南山剳記

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ゲイの誕生 同性愛者が歩んだ歴史(匠 雅音)

ゲイの誕生 同性愛者が歩んだ歴史

匠雅音『ゲイの誕生 同性愛者が歩んだ歴史』、彩流社、2013年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

近年、LGBTの権利ということがいわれるようになったが、この問題は、人間精神にとって、どこまでが自らに帰属する〈精神的なもの〉*1であるか、すなわち、〈社会的なもの〉であるかという境界確定の問題とかかわっているように思われる。かつて「女・子ども」という言葉があったように、女性と子どもは社会的存在とは見なされず、特殊なマイノリティとしての地位に留め置かれ、特殊な少数者という理由によって、社会的に顧慮されることはなかったのであるが、こんにち、そのような見方は許容されそうにない。

このような越境により、かつてマージナルなものとされていたものが、精神の周縁から中心へと移動することは、二項対立を孕むあらゆる境域においてみられる現象であるが、しからば、どのような条件がこのような越境を可能にするのか? 本書に即して言うならば、かつて男性同性愛は特殊で私的なものではなく、社会的で公のものであったけれど、近代における理性主義と科学主義が、旧来の男性同性愛(〈ホモセクシャル〉と呼ばれる)を〈精神的なもの〉から放逐したということになるようである。これは中心から周縁への逆方向の移動であるけれど、このようにして周縁化された〈ホモセクシャル〉が、近代の自由平等の市民社会を経ることで、現代において〈ゲイ〉として立ち現れ、再び〈精神〉の側へ越境を果たそうとしていることは注目に値するものである。

では、近代の合理主義の中で〈ホモセクシャル〉が非精神的な陋習として退けられたのはなぜか。そして、それは〈ゲイ〉とどう異なるのか。実は、〈ホモセクシャル〉は、性交の主体を成人男性にかぎり、若年男性と女性を性的客体と位置づける一つのジェンダー理論であったことが、フーコーを引用して示されるのである。対する〈ゲイ〉は、成年男子のみを社会的存在として位置づける男権支配や年齢秩序とは無関係の自由な性関係として規定されるものであるから、現代における〈精神的なもの〉としての資格を有するということになるのであろうけれど、古来から豊富な労働人口に支えられて社会を維持してきた東アジアにおいては、人口減少、労働力不足がいわれる昨今の時勢から、LGBTを非生産的な人々と位置づける言説が取り沙汰されることになる。これも一つの貧しさの証左であろうけれど、つまるところ、貧しい社会においては、自由や多様性といった、経済効果に換算しがたい超越的な概念を議論するゆとりが生じにくいということをあらわしているようにも思われる。LGBTの人びとも、ややもすると、自分たちにも生産性があるということを主張して、けっきょく議論の核心は生産性の有無に帰着しがちなのであるけれど、してみると、現代における〈精神的なもの〉とは、けっきょくは生産性のことなのであろうか、という気もしてくるのである。これでは自由も平等も生産性の人質のようなものである。当のフーコーは、そうは考えなかったようであるけれど。

以上のことは、すでに拙著『存在と偽装—超複製技術時代の芸術作品Ⅲ~〈〈貧しさ〉の表現としての女性表象①〉*2、『存在と偽装—超複製技術時代の芸術作品Ⅳ~〈〈貧しさ〉の表現としての女性表象②〉*3、『存在と偽装—超複製技術時代の芸術作品Ⅴ~〈〈美的〉表象としての女性表現①〉*4、『西郷隆盛の死は、美か崇高か~2018年の大河ドラマ『西郷どん』について、わたくしに思うところ*5に申し述べたことの要約である。参考にされたい。

 

所蔵館
市立長野図書館(1階)

 

 

ゲイの誕生: 同性愛者が歩んだ歴史

ゲイの誕生: 同性愛者が歩んだ歴史

 

 

p.27 若者宿で性交教育

ムラで若者宿をつうじて高齢の女性からセックスの手ほどきを受けた民俗学者赤松啓介によると、ムラでは13~15歳で公式に性交教育があり、あとは夜這いで練磨したという。13~15歳というのは公式の儀礼におけるものであって、人によっては10歳くらいで女や娘たちから性交を教えられるものもあった。赤松は10歳で教わり、11歳で射精を体験した。12~13歳で風呂や泳ぎで同年の仲間と比較したら太くて大きいのにびっくりしたという(赤松『夜這いの民俗学』、明石書店、1994年、61頁)。

 

p.65~67 男性のホモ行為は文化継承的な行為

プラトン『饗宴』を読むに、成人男性の寵愛を受けるのは、立派な大人になる近道で、自分に似た成人を愛重する青年こそが一人前の男子として政治参加している。

「つまり、男女間のセックスが主を保存する行為だとすれば、男性社会の文化やノウハウを次世代の若年男性へと肉体をもって伝えるもの、それがホモ行為だった。それに甘美な恍惚が伴ったので、女性とのセックスと若い男性相手のセックスを同種の性愛行為と見がちだが、ホモ行為はきわめて精神性の高い文化継承的な行為でもあった」(65~66頁)

 

p.69~70 ホモセクシャルは年齢秩序の中で社会的に認知されていた

「奥義や知恵、そして生きるノウハウが年長者から若年者へと受け継がれるとき、そこに愛情やセックスが挟まれても不思議ではない。身体を媒介にして伝えられる知恵や生きるノウハウとは、男性同士の肉体を媒介にして精液とともに伝達された。高齢者優位という年齢秩序の支配する社会規範のなかでホモが登場するのである」(69頁)

なので年長者が愛し、若年者が愛される。ホモ行為は一方通行的。社会的認知を受けていたから記録もたくさん残された(岩田準一『男色文献書誌』原書房、2002年)。

 

p.76~71 真理は性行為を介して年長者から若年者へと伝授された

夫婦と違って、ホモセクシャルは若年の間だけで、マンネリ化する前に次の関係に移った。フーコーによると

ギリシャにおいて、真理と性とが結びついたのは、教育という形で、貴重な知を身体から身体へと伝承することによってであった、性は知識の伝授を支える役割を果たしていたのである」(フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』新潮社、2003年、80頁)

という。これはホモセクシャルのことで、少なくともホモ行為は教育的な働きをもっていた。こう考えると、若年者から年長者に挿入するタブーが理解できる。文化の流れが逆転して文化は終息してしまう。

 

p.75~77 近代では老人の知恵よりも科学が重視され、年齢秩序は崩壊

近代になって学校で科学が教えられるようになると、若者は高齢者の生きる知恵からは離れるようになる。高齢者だから正しい、若年者だから無意味なのではなく、知識と論理の即物的有効性が問われる。むしろ年齢秩序は近代社会では生産性を損なう。*6

 

p.80 自由の高まりとともにホモセクシャルにかわってゲイが登場

欧州では中世末期から自由と自主性の社会的高まりの中で、ホモセクシャルが白眼視されるようになった。18世紀初頭のロンドンに「モリー・ハウス」という同性愛者の拠点が出現。これがゲイの嚆矢。

 

p.82 近代において同性愛の弾圧は厳しくなった

「十八世紀は(理性の世紀)といわれる。魔術的世界から近代的知性が目覚めたといわれる。英国とオランダでは民主的で、政治的自由を持つ国家ができた。しかし、それとは逆に、同性愛への攻撃や差別はより厳しくなっていく」(海野弘ホモセクシャルの世界史』文藝春秋、2005年、130頁)

 

p.83 前近代は能動と受動で性的主体と客体が括られており、男性と女性の間の線引きではなかった

前近代にあったのは、能動性・受動性の線引きで、挿入する者とされる者の区別があっただけ。挿入されるのは若年男性か女性。挿入する側の男性からすると若年男性と女性に対するセックスは同種の行為だった。

 

p.84 対等な男性同性愛としてのゲイ以前には少年愛異性愛も同じ性愛の括りだった

ゲイの登場により、若年男性は受動性の象徴ではなくなり、能動性をあらわす男性の方へ括り直され、成人男性のセックスの相手から外れ始め、女性だけが受動性の象徴になり、性愛行為の線引きが男女間に移動。アラン・ブレイ『同性愛の社会史――イギリス・ルネサンス』(彩流社、1993年)では、1890年以前のイギリスには同性愛=ホモセクシャルという単語がなく、ゲイが生まれてはじめて同性愛の概念が生まれた。男性への挿入は女性への挿入とは別の行為だと認識され始めた。

 

p.85 年齢秩序にもとづく年少者に対する同性愛としてのホモセクシャルは近代の自由の中で否定された

前近代では強姦でもしないかぎりホモセクシャルは罰せられなかった。しかし、自由の価値が高まると、ホモセクシャルという同性愛は厳しく禁止されるようになった。そして当時は同性愛一般の否定としてそれがあらわれた。近代以前でもキリスト教はセックス自体を肯定的に見なかったし、ソドミーも良識あるものとは見なかった。加えて近代になると、ホモセクシャルは犯罪として取り締まられるようになった。

 

p.86 キスは重要だった

「江戸の遊女は身体を許しても、たやすくキスはさせなかったという。彼女たちの唇は恋する男性のためだけに使われた。そう考えると唇や口を使っての性愛行為は、より精神性の高いものかも知れない」(86頁)

 

p.115 セックスは支配の象徴なので、対等な関係においてはなされなかった

「成人男性は、あるときは女性を相手にし、あるときは若い男性を相手にしてセックスしていた。(…)書生としかセックスしないとか、若い男性としかセックスしないということではなかった。そして、セックスにおける関係性は、両方とも男性支配の表現として、矢印は下向きの一方通行であった。アンドレア・ドウォーキンがいうように、セックスは支配の象徴でもあった。そして、横並びの成人男性同士ではセックスをしなかったのである。(…)挿入される存在とは、女性といい若年男性といい、共に社会的に劣位にある者であった」(115頁)

 

p.116 ペニスに貫かれるのは劣位者

「奴隷は挿入される者でなければならなかった。挿入される者は受け身になる、つまり受動性に身を置くことである。奴隷のペニスを受け入れることによって、市民である成人男性が性的な恍惚に打ち震え、忘我の境地を彷徨うことは市民と奴隷間の社会的な秩序を転倒させることである。そのため社会の支配者で。しかも自由人であるべき成人男性が受け身となって、劣位者である奴隷のペニスに貫かれることは許されなかったのである」(116頁)

 

p.116 勃起と男性器の挿入は能動性の象徴

白人男性が黒人奴隷の女性に子どもを産ませることはしばしばあったが、反対だったら合意でも大きな社会的非難を受けた。それは勃起および男性器の挿入が能動性の象徴だったから。

 

p.117 能動と受動の間に分割線のある社会

フーコーがいうように、能動性と受動性の間に道徳的な分割線が引かれていた社会(フーコー『同性愛と生存の美学』哲学書房、1985年、23頁)では、成人男性が挿入されるというのは、優位者が自ら劣位者に脱することで、社会の年齢秩序に反するとされて社会的な歯止めがかかっていた。

 

p.169 女性同性愛は表象されなかった

「男女の交合図や成人男性が年少男性に挿入している絵画は世界中に残されているのに、女性同士の生々しい性関係を描いた絵画はほとんど見ることがない」。「女色」という言葉がないのは

「おそらく女性は自らを主体とする言葉をつくらなかったのだろう。そのため女性は客体であり、女性は男性相手のセックスしかなかったのだろう。女性のホモが生まれなかったから、男色に相当する言葉は必要なかったのだろう」(169頁)

 

p.171~172 女性は性的主体ではない

女性は財産であり、処女が奪われれば売価は下がる。あたかも物のように扱っていた。「そのため、処女を奪った男性が、その女性と結婚することが責任をとる行動だといわれた」(172頁)。日本ではわずか40年ほど前まで女性は財産で、よって、男の所有物である客体としての女性が、他の女性を侵害することはないし、女性が性的な主体となることもない。*7

 

p.193~194 男性の保護を取り付けるためにフリーセックスは禁圧され

妊娠・出産中に女性が稼ぐのは困難。男性は自分の子どもと思えないと養育しないので、男性に養わせる必要があった。

「不特定多数とのセックスを悪と考えないと、子供の父親を特定できなくなる。だから女性は新たなセックス・パートナーを求めることに慎重だったのだろう」(194頁)

「女性が誰とでも気軽にセックスすることは、男性からの保護を失うことだった。そのため、女性はセックスしたくても自ら男性を誘うことには慎重だった。(…)不特定多数とのセックスを悪とするのは、年齢秩序と性別役割という男性支配の名残だといったら言い過ぎであろうか」(194頁)

 

p.194 結婚や固定的な相手とのセックスはゲイ精神からの逸脱

ゲイは年齢秩序と性的役割にとらわれない。妊娠の恐れがなく、経済的にも自立。相手を養わなくてもよいので、セックスの相手を固定しなくてもすむ。ゲイはセックスのための純粋なセックスを楽しめる。不純な動機が混じらず、性愛は自由。

「新たなセックス・パートナーを探さなくなったり、結婚したりすることは、ゲイがインロー化した証である。固定的な二人でしかセックスをしないのは、ゲイの精神から逸脱しつつあるようにも感じられる」(195頁)

 

p.198 男娼は男性なのに受動的な立場に身をおくので男性社会の怒りを買った

娼婦の場合、人身売買という哀感があり、軽蔑されつつも同情される。しかし、男娼は

「男性でありながら劣位に身をおく者への、怒りともいえる強い蔑視に晒されてきた。男性優位の社会は男性に能動的であれと求めている」(198頁)

 

*1:この用語については、『存在と偽装—超複製技術時代の芸術作品Ⅴ~〈〈美的〉表象としての女性表現①〉』(『ブランチング27-28』所収、クマサ計画、2019年)、あるいは『西郷隆盛の死は、美か崇高か~2018年の大河ドラマ『西郷どん』について、わたくしに思うところ』(『命題論集』所収、第4命題、2019年、web)、『姫の歴史を研究するのは無意味か~戦国時代の女性史を研究することは、なぜ無意味とされるのか?』(『命題論集』所収、第5命題、2019年、web)をお読みいただきたい。

*2:『ブランチング25』所収、クマサ計画、2018年。

*3:『ブランチング26』所収、クマサ計画、2018年。

*4:『ブランチング27-28』所収、クマサ計画、2019年。

*5:命題論集』所収、第4命題、2019年、web。

*6:バートランド・ラッセルは「科学は経験の上に成り立つゆえにこそ、われわれは科学を武器にして経験を予知し、「子供のころから」の経験よりも確実に物事を知ることができる」(ラッセル『人生についての断章』、中野好之・太田喜一郎訳、みすず書房、1979年、28頁)、「(現代のような)環境では、一つ一つの世代が、以前とちがって老年層からの助けなしに、自分自身の生活習慣と将来の可能性を考えなければならない。若者が誤謬を冒すのは当然であるが、老年層が若者のためを思う時に、これよりもさらに大きなあやまちを冒す破目になる」(ラッセル、同書、58頁)と言っている。『人生についての断章』の剳記を参照されたい。

*7:とはいうものの、タテマエであったらしい。服藤早苗『古代・中世の芸能と売買春 遊行女婦から傾城へ』(明石書店、2012年)によると、父や夫が強い力をもっていない非家父長制的婚姻である対偶婚の時代には、女性が夫以外の男性と性関係をもってさして非難されることはなく、それだけで離婚されるということもなかったという(関口裕子『日本古代婚姻史の研究』(1993)、義江明子『日本古代女性史論』(2007)による。31~32頁)。おおむね『万葉集』の時代がそうであったと想定されており、「男女が「主体的」に対等に近く相手を選ぶことができる社会的背景」があったと述べられている(服藤、同書、33頁)。夜這いの習慣が持続していた農村でも、女性が主体となる夜這いが絶対禁止というところは少なかったと赤松啓介は証言している(赤松『非常民の民俗文化―生活民俗と差別昔話―』、明石書房、1986年、182頁)。男性支配の確立されて久しい昭和初期のことであるから、あくまでもムラの女性は男性の支配下にあると見なされていたようだが、隠れて女性から仕掛けたことも少なくなかったという。既婚者にあっても、夜這いによって配偶者以外の異性と性的関係を結ぶことは可能であった。夜這いは公認のもので、それ以外の方法で性的関係を結ぶことは嫌がられたとの由である(赤松、同書、183~184頁)。夜這いや雑魚寝の風習が残っていたところでは、誰の子かわからなくとも、その家に生まれた子はその家の子として育てるという了解が成り立っていた。私も近隣の農村で老婆から同じ話を聞かされたという話を知人女性から聞いた。