれからを生き抜いてゆく君へ

音大生のキャリア戦略 音楽の世界でこれからを生き抜いてゆく君へ

  • 作者:ドーン・ベネット
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2018/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本文 


p.103 社会学的な音楽研究の先行例

社会と音楽あるいは音楽家との関係に関する研究は、過去75年間で増えた。ポピュラー音楽文化に関するアドルノの難解な文章(Adorno & Simpaon, 1941)からレスラーの読みやすい社会史研究『男性、女性、ピアノ』(1954)、そして70年代までの幅広い研究まで多様。レイノア『音楽と社会:1815年から現代までの音楽の社会史』(1972)、『中世からベートーヴェンまでの音楽社会史』(1976)、その他、シェパード、スモール、フリスなど、90年代までの研究が挙げられる。

 

p.103~104 作品そのものから社会的コンテクストへ

音楽や音楽家を社会的コンテクストから論じるという最近の傾向は、その他の多くの分野にも見られます。例えば、1980年代のニュー・ミュージコロジーに触発されて、主流の音楽学の関心も、「作品そのもの」から「本来の場所にある」音楽に向けられるようになりました。「実証的であるより、批判的な音楽学であれ」というカーマンのスローガン(1985)に刺激されてか、この新たな関心は一般的な音楽雑誌から研究書に至るまで、ほとんどの研究で顕著になっています。(p.103~104)

 

p.104 外面的なキャリア支援が必要になっている

前世紀の音楽研究のすべての分野の特徴となった、「これまでを考え直す」という傾向の中にあって、アイデンティティ研究の方も音楽教育に熱心に目を向けたとしても、驚くべきではないでしょう。音大生のキャリア発達を担当する専門形ですら、教育課程やワークショップを再構成するにあたっても、目標や方法を再考し、学生たちが授業で修得するスキルが、実際どのように応用されるかを重視するようになったのです。簡単に言えば、音大生と彼らを支援する人たちが、キャリア・プランやカリキュラム指導など〔訳注:学生たちの内在的な面に介入するのではなく〕、学生たちの外在的側面からの支援を追求することが多くなっているのです。(104頁)

 

p.106 クラシックの一分野の専門家ではもはやダメ

世界は急速かつ劇的に変化しています。かつて正しいと思われていたことが、今では誤りということが多々あります。音楽大学のカリキュラムもしかりです。今や音楽大学を卒業した演奏家が、チケットを購入してくれた聴衆を前にクラシック音楽を熱演している姿は、もはや想像できないからです。クラシック音楽のひとつの分野だけの専門家である(これは19世紀の産物です)という時代は、よほど特殊な場合を除いて、もう終わってしまったのです。例えば、リサイタルをするにしても、ビジネス感覚、柔軟なレパートリー、そして聴衆とステージとの相互交流を促すコミュニケーション力が求められています。(106頁)

 

p.106 かつては専門的なソリスト教育が重視された

1970年代までの芸術や芸術教育では、専門家になることが良いこととされてきました。ソリストとしての仕事をするためのスキルが重視され、音楽修業の主たる目的も、演奏家という人的資本に向けられてきました。まさしく競争的な環境において成功を収めることのできる演奏家の養成でした。個人の育成、うまく演奏できるスキルの修得が第一であって、その他のことは二の次で、最初の目的の役に立つことばかり重視されたのです。(106頁)

 

p.107 ソリスト教育よりも人生や社会のためになる教育を

しかし、20世紀も終わりになると、多くの音楽大学で、こうした音楽修業に対する考え方が変わりはじめたのです。「すべての人に音楽を」という音楽教育と音楽学習の民主化が、音楽家の仕事を変え、ヨーロッパのコンサート中心主義も見直されました。地域の音楽活動の活性化をめざすプログラムでも、個人からグループへと対象を変化させたのです。またよい演奏家の養成よりも、他のすべてをさしおいてでも、学生自身や他の人たちがいい人生を送れるように教育することを、音楽大学は目標とするようになったのです。

こうした変化の中で、音楽家がICTに強いことが重要な役割を果たします。コミュニティを活性化して維持していくうえで、テクノロジーが果たす役割を強調して、しすぎるということはありません。テクノロジーはあらゆる場所で、音楽活動への参加を促してくれるからです。児童・生徒であっても、頼りになるソフトウェアを使えば、手の込んだ音楽を作曲することもできます。とにかく、ますます多くの人が、インターネットを通して、必要なときに世界中の音楽にアクセスできるようになったのです。(107頁)

 

p.107 音楽家の役割は社会的コンテクストに規定されている

別の言葉で表現するならば、音楽の生産と消費がいつ、どこででも行えるようになったことで、音楽家の役割もたちまちにとめどなく広くなったのです。そうなると好奇心の強い音楽教員なら、学生たちの人生において、これからの音楽が果たす役割は何かと、再度問うてみるでしょう。音楽学者なら、音楽の「意味」がコンテクスト、すなわち音楽が享受されたり、伝達されたりする時代や場所から切り離せないことを、よく知っています。演奏家ですらも、社会の関心に応え、急速に変化する世界において、社会を変える役割を担うために、こうした問題について議論することも厭わなくなっています。(107頁)

 

p.107~108 音楽家はオールラウンダーになることを求められる

(…)かつては何でもできるということは専門家ではなく、アマチュアであるとみなされていましたが、今ではこの汎用性こそが音楽家の競争力の源になっているのです。しかし汎用性というのは、一朝一夕に獲得できるものではなく、積極的に教えてもらったり学んだりしないと獲得できません。学生たちも早い段階から、学問、音楽、テクノロジー、起業、ネットワーキングなどのスキルを修得するようにしなくてはならないでしょう。これらのスキルを組み合わせて使用するときが、きっと来ます。(107~108頁)

 

p.108 実社会でのチャンスを探せ

早くから時代を先取りしている学生たちは、ネットワーク作りにつながる活動を精力的に継続。教会やレストランで演奏し、音楽教室で教え、楽器店で働き、演奏団体の指揮、結婚式や葬式で演奏し、青少年センターや老人施設でボランティア活動をしている。有償だったり、学外活動科目の単位になったりしている。こうした活動が、実社会に隠れているチャンスの発見につながる。

 

p.109 カナダにおける音楽の生産と消費

カナダでの音楽の仕事について考えるとき、この国の音楽の生産と消費のレベルを知っておくことは重要。もっとも、学生たちは需要と供給を考えて、プロの音楽家になりたいと思っているわけではない。カール・モーレイは『音楽の仕事:カナダの学生のためのガイド』の中で、こう言った。

この国の今後25年間のオーボエ需要に関する市場調査をしてから、オーボエを専攻するのを決めたり、やめたりしたという人がいるだろうか! 音楽家になりたい動機はさまざまだろうが、このような調査結果を見たりはしないものだ。(Green et al., 1986, p.177)(109頁)

 

p.109~111 カナダの音楽分野の雇用状況

そうはいっても、学生たちが雇用の機会を確かめたくなるのも理解できる。音楽の世界はヨーロッパ諸国では相当に変化しているが、カナダの状況はまだまだ安心できる。クラシック音楽のコンサートに参加する人口はわずかながら増加する傾向。音楽の消費の増加も、音楽生産、文化・サービス産業の高まりを受けたもの。現代のカナダにおける文化芸術分野の雇用の見込みはよいが、音大卒業生の雇用状況は他の分野ほどよくないし、収入レベルも一般に高くない。2007年の時点で、学部卒の平均年収は23,700カナダドル、未就職率12%、他の分野の学部卒の平均年収は36,000カナダドルで、未就職率は8%。しかし、音大卒業生は自分のこれまでの音楽修業を高く評価していて、アンケートを見ると、再び同じ大学(学部)に入りたいという人は音大生の場合88%で、他大学の卒業生の78%よりも比率が高い(Job Futures, 2007, p.2)。

 

p.112~113 オーケストラの問題点

「オーケストラ・カナダ」は、カナダのオーケストラの現状に関する研究を独自に委嘱。その第3フェーズで30の提言が行われた。第1フェーズで行われたステークホルダーへのインタビュー調査(Chandler & Ginder, 2003, 4月30日)のレポートには次のような文章があった。

 

数少ない例外を除いて、カナダのオーケストラの団員はもこれまでの修業や経験に比べて、給与面では比較的恵まれていません。その結果、採用や楽員の数の減少もさることながら、音楽やそれ以外の仕事で、アルバイトをすることが多くなり、練習やリハーサルの時間が削られています。(Chandler & Ginder, 2003, 4月30日)(113頁)

 

プロの演奏家というのは、他の人を楽しませる演奏だけをしていればいいという思い込みが垣間見られるのではないか。プロの生活は、練習、リハーサル、本番がすべてであって、それ以外は煩わしくて歓迎されないものという考え方が残ってはいないだろうか。このような考え方は昔ほど強くない。演奏家もそれだけでは儲からないし、他の人がいるからこそ演奏ができる。そのような考え方には限界があって、互いに交流することにさほど関心がない若い世代にさえもたやすく受け入れられないだろう。

 

必要がなければサービスを必要としない10代や20代の人々にとって、オーケストラの演奏会というのは、他人が作り、構成し、演奏した音楽を聴くという、まったくの受け身の状態に置かれてしまう時間であって、それほど魅力的ではないでしょう。こうしたことが、世界中のオーケストラが必死になって、自らを反省しなくてはならない状況に追い込まれた理由のひとつなのです。(113頁)

 

p.113~114 オーケストラ楽員の多様な生き方

聴衆を呼び戻すためにオーケストラはあり方を見直さなくてはならないし、満足できる仕事をつづけるためにも再考が必要。プロのオーケストラでずっと仕事を続けていたいと考えていた演奏家も、今では仕事を広げてフリーランスになる人が増えている。大都市の周辺に多く、トロントの周辺では、劇場、オペラ、バレエ、現代音楽、映画などで演奏する機会が多く、パートタイムかシーズンごとの仕事。臨時収入だけでなく、ダイヴァーシティ(多様性)も得られる。ひとつのオーケストラで長く仕事をしていると浮き沈みもあって、意気投合できないところもある。多くのオーケストラ楽員は補助的収入としてレッスンをしているが、ここでも刺激を受けることが多い。音大の非常勤や個人レッスンもあるが、そこでの常勤職は魅力的で、希望者が増えている。キャリア・チェンジして安定した収入を得たいという人も。

 

p.115~116 大学と社会のつながりが重視されるカナダ

大学教員の労働条件は一般的にとても良い。標準的な授業時間は1週間に18時間を超えることはない(通常は12~15時間)。オーケストラ団員には教えることは求められないが、大学教員には演奏家であり続けることが期待されている。終身雇用(テニュア)と昇進のための研究業績審査では、審査員は候補者の演奏した会場などを調べる。放送の場合は地域放送なのか、地方放送、全国放送か、演奏会は自主演奏会か、シリーズの一部なのか、CDは国内のみの販売か、国外でも販売されているのか、そして、商業系レーベルか、独立系か。それ以外にも、カナダの大学教員には、コミュニティへの貢献が求められている。教員の責任の配分は、伝統的に、教育40%、研究(創作、演奏を含む)40%、コミュニティへの貢献20%。古い基準ではこれらの責任は別々のものと考えられ、優先順位がつけられていたが、今日では総合的に評価される。別の言葉で表現するならば、大学教員の役割とコミュニティでの役割が同等に扱われている。カナダでは大学と社会の幅広いつながりが重視されている。

 

p.116~117 現代の音楽家像について

オーケストラ、大学、レコード会社、音楽出版、そして音楽業界の他の分野は、グローバリゼーション、すなわち新しい世界経済と主にテクノロジーによって推進される新しい秩序と、うまく歩調を合わせて発展しています。同じように、プロティアン・キャリアを歩む音楽家の誕生も、変化する社会や個人の価値観を反映しています。(…)この新しい種類のキャリアは今ではもう普通になっています。個人の好みから労働市場の要求まで、その理由はさまざまですが、今では数え切れないほど多くの音楽家が、音楽の幅広い仕事に、絶え間なくあるいは同時に従事しています。実際に、さまざまな企画したり実行したりする能力が、労働市場では極めて高く評価されているのです。さまざまな活動をミックスして、内的(個人的)あるいは外的(社会的)要求に対応することで生活が頻繁に変化することも、決して珍しいことではありません。多くの音楽家にとって最終の目標は、私生活と仕事を統合して、パートナー、家族、そして仲間の共同体において、音楽の充実した仕事人生を歩むことなのですから。(116~117頁)

 

p.117~119 ケーススタディ:マリーの場合

1998年に音楽学部を卒業、さまざまな仕事を経験。卒業後の2年間は、地域の合唱団をボランティアで指揮。同じくボランティアで伴奏、別の合唱団の副指揮者、高校の音楽劇の監督もした。シンガーソングライターのバックコーラスで歌い、演奏旅行や録音にも参加。卒業の年に、女性室内合唱団の設立メンバーのひとりとなって活動。教会の合唱団として歌い、現地在住の作曲家のオペラ作品にも出演、声楽を教え、声楽のピアノ伴奏もする。しかし主たる収入源は、演奏ではなくて、学生時代にアルバイトから始めた大学の音楽図書館の正規職員。2001年に「カナダ室内楽合唱団」の設立メンバーとなり、オーディションでメンバーを構成、毎年2回、演奏会。ボランティアだが、彼女は合唱団の音楽監督として、資金計画を立て、国内の演奏ツアーを企画した。収入増のための助成金申請の書類を作ったり、広報のためのウェブサイトや報道資料を作成した。2001年にフォーク・バンドを結成、精力的に北米ツアー、2010年にはイギリスで初の海外公演、CDを4枚リリース。団体の運営はほとんど彼女、レコーディングやツアー予約、広報、会計、助成金申請は夫が手伝っている。卒業してからの4年間に、彼女は20以上もの音楽活動に従事した。これが彼女の複雑なアイデンティティを培った。2003年に夫の大学院進学にともなってトロントに移住、そこで彼女はプロの有名な合唱団の一員になった。2007年にウィニペグに移住、夫が音楽振興協会に採用され、マリーはボランティアとして音楽フェスで働き、やがてコーディネーターとして正式採用。フォーク・バンドや合唱団のツアーやレコーディングも続けていた。彼女の成功の要因は、才能、能力、適応力。多くの時間を頼音楽家との活動や音楽団体のために使った。複数のジャンルの演奏家で、経営者でもあった。彼女のキャリアはまさに、自らでチャンスを生み出し、すばやく適応し、演奏は活動全体の一部にしか過ぎないという、モデルそのもの。現代の成功した音楽家の典型であると言える。

 

p.120~122 音楽を社会的に位置づけること

音大生の多く、とりわけ演奏の学生は、社会の問題にほとんど関心をもっておらず、今後カリキュラム設計していく場合には、彼らの気質に合わせる工夫も必要。メモリアル大学のそれが参考になる。5つのことが推奨されているが、その1として、音楽や音楽家が社会において果たす役割を理解し、聖地用段階にあるアイデンティティを自ら探索すること、とされている。たとえば音楽史の授業で、社会背景を考えるにしても、準備なしではいけない。ブランドン大学のバロック音楽の歴史の授業では、ヴィヴァルディの音楽がエレベータ、レストラン、モールなど至る所で聴こえてくることについてのレポートを書かせる。定型的な曲をどう聴いているのか? こうした話題から、現代社会の中に楽曲を位置づけることができるようになる。その2は、コミュニティの成員との相互交流を促すサービス・ラーニングへの参加を促すこと。その3は、社会学の研究者との交流。その4は、将来の予期せぬ変化に対応するための生涯学習のスキルを修得しておくこと。音楽家としてうまくやっていくための「プロ養成コース」が開設されている。その5は、コミュニティでの公式・非公式の演奏経験を広く積むこと。ブランドン大学では、コミュニティ・ミュージックの地域、国内、国外の実践例を調査して、その意味をグローバル的に理解することを求めている。

 

p.123 音大のカリキュラムの再構築、演奏と非演奏のバランス

たいていの大学のカリキュラムは、一貫した流れを欠いてバラバラ。演奏の学生たちは教員から分断され、さらに演奏の学生と教員は理論や音楽学の教員からも分断されている。とはいえ、最近では分野間のつながりも重視されるようになっている。演奏と非演奏の学習が仕事のうえでもうまくバランスがとれて融合するのにはどうすればよいのかに関心が高まり、学部のカリキュラムも再構築されつつある。

 

p.124 特権的専門家はダメ

多くの機養育機関、オーケストラ、オペラ団体、その他の音楽機関には、コミュニティに対する責任を真剣に考えて、社会のニーズを読み取ることが求められている。音楽家の将来にどんな落とし穴があるのかはわからないし、大学や学生もついつい自分の想像の範囲でしか行動しない。カリキュラムと基本的指針(ポリシー)は常に時代と社会を反映したものとなっていなくてはならない。プロの音楽家が生き生きと活動し、コミュニティも活性化するには、社会に砦を築いて、ひとり専門家であるように特権的にふるまうのではなく、適応力をもってオールラウンドに仕事をし、人々と相互に認め合える関係を築かないといけない。そうすれば、音大生の未来も明るいものとなるだろう。

 

p.127~128 リーマンショック後の現在、音大の入学者は減少

本書を執筆してから10年間の間に、音楽大学・学部に進学する人の数が減少し始めた。抜本的なカリキュラム改革が必要。これに付随してステムSTEM系の学部〔訳注:科学Science、技術Technology、工学Engineering、数学Math〕への入学者が増加しているのには相関関係があるように思われる。2012~2016の間に数学学部への入学者が33.8%増加、同じ割合で音楽学部への入学者が減少した。もちろん、音楽を勉強しようと思った高校生全員が、数学を選んだわけではない。工学、科学、農学も増えている。芸術分野全体から科学の分野へと、若者の関心が総合的にシフトしているのだろう。政府が卒業後に必要なエンプロイアビリティを早くに修得することを推奨したり、音楽学部が高等教育全体のニーズや関心にいかに対応できていないかに言及したりしたことで、この傾向に拍車がかかった。高校の音楽教師が言うには、いい生徒が音大に進学しないのは、音大の教育内容が堅苦しくて、時代遅れなものだからだという。しかし、改革は現在進行中。コミュニティ・ミュージックの分野での新しい学科や専攻を設立、従来の分野の不足分をある程度補っている。オンラインで科目の多くを提供しているポピュラー音楽の学科にも、多くの学生が入学。

鍵となるのは、学生をどれだけ入学させればどれくらいの収益につながるかという、価格モデルなのです。おそらく今後も広く大衆受けする科目を、どんどん提供していくことになるでしょう。市場でシェアを維持するためには、大学は公共機関や企業などとの連携を充実させ、推進していかなければならないでしょう。こうした連携が大学と社会との連携も強化します。(127~128頁)

 

*1:グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」(ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』所収の第6章)、久保田慶一編訳、春秋社、2018年、127~128頁。

*2:スーザン・トムズ「はじめに」(ドーン・ベネット編著、同書所収)、iii頁。

*3:マイケル・ハンナン「音楽家のプロティアン・キャリアを考える」(ドーン・ベネット編著、同書所収の第8章)、184頁。

*4:ドーン・ベネット「日本の読者の皆さまへ」(ドーン・ベネット編著、同書所収)、iii頁。

*5:佐和隆光「文系学部は「無用の学」なのか」(『信濃毎日新聞』2019年12月8日付朝刊)。

*6:ティーヴン・ランズバーグ『ランチタイムの経済学』、佐和隆光監訳、吉田利子訳、ダイヤモンド社、1995年、181頁。

*7:バートランド・ラッセル「成功と失敗」(『人生についての断章』所収)、中野好之・太田喜一郎訳、みすず書房、1979年、210頁。

*8:ラッセル、同書、211頁。

*9:ラッセル、同書、212頁。

*10:ベルナルド・リエター『マネー崩壊――新しいコミュニティ通貨の誕生』、小林一紀・福元初男訳、日本経済評論社、2000年、11頁。

音楽と教育――社会学的アプローチ(ジョン・H・ミュラー)

音楽と教育――社会学的アプローチ

ジョン・H・ミュラー「音楽と教育――社会学的アプローチ」(N・B・ヘンリー編『音楽教育の基本的概念』所収)、美田節子訳、音楽之友社、1986年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

本論文は、全米音楽教育者協議会の1957年度年鑑に掲載された論文集『音楽教育の基本概念』(ネルソン・B・ヘンリー編、Basic Concepts in Music Education)に収められた論文の一本で、1958年に公刊されたものである。本論文はその第4章を構成している。

さて、「音楽と教育――社会学的アプローチ」と題されたこの論文は、19世紀以来、今日まで続くロマン主義的な芸術観に一撃を加えようという趣旨のもので、著者のミュラーは、その拠って立つ理論を社会学的美学と呼んだ。それもそのはず、ミュラーは当時、インディアナ大学社会学部の主任教授であった。本剳記では、主にそのあたりを抜き書きした。

私がこの本を手に取ったのは、2001年3月18日のことで、かれこれ19年前のことである。たしか私は、ワーグナー研究の真っ最中で、とはいうものの、楽劇や舞台神聖祝祭劇をやろうなどという気もさらさらなかったので、交響詩の作曲に注力していた。私は音大を出たわけでも藝大を出たわけでもないので、いわゆる音楽の専門教育を受けたわけではないけれど、専門家の指導をいささか受ける機会があって、とにかく器用になんでも書いたので、そのことだけは感心された。もっとも、劇伴の作曲家になれるほどの技術的な引き出しを持ち合わせていなかったので、せいぜいそれっぽいものを書けるという程度のものでしかない。

というわけで、社会的に求められる音楽を創造する能力には恵まれなかった私であるけれど、困ったことに、自分を満足させる音楽ならそこそこ作れるときていたので、ウッカリすると、貧乏暮らしの中、誰にも理解されずに最高の芸術を求めて葛藤した挙句、どこぞの屋根裏で孤独に死んでゆくという、〈芸術家貧乏神話〉を実演しかねないようなところがあった。これは、ロマン主義研究の大家バーリンが、その『ロマン主義講義』のなかで示した、ロマン主義における生活上の理想とよく一致するものである。その理想とするところは「完全無欠さ、誠実さ、何か内なる光りに自分の生命を捧げる態度、自分のもつすべてを犠牲にするに値する、生死をともに賭けるに値する何らかの理想に対する献身」であり、結果、ロマン主義の芸術家は「第一義的には、知識にも、科学の進歩にも、政治権力にも、幸福にも関心をもたず、就中、生活への順応とか、社会の中で地位を得るとか、政府と折り合いよく暮らすとか、さらには国王や、共和国に対する忠誠とかに関心をもっていなかった」し、彼らは「自分の信仰のためには最後の一息まで闘い抜く必要性を信じていたことを見出したことであろう」*1というのである。

バーリンによると、人間精神におけるこうした理想主義的な態度というものは、比較的に新しいものであって、近代の産物と言うべきものであった。このようにしてロマン主義者たちが作品上にもたらそうとしたものとは、芸術家の中を無自覚のうちに吹き抜ける神的霊感であり、無意識的で自然的な精神であった。ゆえに芸術作品とは、作者が単に意識的な形式を押しつけた構成プランの産物ではなく、〈芸術〉は、合目的的な〈技術〉とは明確に区別されるものでなくてはならなかった。いわゆる狭義の〈芸術〉とは、コリングウッドにあっては、ロマン主義の芸術を指したのであろうし、ゼードゥルマイアにしたがえば、現代芸術のある種のものは、いわゆる〈芸術〉からは区別されなくてはならないものであった。

このようにして近代に成立した芸術観が、こんにちでもまだ一定の信仰を勝ち得ているのも事実であろう。ミュラーのいう社会学的美学は、このようなエリート主義的な芸術観が、芸術の唯一の評価基準ではないことを明らかにしようとする理論的枠組みである。それは、ロマン主義的な〈象徴〉としての芸術に対して、〈アレゴリー〉的芸術の再評価を試みたガダマーの方向(『真理と方法』)を、社会学的に発展させたものであるけれど、本論文にあっては、その大まかな考え方が示されるにとどまり、科学的な方法論、すなわち、芸術の社会的機能をいかにして定量的に記述するかということは明確にされないが、音楽作品というものを一つの〈商品〉として取り扱い、その〈商品〉であるということが、音楽作品の外形と、その芸術的価値を決定するという考え方を提示するものとみてよいのではないかと思われる。音楽作品や演奏会というものが〈商品〉であるとするならば、合目的的な商品開発のために、どのような教育が必要とされるのか。それが教育論としての「音楽と教育――社会学的アプローチ」の眼目である。

もし、ロマン主義的な音楽というものが純粋に存在するとするならば――もっとも、ミュラーはこの点についても懐疑的なのではあるけれど――、にもかかわらず、そのロマン主義的な音楽が、いまやロマン主義的な精神において奏されていないという事例については、個別に挙げることができるであろう。あまり知られていないことであるけれど、クラシックの音源を、ポップスのレコーディングと同じように多重録音で録るということはままあって、これは、ロマン主義の美学が重んじた、有機的な自然や無限の総体といった宇宙的な感情と人間における魂の照応といった神秘的で形成的な活動の産物としての〈芸術〉というよりは、きわめて緻密な構成プランにもとづく、意識的で計画的な活動としての〈技術〉に近いものであろう。その初期の例として、指揮者のジョン・マウチェリは、次のような逸話を挙げている。

 

偉大なマエストロたちの録音を聴き「勉強」するとしたら、私たちはある事実に直面することになる。録音がどのように行われたかを知らなくてはならないのだ。たとえば、片面最大五分しか録音できない原盤に直接録音されたのか。それでテンポが決まったのか。それとも事前に演奏時間を計っておいて、指揮者とエンジニアが曲を二つに分けて録音したのか。偉大なワーグナー指揮者であるカール・ムックは一九二七年に、『パルジファル』の「聖金曜日の音楽」を三つの部分に分けて録音するという提案を拒否した。その結果、作曲者の息子であるジークフリートバイロイト祝祭劇場の指揮台に上り、父親の「聖金曜日の音楽」を録音した。

ムックはその後考えを改め、二年後にベルリンで自分のテンポを完全に守りながら「聖金曜日の音楽」を録音した。おかげで、それをひとつにつなぎあわせた彼の録音を今も聴くことができる。*2

 

わざわざバイロイトに芸術の殿堂を建てて、ここでしか聴けない音楽の祝祭をやろうと企図したワーグナーが聞いたらカンカンになるかも知れないけれど、こんにち音楽を奏する側も、それを享受する側も、おそらく、純粋にロマン主義的な仕方で芸術に対しているということはありえないわけで、奏されるスコアは同じものであっても、そこで体験されるものを芸術体験といってよいのか否か、判断に苦しむところである。しかし、これはまだ良心的な例である。平林直哉氏によれば、クラシックのレコード現場は堕落しきっており、「リハーサルから演奏会までテープを回しっぱなしにして、ミスの少ない箇所、聴衆の雑音の入っていない箇所をつぎはぎし、お客のいるときといないときの響きの違いも機械で調節し、レコード(CD)が完成するのである。こうした修正作業をおこなうと雰囲気感の乏しい、透明感のない濁った音質になりがちである」*3というのである。ンなモンは世に出さずに廃棄しろと平林氏は言う。チェリビダッケあたりなら、そんなことは許さなかったであろうし、そもそも機械を介入させると音が歪むと難色を示していた。その点は、シャルル・ミュンシュも明確に同意している。それでもミュンシュは、音楽の専門集団であるオケと、必ずしもそうではないエンジニアとの緊密な連携を図ることが指揮者の一つの仕事だと了解していたが*4クナッパーツブッシュには耐えられないことであった。ワーグナーのロマンまみれの巨大作品を細切れにして録音できるほど器用でもなかったので、代役としてショルティが起用された。おかげでショルティも、今ではすっかり大家としての評価が定着している。

今ひとつの例を挙げよう。これはチェリビダッケに師事したファゴット奏者・エーデルマン氏が、カラヤンについて述べたことであるが、カラヤンというのは念入りにリハをするが、コンサートではオケにまったく注意を払わず、瞑目して、俳優のような美しい動作をつくることに注力していたが、これらはオケに指示を与えることを意図したものではなかった、という。これが昂じてくると、次のようなことが生じてくる。

 

カラヤンは、映像製作のためにプレイバック・レコーディングの手法を最初に導入したクラシック音楽家のひとりである。この手法はご存じのように、音楽を先に録音しておき、その後に映像だけ撮影して重ね合わせ、実際にオーケストラがコンサートで演奏しているのを撮影したように視聴者に信じ込ませるものである。カラヤン交響曲のコンサートやオペラを指揮している映像が数え切れないほど出回っているが、ほとんど実演ではなく、実演を装ったものである。

カラヤンは彼自身の完璧なイメージを残したいと望んでいたので、コンサートをライヴで録画することを許可しなかった。プレイバック・レコーディングによって作成された彼のフィルムは、彼自らがスタジオにこもって自分自身のすべての映像を編集し、その後に公開を許可した。*5

 

80歳のカラヤンベルリン・フィルと共演して、長大なハープシコードのソロを生で弾いて世界から称賛を浴びたという映像がある。じつはこの映像、エーデルマン氏が同フィルのメンバーから聞きかじったところでは、カラヤンハープシコードは音が出ないように細工されており、別の音楽家の演奏を後からかぶせたものであったという*6。ほとんどポップスのPVである。エーデルマン氏はこのあたりを問題視して、チェコのクロメリッツで『今日の芸術におけるマルチメディアの浸透』と題する論文をもとに講演を行なった由である。氏は「生演奏の音楽とマルチメディアが結託しているという問題点に対するマエストロ・チェリビダッケの解答こそ、私のアプローチを導いてくれたものであり、私の論文と講演の基調となるものである」*7と言っている。少なくともチェリビダッケは、テレビ録画でもインチキをしなかったというわけだ。しかし、あの極上の悪夢のようなカラヤンのフィルムは傑作で、私などもついつい見入ってしまうものである。一種の映画と見るべきであろう。〈商品〉としても実によくできた作品で、さすがバーンスタインと二人でクラシック界を牽引した〈帝王〉というだけのことはある。カラヤンを悪く言う人たちも、カラヤン亡き後、その有望な後継者が見当たらないことについては意見の一致を見出すようである。

けれど、これには別の意味合いもある。トラックダウンされ、レコードとして世に出たものは、ときにライブよりも演奏として優れたものになるため、これを模範演奏として後世の指揮者たちが〈レコ勉〉に励むことになる*8。かくいう私も、即興で弾いた曲の印象的なフレーズをつなぎあわせて一曲にした前科があるので(プレイバックで映像を作ったこともある)、人のことは言えない。しかし、やはりこれも一つの範例であって、聴音と演奏能力に優れた人がこれを聴けば、きちんとライブで再現することができるという寸法になっている。そもそも、クラシック音楽が確立された時代に、たまたま作品を記録する手段が楽譜(規範的楽譜)しかなかったというだけで、実際に鳴り響く音よりも、作品として視覚的な音楽表記が重視されたというにすぎないと指摘する人もいる*9

さらに進んで、生演奏では実現できない音楽の制作が録音技術の進歩によって可能となるわけだが、極端な話、ロックバンドのライブに行って「CDと全然ちがうじゃないか、ヘタクソだなこれ」というようなことも起きてくるわけである。ビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンは、「一部の人は、レコードで聴いたものを期待してライヴ・パフォーマンスを見に行く。どうしてなのだろう? その二つはまったく別のものなのに」*10と言ったというが、私もそんな気がする。なお、マーティン卿はYOSHIKIの楽曲のクラシック・アレンジとプロデュースを担当しているが(アルバム『Eternal Melody』、イーストワールド、1993年)、正直、アレには感心しなかった。2曲目の『Vanishing Love』(グラハム・プレスケット編曲)を除いては。それはともかくも、ロックやポップスの場合、世間に出回っている譜面などというのは、聴音の専門家が録音を聴いて耳コピしたものであるから、音源の方が楽曲の「あるべき姿」なのであって、譜面はその不完全な模造品(記述的楽譜)にすぎない(X JAPANART OF LIFE』のスコアのイントロに漠然と「木管」と書かれていたのを思い出す)。かといって、レコードが生演奏にとってかわることはできないけれど、じっさい、模範となる19世紀の録音もないのにロマン主義の精神がどうのと言ったところで、証明のしようがないのも事実であろう。

もっとも、ロマン主義の作品を演奏するということは、単に19世紀の時代様式を模倣再現することを目的とするものではないから、仮にその時代の録音が残っていたとしても、それが絶対ということでもない。それ自体、興味深いものであったとしても、指揮者にとっては一つの参考に留めるべきもののようである。案外、「アレ?」というようなもので、現代の趣味には合わないものも多いのではなかろうか。マーラーあたりにはいささか自作演奏のピアノ録音も残っているから(名指揮者ではあったけれど、オケ録音は残っていない)、そこからマーラーの考えについては窺い知ることもできようけれど、そもそもロマン主義というのは「われわれがそのあらゆる歴史家から教えられているとおり、どんな種類の普遍性にも反対する感情的な抗議」(バーリン*11であるから、作品を解釈する人がロマン主義者であるならば、それだけで十分というような気もしてくる。それぞれの解釈者が、それぞれのロマン主義において、マーラーをロマン的に演奏すれば、それでよいのである。

しかし、現実にそれで済まされるということはありそうにない。けっきょく、それを聴取する現代人の聴体験から極端に乖離した、あまりに特殊な解釈というものは、支持を得にくいものであろうし、その公演機会も限られたものとなるであろう。しかし、ブラームスも自作のコンチェルトをめちゃくちゃな速度で振ったことがあるし、リヒャルト・シュトラウスモーツァルトを高速で振って新聞記者から非難を受けたことがある。これらのことについてのミュンシュの答えはこうだ。「あなたは間違えることがあるし、それはだれにでもあることだが、しかし、感ずる通りに、心底から確信し、熱意をもって、誠心誠意、演奏するなら、〈批評家たち〉が攻撃しようと、神様はきっとあなたをお許しくださるだろうと私は思う」*12。このレベルの大家になると、ライブ演奏がメチャクチャでも、かえって面白がられるようなところもあるらしく、熱心なファンからすると、曲を聴きに来ているのか、指揮者を見に来ているのか、そこはロック歌手のコンサートと同じで、よくわからないところもあるのであろう。呂律の回らない状態でステージに現れた玉置浩二には食ってかかるファンもいたようだが、逆に不平を言う観客に、演奏を中断して論争を吹っかけた指揮者もいた。クラシック音楽の音聴取体験には、知的な理解ということも含まれるので、楽曲の解釈や演奏そのものの質を重視する聴衆が比較的に多いと考えられるけれど、ポストモダンマーケティングの視点からすると、常軌を逸したエキセントリックな演奏方式が、かえって注目を浴びる可能性も捨てきれない。これらのことはすべて〈商品〉の機能なのであって、クラシック音楽の知的な見かけというのもそうであろうし、興行収入は指揮者の人気次第という面があることも、正直、否めないことのようである。先の平林氏からすると、ハイティング、アバドバレンボイムなんてのは無能者で、クラシック界低迷の元凶だと容赦ないが*13、ダメだとわかっちゃいながら、これ以上、クラシック業界が地盤沈下を起こさないように、評論家も口をそろえてこうした指揮者を賞賛しているから、ますますアカンという*14

ゆえに、〈社会学的美学〉というものがあるとしたら、芸術の現実的様態として、このあたりの事情を考慮に入れるものでなくてはなるまい。現実のグチャグチャの挙句、結果的に芸術として後世に残るものが芸術作品なのであって、このことをミュラー国民投票に例えている*15。これはとりもなおさず、〈商品〉としての音楽作品が社会的承認を得るためには、いかなることに留意すべきかということを学ぶのが、音楽教育の眼目となることを意味している。いまや経営学修士よりも芸術学修士のステータスが高いといわれることを考えると、あながち突飛な考え方ではないのかもしれない。

対して、ロマン主義の美学にあっては、支持者不在でも芸術は成り立つ。芸術作品が世に出るとか、芸術をもって生業とするという場合には、支持者不在ではいかんともしがたいが、ある人が芸術表現をおこなうこと、それ自体について考えてみると、ロマン主義的な動機というものは、あながち無視できないものである。ミュラーは、芸術がいまだに神的な霊感を盾に天才神話にドップリ浸かっていると指摘する。科学においても芸術と同じような神秘的な精神過程があるが、そのことは公言されないし、ほめたたえられもしないとして、成年期に達した科学に対し、芸術がまだ幼年期にあることを問題視する*16。しかし、どうもそういうものでもないらしく、何の役に立つかわからんような基礎研究をやって、ウッカリとノーベル賞なんぞとりやがったオッサンの話なんか聞いてみると、科学者っつったって、芸術家と大してかわらないような感じがする。何の役に立つかわからないのに好きなことをやらせてもらえる科学の方が、よっぽど優遇されているわけで、それというのも、現代社会において、芸術よりも科学の方が、より精神的で高尚なもの、保護するに値するものという評価を受けているからにほかならない。かといって、そんなロマンを科学室のなかで追求できたのも今や昔の話で、今日ではそういうわけにもいかなくなっている。ラッセルが言うように、理性的であるということは、目的に対して手段が合理的であることを意味している。今日の科学予算というものは、役に立ちそうな、収益の見込めそうな、そうした説明の可能な研究プロジェクトに対して支出されるものであって、大学の研究室でも、とりあえず好きに使っていいよという基礎校費はどんどん削減され、外部のコンテスト資金を獲得することが推奨されるようになった。ポスドクいっぱい雇ってさ。なるほど、そこまでいけば科学も立派に理性的なものである。そのうち、AIにとってかわられるだろうけどね。

対して、芸術家というのは、大学や国立劇場にでも奉職しないかぎりは、基本的に民間人であるから、どこでどんな芸術に取り組もうと、そこは自由である。ミュラー教授がこの論文を書いた戦後間もなくの時点では、まだまだ本気度マックスなロマン主義的芸術家がいたのかもしれないけれど、芸術の専門家というものは、基本的には科学と同じように、音楽なら音楽の理論や語法を学び、名曲の書法を研究して、音素材の扱いに習熟するものであるから、インスピレーションだけで能事畢れりというものではない。とはいっても、どうも芸術的な真理というものは、科学に比べると普遍性がないもののようで、科学法則というものは、誰がどう学んでもおそらく教わる内容は同一で、その真理であることが誰の目にも明らかであるがゆえに、誰もがそれを役立てることができるものであろうけれど、芸術における真理というのは、各人、テンでバラバラで、世間には見向きもされなくても、作った本人にはそこそこイケるという作品などは、とくに厄介なものである。こればっかりは本人の思い入れなので、周囲が何と言おうとも、譲らなアカン筋合いはどこにもない。ミュラー教授に言わせれば、この態度がダメなのである。だが、俺ら素人には関係ない。飯はよそで食えるからね。

しかし、芸術で飯を食っている人たちからすると、そういうわけにもいかなかったようである。たとえばストラヴィンスキーは、聴衆の好みの変化に応じて、スタイルを変えて『春の祭典』を振っていたというから、巨匠といえど、時代の変化に乗り遅れないように必死であったわけである。結果として、演奏はどんどん機械的で暴力的な、つまりは現代音楽的なものになっていったという*17。そりゃストラヴィンスキーロマン主義者ではなかったからだと言われればそれまでだが、芸術の外形的なものを形成する要因として、このように外部的なものの働きに着目するのが、社会学的美学の立場ということになるのであろう。例えば、啓蒙時代の音楽というものは、悟性的なものとかかわらない感覚的な娯楽という捉え方をされていたから、文芸や視覚芸術よりも低い評価に甘んじるものであった。ずいぶんと軽薄な聴き方をされていたもののようで、社交の場にふさわしい具体的な感情を表現するものであったから、そこへきて〈純粋感情〉などという得体のしれないロマン的なものを表現でもされようものなら、「ふざけンな」ってことになったに違いない。実際、フランスあたりでは、何を表現したのかわからん大交響曲なんてバカげた妄想は、しばらく理解されなかった。音楽の外形を決定する要因として、当時の社会習慣の変化、音楽聴取ついての考え方の変化、音楽消費の文化的変化といったものが漸次影響したらしいことがうかがわれる事例である。

この視点には興味深いものがあって、かくいう私も、学生時代に『大衆音楽売り上げ倍増計画の今昔』*18という文章のなかで、バロック時代に生み出された音楽作品が、いかなる需要にもとづいて生み出されたのか、どのような社会的背景においてあのようなものとして形成されたのか、同時代人の聴取態度や批評家の見方などを参照して考察したことがある。いま読み返すとなんだかわからん読み物だが、おもしろいのは、当時、バッハよりも売れていたテレマンを、小室哲哉と比較して考察したところであって、しきりにマーケティングの重要性ということをいっている。社会学的美学の根底には、このようにして消費者ニーズを追った作品と、ロマン主義的な芸術作品のあいだに何か根本的な相違があるのだろうかという問いが横たわっているのである。少なくとも世に出た作品というものについては、一つの〈商品〉として見なくてはならぬというのが、この派の考え方である。くりかえしになるが、こんにちでは、芸術音楽の代表格というべき大交響曲の普及についても、音楽外的なものが果たした役割を重く見る説が提起されていて、マーク・エヴァン・ボンズ氏(ノースカロライナ大学チャペル・ヒル校教授)の近著によれば、ベートーヴェンに始まる「これらの交響曲は、器楽曲に新たに見出された高い美的価値を広めるのに役立ったことは疑いないが、その価値の高まりが生じた原因としては、比較的小さい役割しか担って」*19おらず、「むしろ、この新たな見解を推進したおもな原動力は、芸術の本質に対する姿勢の変化に、音楽と哲学の関係に対する姿勢の変化に、そして、まさに聴く行為そのものへの新しいアプローチのほうにある」*20とのことである。

ある楽曲をどのようにして売り出すか、同じ商品をターゲティングや宣伝戦略なしで世に問うた場合、その商品に価値が認められるようになるまでに、どれくらいの時間を要するのか、あるいは、価値を認められることなく埋もれてしまうのか? 作品というものは、そもそも現前しなければその価値を問うことすらできない。つまり、その作品が世に出た時点で、適切な保護的措置が取られなければ、その作品に永遠の価値があるや否や、論ずることさえできないのである。超複製技術時代である現代では、情報のゲートキーパーとしての巨大メディアを経由せずに、インターネットを通じて作品を世に出すことが可能となっているから、これらの問いは、すでに重要なものではないのかもしれない。というのは、ネット上にアップされた作品は、どんなものであれ、巨大なサイバー空間に半永久的に保存されうるからである。とはいっても、それらすべてが公平に人の目に触れるわけではないから、依然として、作品の価値は作品そのものに存するのか、あるいは、その作品が価値あるものであるとする美学的宣伝によって付与されるものなのか、価値の形成プロセスの問題は残るであろう。これらの宣伝が案外重要であったという事情を、ミュラー氏は、モーツァルトの頃にまでさかのぼって強調するのである。

なお、アートの世界にも同じような問題があって、村上隆氏が『藝術闘争論』のなかでいささか述べている。そのなかで村上氏はしきりとハーストをとりあげて、〈近代芸術〉とは異なる、英米流〈現代ART〉の考え方について説明している。ハーストというのは、90年代にYBAと呼ばれたアーティストたちの代表格で、サメやウシを真っ二つにしてホルマリン漬けにしたアレで有名な御仁であるから、ご存じの方も多いかと思う。ケアリー=トマス、スタウトの両氏によれば、YBAの活動スタイルというものは、「鑑賞者をあえて挑発し、自己宣伝に熱心で、評論家にも気を配る新しいスタイル」*21で、「みずからも仲間入りを果たしたいと願う国際的な美術界に特有な作法にも神経質なくらい目配りを忘れない」*22ものであったという。YBAの多くは「80年代後半にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに属し、校長のジョン・トンプソン、ならびに教育者としても影響力の大きいアーティストのマイケル・グレイグ=マーティンの教えを受けた」。その教育方針とは、次のようなものであった。

 

(…)絵画や彫刻といったメディアごとに線引きする旧来の教え方を廃止し、複数のメディアに習熟することを重視すると同時に、世間一般の中でアーティストの占める位置について批評するよう指導した。アーティストは何事も他人任せにせず、自分でする態度を身につけるよう促される。作品を制作すればそれでよしではなく、作品が展示され、人々の目に触れるようにするところまで、自分で責任をとることが求められたのである。80年代を通じて政府は国民に自主的な事業家精神をもつように呼びかけたが、カレッジの方針はこれともうまく一致した。*23

 

これらのアーティストを後押ししたのが、ブレア政権の「クール・ブルタニア」政策であったという。

 

18年続いた保守党政治に終止符が打たれ、面目を一新した労働党が1997年に政権につくと、新世代の創造者たちの一匹狼的で快活な姿勢が文化の刷新を目指すトニー・ブレアの意欲とうまく一致し、若々しく、創造力に富む英国発のすべてのものを「クール・ブリタニア」の名のもとにひとまとめにして世界に向けて売り出し、輸出しようという動きが高まる。*24

 

わが国にも「クール・ジャパン」という国策のブランド戦略があったけれど、その着想のモデルは、先行する「クール・ブリタニア」にあったといわれる。当の村上氏は、国のやり方に批判的であったけれど、「クールジャバンはアホすぎる」と題する記事の中で、面白い提言をしている。

 

(…)アイデアを出すとすれば、コミコン(米カリフォルニア州で開かれる漫画など大衆文化のコンベンション)などで、国際的な漫画、アニメの賞で日本人が受賞するよう、ロビー活動をすべきです。海外で「やっぱり日本人のやっていたことは正しかったんだ」と認められるような、上手なコミュニケーションを促進する縁の下の力持ちを造り上げることです。*25

日本には、高松宮殿下記念世界文化賞などいろいろな賞があって、外国人に賞を上げています。それは国際交流としてはいいことです。ただ逆に、国際社会の中で、日本人が評価されるという舞台もあるはずです。そういう国際的な賞を、たとえば、任天堂ゼルダを創った宮本茂さんが受賞するといった例を作らないとまずい。日本人が日本人を表彰する自画自賛では駄目です。*26

 

つまりこれは、宣伝ということである。人間というのは単純なもので、やはりナントカ賞のようなものには弱いもののようである。そのためには、日本人が受賞できるようにバンバンとロビー活動を仕掛けろというわけである。ロビー活動の本場である米国で剛腕ロビイストとして鳴らした人の著書を読んだことがあるが(すでにブックオフで売り払ってしまったけれど)、早い話がコネの世界である。なるほど、これは社会学的にも大変興味深いところである。いまの時代、いささか議論が古いような気がしないでもないが、世界はまだまだコネで動いている、ということなのであろう。つまるところ、コネづくりのやり方を覚えよというのが、ゴールドスミス・カレッジの教えでもあった。

ロビー活動が重要なのは、世界遺産の登録にしても、捕鯨問題にしても、オリ・パラの招致にしても同様で、何もアートに限ったことではない。どういうわけか、戦後の日本に五人しかいない五輪招致委員会長のうち二人が母校のOBときていて、古来、山国育ちで偏屈といわれてきたわが県民に、そんな才能があったとは、いささかおどろきもしたものだが、案の定、ときに失言をやらかして、招致の足を引っ張る局面も、あるにはあった。黒いカネのウワサも、あるにはあった。ともあれ、そうしたわけで、私も母校が文科省からスーパーグローバルハイスクールの指定を受けた際、初年度の研究成果発表会にアドバイザーとして招かれ、英国における「クール・ブリタニア」やロンドン五輪のレガシー活用といった観光振興策について世間話程度に話してきたが、文科省にもチャンとその手の専門研究家がいて、名刺など交換したことを覚えている。でも、本音を言えば、五輪が来ようと、ナニが世界遺産に登録されようと、私はそんなことで観光になんか行きゃしないけどね。まァ、ある意味、世界遺産になっても誰も入れない沖ノ島なんてのは面白そうだね。

そうしたわけで、母校では、社会的コンテクストを踏まえた価値形成であるとか、その発信であるとか、具体的な手法についても思いつくところを述べてきたけれど、そんなことにばかり躍起になってもいかがなものかということを考えないわけでもなかった。折りしもSTAP細胞事件で理研の笹井先生が亡くなった頃で、あの人も研究の組織化や説明能力に長けた人であったけれど、なんで自ら命を絶たなアカンことになっちまったのか、そんな話も生徒の皆さんにはした(みんなキョトンとしていたけれど)。科学の世界にあっても、研究者はトレンドに敏感でなくてはならないし、新しい価値の枠組みを説明するということに長じていなくてはならないことは、アーティストと変わるところがない。科学研究もアート制作も、このような発明主義の制約の中で営まれているのである。

もちろん、内気な芸術家が社会に背を向けて、ひたすらまじめにその道に打ち込んだ結果として、作品の素晴らしさが認められ、陽の目を見るという可能性もないではないであろう。しかし、すでに『メタロギコン』の剳記で見たように、陽の目を見る作品とはいかなる作品かということをリサーチせずに、やみくもに制作して成功を収めたとしても、それは理性的なやり方ではなく、たまたまうまくいっただけのことであろうから、確実で効率的なものとはいいがたい*27。社会的承認を得ることを目的とするのであれば、ミュラーの言うように、社会経済を研究し、消費者動向を分析する術を身につける努力をしなくてはなるまい。このような考え方は、じつに西欧的である。

もちろん、芸術におけるディレッタントの地位が高かった時代もあったから(たとえば、ウィーン楽友協会は、当初、プロの入会を禁じていた)、アマチュアリズムの価値が完全に否定されるようなものでもないであろうが、問題の一端はここにもあって、一般にプロをアマよりも上位に置く社会的価値観そのものが、〈社会学的美学〉出現の基盤となっているのである。プロの音楽家などというのはバッハの昔からいたであろうけれど、近代芸術の出現以降、音楽演奏の専門家というものを、ただの雇われ人ではなくて、何か高尚な存在と見る風潮を生じたため、実際には商品経済の只中にいる音楽家というものが、あまりに現実から乖離して浮世離れしたものとしてとらえられるようになり、よくわからない事態を生じているというのも、一面の事実であろう。豊かな時代になると、芸術家になりたい人もワンサカ出てくるため、ミュラー氏も業を煮やしたもののようである。音楽といえど、社会的連関の中でとらえられるべき実用の学であると、ミュラー氏は言いたかったのであろう。この文脈でいくと、芸術家にあって消費者ニーズを探ることは、工業製品の研究開発者と何ら変わるものではないという理屈にも頷けるのではないであろうか。

反対に東洋では、詩人の詩、書家の書、料理人の料理などというのは、俗なるものの最たるもので、プロの仕事からくる商売気というのは、鼻持ちならないものであるとの見方があった。それでまず、万巻の書でも読んで俗気を去れという人格主義が出てくることにもなるのだが、そうやって、万事、自由に伸び伸びやってたんじゃア、技術的方法論を突き詰めた西洋文明には太刀打ちできねえ、東洋の精神的遺産の神髄はこの〈自由〉ということにあるけれど、ここは規律を学んで、西洋に対抗せなアカンと言った人がいた。言わずと知れた大川周明である。日本人というのは元来、他のアジア人と同様、器械的な規則に従うことには不慣れであったのだ。漱石が、ロンドンできちんと行列をつくって並ぶイギリス人を見て感心したことからも、そのことがわかる。内的な自由を、西洋のように社会組織として外にあらわすために、怠惰から目覚めよと、大川は言った。まるで村上氏の説と同じで、戦勝国が文化的に構築した〈現代ART〉のルールを理解しようともせずに、自分の好きなように作品を作って、世に容れられないと嘆く〈自由という名の野良犬〉なんてのは、村上氏からしたらまったく困ったシロモノなのである。この現代版の〈東西対抗史観〉については、「アートと思考④ ART=マネーのポスト・コロニアリズム」(町田哲也編『ブランチング5』所収、クマサ計画、2013年)ですでに書いたので、参考までに挙げておく。

なお、ミュラー氏の提起した方向性は、今では幅広く受け入れられるようになったもののようで、ブランドン大学、レイクヘッド大学、ウィルフレッド・ローリアー大学の音楽学部長を歴任したグレン・カールーザース教授は、次のように書いている。

 

音楽や音楽家を社会的コンテクストから論じるという最近の傾向は、その他の多くの分野にも見られます。例えば、1980年代のニュー・ミュージコロジーに触発されて、主流の音楽学の関心も、「作品そのもの」から「本来の場所にある」音楽に向けられるようになりました。「実証的であるより、批判的な音楽学であれ」というカーマンのスローガン(1985)に刺激されてか、この新たな関心は一般的な音楽雑誌から研究書に至るまで、ほとんどの研究で顕著に見ることができます。音楽史の教科書ですら、版を重ねるごとに、音楽を社会的あるいは歴史的な背景から把握しようという傾向が顕著になっています。*28

 

結果、音大生のキャリア教育においては、課程の目標や方法が見直され、学生たちが授業で修得したスキルが、現実にどのように応用されるのかが重視されるようになったと、カールーザース教授は言う。社会が音楽家に求める役割も変化して、「今や音楽大学を卒業した演奏家が、チケットを購入してくれた聴衆を前にクラシック音楽を熱演している姿は、もはや想像できない(…)」*29とまで言われているのである。そのような状況の中で、起業教育や音楽テクノロジーが音楽教育のカリキュラムに含まれていないことは、きわめて問題であると、カールーザース氏は指摘している。1970年代までの芸術教育で重視されていたのはソリストとして活動するためのスキルを身に着けることであったが、20世紀も終わりに近づくと、この考え方は変わったという。

 

「すべての人に音楽を」という音楽教育と音楽学習の民主化が、音楽家の仕事を変え、ヨーロッパのコンサート中心主義も見直されました。地域の音楽活動の活性化をめざすプログラムでも、個人からグループへと対象を変化させたのです。またよい演奏家の養成よりも、他のすべてをさしおいてでも、学生自身や他の人たちがいい人生を送れるように教育することを、音楽大学は目標とするようになったのです。
こうした変化の中で、音楽家がICTに強いことが重要な役割を果たします。コミュニティを活性化して維持していくうえで、テクノロジーが果たす役割を強調して、しすぎるということはありません。テクノロジーはあらゆる場所で、音楽活動への参加を促してくれるからです。児童・生徒であっても、頼りになるソフトウェアを使えば、手の込んだ音楽を作曲することもできます。とにかく、ますます多くの人が、インターネットを通して、必要なときに世界中の音楽にアクセスできるようになったのです。*30

 

このような教育で、ロマン的な音楽家が育つということは、まずないであろうと思われるけれど、現実社会の中で音楽を仕事にして飯を食うという、まったくロマン的とは言えない実際的な課題に応えるカリキュラムは、確かに必要なものであろうと思われる。ロマン的な内面をどう涵養するかについては、東洋の文人のように、各自で取り組むほうがふさわしい。ただし、ロマン的な天才を演じることで、大衆が熱狂するということを考慮に入れれば、インターネットにおける自己宣伝や、セルフ・プロデュースの技術を学ぶことによって、音楽家が路頭に迷うことなく生涯をまっとうできる道もまた、開けるのであろう。YOSHIKIがドラムをブッ壊すのは、カラヤンの演技と同じで演奏上は何の役にも立たないであろうけれど、本人がスッキリする上に、観衆が喜ぶときているから、やめるわけにはいかない。「どんなによい曲を作っても、聴かれなければ意味がない」という趣旨のYOSHIKIの発言が残っているが、X JAPANが世に出た初期の頃、バラエティ番組の企画で、飯屋の客に絡みながら、ゲテモノ的と呼ばれた過激なスタイルで演奏していたのも、視聴者の関心を惹くことを目的としたパフォーマンスであったわけで、これも消費者を挑発するポストモダンマーケティング的宣伝の一例と言えるのかもしれない(ただし、現在ではコンプライアンス的に逆効果のものもある)。

啓蒙時代の社交的な音楽享受のあり方から、ロマン時代における真剣な聴衆の登場という聴取文化の変化は、音楽家と音楽作品、その演奏というものの存在様態を規定してきたけれど、その事情は現代でも変わることはない。カールーザース氏は言う。

 

別の言葉で表現するならば、音楽の生産と消費がいつ、どこででも行えるようになったことで、音楽家の役割もたちまちにとめどなく広くなったのです。そうなると好奇心の強い音楽教員なら、学生たちの人生において、これからの音楽が果たす役割は何かと、再度問うてみるでしょう。音楽学者なら、音楽の「意味」がコンテクスト、すなわち音楽が享受されたり、伝達されたりする時代や場所から切り離せないことを、よく知っています。演奏家ですらも、社会の関心に応え、急速に変化する世界において、社会を変える役割を担うために、こうした問題について議論することも厭わなくなっています。
(…)かつては何でもできるということは専門家ではなく、アマチュアであるとみなされていましたが、今ではこの汎用性こそが音楽家の競争力の源になっているのです。しかし汎用性というのは、一朝一夕に獲得できるものではなく、積極的に教えてもらったり学んだりしないと獲得できません。学生たちも早い段階から、学問、音楽、テクノロジー、企業、ネットワーキングなどのスキルを修得するようにしなくてはならないでしょう。これらのスキルを組み合わせて使用するときが、きっと来ます。*31

 

この取り組みを早くから実践している学生たちは、教会やレストランで演奏し、音楽教室で教え、楽器店で働き、演奏団体の指揮、青少年センターや老人施設でボランティアにいそしむなどして、有償・無償を問わず、学内外でネットワーク作りにつながる活動を継続しているという。この事情は日本の音楽大学でも同様のようである。ついでに教授やレッスン指導者のカバンもちなどをして将来の仕事にありつこうという人もいるくらいで、そんなことに気疲れして、音楽を仕事になんかするもんじゃないと悟る人も少なくないようである。私もそう思う。こんなにゴチャゴチャ人間が出てくる活動など、正直、たまったもんじゃない。しかし、音楽というのは往々にして集団的な活動になりがちなものであるから、生演奏は社交性の高い人に任せて、私などはネットの音楽配信サービスの使用に習熟した方がよさそうである。

長々と書いたけれど、音楽と社会のかかわりということが教育上の問題となった、比較的に初期の論文であることに注目されたい。そのうえで、職業音楽家になろうとする人のために、アングロ・サクソン型資本主義のシステムをしっかりと教え、自己宣伝からコネづくり、業界特有の階級制度とプロトコルにもきちんと目配りさせるゴールドスミス・カレッジ流の実業教育を音楽の世界にも導入すべきか、一考されたい。

 

音楽教育の基本的概念

音楽教育の基本的概念

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 単行本
 

 

所蔵館
市立長野図書館

 

関連項目

グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」 

 

 

本文

 

p.119 音楽は社会的要素に基づく集合的活動の一つ

音楽は神秘的な存在でも、インスピレーションによって高められた精神状態でもなく、また紙の上に並べられた記号でもなく、根本的には、ある特定な環境のもとでなされた人間の行動の一形態と考えられる。この行動は、他のあらゆる確立された人間の行動組織と同様に、本質的には、過去から社会的に受け継がれた多くの社会的要素に基づく集合的活動である。教育は、この受け継がれたものを、世代から世代へと伝えるために公に制度化された行為である。(119頁)

 

p.122 音楽で成功するには、マーケティングが必要だ

現実的に言えば、音楽にたずさわる人、学校の先生、オーケストラの指揮者、自分の作品が演奏されることを切望する作曲家などは、みな、社会生活の中にどっぷりつかっているのである。(122頁)

よって、社会生活について知ることは、成功の上で必要なこと。それは、洗濯機の製作者が消費者行動や社会習慣、市場動向について知るのと同じこと。

 

p.123 音楽家は忙しいだろうが、科学者と同じで常に学ぶ必要がある

しかし、こうした教養教育に音楽家や作曲家がかまけている時間はない。技術の維持に非常な負担が要求される。また、そもそも音楽は世俗的活動ではないといわれている。しかし、医者や科学者が巨大な伝統を受け継ぎ、学識を維持し、知的・肉体的技術を維持するのにも負担はかかる。孤立主義に陥らないために、学ぶ必要がある。

 

p.124 音楽の創造には消費者動向がかかわっている

美学が扱うものは、

消費の過程と、派生的に、消費のための創造の過程を扱うものである。したがって、この定義によれば、純粋に独立した音楽の境界線をただちに越えて、人間性と社会組織の領域へ入り込むことは明らかである。なぜなら、音楽の消費の基本的原則をよく分析すると、消費者の人間性、習慣、欲求などが、ただちに関係してくることが判明するからである。(124頁)

 

p.124 シェーンベルクといえど、他人の評価は気になった

シェーンベルクは、自分の聴衆をいささか軽蔑し、自分自身の自己表現感覚を、音楽の質の基準としたのであるが、彼のような人でさえ、自己表現の満足感だけしか得られなかった時には、大変な不満を表わしたことがしばしばあった。消費者(聴衆)が拍手をするのは、命令されたからではないだろう。(124頁)

 

p.124~125 社会学的美学とは何か

ロマン主義は、根本原理そのものから異なった美学を発展させた。作曲家は超自然的インスピレーションを受けた予言者で、その表現は「神権」によって正当とされたもの。しかし、

社会学的美学は、超自然的存在の哲学よりは、むしろ消費者の人間性と社会組織を出発点とするものであり、嗜好の科学と、嗜好を決定するいろいろな要因に関係するものである。(124~125頁)

 

p.125 ロマン主義的芸術観のほかにもいろんな基準がある

ロマンティックな傾向の人には、そのように美学論の重点を置き換えることは、無教養な大衆の好みに迎合して、高尚な芸術を犠牲にするように思えるかもしれない。しかし、社会学的アプローチに対するそのような反発は、その主義の大変な誤解である。エリートの芸術社会学があるように、大衆の芸術社会学もある。したがって、それぞれの基準――それがどんな意味のものであれ――を放棄しようと言うのではない。それはただ、現存する基準の多様性――すなわち複数の基準――を理解し、現実社会において認められる事柄に基づいて、好みの相異と変動を説明するものにほかならない。(125頁)

 

p.125 作品は自立した価値をもつというが、実は理論や宣伝にまみれている

楽家は美学的思想との関連を公然と否定する。「音楽をしてみずからを語らしめる」と主張するが、それがうまくいっていることは稀で、みずからの創造の結果を何の保護手段も加えずに世に送り出す作曲家はほとんどいない。イデオロギーを相当はっきりと明らかにしている。

いつも喜んで受け入れられるとは限らない大衆社会に対して音楽を送り出すには、説明や言いわけ、または弁明を、あえてせざるを得なかったのである。彼らが書いた本は、読まれるべくして書かれたものであり、多様な美学体系の原則である。(125頁)

モーツァルトからシェーンベルクまでそうだった。

 

p.125~126 しろうとの美学への貢献

また、しろうとの意見も美学に反映される。なかでも知的で社会性のある人は、人々の趣味の多様性や不一致を調和させようと努力するが、この理性的な活動が美学の原理と理論の発達を促す。

 

p.126~127 音楽の性質をめぐる考え方の違

音楽の性質とは何か。経験的・社会学派は、「音楽=快い音の調和」と捉えるが、ロマン派は、音楽は耳に快くなくてもよく、娯楽を求めるだけの人は最高の芸術に無関心だと考える。シェーンベルクは「高度な芸術の特徴は知的内容であり、美ではない」と言った。

 

p.127~128 凡人には1世紀かけて音楽を理解する義務がある

極端なロマン主義の原理では、芸術作品は超自然界の存在者で、自律的で独立した存在。それ自体の内的発達の歴史を有する。芸術の知識は、経験的に物事を考える普通の人間には与えられない。天才のみが超自然界と接触でき、芸術を理解し、インスピレーションによって芸術を創造する。これがカリスマ原理。ロマン主義のカリスマ的原理では、美は人間が作るものではなく、対象の中に存し、天才によって発見され、再創造されるので、凡人には天才の自由を批判する能力も、制限する権利ももっていない。それを理解するのがしろうとの義務。美は社会の経過に影響されず、逆に社会に豊かな精神的恩恵を与える。芸術家の自己表現についての感覚が芸術作品の質を規定する直接の規準。

ところが、その義務を正しく果たすためには、通常、少なくとも一世紀は要すると言われている。そのことを極端な言い方で言えば、音楽が人間に順応するのではなく、人間が音楽に自己を順応させるのである。「偉大な」音楽や美学が何世紀もの間生き残るのは、この考えを確証するように思われる。(127頁)

これは本質的にワーグナーシェーンベルクがもっていた思想(128頁)。

 

p.128 ひとりも感動しなくても芸術作品は存在しうる

シェーンベルクショーペンハウアーの説に賛同して言った。

「作曲家は、世界の最も深い内部に潜む本質を明らかにし、比較的少数の人にしか理解されないような最深の知恵を言い表わすのである」「芸術作品は、それに感動する人がひとりもいなくても存在する」音楽は「最高司令官から潜在意識的に受け取られるものである」つまり作曲家は、聴衆の要求によって汚染されることが少なければ少ないほど自己の使命に忠実であり得るのである。(128頁)

作曲家は、聴衆の要求によって汚染されることが少なければ少ないほど、自己の使命に忠実でいられる。

 

p.128~129 音楽作品も他の社会的な発明品と同じようなもの

経験的・社会的観念は、音楽を人間が考え出したものと定義する。他の社会的発明品、政治、宗教、経済などと同じく、環境に存在する諸勢力の刺激によって変化する。イデオロギー、理論、伝統、実践、美的良心から成立する。この美的良心ゆえに、善良な人たちが「すぐれたもの」を選択し、悪質なものを拒否する。ゆえに音楽も他の発明品と競争して、人の注意を惹かねばならない。新しい音楽が一般的価値を犯せば、批判、拒否される。しかし、一世紀にわたって格闘し、新しい価値となることもある。パウルヒンデミットは言った。「聴く人が集中しうる知覚の継続時間を考慮すべき。また非常に高度な協力をたえず強要し、聴衆の注意力を弱くするようなことは避けよ」(129頁)。

 

p.129 芸術も科学も同じように発想されるもののはずだ

科学的思考と同じく、手段と経験者の精神的内容の限界の中でしか働かない。科学=理性的、芸術=インスピレーションの産物という区別は不公平。科学室の中にも神秘的な精神過程があるが、そのことは公言されないし、ほめたたえられない。科学は、いわば成年期に達している。

 

p.143~144 音楽作品の寿命

音楽作品の歴史は、社会的承認を求める実験の歴史である。そして社会は、これらの実験の最中にあって、どれがどれくらい長く生き残るかを決定する、いわば国民投票を絶えず行なっているのである。(143~144頁)

 

p.144 バッハには、長命な作品を書く意図はなかった。クラシックの独占に対する不満

十九世紀を通じて、作品の長命ということが価値の基準として認められるようになった。ところが、モンテベルディ、バッハ、ハイドンモーツァルトなどはみな、聴衆にすぐ聞いてもらうために作曲したのであるから、彼らには、この基準はおかしく思われるだろう。しかし、作品の長命ということは、今日では、ほとんど動かしがたい真価のあかしとなっている。しかもそのことが、多くの芸術家のほとんど熱狂的な願望となっており、彼らは社会が自分たちに追いつくまで認められることを待つと主張することさえある。

しかしながら、社会学的に言えば、そのような基準は、価値の普遍的なというよりは、周期的なものであることを、繰り返し言っておかなければならない。事実、クラシックの独占は過去の王道であり、そのために現代の作品の「正当な」位置が、先取りされるという不満の声が、そこここに聞かれるのである。これはコンサート・ホールと学校という土俵で戦われる倫理的—美学的問題である。(144頁)

*1:アイザイア・バーリンバーリン ロマン主義講義』、田中治男訳、岩波書店、2010年、12頁。

*2:ジョン・マウチェリ『指揮者は何を考えているか 解釈、テクニック、舞台裏の闘い』、松村哲哉訳、白水社、2019年、275頁。

*3:平林直哉「あとがき」(『図説 指揮者列伝』所収)、河出書房新社、2007年、115頁。

*4:シャルル・ミュンシュ『指揮者という仕事』、福田達夫訳、春秋社、1994年、90頁。

*5:フリードリヒ・エーデルマン『チェリビダッケの音楽と素顔 元ミュンヘンフィルハーモニー首席ファゴット奏者の回想録』、中村行宏・石原良也訳、アルファベータ、2009年、47~48頁。

*6:エーデルマン、同書、49頁。

*7:エーデルマン、同書、49頁。

*8:なお、指揮者の三澤洋史氏も書評『小川榮太郎フルトヴェングラーカラヤン」』において、〈レコ勉〉する側の立場から、カラヤンの録音について、次のように述べられている。「カラヤンは、自分が録音する時には、自分のレコードで人が勉強し易いように、意図的に演奏していたに違いない。しかも極上の音で!」(http://cafemdr.org/RunRun-Dairy/2020-1/MDR-Diary-20200127.html?fbclid=IwAR00uSqjgLSJ4wm0Lw1DHG5b2rWkwD2Cz1YNVPHTOETN4WQ9gjYGXM4iYwk)。なお、カラヤンが音をつないだかどうかは定かではない。

*9:増田聡・谷口文和『音楽未来形 デジタル時代の音楽文化のゆくえ』、洋泉社、2005年、113~114頁。

*10:増田・谷口、同書、117頁。出典は、ジョージ・マーティン『耳こそはすべて』の116頁とのことである。

*11:バーリン、前掲書、11頁。

*12:ミュンシュ、同書、86頁。

*13:平林、同書、114頁。

*14:平林、同書、116頁。

*15:ジョン・H・ミュラー「音楽と教育――社会学的アプローチ」(N・B・ヘンリー編『音楽教育の基本的概念』所収)、美田節子訳、音楽之友社、1986年、143頁。

*16:ミュラー、同書、129頁。

*17:マウチェリ、同書、278~279頁。

*18:服部洋介「大衆音楽売り上げ倍増計画の今昔」(『気がふれ茶った会』5号所収)、気がふれ茶った会、1996年、42頁以降。

*19:マーク・エヴァン・ボンズ『「聴くこと」の革命 ベートーヴェン時代の耳は「交響曲」をどう聴いたか』、近藤譲井上登喜子訳、アルテスパブリッシング、2015年、32頁。

*20:ボンズ、同書、32~33頁。

*21:ジー・ケアリー=トマス/キャサリン・スタウト「英国美術の20年 1984年から現在まで」(森美術館編『英国美術の現在史 ターナー賞の歩み』所収)木下哲夫訳、淡交社、2008年、126頁。

*22:ケアリー=トマス/スタウト、同書、127頁。

*23:ケアリー=トマス/スタウト、同書、127頁。

*24:(ケアリー=トマス/スタウト、同書、126頁。

*25:村上隆村上隆(下)「クールジャパンはアホすぎる」 「未来国家・日本」が抱える大問題」(『東洋経済ONLINE』2012年12月7日、佐々木紀彦取材)より。https://toyokeizai.net/articles/-/12029?page=4

*26:村上、同記事。

*27:該当する箇所として、次を参照せよ。ソールズベリーのヨハネス「メタロギコン」(上智大学中世思想研究所 編訳・監修『中世思想原典集成8 シャルトル学派』所収)、甚野尚志/中澤務/F・ペレス訳、平凡社、2002年、658~659頁。

*28:グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」(ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』所収の第6章)、久保田慶一編訳、春秋社、2018年、103~104頁。

*29:カールーザース、同書、106頁。

*30:カールーザース、同書、107頁。

*31:カールーザース、同書、107~108頁。

誰のために法は生まれた(木庭 顕)

誰のために法は生まれた

木庭顕『誰のために法は生まれた』、朝日出版社、2018年

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【徳武 葉子・撰】

 

誰のために法は生まれた

誰のために法は生まれた

 

 

凡例

★は撰者の私的書き込みです

 


p.32 ポトラッチ 競争的贈与

返せないほどの贈与をどさっとすると相手をノックアウトできて、完全に服従させることができる。

IR汚職事件では誰が誰をノックアウトさせたかったのか。


p.50  犠牲の強要

犠牲強要の仕方というのは暴力的になる。


p.63 本来の法とは 

グルになっている集団(犠牲強要型の集団など)を徹底的に解体して、追い詰められた一人の人に徹底的に肩入れするのが本来の法。集団というものの構造をよく理解していなければならない

桑原朝子教授(北大教授、法学博士)の論文「近松門左衛門『大経師暦』をめぐって」に詳細説明。


p.67 犠牲を強いる徒党

オレたちにはオレたちのやり方がある、文句を言うな、という場合には必ずそこには徒党があって、誰かを犠牲にしている。犠牲を生まないためにはオープンさが大事


p.86 担保の発達した日本社会 

相対的に日本の社会ではブツを担保にとるのがとっても好きで、やや異様に発達している。金銭から生じる支配的服従を法は警戒する


p.98 窃盗がいけない理由 

窃盗はなぜいけないかというと、必ずグルだから

サザエさんに出てくる唐草風呂敷を背負った泥棒はなぜいけないか。ネズミ小僧に仲間はいたのか(個人的な覚書)。


p.72 映画『自転車泥棒 

イタリア映画『自転車泥棒』1948年(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)

書籍『自転車泥棒』呉明益/文藝春秋 2018年発売
内容に関連性はないが、第二次世界大戦という共通点はある。


p.111 イタリアでは子供を叱ってはいけない

イタリアでは子供をぶつのは絶対ダメ。叱ることもダメ。子供はいつも楽しくニコニコしていなければならない。

『子どもの人権を守るために』木村草太編/晶文社


p.121 占有 

現在という一瞬で切って、前後の事情を捨象して、ある人がある物をとってもいい状態で保持している、これが占有。

例えば自分の健康、精神。


p.124 占有という原理がない日本社会

日本の社会には占有という原理がないから悲惨。暴力的に「オレの物だ!」「自由だ!」となる。これは自由ではない。自由の侵害をさせないのが自由。
児童虐待の考え方が弱い。カップルのDVも同様に弱い。自由を奪った場合は容赦なく介入するべき。


p.128 信用の崩壊

信用のシステムが壊れると、ただ何か物を握っていることしか信用できなくなる。→若者に圧力となる。


p.137 ローマ喜劇『カシーナ』 

『カシーナ』プラウテュス作 紀元前200年ローマ喜劇


p.143 近代法はローマからの借用 

↑発達した夫婦財産制が生まれる前夜。近代法はこの後期に発達した概念を根こそぎ借りた


p.164 劇中劇では徒党は個人に負ける

劇中劇のルールは必ず徒党が個人に負け、原則この結果がそのまま政治、つまり裁判の決定になる。


p.165  法の中核は民事法

民事法が法の中核。憲法や刑法は民事法と政治のミックス。
政治という仕組みは実力が完全に排除されて、言葉だけが通用する都市の中のさらに特別な空間で展開される


p.166  法律家は緊急避難を重視する

法の立場というのは最後、正義がどちらにあるか、ということにはほとんど興味をもたない。
法律家は正しくなくとも緊急に危ないほうを大事にする。


p.168 ローマ喜劇『ルデンス』のギリシャ的発想 

『ルデンス』紀元前200年ローマ喜劇 ギリシャ的な考え方が原作から残った。


p.184 人身の自由を最優先するローマのルール

人身の自由が関わっている時には、誰であろうと駆けつけてきて、ブロックする。その人がまず優先。ローマ独特のルール。


p.185 一旦ブロックの機能  

一旦ブロックの機能を使えるのは、徒党に対して個人を守る側だけ


p.189 物証と個人の自立 

物証の世界というのは、非常に強い個人の自立と、とっても関係している


p.193 正義は後から裁判で追及する 

まず法があって、一旦ブロックする。そしてゆっくり政治、つまり裁判で正義を追及する。


p.199  信頼できるシステムがない

実物を握り締めていることだけが確かなことだという取引、信用世界も大規模に発達しうる←日本の経済
つまり、みんなが信頼できるしっかりした信用システムがない。


p.204 考え方をぶつけ合おう

主張をぶつけ合うだけでは利益と利益を調整して結論を出すのと変わりない。考え方と考え方の衝突でなければ透明性は生まれない。


p.206  古典の力

本物の古典の力はすごい。そこはやっぱり人間の歴史の土台を作ってきたものだから。


p.209 ソフォクレスアンティゴネー』

アンティゴネー』ソフォクレス作 紀元前5世紀後半ギリシャ


p.217 親族と集団概念

親族ってものになぜ人間がこだわるかというと、それは「集団」を概念するため。


p.218 親族と友は同じ言葉だった

ギリシャ語では「親族」と「友」は同じ言葉。


p.219 集団思考と差別 

集団思考である以上、区別と差別をしなければ生きていけない。
法の下の平等」原理→味方の内部は差別するな。 
誤解→敵と対決するために味方は団結しろ。


p.222 利益本位の考え方は集団単位の考え方

利益ですべてを考える考え方というのは、実は集団と集団が何かをやったりとったりしている時の基本的なものの考え方。今の支配的な考え方。


p.224 デモクラシー 

◇人々を集団思考=利益思考  
◇個人を自由にする…集団から遠くなったような錯覚→結局集団を生み出す


p.230 『アンティゴネー』に関して

肉親なのに埋葬しないということに反対しているのではない。敵だから埋葬しないという考えに反対している。
アンティゴネーは反血縁主義…私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです。
情緒的な血縁主義とは正反対。集団に寄りかかったりしない。強烈な個人。


p.241 真のデモクラシーとは

デモクラシー万歳で安住するようなのはデモクラシーではない。徹底的な病理分析の手をゆるめないのがデモクラシーである。誇り。


p.269 因果連鎖、解釈、論証要求

「ってことはどういうこと?」因果連鎖と解釈を掘り下げる。
「なぜですか?」論証要求も大事。
命令した方の権力が撹乱される。


p.272 自由な言葉 

自由な言葉により初めて言葉が機能する。ギリシャ人の考え。


p.284 個人をないがしろにすれば社会が滅びる 

追い詰められた個人をないがしろにすれば、そもそも社会全体が破滅。


p.327 日本の法律家は占有に敏感でない

日本の法律家は占有に敏感でない。法的問題イコール権限の問題と考える。


p.334 まずブロックの手続きをとれ

一旦ブロックの手続きがないと、そのチャンス、つまり他と切り離して、実力行使だけで裁判するというチャンスが失われる。緊急ストップはとても大事。 
【占有訴訟】日本では例外 ※占有保持請求本訴ならびに建物収去土地明度請求反訴事件 最高裁判決昭和40年3月4日←この事件で原告が負けて、占有訴訟が行われなくなった。


p.340 合祀事件 

自衛隊らによる合祀手続きの取消等請求事件
最高裁判決昭和63年6月1日


p.362 被告適格

被告適格 古典的な防御の手段


p.368 ホッブズギリシア政治、近代国家

ホッブズ(1588-1679) ギリシャの政治システムを知り抜いている 再現は無理→エキスは何か分析→近代国家


p.371 武力衝突を律する

武力衝突の問題は占有をモデルにして規律しなければならない。実力行使を解体するための原理。


p.373 取られる前にブロックしろ 

攻撃されたら抵抗していい、ブロックすることは許される。これは占有であり権利ではない。一度取られたら取り返すための実力行使は違法となる

自衛隊の中東地域での活動期間は1年、派遣260人


p.380 精神と身体は占有の重要な対象 

人間にとってとりわけ大事な占有は精神と身体


p.381 人権は占有のものであって、権利ではなかった

権利というのは、今持っていないものを獲得しうるということ。人権は決して攻撃的には使えない。権利ではなく占有だから。権利なんかにしてしまったから、原告になって訴えなければならなくなった。


p.385 信教の自由 

フランス…信教の自由は個人にしか認めない  
アメリカ…団体にも自由を認める


p.391 後世のことも考えよ

自分が死んだあとのことはどうでもいいと考えるべきではない。いちからやり直していると進歩がない。世代を超えて生死を超えて連帯していく。

心を操る寄生生物(キャスリン・マコーリフ)

心を操る寄生生物

キャスリン・マコーリフ『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』、西田美緒子訳、2017年、インターシフト

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【徳武 葉子・撰】

 

心を操る寄生生物 :  感情から文化・社会まで

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで

 

 

凡例 

は撰者の私的書き込みです

 

p.14 ヨーロッパから持ち込まれた病原体 

コロンブスが新世界に上陸してわずか数世紀のうちに、ヨーロッパから押し寄せてきた侵略者と開拓者が持ち込んだ天然痘、麻疹、流行性感冒、他病原体によって、南北アメリカの先住民の95%が死に追いやられた。

地球規模で考えると、生命の誕生以来地上に現れた生物の99.9%が絶滅している。ヒト亜族がチンパンジー亜族と分かれた後、少なくとも12種のヒト族が生まれて、たったひとつ(あなたとぼく)を除いて消滅した。池澤夏樹『科学する心』より。


p.23 咳について、人の立場と寄生生物の立場 

誰かが咳をするのは、その人の体が肺から病原菌を吐き出そうとする努力のあらわれであり、寄生生物が自らを拡散させようとする決意のあらわれでもある

 

p.73 ミツバチとヒトの脳は似ている 

ミツバチの脳は分子レベルでは人間の脳とよくにている。共通の構成要素をもっている

ドイツベルリン自由大学の研究者は、ミツバチが餌を探す際にお互いに情報を伝える動きを模倣した、蜂型ロボット「Robo Bee」を開発。
農業•食品産業技術総合研究機構は2019年7月13日までにセイヨウミツバチが蜜のある花の場所を仲間に伝える「8の字ダンス」を自動で解読できる技術を開発。

 

p.77 ヤロスラフ・フレグル(プラハカレル大学進化生物学者

ネコの寄生生物トキソプラズマ原虫は、ネコの体内でのみ有性生殖が可能。糞に混じって外に出る。


p.83 トキソプラズマ

世界中の人口の約30%の人々は頭にトキソプラズマを住まわせている。レアで肉を食べるのが好きなフランスでは感染者は50%を超えている。発展途上国では(水が感染源で)90%の人々が潜伏感染。
トキソプラズマ感染の特徴=男女ともにそうでない男女に比べ、実直さが薄く外交的。


p.87 猫の糞からトキソプラズマに感染 

猫の糞から感染するようになるのは、糞が3日〜5日ほど空気にさらされてから。掃除や手洗いをしていれば安全。感染ネコからトキソプラズマのオーシストが出てくるのは1回だけ。同じネコが2回感染することはない。家ネコは感染しない。


p.89 統合失調症トキソプラズマ 

統合失調症患者の44人中12人の大脳皮質の一部から灰白質が失われ、トキソプラズマに感染していた。


p.94 トキソプラズママラリア原虫は近縁種 

トキソプラズママラリア原虫は近縁。原虫ゲノムの遺伝子がドーパミン(快楽の中心的役割)生産に関与。


p.95 トキソプラズマドーパミン生産に関与

トキソプラズマがついたニューロンは、他の3倍半も多くドーパミンを生産。


p.98 睾丸にも入り込む

トキソプラズマ原虫は脳だけでなく睾丸にも潜り込む


p.108 18世紀のネコブームと統合失調症 

1700年代後半〜パリ、ロンドンでネコブーム以降、統合失調症の発生率が急に上昇。統合失調症の患者はそうでない人に比べ、トキソプラズマの抗体を持つ割合が2〜3倍高い。


p.113 HIVと性欲亢進 

HIV感染者は末期段階になると恐ろしいほどの性欲にとりつかれる時期を過ごす。


p.135 ヒトには数千種の微生物が棲みついている 

子供も大人も通常はおよそ2千〜3千種の微生物に住み家を提供しており、まったく同じ組み合わせを持つ人間はふたりといない。指紋と同じ。


p.137 無菌マウスの性向 

無菌マウスには自然な好奇心がまったくない。見慣れたものを好み、奇妙に怖いもの知らず。


p.141 GABAの役割 

GABA(神経伝達物質)→恐怖と絶望に対する体の反応を抑える中心的な役割
プロバイオティクス→ヨーグルトなどの含まれている有用菌

KOEI SCIENCE 光英科学研究所
1905年正垣角太郎医師による乳酸菌研究〜京都市でヨーグルト販売〜1925年京都大学「研政学会」設立〜1969年現研究所創立〜2015年城西大学と産学共同研究


p.154 腸内細菌の減少と肥満 

マーティン・J・ブレイザーNY大教授「抗生物質が腸内細菌を激減させて肥満の人口を増やしているのかもしれない」(『失われてゆく我々の内なる細菌』)。


p.163 精神医学と胃腸病学 

精神医学と胃腸病学の綿密な関係。


p.187 睡眠と寄生生物

睡眠が寄生生物への抵抗力を強める。


p.197 土食愛好家の人気商品 

おばあさんのジョージア・ワイト・ダート。


p.200 ヴァレリー・カーティス

ヴァレリー・カーティス ロン大学衛生熱帯医学嫌悪学者


p.224 行動免疫システム 

自分が感染の危険にさらされていることに気づくと自然に心に湧き上がり、なるべく病原体に触れないような方法で行動するようにかりたてる思考と感情。例)異人種、異民族、奇形、肥満など。


p.229 感染症と移民拒絶反応 

アメリカで移民に対する反応が最も多かったのは、感染症の発生率が最も高い州。


p.241 デヴィッド・ピザロ(コーネル大学倫理心理学)

「僕の倫理的な義務は、この感情の影響を受けて実際に誰かの人間性が踏みにじられることがないようにすることだ」


p.242 感情と病原体

道徳的思考がどれだけ感情によって導かれやすいか。すぐそばに病原体があると、私たちの価値観が実際に変化する。


p.250 色イメージ、病原体と清潔さの意識

白を道徳的、黒を非道徳的に最も素早く結び付けられる人が、病原体と清潔さをより強く意識していることになるという理論。有色の人が有罪となる確率がアップする。


p.255 ヒトの協力行動

人間は生まれついての利他主義ではない。人間は協力しないと高くつく場合にだけ協力する。


p.256 エチケットの起源

協力できるくらい近くに寄るが、健康を危険にさらすほどは近づかない。私たち人間はこの絶妙な綱渡りを成功させるために規則を必要とし、礼儀を手に入れた。


p.259 モーセの律法 

清潔さに関連する事柄と、今では病気の広がりに重要な役割を果たすことが知られている生活要因とに心を奪われている。

ユダヤ人聖職者は手を洗わなければならない
●豚肉と貝を避ける
●息子を割礼する
ユダヤ人の安息日の入浴
●井戸にふたをする
●腐敗前に埋葬する
●皿と食器は使用後に熱湯い沈める

清潔は敬神に次ぐ美徳。


p.271 感染症と内向性

歴史的に感染症の発生率が高い地域では、人々が内向的になり、新しい経験を求める傾向が低くなっていた。


p.276 寄生生物の負荷と不寛容さ 

寄生生物の負荷が非常に小さい地域では、無神論が広がっている。寄生生物のホットゾーンでは性と衛生に関連する慣習に従う圧力が強まる。不寛容な風潮が生まれやすい。→抑圧的な政権の樹立に適した条件。独裁政治傾向が強い。

 


後記 撰者より

全体を通しそういう見方も存在するということであり、決定づけるものではありませんが、それでも「もしや」という気持ちのまま読み終えました。うちには猫がいるし、ウンチもするし。心も体も自分が操るものと思っていたら大間違い!という視点を持つだけでずいぶん謙虚になれそうです。

粘菌コンピューターというものがあります。地図上に存在する人口の分の餌を置き、粘菌を放つと餌と餌を繋ぐように繁殖していきます。その線が路線図と一致するというもので、重なり合わない部分は人間が非合理に建設した経路なのではと言われています。特にインド鉄道は驚くほど一致するとか。

メタロギコン(ソールズベリーのヨハネス)

メタロギコン

 

ソールズベリーのヨハネス「メタロギコン」(上智大学中世思想研究所 編訳・監修『中世思想原典集成8 シャルトル学派』所収)、甚野尚志・中澤務・F・ペレス訳、平凡社、2002年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

本記で取り上げるソールズベリーのヨハネスは、先に取り上げたギヨーム・ド・コンシュにも師事した学僧で、イングランドにおいて王権に対抗して教会の権利を主張して暗殺されたカンタベリー大司教トマス・ベケットに仕えた人物である。われわれ世代にとっては「ソールズベリーのジョン」のほうが馴染み深いけれど、ここではラテン語名に従う。彼の伝記には、アベラール、クレルヴォ―のベルナールなど、錚々たる学匠が登場し、大学時代にこれらの人物について学んだ私にもなつかしく思われるものである。晩年は、若き日に学んだとされるシャルトルに司教として赴任し、そこで没した。

イングランドと大陸を何往復もし、教皇庁へも赴くなど、多忙な外交活動に従事する日々を送ったヨハネスは、そうこうするうちに老年となり、記憶が衰えたことを、ウェルギリウスを引いて嘆いている。この人の文章は雑多な古典の寄せ集めで、独創的でもなければ革新的でもないと非難されることになるのだが、当のヨハネス自身、自分の論述に若い人のもつ鋭敏な才能を求めないでほしいと断りを入れており、理論的にものを書くというよりは、それまでに学び得たことを総合的に叙述したいという動機が強かったのではないかというように、私などには思われるのである。結果、内容が雑文的なものになってしまったのであろうけれど、頭が冴えなくなってくると、どうしてもこうなってくるもののようである。私なども記憶が弱いので、つらつら書いているうちに、書きたいことすら忘れてしまうことがある。どこに何を書いたのかも十分に把握できなくなるから、実に悩ましい。そのうちに資料と書付ばかりがたまってしまい、飽きるのも早くなって、書きたいことなどどうでもよくなってしまうわけである。そして、新しいことに取り組むことができなくなり、若い人に侮られながら生きていかざるを得なくなるのであるけれど、在りし日の名指揮者チェリビダッケのように、新譜をわたされても「もう新しいものを勉強するのは嫌だ」と言えるならよいけれど*1、「それは逃げじゃないですかね」と突き上げられるのが関の山、もうウンザリである。

さて、このような文章には、どこか回顧的な要素が入り込むようなところがあって、普遍的なものというよりは、どこか特殊なものである。なので、他人が読んでもいま一つピンとこないものになりがちであるけれど、普遍的な事柄というのは、誰が書いても同じ内容になって代わり映えのしないものであるから、こうした特殊な書き物にあらわれる余談めいたもののなかに、その時代の貴重な痕跡が遺されていることもあるのであろう。結論だけ言えば済むところを、引用に次ぐ引用を連ねるのは冗長なことであるけれど、書かずにはいられない思いがあったのであろう。ただし、こんにち、ヨハネスの語り口というものは、当時の著述習慣に則ったものであり、彼ひとりの特殊性に還元しうるものではないという再評価がなされているとのことである。つまり、12世紀の学識者は、おしなべて特殊でドメスティックな語り方でものを書いていたのではないかということである。なるほど、一つの発見である。

さて、この人の思想の特質については、教皇ベネディクト16世の一般謁見演説の中で簡潔にまとめられているから、むしろそちらをお読みいただくのが早いと思う。

 

 (ヨハネスは)『メタロギコン』の中で――そこでは教養人の特徴である洗練された皮肉が多く述べられていますが――、ヨハネスは文化に関して否定的な見解をもつ人々の立場を退けます。この人々は文化を空しい雄弁、無益なことばと考えました。これに対してヨハネスは文化と真正な哲学を称賛します。真正な哲学は、明快な思考と、力強いことばによるコミュニケーションとの出会いだからです。ヨハネスは述べます。「理性により導かれない雄弁が粗野で盲目的であるように、表現力のない知恵は弱く、不完全である。ことばのない知恵は、たまには人を満足させるかもしれないが、それが人間社会の福利に貢献するのは稀である」(『メタロギコン』:Metalogicon 1, 1, PL 199, 327〔甚野尚志・中澤務・F・ペレス訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成8 シャルトル学派平凡社、2002年、603-604頁。ただし文字遣いを一部改めた〕)。これはきわめて現代的な意味をもつ教えです。今日、ヨハネスが「雄弁」と述べているもの、すなわち、ますます高度化し拡大されたメディアを通じて情報を伝える力が桁外れに増大しています。しかし、「知恵」をもってメッセージを伝えることもますます必要とされています。つまり、真理といつくしみと美に促されてメッセージを伝えることが必要です。とくに文化、コミュニケーション、メディアのさまざまな複雑な領域で働く人々には、この大きな責任が求められます。そして、こうした領域の中でこそ、福音を力強い宣教をもって告げ知らせることができるのです。*2

 

ヨハネスが〈理性〉という言葉を使うのは啓蒙主義者のごとく頻繁であるけれど、ギリシア語の「ロゴス」が「言語」と「理性」という二つの意味をもつことから、彼は論理学を「言葉の表現と推論の学」と規定した*3。ここで求められるのは、ラテン語の素養とアリストテレス論理学という二本の柱である。彼は「意見」と「判断」を区別して、次のように言う。

 

ここで言う意見と判断の相違は、意見がしばしば誤り、判断が常に真理の側に立つことにある――だがそれも、言葉を精確に使う限りでそう言えるのだが――。というのは、実際には、ある言葉を使うべきところで、その代わりに他の言葉を使うことがよくあるからである。*4

 

「判断」は真理に基づく認識を述べたものである。理性的に説明が可能な蓋然的な認識も、一つの「判断」と言えるのであろう。それ以外の憶測が単なる「意見」である。もっとも、当時は命題を構成するもろもろの言述の事実性を科学的に確認するすべがなかったため、哲学者はひたすら推論するほかにやり方がなかった。確実な真理の対象は科学的なものではなく、より数学的なものであった。これは数学的記法と命題関数というアイディアの導入によって記号論理学を大成し、アリストテレス論理学の乗り越えを決定づけたバートランド・ラッセルにしても同様で、経験的命題における個々の言明の事実性については、科学者に丸投げせざるを得なかった。ゆえに、そのような経験性(真偽を経験的に確認すること)とは無関係に、いかにしても真にしかなりえない命題、すなわちトートロジー(恒真命題、同語反復命題)と、いかにしても偽としかならない矛盾命題こそが論理的な命題ということになるのだが、ヴィトゲンシュタインがいうように、それ自身は何事も語りはしないものである。彼はその『論理哲学論考』の4・431で、次のように述べている。

 

命題は、それが語るところのものを示す。同語反復命題と矛盾命題とは、それが何事をも語らぬことを示す。
同語反復命題は、真・偽条件をもたない。それは無条件に真だからである。そして矛盾命題は、いかなる条件のもとでも真とはならない。
同語反復命題と矛盾命題とは、意味を欠いている。
(それは、反対方向に二本の矢をはなつ一点になぞらえられる。)
(たとえば、わたくしは、いま雨が降っているか、降っていないかのいずれかであることを知っていたとしても、天気について何かを知ることにはならない)。*5

 

天気のたとえを式であらわせば、P∨¬Pということになるが、これは「あるものであるか、または、そうでないかのいずれかである」ということを言っているにすぎないので、そのこと自体は無条件に真であろうけれど、かといって、そこから「そのうちのどちらか」という事実を引き出すことはできない。ゆえに、この命題が示すところの状況を現実に見出すことはできないのである。ヴィトゲンシュタインはこのことを指して「意味を欠く」といっている。続く4・462で、彼は言う。

 

同語反復命題と矛盾命題とは、実在の映像ではない。それは、いかなる可能な状況をも叙述しない。前者は可能な状況すべてをうけいれ、後者はすべてを拒否するゆえに。*6

 

われわれは完全情報のもとに真なる「判断」を下すことができるが、不完全情報のもとでは蓋然的な議論にとどまらざるを得ない。この「われわれが完全情報を握りえない」ということこそが、ヴィトゲンシュタインにとっては、世界の構造的な本質なのであって、それ以外に論理的な根拠といえるものは何もない。6・37において、彼は「ある事件が起こったからといって、それにともない別のある事件が起こらなければならぬ筋合いはない。必然性は論理的な必然性にかぎられる」*7と言っている。そこで注意されなくてはならないのは、たとえ自然法則といえども理性的に考えれば蓋然的なものにすぎない、ということである。その意味で、じつはヴィトゲンシュタインは、まだ〈神〉という哲学原理が機能していた古い時代の哲学の透徹性を高く評価しているのである。昔の人は〈神〉を必然の原理とし、今の人は〈自然法則〉を必然のものと考えるけれど、〈神〉は被造物とは異なり、世界のうちに対象として現れる偶有的なものではなかったから、その意味で、〈必然的なもの〉であった。論理そのものというのは、世界のうちにある対象ではないのである。論理とは、必然的にそうでしかありえないような関係を規定するシステムのことであって、実在する個々の存在者が「いかにあるか」ということよりも、それが「ある」ということにおける基盤としての〈存在〉にかかわっている。ゆえにかえって〈存在〉そのものに触れるというハイデガーじみた一面をもっている。天気が晴れであるかそうでないか、あるいは空間上のある点を二つの色が占めることはできないといった、そうしたことは必然であっても、実際の天気がどうであるとか、ある点を占めるのが現に何色であるかということに必然性はない。

ヴィトゲンシュタインにとって、明日もまた太陽が昇るなどということは一つの仮定にすぎない(6・36311)。なべて科学は経験的なものでなくてはならない。すなわち、現前する対象に対して適応されなくてはならぬものであるから、帰納的な方法から法則を組み立てるという手続きは、いささか胡乱である。この手続きは、少なくとも論理的な、つまりは必然的な根拠にもとづくものではないのである。明日のことは、明日になってからもう一度実験によって経験的に確かめるのが筋なのである。

その点、数学は純粋に論理的なものである。数学が対象とする概念が必ずしも現実に対応物をもたないことは明らかである。ゆえに、数学者に言わせれば、物理学者の論の運び方は時折〈非論理的〉であって、特に〈時間〉という考え方、あるいは〈確率〉という考え方にそれがあらわれているように感じられるようである。自然法則は論理的な意味で必然的なものではないのである。対して、スコラ学における〈神〉というのは、どこか数学的対象のようなものであって、それを実在の被造物、すなわち自然学の対象として扱うことはしなかった。ヴィトゲンシュタインに言わせれば、現代人は、自然法則を犯すべからざる必然のものと見なし、能事終われりとしているところで錯覚を起こしているというのである。対して、昔の世界観は、その解明の限界を明瞭に承認していたという(6・371)。この点は、宗教嫌いだったラッセルも、ある程度認めているところである。

ヨハネスの時代、論証や弁証に不可欠なのは、まず正しいラテン語の使用ということにあったのであろうが、フレーゲ以降は、まず自然言語に含まれる曖昧さを取り除くということから作業を始めなくてはならなかった。それによって、〈意味のある命題〉、〈意味を欠く命題〉、〈ナンセンスな命題〉という三つの区分が生まれることになるが、最後の〈ナンセンス〉は文法違反のことで、そもそも何かを語ることはできないような語の使用を指す。そのようなものにだまされる人はいないであろうから、問題は〈意味のある命題〉と〈意味を欠く命題〉の二つに絞られる。後者はトートロジーと矛盾命題であるから、これらが真偽の別をもたないことは明らかである。トートロジーは常に真、矛盾命題は常に偽であるから、このことは疑いようがない。その時代に横行した詐欺的な詭弁についてヨハネスは、「見せかけだけの知恵」「真実あるいは蓋然的なものに見せかけた〈意見〉」であると告発しているが、論理的なもの、すなわち必然的なものとしての〈真実〉と、蓋然的なものとしての〈科学的事実〉を除いたところにある〈意見〉というものは、私の思うところ、たしかに詐欺的ではあるけれど、人間の〈目的〉にかかわる何かを含んでいるように思われる。必然と蓋然の領域に含まれる〈判断〉は、論理的あるいは事実的なものであって、それ以外のなにものでもない。ヴィトゲンシュタインは、それ以外のすべてを論理空間の外側に追放し、哲学の対象から外してしまった。倫理あるいは審美などといった事柄がそれにあたる(6・42、6・421)。すでに述べたように、〈神〉もまた世界には顕れない(6・432)。

フレーゲは、有意味な命題を構成するために使用可能な名辞を「一意的存在前提を満たすもの」にかぎったから、あるかないかわからないものや、あったかも知れないが現在は間接的にしか存在の知られないものに言及する命題は、有意味なものとはいえない。当然、芸術の美というものも人それぞれの個性に任せて感受されるものであるから、フレーゲにあっては〈虚構〉として解釈された。ゆえに、美についての本質論などというものは存在しないのであるけれど(これこれの作品について人類の何%が美しいと感ずるかというような統計的な事実は提示しうるであろうけれど)、だからといって、その程度のことはどうということもない。けれど、これが地球温暖化問題ということになれば話は別で、少なくとも解決のために蓋然性の高い議論が要請されるところとなるであろう。トランプ氏やプーチン氏の主張する政治的立場が正しいのか、トゥーンベリ氏の提案する方法が正しいのか、地球が温暖化していること自体は事実であっても、どのような対策を取ることが、人類の幸福の総量を増加させることにつながるのか、そのような計算は容易ではない。CO2規制に果たしてどれだけの効果があるのか、あるいは規制によるメリットとデメリットはどうバランスするか、というような問題である。もちろん、南の島々に住んでいる人が水没の危険にあるのを拱手傍観するのはいかがなものかという感情は、人としては至極まっとうなものであるように思える。しかし、これも一つの〈意見〉である。似たような事例は身近にいくらでもあるけれど、効能の外部性を計算に入れるとほとんどすべての活動が成り立たなくなるため、われわれは計算を停止して、目先の目的をどう効果的に達成するかというところに専念せざるを得ない。何とも恐ろしい世界に私たちは住んでいるのである。そして、これらのことは〈意見〉で決めざるをえないのが、おそらくは実情なのだ。現実はそのようなものであるかもしれないが、大いに問題とすべきところである。

トゥーンベリ氏は「恥を知れ」と言った。まさしく、われわれは恥知らずである。しかし、これは典型的な〈意見〉の議論である。〈恥〉という倫理的な語彙は論理とはかかわらないからである。何かを犠牲にしてでも〈善〉を行うべきであるという主張は、なべて〈意見〉的なものであるということは理解しておくべきであろう。しかし、それがただちに誤りであるとか、行為として間違っているということはできない。ラッセルがいうように、〈判断〉可能なことどもはすべて理性的な事柄であるけれど、理性的であるということは〈目的〉に対していかに合理的な手段を講じうるかということを意味しており、理性そのものは〈目的〉にはかかわらないからである。人間の〈目的〉は、〈判断〉の中にではなく、〈意見〉のなかに存するのである。そしてそれは、多かれ少なかれ詐欺的なものとして存せざるをえないのである。

なお、本書の3巻でヨハネスは面白いことを言っている。人間が身体的な存在であるのは明白なことだが、人間が魂であることも真であると、ヨハネスは言う。彼は、「人間が魂であることは哲学者たちによってのみ受け入れられていることで、身体性に比べて自明のことではない」と断りを入れてから、「人間は魂である」という言明は、「人間は身体である」ということを否定しないと説明する。その理由は「否定は肯定よりも強いものだから」というものである*8。これは結局、人間が魂と身体から成っているという考えにもとづくのではあろうけれど、ある独立した命題において言及されないことについては、その命題において言及されたことによって拘束されないという原理をあらわしているようである。ヴィトゲンシュタインは『論考』の2・061で「事態は互いに独立している」*9、2・062で「ある事態の成立ないし不成立から、他の事態の成立ないし不成立を推論することはできない」*10と述べている。なるほど、これは日常言語のやり取りにおける誤解の一因を成している。たとえば、日頃「餅は嫌いだ」と言っている人が餅を食べてしまったとしよう。そこで「君は餅が嫌いだと言っていたじゃないか、どうして食べてしまったのだ」と非難することは果たして妥当なのだろうか。「餅が嫌いな人は餅を食べない」という推論はそこそこ蓋然的なものである。しかし、経験的に根拠があっても、論理的に根拠がない推論は早とちりのもとである。このことは「餅の嫌いな人は餅を食べないか?」(『命題論集』所収の第一命題、2017年、web)*11にすでに書いたことであるけれど、議論をする上で重要な問題を孕んでいる。

以上、ヨハネスにおける雄弁術の問題と、20世紀における論理実証主義の考え方について見てきたけれど、当時も今日のディベートと同じように、「否定の否定は肯定だから」ということで、自分が何度「否定」を使ったかの回数を数えるなどして相手を言い負かしていたようであるから(これは『メタロギコン』に書かれていたことかどうか、私にもちょっと覚束ない余談であるが)、私のように記憶の弱い者には到底不向きな分野としかいいようがない。ただ、ラッセルがいうように、本来、推論とはむずかしい作業なのであって、たいがいは誤った結論を導き出すので、学校では「あまり推論をしないように」と教える方がいいという話もあるくらいで、ジョルダン曲線定理の完全定式化プロジェクトに参加した中村八束博士に言わせると、「平面上に閉じられた曲線を描くと、曲線は平面を内と外に分割するという、直感的にわかるようなことを証明するのに20万行の式を費やした。論証とは本来、このように困難なものなのである」*12ということであるから、ものごとを軽々しく〈判断〉するなどということはできぬものだということを心得ておきたいものである。また、純粋な〈判断〉が成り立つ場面というのは、実際には少ないものであって、たとえ科学的に蓋然性の高い予測が示されていたとしても、そのことをどう評価するかということになると、およそ自明とは言えない、複雑な問題を生ずることが多くある。科学的に定められたとされる基準が往々にして守られないのも同じ理由による。われわれには科学的事実よりも重要な事情というものが何かしらあって、そのことについての問題が解決されることこそが、われわれが〈判断〉を下すための前提条件となっているのであろう。人間社会では、科学的予測を留保して、〈意見〉に従って行動することが暗黙裡に認められていることがあるけれど、それで何か問題が生じると、一転して科学的予測を無視して対策を怠ったことを咎められるという場面がまま見られる。そのような〈意見〉が許容される条件とは何か? それは人間活動を可能ならしめるための条件のある部分を担っているのであろうけれど、いちど人間活動が停止に追い込まれたところでは許容されないもののようである。それまで絶対視されていた当該の人間活動そのものの価値が問われることになるからである。ふだんは問題視されないことでも、問題の後に問題視されることどもというのはそうした性質をもっているように思われる。災害対策や原発問題などはそのようなものに含まれるのであろう。その意味では、いつ大地震が来るかもわからない日本の首都にオリンピックを呼ぼうなどというのは狂気の沙汰のようでもあるけれど、いかに考えるべきであろうか。この疑いを免除する条件とは何か、ということである。一考されたい。

 

所蔵館

県立長野図書館(132・チュ・8)

 

中世思想原典集成〈8〉シャルトル学派

中世思想原典集成〈8〉シャルトル学派

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2002/09/01
  • メディア: 単行本
 

 

関連項目

コンシュのギヨーム『プラトン・ティマイオス逐語註釈』

 

 

解説(甚野尚志)

 

p.582~584 著者について

ソールズベリーのヨハネス(Johannes Saresberiensis 1115/20頃~80)は、ソールズベリーの郊外にある古邑オールド=セイラムに生まれた。1136年、若くしてパリに行き、12年間、勉学。ちょうどシャルトルに代わってパリが新しい学問の中心地になっていく頃だった。まずサント=ジュヌヴィエーヴの丘へ行き、アベラルドゥス(Prtrus Abaelardus 1079~1142)の講義を聴く。コンシュのギヨームのもとで学んだ三年間はシャルトルにいたと思われるが、ギヨームがシテ島司教座聖堂附属学校で講義したものを聴いたのではないかというサザーンの所説もある。この遊学時代にクレルヴォ―のベルナール(Beruardus Claraevallensis 1090~1153)と出会い、カンタベリー大司教テオバルドゥスへの推薦状をもらい、カンタベリー大司教座に奉職。大司教の代理として教皇庁に滞在、ローマ法の詳細な知識を得たと思われる。1150年代後半にイングランド王ヘンリー二世の不興を買って大司教座の職務から一時離れて著述に専念。1159年に政治社会論『ポリクラティクス』と学芸論『メタロギコン』を書き上げる。その後、カンタベリー大司教トマス・ベケット(Thomas Becket; Thomas Cantuariensis 1120~70頃)がヘンリー二世が聖職者裁判特権をめぐって争いになると、ヨハネスはベケットに先立ってフランスに移り、ランスのサン=レミ修道院に滞在しながら、ベケットを擁護する活動を行った。ベケットはその著作によって12世紀を代表する著作家と見なされているが、同時代のアンセルムスやアベラルドゥスに見られるような思想の革新性や独創性にあるのではない。ヨハネスの重要性は、12世紀の知識人が到達した知識の段階と、この時代の特徴的な精神構造が、鏡のように映し出されている点にある。

 

p.584~585 著作の特徴

『メタロギコン』と『ポリクラティクス』に共通する特徴は、そこに、十二世紀中葉の西欧の知識人が手にできた限りでの、多くの古典からの雑多な引用と、きわめて体系性のない議論が見出されることである。このような思想の特徴については、これまでの研究でもしばしば指摘されてきた。たとえばホイジンガ(Johan Huizing 一八七二-一九四五年)は、ヨハネスを「前ゴシック期の精神」を代表する人物として好意的に描いたが、彼でさえもその論考の中で、ヨハネスによる雑多で過剰な古典の引用については、「古代の先達たちへの敬意を今少し少なくし、より多くを彼自身および彼の時代についてわれわれのために語ってくれたらと思います。彼が自己の姿をコルフィニキウスとかグナトーとかあるいはまたトラソーとかタイスなどの古代の衣裳で変装させたりしなければよかったのです」と批判的に語っている。また『前期書簡集』を編纂したブルックも、ヨハネスの著作がさまざまな古今の雑多な思想を集成してはいても、まったく体系性がないことを指摘し、「ヨハネスには、一つの本を書く能力が欠けている」とまで言う。

だが一方で、M・ケルナー(M. Kerner)やP・フォン・モース(P. von Moos)らによる最近の研究は、こうした混沌とも言えるヨハネスの思想の独自性を見出そうとしている。(…)また、彼の著作における過剰な古典引用については、ヨハネスが独自の論証の作法として、古典の例話を論拠として論証を行う方法をとっていたがゆえに、引用が過多になったという説明がなされ、それもまたこの時代に特有の議論の方法であったことが言われている。(584~585頁)

 

p.591 ベルナルドゥスの教育方法を評価

『メタロギコン』では、ベルナルドゥスの教育方法がくりかえし称讃される。ヨハネスがパリとシャルトルで遊学していた時期には、ベルナルドゥスはすでに歿しており、直接に師事することはなかったので*13、コンシュのギヨームからベルナルドゥスの教育方法について詳しく聞いたのだろう。また、教師が講義を行う際の注意点として次のように言う。

学生には、互いに関係のないものや、まだ理解しえないものを過度に背負わせてはならない。まだ講義では、細かいことに入りすぎたり、あまりに多くの権威的著作を引用するのもよくない。それによって、教師の学識は示されようが、その聞き手は、素材の多さゆえに理解できないからである。講義はできるだけ単純であるべきだ、と(第三巻第一章)。(591頁)

 

p.593 著作の意図

いずれにせよ、ヨハネスが『メタロギコン』を書いた意図には、単にアリストテレスの論理学に対する称讃の念のみならず、知的な専門主義と拝金主義の横行するようになった十二世紀中葉の時代に、いかにして人間が、信仰や倫理を見失わずに、ラテン語能力と理性的な思考法を身につけることができるかという、シャルトル学派的な人文主義の教育理念への強い憧憬があったと言える。(593頁)


本文

 

 

p.600 ヨハネスは多忙だった

(…)友人たちは、たとえ私が言葉の寄せ集めしかできなくても、この著作を書くようにと勧めてくれた。私には、さまざまな意見の細かな分析を行ったり、文体を磨いたりする暇も能力もなかった。私の日常的な業務が、食べたり寝たりする以外の私の全時間を奪ったからである。(600頁)

 

p.600 なぜ雑多な論点を取り入れたか

私は本来、愚鈍な人間で、古代人の言うことの機微を正確に理解してはいない。また、私の記憶力も、かつて習ったことを長く憶えているかどうか疑わしい。私の文体は洗練を欠いている。読者の気晴らしのために書かれたこの四巻に分かれた論考は、『メタロギコン〔論理学のために〕』と名づけられる。なぜなら、私はこの中で、論理学を擁護することを企てたからだ。他の作家たちの書き方に倣い、私は、各読者が自由に、自身の見方によって取捨選択できるように、雑多な論点をそこに入れた。(600頁)

 

p.600~601 同時代人の記録

私は、ガニュメデス〔ギリシア神話で、鷲に変身したゼウスによって天に連れていかれた狩人〕が自身の本意でない場所にいったごとく、話を本来の話題から逸らせたり、昼夜を問わず強い葡萄酒を飲んで酔っ払ったかのように話をするよりも、軽い気持で話すことを好む。私は、現代の著作家を引用することを恥とは感じなかった。多くの事柄で私は、古代人の意見よりも現代人の意見を躊躇なく好む。私は、後世の者がわれわれの同時代人を尊敬するだろうことを確信する。私は、われわれの時代の多くの者がもつ、すばらしい才能、学習での勤勉さ、驚くべき記憶力、想像力溢れる精神、優れた雄弁術、言葉の知識に対して、深い敬意を払ってきた。(600~601頁)


第一巻

 

p.620 雄弁術と論理学

第九章「論理学を攻撃する者は、人類から雄弁を奪おうとする者であること」より。勉学することなしに、誰が雄弁に話せるようになれるだろうか。雄弁に話す技術のあるものは自然に与えられるが、われわれが必要とする雄弁術は自然が与えてくれるものではなく、すべての民族のあいだで同一のものではないので、自然のみに期待するのは厚かましい。雄弁のための学芸を無用のものとし、論理学を否定する者によると、論理学は多くの人々の自然の才能を無駄にする、饒舌な者のいい加減な技芸であり、哲学研究への道を妨げるものとする。

 

p.620~621 論理学の定義

第一〇章「「論理学」が意味するもの。そしてわれわれは、いかに有益なすべての学芸を身につけるよう努力すべきか」より。論理学とは何か。

論理学とは、最も広い意味では、「言葉の表現と推論の学」である。また、しばしば論理学という言葉は、より限定された意味で、つまりは推論の規則に限定されて使われる。だが、論理学が推論の方法のみを教えるものであろうが、言葉に関わるすべての規則を包括するものであろうが、それが無益だと主張する者は誤っている。これらのどちらも必要なことは、疑う余地がない。

論理学の二重の意味は、そのギリシア語の語源に由来する。なぜなら、ギリシア語で「ロゴス」は、「言葉」と「理性」の両方を意味するからである。ここでは、論理学に、その最も広い意味、つまり言葉に関するすべての教えを含むものとしての意味を与えよう。この広い意味で、論理学全体が、非常に有用であり、必要不可欠なものであることは明らかである。しばしば主張されてきたように――そして誰もそれを否定しなかったように――、言葉の使い方の教育は、それが簡潔であればあるほど、それだけ有益で信頼できるものとなろう。なぜなら、何かを行うとき、容易にすばやくできる方法があるのに、苦労して長い時間を費やすのは、愚かなことだからだ。それは、時間の価値を知らない軽率な人々がよく犯す誤りである。(620~621頁)

 

p.622 理性とは何か

第一一章「学芸の本性。内在的な能力のさまざまな種類。自然の才能は、学芸により陶冶され、発展させられるべきこと」より。

学芸とは、われわれが自然の能力によりものごとをなすとき、われわれの能力を最も近道で働かすために、理性が作った体系である。理性は、不可能なことを可能にしたり、不可能なことができると約束したりしない。だが、理性は、可能なことを行う際、自然に従ったままでは遠回りする道に代えて、簡潔で直接的な方法を与えてくれる。それは、いわば困難なことを成し遂げるための力となる。ゆえにギリシア人は、理性を「方法」(methodon)と呼んだ。つまりそれは、自然の冗漫さを避け、自然の曲がりくねった道を真直ぐにする卓抜な方法で、それによりわれわれは、自身の行為を正しくかつ容易に成し遂げることができる。(622頁)

 

p.623 理性は限定されていないものに輪郭を与える

第一一章「学芸の本性。内在的な能力のさまざまな種類。自然の才能は、学芸により陶冶され、発展させられるべきこと」より。

記憶とはいわば精神の宝庫である。つまり、認知した事物を確実に保管できる場所である。理性とは、感覚や知性で感じた事物を精査し探求する魂の力である。理性は、何がよりよい事物であるかを判断し、類似点や相違点を精査し、輪郭を与えられていない事物に輪郭を与える学芸を作り出す。理性は限定を受けていない種に輪郭を与え、その結果、すべての種は類をもつようになる。理性は、限定を受けていない数すべてを偶数か奇数に分類する。(623頁)

 

p.623~624 自然の能力は使用することで育まれるが、酷使すると鈍くなる

第一一章「学芸の本性。内在的な能力のさまざまな種類。自然の才能は、学芸により陶冶され、発展させられるべきこと」より。

勉学は、休養を取りながら、適度になされるべきだ。そうすれば、人の自然の能力は、休養により再び元気を取り戻し、より力強いものとなろう。ある賢人によれば、自然に由来する内在的な能力は、使うことで育まれ、節度ある訓練で鋭敏なものとなる。だがそれは、酷使すれば、鈍くなる。もし自然の能力が適度に訓練され使われれば、人は、諸学芸を習得しうるのみでなく、不可能に思われることを成し遂げる近道を見出すこともでき、またそれによりわれわれは、必要かつ有益なすべてを学び、かつ教えることができるようになる。(623~624頁)


第二巻

 

p.658 論理学は単に推論の学ではなかった

第五章「弁証論の諸部分と論理学者たちの目的について」より。

古典の著作家たちは、論理学を発想の学と判断の学とに分け、その全体が分類と定義と推論に関わると教えた。なぜなら、論理学は発想と判断を扱うのみならず、分類、定義、議論にも深く関与するからである。その結果それにより、職人のように優れた教師が生まれる。(658頁)

 

p.658~659 論理学を欠いては、あらゆる学問は結論を導けない

第五章「弁証論の諸部分と論理学者たちの目的について」より。哲学のなかで論理学は特に二つの特権をもつ。すなわち論理学は第一のものであるという名誉であり、哲学全体にわたる効果的な道具としての役割である。自然哲学者も倫理学者も、論理学者から論証の方法を借りないと、自身の主張を先に進ませることができず、そうでなくて彼らが成功したとすれば、それは、知識によるのではなく偶然による。論理学は「理性的」なものであるという言い方からわかるように、〔論理学を欠いて〕理性を欠く者には、哲学でいかなる進歩もありえない。というのは、哲学の場合、自然の能力として、いかに鋭い理性をもっている人でも、目標を実現するための理性的体系をもっていなければ、多くの障害に出会うだろうから。

 

p.659 理性的体系と学問的な方法

第五章「弁証論の諸部分と論理学者たちの目的について」より。

この理性的体系は学問的な方法であり、目的を実現するための力を生み出し促進させる、簡明な理性的方法である。論理学の諸部分としてすでに言及した諸学科もこの必要に答えたものだ。論証的な論理学も蓋然的な論理学も、また詭弁的な論理学もすべて、発想と判断を含んでいる。それらは対象や目的、あるいはその手続きが異なっていても共通に同じ理性的方法を用いて、区別したり定義したり結論を引き出したりする。(659頁)

 

p.659~660 詭弁は論理や弁証の見かけを応用する

第五章「弁証論の諸部分と論理学者たちの目的について」より。

ここで言う意見と判断の相違は、意見がしばしば誤り、判断が常に真理の側に立つことにある――だがそれも、言葉を精確に使う限りでそう言えるのだが――。というのは、実際には、ある言葉を使うべきところで、その代わりに他の言葉を使うことがよくあるからである。だから、詭弁でさえそうした仕方で理性的なものとなり、それが詐欺的であっても、哲学の諸分肢のなかで自分のための場所を要求する。なぜなら詭弁は、自分のための理性的方法を作り、あるときは論証的な論理学であるかのように見せかけ、あるときには弁証論であると偽る。自分が何であるかをいかなる場合にも告白せず、常に他のものの姿をとる。事実それは見せかけだけの知恵である。それはしばしば真実でも、蓋然的に真なるものでもなく、ただ見せかけだけそのどちらかのように見える意見を生み出す。ときにそれは、真なる議論あるいは蓋然的な議論を使うこともある。それは狡猾な騙し手であり、しばしば細かい質問や他のずる賢い方法によって、明白な事実から疑わしいことや虚偽へと人を導いていく。(659~660頁)

 

p.660 詭弁は無益でもないこと。論理学を知らない人は真理を愛さず、徳も身につかないこと

第五章「弁証論の諸部分と論理学者たちの目的について」より。

論理学を用いる哲学者は真理を明らかにすることに努め、弁証家は蓋然性で満足し、意見だけを確証しようとする。詭弁家は、蓋然性の見かけさえあれば、それで十分満足する。しかしだからといって、詭弁の知識が無益であると簡単には言えない。事実それは精神の大きな訓練となるし、またそれは、詭弁を知らない無知な者を最もたやすく害することができる。(…)結局、弁証的な論理学と蓋然的な論理学を用いない人は、真理を愛することはないし、蓋然的なものを認識しようともしないのである。また、真理を知ることなくして誰も徳を身につけられず、蓋然的なものを軽蔑する者が非難されるべきなのは明らかである。(660頁)

 

第三巻

 

〔序〕

 

p.709 業務多忙で歳をとったので、論述には期待しないでほしい

ヨハネス曰く、自分はイングランドガリアで業務に携わり、多忙であったので、論述には期待しないでほしい。次の道徳詩が私に当てはまる、という。

時の流れはすべてを奪い去る。心さえも。
私は思い出す。子供の頃の私が、日がな一日、歌って過ごしていたことを。
だが、いまや、私はたくさんの歌を忘れてしまった。
声〔旋律〕さえも、すでにこのメリスからは逃げ去ってしまった。*14

だから私に、若さのもつ鋭敏さや活発な才能や正確な記憶を期待するのは正当とは言えないであろう。忙しい仕事に没頭しながら、私は歳をとり、肉体の弱さや精神の怠慢、そして罪の火から帰結する邪悪な心が妨げなければ、人が皆、歳をとると関心をもつようになる、より重大なことに関心をもつようになった。実際、徳は、未熟な若さと相容れないように、年とともに衰えたものを見捨てることはない。(709頁)

 

p.712 書物は理解が容易になるように講義されるべき

第一章「ポリフュリオス〔の『イサゴーゲー』〕およびその他の書物は、いかに講義されるべきか」より。

私の考えを述べれば、すべての書物は、書かれている内容ができるだけ容易に理解されるように講義されねばならない。難解さを持ち込もうとしてはならず、むしろいたるところで〔理解の〕容易さが生み出されねばならない。私は、パレの逍遥学派の徒〔アベラルドゥス〕がこの習慣に従っていたことを思い出す。(712頁)

 

p.713~714 講義のあり方について

第一章「ポリフュリオス〔の『イサゴーゲー』〕およびその他の書物は、いかに講義されるべきか」より。

真理は簡潔さの友人である。正当に自分のものではないものを奪おうとする者はしばしば、正しく自分のものであるものさえ失ってしまう。堅実に講義を行う者は、他の書物や神の啓示によって真理が明白かつ確実に知られるまでは、作品の表面が示していること〔字義通りの意味〕を神聖なものとして尊重する。なぜなら、ある著作家が明確に主張することを他の著作家が同じくらいの明確さで主張しないということがあるからだ。だが、よき教師は時と学生に合わせて、その教育を柔軟に行う。(713~714頁)

 

p.714~715 否定は肯定よりも強い

第一章「ポリフュリオス〔の『イサゴーゲー』〕およびその他の書物は、いかに講義されるべきか」より。人間は魂と身体から成るが、それは魂であることより身体であることの度合いのほうが大きいということではなく、むしろある意味では小さいといえる。だが、一般的な語法では、人間は「身体」という名で示される。というのも、こちらの部分のほうが、感覚にはより明白で、疑う余地がないからだ。だが人間が魂であるということも同様に真。だが、このことは哲学者たちによってのみ受け入れられている。だが、このことから人間が非身体的なものであるという結論は生じない。否定は肯定よりも強いものだからだ(「人間は魂である」ということが「人間は肉体をもたない」ということまでは意味しないということ)。

 

p.715 いろいろ読めば理解のむずかしいところもわかるから問題ない

第一章「ポリフュリオス〔の『イサゴーゲー』〕およびその他の書物は、いかに講義されるべきか」より。

もし、ポリフュリオスに限らずどんな書物においてであれ、理解が困難な部分に遭遇しても、講義を行う者も聴講する者も、ただちに進むのを止めてはならず、むしろ先に進むべきだ。なぜなら、著述家たちは互いに互いを説明しており、また一つの著作は別の著作を相互に説明しあっているからである。したがって、多くを読む者にとっては、見逃されるものは皆無か、あるいはきわめて少ない。(715頁)

*1:フリードリヒ・エーデルマン『チェリビダッケの音楽と素顔 元ミュンヘンフィルハーモニー首席ファゴット奏者の回想録』、中村行宏・石原良也訳、アルファベータ、2009年、171頁。

*2:カトリック中央協議会教皇ベネディクト十六世の205回目の一般謁見演説 ソールズベリーのヨハネス』、2009年12月16日、https://www.cbcj.catholic.jp/2009/12/16/7156/、web。

*3:ソールズベリーのヨハネス「メタロギコン」(上智大学中世思想研究所 編訳・監修『中世思想原典集成8 シャルトル学派』所収)、甚野尚志・中澤務・F・ペレス訳、平凡社、2002年、620頁。

*4:ヨハネス、同書、659~660頁。

*5:論理哲学論考』4・461。L. ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考』、藤本隆志・坂井秀寿訳、法政大学出版局、1968年、122頁。

*6:ヴィトゲンシュタイン、同書、122頁。

*7:ヴィトゲンシュタイン、同書、193頁。

*8:ヨハネス、前掲書、714~715頁。

*9:ヴィトゲンシュタイン、前掲書、67頁。

*10:ヴィトゲンシュタイン、同書、68頁。

*11:服部洋介「餅の嫌いな人は餅を食べないか?」(『命題論集』所収)、2017年、web(http://dppost.blog.fc2.com/blog-entry-1.html)。

*12:中村博士との対話より。おおむねいつの対話であったか挙げることも不可能ではないけれど、今さら面倒なのでお許しいただきたい。会えばそんな話ばかりしているので、何回もしたような内容の話である。同内容の記事は、かつて信州大学のwebページにも出ていたけれど、今はネットニュースからの引用が、数学系の掲示板に散見される程度である。オリジナル不在のいま、それはそれで貴重な〈痕跡〉というほかない。

*13:先には、ベルナルドゥスの知遇を得てカンタベリーに奉職したとあるので、このあたりのことはよくわからない。

*14:訳註51〔Vergilius, Eclogae 9, 51-54.〕

ぼくには数字が風景に見える(ダニエル・タメット)

ぼくには数字が風景に見える

ダニエル・タメット『ぼくには数字が風景に見える』(講談社文庫)、古屋美登里訳、講談社、2014年

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【徳武 葉子・撰】

 

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)

 

 

凡例

は撰者の書き込み(私的意見)

 

p.13 共感覚 

共感覚…複数の感覚が連動する珍しい現象で、たいていは文字や数字に色が伴って見える。僕の場合には数字に形や色、質感、動きなどが伴ってみえる。「1」は明るく輝く白で目を照らされたよう。

私の塾に面談に来る学生の中では過去に2人。ひとりの子は数字が中心となる星が頭の中に存在し、どうやら地球とも繋がっているらしい。1時間かけて丁寧に解説してくれた。もうひとりはまだ幼く、数字に色があるのは当たり前で、自分以外の人たちの捉え方を意識する以前だった。私の場合は「3」が黄色「7」が緑を伴い、他の数字は色の交代がある。「0」に関してはブラックホールそのもので、一定のところまで考えを進めると具合が悪くなってくる。√の中に数字を入れると落ち着き、特に素数の場合はスッキリする。記号や音に関しても視覚的に捉えることが多い。
※アレクサンドル・ルリヤ(ソビエト連邦心理学者)=レフ・ヴィゴツキーらとともに文化歴史心理学を創設し、神経心理学の草分けとなる(Wikipediaより)。

 

p.111 7×9は? 

「7×9は?」答えられない。答えを求められていることがわからない。

「7×9はいくつになりますか?」までが大切。これは授業でも頻繁におきる。質問の範囲を限定することの大切さを感じる。

 

p.303 思考や論理の限界 

「あらゆるもの」とは何かを完璧に理解しようとした。たちまち具合が悪くなり、心臓が激しく鼓動するのを感じた。生まれて初めて、思考や倫理には限界があり、人はそこから逃げられないことがわかったからだ。その事実と折り合いをつけるのに長い時間がかかった。 

 

後記

やはりダニエルが書いた『天才が語る』には、グルココルチコイドと海馬の関係、鬱状態の脳と抗うつ剤の関係など脳についてから始まり、言語と数学も包括しています。3年前に読んだ本が今の自分に合っている、記録は大事ですね。