南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

ルネサンス修道女物語(J・C・ブラウン)

ルネサンス修道女物語

 

ジュディス・C・ブラウン『ルネサンス修道女物語~聖と性のミクストリア~』、永井三明・松本典昭・松本香訳、ミネルヴァ書房、1988年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

原書はJudith C. Brown, Immodest Acts:The Life of Lesbian Nun in Renaissance Italy(Oxford University Press, 1986)。ベネデッタ・カルリーニ修道女に関するJ・C・ブラウンの論稿。ブラウンはフィレンツェの国立文書館(Archivio di Stato)の目録(「メディチ家雑録」(Miscellanen Medicea))に「ペシアの女子テアティノ会大修院長、ヴェッラーノ出身のベネデッタ・カルリーニ修道女の裁判に関する書類。彼女は神秘家を装っていたが、悪い評判の女性であることが判明した」との見出しを発見し、興味をもったとの由である。その後、ブラウンの研究をもとに、『氷の微笑』等を手掛けたポール・バーホーベン監督がベネデッタの生涯を映画にしようと目論んでいるという話がある。私が本書を手にした21世紀の初め頃には想像もしなかったことである。

けれど、セクシュアリティについて当時の人びとがどのように考えていたのかについて知ることが当時の読書目的であったから、問題となった修道女ベネデッタの伝記的な事柄についてのメモは、ほとんどとらなかった。悪しからずご了承いただきたい。なお、男性同性愛に対し、女性同性愛がほとんど表象されず、記録にも残らなかったことについて、先に紹介した『ゲイの誕生』とあわせてお読みいただくことをお勧めする。

同性愛をめぐる一連の議論では、「自然の秩序に反する罪」ということがしきりに言われるが、これによると、なべて性欲は生殖のためのみに使われるべきものであって、さらに疑似科学的な見解により、男性は同性と異性を性欲の対象とするが、女性は男性のみをその対象とすると考えられていたから、女性同性愛というものが存在するとすれば、もっともはなはだしい反自然的転倒ということになるのである。これが近代になると、少し事情が変わってくる。自然本性的に男女の性とはしかじかのものであるのだから、そこからの逸脱は、本能的な機能が阻害されたものと見なされ、治療と保護の対象と見なされるようになり、ここに新たな管理・支配の様式を生ずることになるのである。しかし、いずれにしても人がその神与の本能とされるものに従わなくてはならないという本質論的な規定は一つの信仰にすぎないから、この議論は、同性愛と異性愛のいずれが社会に効用を生み出すか、その量的な問題、すなわち生産性をめぐる議論に帰着することが多いようである。

被造世界の秩序である自然というものが、合目的的で生産的なものとして、ある種、功利主義的に捉えられた結果(たとえばバートランド・ラッセルは、トマス・アクィナスの説明方式を功利主義的なものと見ていた。徳はそれ自体が目的ではなく、何か別の目的を達する手段として説明されるというのである)*1、実存としての人間という見方は廃棄せられ、セクシュアリティについての、観念的な理解が生まれたもののようである。そこでは、セクシュアリティは規則功利主義によって制限をうける、限界づけられたものとして捉えられざるをえない。

こんにち、同性愛が社会に危害をもたらすものではないという認識がいきわたるにつれ、同性愛者が自らの選好を充足させることに目くじらを立てる人も少なくなったけれど、中世において同性愛を禁圧するためにもちだされた論拠というものは、それなりに合理化されたものであって、これに従うと、合理的な理由があれば同性愛を禁圧してもかまわないという理屈を生ずることになるわけであるから、セクシュアリティを何かを達成する手段として二次的に捉える発想をやめないかぎり、それは常に留保のついたものに留まり続けざるをえないであろう。憂慮すべきことである。

なお、ラッセルがトマスについてどのように考えていたかについては、私見を脚注に出した。参照されたい。

 

所蔵館

市立長野図書館

 

ルネサンス修道女物語―聖と性のミクロストリア

ルネサンス修道女物語―聖と性のミクロストリア

 

  

p.5 女は淫蕩に屈しやすいという観念

「前近代のヨーロッパでは、女性は男性よりもずっと好色で、淫蕩に屈しやすいと考えられていた。こういった当時の観念は、アリストテレスと聖書にはじまる大量の医学、法律、神学の文献によって支持されていた」(5頁)

このことは、ペシアの女子テアティノ会大修道院長、ヴェッラーノ出身のベネデッタ・カルリー修道女の裁判記録の研究中で言及されている。

 

p.6 男性も女性も男性に惹きつけられるが、女性が女性に惹きつけられることはない

「女性が現実に他の女性に魅力を感じうると考えることは、長いあいだ、ヨーロッパ人には困難なことだった(…)。人類のセクシュアリティーに関する彼らの観念は、男根中心的(ファロセントリック)であった。つまり女性は男性に惹きつけられ、男性は男性に惹きつけられるが、女性のなかには、他の女性の性的欲望をずっと惹きつけておけるようなものは、何も存在しないのである」(6頁)

中世において聖俗、教会で裁かれた同性愛の事例のなかで、女性同士の性関係に関するものはほとんど皆無。

 

p.7~8 現実に女性同性愛は存在するが、自然の秩序に反するものと見なされていた

そう考えられていたにもかかわらず、女性の同性愛が存在することにあるていど気づいていて、パウロの「ローマ人への手紙」も女性同性愛を不自然なものとして責めているし、数百年後の註釈でもそう解釈されていた。ペトルス・アベラルドゥス〔1072-1142〕も「自然に反するということは、つまり自然の秩序に反するということである。自然の秩序によれば、女性の性器は男性のために造られたのであり、逆も真である。だから女性は女性と交われないのである」(8頁)としている。

 

p.8 トマス・アクィナス神学大全』における淫欲の4つのカテゴリー

この主題において決定的だったのは、トマスの『神学大全』だった。自然に対する悪徳として、「自慰」、「獣姦」、「不自然な姿勢での性交」、「同性愛」(不適当な性との交接)を挙げている。

 

p.8 反自然の罪としての女性同士の性交

15世紀のパリ大学総長ジャン・ジェルソン(1363~1429、フランスの神学者)は、トマスにならって自然に反する罪の中に「そのために定められている器以外に種をまくこと」と並べて、女性同士の性交を挙げている。

 

p.8~9 結婚・出産イデオロギーに外れた性交は反自然の罪に当たる

フィレンツェ大司教の聖アントニヌス(1389~1459。ドミニコ会士。フィレンツェのサン・マルコ修道院創立者)も、淫欲の9つの罪のカテゴリーの8番目にレズビアンセクシュアリティーを挙げるが、これを自然に反する罪と区別している。反自然の罪とは「子供をつくる自然な場所以外での」男女間の淫行とする。

 

p.9  女性の自慰と同性愛にかかる悔悛の定め

聖カルロ・ボッロメーオ(1538~1584、ミラノ大司教カトリック改革の指導者)は、「もし女性が自分一人で、あるいは他の女性と姦淫したならば、二年間の悔悛をおこなわなくてはならない」と定めた。

 

p.9~10 教会会議でレズビアンを禁止

このように、少数の教会指導者はレズビアンの存在に気づいていたので、修道院では規制の努力が行われ、パリ教会会議(1212年)、ルーアン教会会議(1214年)は、修道女が集団で眠ることを禁じ、寝室に一晩中ランプを灯すように命じた。13世紀以来、修道院会則によって、他の修道女の独居房に入らないこと、院長が検査できるよう扉に施錠しないこと、院内で特定の親しい友人を作らないことが通例定められるようになったが、会則の理由は明言されなかった。

 

p.10~11 レズビアンを等閑視したのは、レズビアンが存在しないという理念を信じたからではないか

世俗の法律がレズビアニズムに触れたのは、神聖ローマ帝国の法典中の一条項および、1574年のトレヴィーゾの法令などで、他にほとんどない。バジェリィ(男色・獣姦)を死刑に定めた英国の1533年の民法レズビアンには言及せず。このようにヨーロッパ人はレズビアンの可能性は知っていたが、それを等閑視するのは、それを信じまいとするほとんど積極な意志の結果ではないか? アタナシウスのものとされる「ローマ人への手紙」第1章26節にも「明らかに〔女性は〕お互いに乗りあったりはせず、男性に身を捧げるものである」としている。

 

p.11~12 レズビアンは存在しない体だったので、その罪人もいなかった

ダンテ『神曲』には、レズビアン行為を犯した人が地獄にも煉獄にも入っていない。

 

p.13 女性の場合、男性の美のほうが女性の美よりも大きな欲望を惹き起こすという理論

16世紀のイタリア作家アニョロ・フィレンツォーラ(1943~1543、文学者)は、『恋愛談義』のなかで、女性の場合、レズビアン行為なら純潔が脅かされないのに、なぜそうしないのかの理由について「この種の愛が好まれないのは、自然の掟によって、男性の美しさのほうが女性の美しさよりも女性の中に大きな欲望をひき起こすからである、という結論に達している。男性の場合も同じように異性に惹きつけられる」(Agnolo Firenzuola, I Pagionamenti amorosi, in Opere, Delmo Maestri, ed.(Turin, 1997), p.97. 初版1548.)

 

p.14 女性同性愛は男女の恋愛への準備段階と見なす説

女性同士の性関係はあったにしても、男性に対する者への準備のようなもので、男性との性交を称揚する目的でしか認められていなかったので、無視してもかまわないと考える者もあった。ブラントーム(1535頃~1614)も、それは大目に見てよいと述べている(ブラントーム『ダーム・ギャラント(艶婦伝)』小西茂也訳、創元社、1952年。原書はPieere de Bourdeille, Seigneur de Brantmôe, Les vies des dames galantes(Paris, 1962), pp.122, 126.(初版17世紀))。

 

p.14 女性同性愛は、男性を模倣しようとしたものという説

レズビアニズムが無視されたもう一つの理由は、自然の秩序によって男性の下位にあるとされていた女性が、単に男性を見習おうとしているだけだと考えられていたことである。ブラントームによると、女が男のようにふるまおうとする性的欲望は男が女性と化して勇気や気高さを減ずるよりもよいとし、女が男歩模倣すれば他の女性よりも多しいという評判を得られる、という(Ibid., p.121)。

 

p.15 アウグスティヌスの生物学的ヒエラルキー

アウグスティヌスは「男性の身体は女性の身体にまさる」という伝統的な生物学的ヒエラルキーについて言明している(St. Augustine, Contra mendacium. Bosnen, Social Tolerance and Homosexuality, p.157)。

 

p.15~16 女性同性愛と自慰の悔悛、男性同性愛より甘かった

タルソスのテオドーロスは、女性同性愛と自慰は三年の悔悛と定めた(15頁)。グレゴリウス3世の悔悛手引書では、女性同性愛について160日の悔悛で、男性同性愛より甘い傾向にあった(16頁)。

 

p.17 レズビアンは死刑

ただし、レズビアンに死刑を定める権威者もいた。

 

p.17 アルビジョワ派との関連を疑う説

教会は伝統的に同性愛を異端と関連づけて根絶しようとしていた。原註209頁によると、アルビジョワ派の生殖否定に由来するものという。彼らの授精恐怖はソドミィに由来すると正統派は考えた。

 

p.19 男性に対する性交との区別

タルソスのテオドーロスは、レズビアンと女の自慰を同一視。男同士の姦淫と自慰は区別した。

 

p.19 自然的性交ができるにもかかわらず、それをしないほうが悪質という説

アウグスティヌスは『結婚の善について』で「性交が生殖のための器でおこなわれないような性行為が、不自然で罪あるものである」と定義。これは男性同性愛と異性間の肛門性交で、後者の方が自然の器官をもっている女性の積極的意思がかかわっているので悪質だとした。

 

p.20 ソドミィは反自然の罪、淫欲は自然の秩序内にある

アルベルトゥス・マグヌスは、女の同性愛についても男の同性愛と同じソドミィとして「自然に反する罪」とした。聖トマスもこれに従い、ソドミィ(男性同士・女性同士の自然に反する罪)を淫欲の亜種「自然に反する罪――生殖を目的としない性快楽」に分類。反自然的で、性行為が快楽だけを目的とし、生殖につながらない者に含めた。トマスによると、反自然の罪は、軽い順に「自慰」(mollita)、「不自然な体位での異性間性交」、「ソドミィ」(Sodomia)、「獣姦」。これらは婦女暴行、姦通などの淫欲(反自然のものではなく、神の創造になる自然の秩序を覆さない淫欲)とは区別された(Summa, Ⅱ. ii, 93 and 94)。

 

p.21 反自然の罪の分類

聖アントニヌス(1459歿)は、淫欲の形態として、「ソドミィ」、「姦淫」、「処女凌辱」(stupro)、「婦女暴行」、「近親相姦」、「汚聖」(聖職者もしくは修道女との性交)、「自慰」、「自然に反する罪」(男女間の肛門性交)に分類。

 

p.21 ソドミィにおける射精を重視

ヴィンチェンテ・フィリウーチョは、男女の自慰(mollitia)とソドミィ(Sodomia)を区別したが、真のソドミィには射精が必要であるとして、男性同性愛を重視した。ジョヴァンニ・ドメニコ・リナルディは上にならい、射精を伴わぬ単なる挿入は淫蕩(stuprum)であるとした。

 

p.22~23 ソドミィの定義とは

どこまでがソドミィかという議論もあった。17世紀イタリアの聖職者ロドヴィコ・マリア・シニストラーリはこれを定義して、誤った器における肉体的性交とし、「異性間の肛門性交」と「女性同士の性交」は含まれるが、身体の他の部分もしくは「物質的器具」を用いた相互自慰は含まれない。指とか生命をもたない物体の挿入は、「性交も交接も存在せず」、これは単なる汚染(mollitiem)であってソドミィではないが、罪の種類は変わらない(Sinistrari, De Sodomia, item 7.)。

 

p.24 ソドミィを極刑とすべき説、当時の女性観

シニストラーリは、ソドミィを極刑とした。その理由は、ソドムとゴモラをほろぼした神の怒りを招かないため、また見せしめのため。女性は淫欲の力は絶大だが、理性は限られているとされたので、聴罪師は慎重に聴き取りをしなくてはならない。

 

p.24~25 名づけえない罪

女性のソドミィは「名づけえない罪」とされた。ジャン・ジェルソンのものとされる15世紀の告白手引書は、それを自然に反する罪と呼び、「名づけようもなく書かれるべきでもない、嫌悪すべき恐ろしい手段によって関係すること」(24~25頁)とした。グレゴリオ・ロペスは「沈黙の罪」(pecatum mutum)と評した(Lopez, Las siete partidas;Gerson, Confessionalou Directorie des confesseurs 15世紀末?)。

 

p.61~62 聖画の役割について

美術史家マイケル・バクサンドールは、ルネサンス期と近世では「画家は聖なる物語を視覚化する専門家であった」(61頁)と指摘。信者が心に描き始めたものに外的形態を与えて信心へと向かわせる。絵画の内容が修道女の幻視にもあらわれる(Baxandall, Painting and Experience, pp.45-47.)。原註221頁には、15~16世紀にかけて、聖画像の正しい描写法についての論考が書かれた。文盲の信者を視覚的イメージで教化するのが重要だったことが証明される。

 

p.115 修道院内の不祥事

シスター・カッサンドラ・カッポーニはフチェッキオの修道院から逃亡。敵対する修道女に殺される危険を訴える。その数年前、同所でシスター・ジュリア・デッラ・ルーナが院内の九歳の少女を鋏で刺殺、別の女性はシスター・カテリーナ・デ・ブルナッチーニに虐待され、井戸に身を投げて自殺(フィレンツェ国立文書館「Regio Diritto」より)。


 

p.213 女性同性愛という主題は無視されてきた

序論・原注(62)。19世紀になっても途方当局は女性が互いに性関係を結びうると考えることを拒否。20世紀でも、レズビアンセクシュアリティーという主題を無視する傾向を示した。フーコーの諸研究もレズビアンにほとんど言及しない。1981年今日でも、ルイス・クロンプトンは「レズビアニズムについて、歴史的視点からはほとんど何も書かれていない」(Crompton, “Lesbian Impunity”, p.11)といっている。

 

p.227 トマスの見解

第2章・原註(35)。

 

p.230 ベネデッタの断食

拒食症(アノレクシア)に似ているが、彼女の場合は、神聖拒食症(ホーリー・アノレクシア)とする(ルドルフ・ベル)。神の目から見てより美しくなろうとする願望。ただ、ベネデッタは拒食症患者とよく似ており、模範的な子供であり、自分の居場所を宗教界に築きつつある時期に発症。強迫行為、手や身体を頻繁に洗う。イブの呪いである月経を取り除くためにベネデッタは断食して浄化しようとしていた。アルベルトゥス・マグヌスやビンゲンのヒルデガルトは断食と無月経との関連に気づいていた。ベネデッタの清潔好きについての証言は、「ベネデッタ・カルリーニ裁判の抜粋」(Abstratto del Processo di Benedetta Carlini)に報告がある。

 

p.238 誰が憑依したのかを明らかにさせる

ジロラモ・メンギの悪魔祓い手引書(16世紀末)では、悪魔祓いを始めるにあたって名前を明らかにさせるよう述べている。名前によって憑依が、神、天使、悪魔のいずれかがわかる。

 

p.238 悪魔つき、乗り移り、魔女

悪魔つき(ポゼション)、悪魔の乗り移り(オブセション)の告発は。16世紀から17世紀前半のイタリア、フランスでさかん。イタリアでは魔女とは区別された現象。魔女は積極的に罪を犯す。悪魔つきは単なる乗り移りとは異なり、より強力に支配するとされた。悪魔憑きの原因、あらわれ、療法については、パウルス5世のまとめた『ローマ典礼儀式書』(Rituale Romanum, 1614)に記載されている。

 

p.240 ベネデッタの憑依現象(悪魔憑き)

病気は憑依によって解消。他人の声や人格に引き受けられてゆく多重人格障害の進行。自分の問題を解決してゆく力が弱まるにつれて、転移に似た症状が前兆となって、ひどい解離反応。矛盾する欲望をなだめられず、自分の姓行為についての罪悪感をもつもう一人の人格によって、受け入れがたいものを切り離した。天使スプレンディテッロのおかげで、ベネデッタとしての価値観や願望を否定することなく望みをかなえる。部分的記憶喪失。人の言葉に影響を受けやすく、聴罪師が「苦痛を受けよ」というと病気に、幻視を許すと幻視を見た。

*1:ラッセルは次のように言っている。「トマス・アクイナスが、一般に受容されているキリスト教の諸規範を、功利主義的な考察によって弁護・支持しているのを観るのはおもしろい」(ラッセル『ヒューマン・ソサエティ――倫理学から政治学へ』、勝部真長・長谷川鑛平訳、玉川大学出版部、1981年、48~49頁)。たとえば、結婚が永続的なものでないとすれば、父親は教育に何の役割ももたない。しかし、父は母より合理的で処罰に必要な体力もあるので、父親は有用。したがって結婚は永続的であるべき。また、きょうだい同士の男女は結婚してはならない。きょうだいの愛と夫婦としての愛が結びついたら、その合計は大きくなりすぎて情熱の過剰をもたらすから、という。そのような論理の妥当性はともかく、「徳を徳そのもの以外の何ものかに対する手段と見なす節が含まれている(…)。その何ものかは「善」と呼んで差支えないであろう」(ラッセル、同書、49頁)。ラッセルは中世の神学者としてのトマスに高い評価を与え、トマスが倫理を説くやり方について、次のように述べている。「宣教師たちは、キリスト教信者の綱領が優秀なことは啓示によってわかる、と主張するかも知れない。哲学者は、他の諸宗教も同じ主張をしていることを認めざるを得ない。神学に訴えるやり方は、哲学においては反則である。哲学は、トマス・アクイナス〔一二二五―七四〕がその『異教徒駁論全書』Summa contra Gentiles四巻のうちの始めの三巻で、啓示に訴えることをすべて差し控えている、あの慎重なやり方に従わなければならない。そこでは、もしわれわれ自身の道徳綱領を、よりよしとするつもりならば、哲学者と同様に、普遍的な訴えかけとなるような理由を見いださなければならず、それは、ただわれわれと同じ神学を分ちあっているひとびとだけに訴えるような理由であってはならない」(ラッセル、同書、44~45頁)。そのやり方は感情に訴えるものではなく、あくまで合理的なものであった。「宗教の偉大であった時代には、人々はトーマス・アクイナスが信じたように、純粋理性はキリスト教神学の基本的な命題を論証できると信じておったから、感情は不必要であった。聖トーマスの神学全集(Summa)はダヴィット・ヒュームのように冷厳なそして合理的なものであった。しかしかかる時代は過ぎさってしまって、現代の神学者は、読者たちに論証の論理的な切実さがあまり厳密に吟味されることのないような心理状態を作り出そうとするために、感情で満たされた言葉を用いることを平気でやっている。感情と感傷による説得は常に都合の悪さを隠そうとする兆である」(ラッセル『教育と社会体制』、鈴木祥蔵訳、明治図書出版、1960年、90頁)。となると、次の審級において問われるのは「合理的な理由があれば、何を禁圧しても許されるのか」ということになるであろうけれど、ここでラッセルは、合理的であるということ、つまり理性的であるというのはいかなることかということを説明する。それは目的を達成するために適当な手段をとるということであって、理性的であるということは目的にかかわるものではないということになるのである。いわゆる目的とは欲望の満足にある、ということが言われるのである。公共の秩序(とされるもの)に対し、個人の感情が不当に低く評価されることがあってはならない。ゆえに、「人間本性の孤立的側面は社会的側面ほどに尊重しなくてもよい、などと言うことはできない」(ラッセル『ヒューマン・ソサエティ』、13頁)ということになるのである。