南山剳記

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マルセル・デュシャン論(オクタビオ・パス)

マルセル・デュシャン

オクタビオ・パスマルセル・デュシャン論』、宮川淳柳瀬尚紀訳、書肆風の薔薇、1990年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

著者のオクタビオ・パスは、メキシコ外交官としてインド大使などを歴任、90年にノーベル文学賞。原著は1978年。『純粋の城』(1966年。Octavio Paz, Marcel Dochamp ou château de la pureté, traduit de l’espagnol par Monique Fong-Wust, Editions claude Givandan, Genè, 1967による)、『★水はつねに★複数形で書く』(1973)を収める。よく私の書いた美術関係の文章は長ったらしくて難解だと怒られるが、長ったらしいのは認めるが、ノーベル賞作家か何か知らないが、コイツの書いた文章の方が私よりよほど不親切であろうから、デュシャンについて無知な者は、これを一読してみるがよい。

さて、パスはいわゆる「大ガラス」の錬金術的解釈に与する一人であるけれど、『マルセル・デュシャン全著作』『マルセル・デュシャン書簡集』などを紐解くに、デュシャン錬金術に言及した箇所は、管見の限り見当たらなかったように記憶している。ただ、この当時、世紀末のオカルト・リヴァイヴァルのなかで、エリファス・レヴィなる者の秘教思想が一世を風靡して、その影響は、デュシャンの友人であったブルトンや、デュシャンが影響を受けたマラルメはもとより、果ては英国のメーソン系薔薇十字結社である「黄金の夜明け」のマグレガー・メイザースを経由してウィリアム・バトラー・イェイツにまで及ぶものであったから、このような秘教的解釈が生まれるのも故なきことではない。デュシャンパトロンであるアレンスバーグからして、ダンテの『神曲』を暗号的に読み解こうとしたり、フランシス・ベーコンシェイクスピアの同一人物説を裏づけるために基金を設立したことなど、19世紀末に出たW・F・C・ウィグストンの『ベーコン、シェークスピア、薔薇十字会員』(W.F.C. Wigston, Bacon, Shakespeare, and the Rosicrucians,1888)の如き方向に関心を抱いていたことは事実のようであるけれど、デュシャンはアレンスバーグの研究を一笑に付している。デュシャンと西洋神秘主義の関係について、デュシャン関係の訳書では本邦において右に出る人のない成城大学の北山研二教授にお話を伺ったことがあるが、それについてはチトわからんというご回答であった。

さて、そのあたりのことはおくとしても、いささか意表を突くようなデュシャンの言葉についてのパスなりの解説があって、ところどころ、理解の助けになりそうな箇所がないでもないので、現代美術にアレルギーをお持ちの方は、これを読んでますます現代美術嫌いになっていただければ本望である(笑) インタビューなどで語られたデュシャンの素の言葉を読まされてきた者からすると、パスの説明には、なるほどと思わされるところがなくもないのである。

私個人として重視したいのは、本書が次の二点について言及していることである。第一に、印象派以降に進んだ絵画の網膜化(もっとも、この現象はおそらく遠近法の発明とともに始まったものであろう)にデュシャンが反発していたという点、つまり、抽象表現主義(より厳密にはこの芸術運動を定義したグリーンバーグの理論ということになるのだが、デュシャンはその点に言及していないように見える)において廃棄された標題性・文学性の復権を通じて、絵画の機能を問い直したという点。第二に、〈レディ・メイド〉における物体崇拝から〈身振り〉(行為)への芸術作品における核心の移行という点である。この2点については、いささか丁寧に抜き書きしたが、あとは興味関心の寄せ集めで、断片的な単語メモのようなものにすぎない。あしからずご承知おき願いたい。なお、私の考察は脚注に出した。本文中の画像は、本書からとった。

 

所蔵館

市立長野図書館

 

関連項目

バルテュスとの対話』(バルテュス、コスタンツォ・コスタンティーニ)

 

マルセル・デュシャン論

マルセル・デュシャン論

 

 

 

「純粋の城」

 

p.7 デュシャンにおける近代的な作品概念の否定

「近代絵画はマルセル・デュシャンパブロ・ピカソという両極の間で生きてきた。この二人はおそらく今世紀にもっとも大きな影響力を及ぼした画家であった。ピカソは彼のさまざまな作品によって、デュシャンはひとつの作品……それも近代的な作品概念の否定にほかならない作品によって」(7頁)

 

p.8 『グリーン・ボックス』の覚書

大ガラス(大遅延)について「タブローあるいは絵画の代わりに遅延を使うこと。ガラス上のタブローはガラス上の遅延となる―しかしガラス製の遅延はガラス上のタブローを意味しない…」。パスはこれを「イメージに関する考察」「速度の分析、解体、そして裏側」と説明。*1

 

p.9 絵はすぐやめた。網膜的な絵画との決別と、観念としての絵画のはじま

デュシャンが描いた絵は五十点にも満たず、それらを制作したのも十年足らずのことであった。彼は普通にいう絵画を二十五歳以前にやめてしまったのである。たしかに、彼はさらに十年間《描き》つづけはした、しかし一九一三年以降に制作されたものはすべて、《絵画としての絵画》に《観念としての絵画》を置きかえるという彼の試みの一環をなしている。彼が嗅覚的(テレピン油の嗅いから)で網膜的(純粋に視覚的)と呼ぶ絵画のこの否定は、彼の真の仕事のはじまりであった。それは作品のない、つまりタブローがない仕事である」(9頁)

 

p.10 あらゆる芸術は観念の領域で生まれる

デュシャンは、視覚芸術も含めて、あらゆる芸術がある目に見えない領域で生まれ、終わることをわれわれに示した。本能の明晰さに彼は明晰さの本能を対置した、つまり目に見えない者は不明瞭でもなければ、神秘的でもない、それは透明なのだ……(…)」(10頁)

 

p.13 マラルメ

デュシャンマラルメへの言及は偶然ではない。パスは『階段を降りる裸体』と『イジチュール』の間に共通性を見る。女性=機械のゆっくりとした動きの中に、イジチュールが自分の部屋を永久に去り、祖先の地下墓へと続く階段を一歩一歩降りてゆく荘厳な瞬間への応答を見る。

 

p.21 大ガラス

1912年夏、デュシャンはしばらくミュンヘンで過ごす。その時、錬金術の用語を用いることが許されるならば《大作品》(マグヌム・オプス)を構想する。1912年から13年に大ガラスの計画にとらわれる。その頃、大ガラスのノート、デッサンなど多く残される。それらの草稿をデュシャンは「楽しき物理学」と呼ぶ。「二つの似通った事物を認める(同一と認める)可能性を失うこと」(こことそこ、東と西などの概念を解体、中心を持たない未決定の状態)を提案、「それら自体と単位によってしか分割しえないような最初の語の探求」(『グリーン・ボックス』)。*2

 

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マルセル・デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称「大ガラス」、1923年)

 

p.21 ローズ・セラヴィ

アンドロギヌス的名のもとに地口(語呂合わせ)の作品を生み出す。

 

p.25 NY移住

1915年に戦争を避けて反響のあったNYに長期滞在。1918年に数ヶ月、ブエノス・アイレスで暮らす。1918年、パリへ戻る。第二次大戦中にNYに定住。ティニー・サトラーとの結婚。

 

p.26 グリーン・ボックス

1934年に93点の資料、『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』の色刷りと、1911年~15年までの写真、デッサン、覚書を含む。これらは大ガラスの(不完全な)鍵である(大ガラスの確かではあるが錬金術的な案内書(87頁))。

 

p.28 趣味の拒絶

デュシャンにとって良い趣味は悪い趣味に劣らず有害である。両者の間に本質的な違いなどないことをわれわれは知っている――昨日の悪趣味は今日の良い趣味である」(28頁)。趣味とは何か。美しい、醜い、すばらしいとは思っても、その存在理由、できぐあい、製法、仕様などを確実には知らないものとしての商標。プリミティブたちには趣味がなく、本能と伝統をもつ。いくつかの原型をくりかえすだけ。おそらく趣味はルネッサンスの頃に生まれ、バロックに自覚された。18世紀において、それは宮廷人を他から区別するしるしとなり、19世紀には成り上がり者の目印となった。宗教芸術の消滅と同時に趣味が生まれた。その興隆と至上権は、なによりも芸術品の自由市場とブルジョワ革命のおかげである。

 

p.29 印象主義以来、絵画は網膜的なものになった

「実際、趣味は検査や価値判断を拒否する。それは通(つう)の仕事なのだ。それは本能と流行、スタイルと処方との間を揺れ動く。それは、官能的な意味において、また社会的な意味において、芸術の表皮的な観念である。つまりくすぐるような快さと区別のしるしなのだ」(29頁)

第一の場合、それは芸術を感覚に還元する。第二の場合、それは神秘的で恣意的な現実にもとづいた社会的ヒエラルキーを導入する。この現象は今日いっそう際立っている。印象主義以来、絵画はマチエール、色彩、デッサン、テクスチャー、感受性、官能性だけのものになってしまった。《レディ・メイド》は《網膜的》に手わざの芸術、《腕》の迷信を告発した。

 

p.30 レディ・メイドは一瞬、無意味化される

《レディ・メイド》は、もとのコンテクスト(有用性、プロパガンダ、飾り)から立ち退き出て、突如どんな意味作用も失い、空虚な物体、なまの事物に変わる。しかし、それは単に一瞬のみ。「人間によって加工されたあらゆる事物は意味を発するという宿命的な傾向をもっている」から「新しいヒエラルキーの中に収まる」。*3

 

p.30~31 物体崇拝から、身振り崇拝への移行

《レディ・メイド》はすぐ鑑賞の対象になるため、修正の必要がある。アイロニーを注入することで無名性と中立性を保つ。物体からそらされて意味作用やそれに伴う賞讃や否認が作者の方に向かうのをどう妨げればよいか。《レディ・メイド》は作品ではなく、デュシャンのみがおこなえる身振り。「物体の崇拝から身振りの崇拝への移行は知らぬ間に、瞬時に起こる」(31頁)。しかし、そこからデュシャンは抜け出して、環の中にわれわれだけが閉じこめられる。

 

p.31~33 署名という身振りについて

《レディ・メイド》と同じく、カイヨワによると、中国人は魅惑的な石に署名して芸術作品に変えたと指摘。日本人はさらに禁欲的に、単なる丸い石を選んでコレクションにした。美しすぎたり、奇怪すぎたり、突飛であったりすることを嫌い、単なる丸い石を好む。ひとは、自然が創造的であることを断言する。中国人は自然と自分の同一性を断言し、自らの名を記すという身振りでこれを賞讃する。デュシャンは自分の還元不能な差異を、署名によって批評して、物体のもとの意味を引きはがす。

 

p.34 アイロニーによって製品の有用性を否定

デュシャンは自然や楽園にノスタルジーをもっていないが、技術を賛美することもない。アイロニーの注入は技術を否定し、製品は《レディ・メイド》によって役に立たない事物になるからだ。

 

p.36 レディ・メイドの選択

「未来のあるとき(しかじかの日、しかじかの時、しかじかの分)のために《レディ・メイドを登録する》ことを計画することによって。そのとき重要なことはしたがって時間が決められていること、瞬時性である。…それは一種の会合の約束だ」

 

p.38 大ガラス、地口

パスは「裸にされた」(mise à nu)が「死刑執行」(死刑に処す mise à mort)を連想させると指摘。大ガラスは高さ2.7m、幅1.7mの二重のガラスで、油彩で塗られ、鉛の針金で水平に二つの等しい部分に分けられている。上は〈花嫁〉の部分。灰色がかった雲がたなびくのは〈銀河〉(39頁)。「グリーン・ボックス」は「花嫁は一抹の悪意をもって純潔」と明記(58頁)。大ガラスはブルジョワジーの出現、芸術作品の自由市場、趣味の優越によって中断された西洋絵画の大伝統を継ぎ、宗教画家たちの作品と同じく記号であり観念。同時にその伝統とも絶縁する(63頁)。グリーン・ボックスにおいて花嫁はしばしば「雌の縊死体」(Hanged womanハングド・ウーマン、Pendu femelle)と呼ばれる。

 

p.46 「大ガラス」にみられる大衆的な時代精神と芸術の和解

「ジャン・ジュステルとのインタビューで、デュシャンは彼のタブローの起源をつぎよう〔訳文ママ〕に語っている、「〈花嫁〉の主題は縁日の小屋から発想されたと思う……そういう小屋でしばしば婚礼の人物を象ったマネキンが並んでいて、客が投げるボールがうまく当たるとクビが落ちたものだった」。〈花嫁〉はマネキンである。ボールの投げ手は彼女の独身者たちである。〈眼科医の証人〉は公衆である。〈上部の掲示〉は得点表である。男たちを制服の独身者たちによってあらわそうとする考え方もまた大衆的だ。独身者は彼の男性機能を無疵のままに保っている、それに対し結婚した男はそれを散らせ、そのために女性化する」(46頁)

パスによると、このような当時の大衆的表象、大衆的な時代精神の反映によって、デュシャンは「公の画家」であり、対して、同じようにある種の観念を描いた同時代のシュルレアリストカンディンスキーのような画家は、個人的な空想に留まっていたために私的な画家として区分されている。デュシャンが抽象表現主義を網膜的として認めなかったことも書かれている。

 

p.59~60 文学的であることは問題ではない。脳の理解衝動に関わる絵画

「大ガラス」について『聖母被昇天』を敷衍したと見て、ルネサンスの宗教画との比較を試みる。

「つまりこのコンポジションは、それなりに西欧絵画の大伝統をつぎ、そのことによって、印象主義以来われわれが絵画と呼ぶところのものにもっとも乱暴に対立するのである。デュシャンは彼を動かした意図についてしばしば語っている、「私の意図は眺められるべき絵をつくることではなく、絵具のチューブがそこでは目的としてではなく付属品として用いられているにすぎないような絵をつくることだった。それが文学的と呼ばれる事実は全く問題にならない。それというのも文学的という言葉のもつ意味はきわめて広汎で、全く説得的ではないからだ。……網膜にしか訴えかけない絵画と、網膜を越えて進み、絵具のチューブをもっと先へ進むための踏台として使う絵画とでは大変なちがいがある。後者はルネッサンスの宗教画家たちの場合だ。絵具のチューブは彼らの興味をひかなかった。彼らの興味をひいたのはなんらかの形で彼らの神の観念を表現することだった」。」(Conversation avec Alain Jouffroy, dans Une Révolution du Regard.)

単に網膜によってではなく、灰色の物質(脳)によって理解されるべき絵画をめざしたということが書かれている。

 


「★水はつねに★複数形で書く」


p.64~65 錬金術の木

図版に16世紀の「錬金術の木」。

 

p.72 アートの秘教主義

デュシャンにとって芸術とは陰謀家たちの間のメッセージのように分かち合われ、伝えられなければならない一つの秘密。

「絵画は今日のぞむがままに通俗化してしまった。誰も数学者同士の会話に口をはさもうなどとしないのに、夕食の席上で、ある画家と別の画家との優劣について長々とした会話をきくのはまったく普通なのだ。ある時代の産み出すものはつねにその凡庸さだ。産み出されていないものは産み出されたものよりもつねにすぐれている」

「画家は現在の社会に完全に組み込まれていて、もはや社会の除け者の類いではない」(72頁)

デュシャンの言葉の引用。

 

p.78 芸術と時空

「芸術は時間も空間も支配しない領域への出口だからである」(78頁)

 

p.84 遺作

与えられたとせよ
(1)滝
(2)照明用ガス

決定すべき諸条件

瞬間的な静止状態(あるいは寓話的外観)、
ある種の法則のもとで
一見互いを必然たらしめるようにみえる
一連の(一群の)さまざまな事実の。
それによって、一致の記号を分離することができる、
片方はこの静止状態(無数の離心率に耐える)、
もう片方はそれらの法則によって正当化され
かつまたそれらを決定する
可能性と選択の間の。
               (84頁)

 

p.89 フィラデルフィア美術館の遺作

フィラデルフィア美術館のデュシャンの大部分の作品が集められ、大ガラスがその中央を占める大ギャラリーの向こうにある。低い戸口を通ってこじんまりした部屋に入ると、そこには完全に何もない。漆喰を塗った四方の壁に絵一枚かかっていない。窓もない。突き当たりの壁に、上がアーチ型になった煉瓦の門にはめ込まれて古い木の扉があるが、それは虫に食われ、修繕され、木製のぞんざいな閂がかけられ、頑丈な大釘がいくつも打ち付けられている。扉の左上の隅に小さな窓があるが、ふさがれている。扉で行き止まり。だが、そこで近づいてみると目の高さに二つの覗き穴。広々として煌々とした光景。裸の少女が火葬用の薪のような枝や木の葉のベッドの上に体を伸ばし、左手にランプを持っている。ずっと右手の岩の中に滝の光。壁にアサンブラージュのタイトルが固定されていて「『与えられたとせよ(1)落ちる水、(2)照明用ガス』(1946-1966)」とある。この文章から始まるものがグリーン・ボックスの序文のタイトルであり、上記の疑似科学的な文句。グリーン・ボックスは大ガラスと遺作を結ぶ。

 

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マルセル・デュシャン『与えられたとせよ(1)落ちる水、(2)照明用ガス』(通称「遺作」、1946~1966)

 

p.89 「遺作」は「大ガラス」を具体化したものという説

「大ガラス」の「ガラス製の遅延」とは音楽でいう掛留音のことで、その和声的解決はフィラデルフィア美術館のアサンブラージュ「遺作」において、裸の「花嫁」として具体化する。

 

p.94 ロマンティック・アイロニーは滋養=毒

ロマン主義アイロニーは、ほぼ二世紀にわたって西洋の芸術と文学の滋養=毒になってきた。滋養であるというのは、ボードレールの定義した「現代の美」の酵母であるからだ。奇怪なもの、独特なもの、というか。むしろ、つねに人間の偶発性の意識、死の意識であるアイロニックな主観性によって引きちぎられる客観性。毒であるというのは、古代人の美に対する「現代の美」がみずからを破壊するべく呪われているからだ。存在し、その現代性を主張するために、それはつい昨日は現代であったものを否定する必要に迫られる」(94~95頁)

 

p.97 遺作の制作と搬出

デュシャンは様々な折に現代芸術を取り囲む公開性を非難し、芸術家は地下に潜るべきだとした。そこで妻であり親友であるティニーに秘作のアサンブラージュの制作を手伝わせつつ、46年から66年まで最初は14番街のアトリエで、のちに11番街の高層ビルのつましい一室で休むことなく仕事。1969年の初め、彼の死の3ヵ月後、アンヌ・ダルノンクールとポール・マティスが分解、フィラデルフィア美術館へ移して組み立てた。デュシャンは綿密な指示、図解、100枚以上の写真からなるノートを準備。

 

p.116 雌の縊死体

雌の縊死体(ハングド・ウーマン)(Pendu femelle)

 

p.121~125 過去の芸術作品

ふつうデュシャンは宗教的イデアの具現である過去の作品を賞賛。

「網膜の戦慄! 昔は、絵画はほかの機能をいろいろもっていた。宗教的だとか、哲学的だとか、道徳的だとか…われわれの世紀はぜんぶ完全に網膜的になっている。ただしシュルレアリストだけはなんとかその外に出ようとしたわけだが。ところがそれでも、彼らはあまり遠くまでいかなかった!」(邦訳『デュシャンの世界』)(125頁)。*4

 

*1:グリーン・ボックスでデュシャンは「ガラス製の遅延」(retard en veree)が大ガラスのサブタイトルであると説明。彼は遅延(retard)という語がもろもろの意味の「未決の結合」において理解されなくてはならないとつけ加える。パスは辞書を引き、遅延が和声法上の掛留を意味し、その解決がフィラデルフィアのアサンブラージュ(遺作)とみる。大ガラスにおいて待機させられた音は遺作を見ることで解決される。その解決は解答ではなく、大ガラスの花嫁の実現である具体化された裸の花嫁(89頁)。

*2:「東と西」という概念は、アートとアンチ・アートと同様に、一見して中心をはさんで二方向に対置される関係性のようだが、アンチという否定は、当の否定される肯定命題を否定命題のうちに取り入れて保存する奇妙な性質をもっている。「西」の否定である「西ではない」という言明は、当の「西」という概念を消去するものではないのである。このように「西ではない」ところにも「西」が含みもたれてしまうことによって、西と東を絶対的に位置づけることはできなくなってしまうのである。この否定の論理の問題は、フレーゲヴィトゲンシュタインの系列において考察されたことであるが、デュシャンも「アートとアンチ・アートは結局おなじことを言っている」という言葉で、このことに言及している。しかし、現実、三次元の時空において西と東が一所に結びつくことはないし、過去と未来が同時に到来することもない。だが、無意識的な連想や夢の虚構の中では、このような結合が可能となる。この否定のアナロジーから言えるのは、三次元の枠を超えて四次元から時間と空間を見渡した場合、三次元において分割されるものが、一所に記述可能なものとなる、ということである。デュシャンは数学好きで、四次元に関心をもっていたことはよく知られている。平面に引かれた閉曲線が平面を内と外に分割することはジョルダン曲線定理から知られているが、この分割は三次元のトーラスでは成立しない。このように次元を一つあげることで、閉域に抜け穴が生じてしまうのである。もう一つ、「大ガラス」が四次元の三次元における射影であるとされることについて考察するならば、三次元から二次元への投射と同じく、その像は情報の劣化した不完全なものとならざるをえないであろう。影絵を見ればそのことは容易に理解されるに違いない。二次元に投射された写像は、色のないただのシルエットとなる。〈原像〉が人の手真似であるのか、ただ形を切り抜いただけの厚紙であるか、洞窟のイドラの喩えのように、わからないのである。ということは、「大ガラス」の不可解な表象が実際なにであるかを知らんとすれば、やはりもう一つ次元をあげたところからこれを俯瞰しなくてはならないのである。「大ガラス」の図像が「遺作」として理解可能なものに復元されるというのは、いわば〈原像〉を知るということなのであろうけれど、その方策として、デュシャンは作品に〈時間〉を導き入れた。要するに、これが「大ガラス」が「ガラス上の遅延」と呼ばれる所以だというのであるけれど、手真似の影絵の〈原像〉を知らんとすれば空間をまわりこんで全体を確認しなくてはわからないように、「大ガラス」の〈原像〉を知らんとすれば、時間をまわりこんで全体の認識に至らなくてはならないという、知的なアナロジーということであろうと思われる。なお、拙著『アートと思考② ~裸にされた花嫁としての松田朕佳、さえも』(『ブランチング3』所収、クマサ計画、2012年)にこのあたりのことをいささか書いたけれど、正直、若書きの作文ゆえ、パス以上に何を言っているのかよくわからない文章で読むには値しない。参考にとどめさせていただく。

*3:ハイデガーによれば、道具は眼前的な事物として述定化されるものであるが、このデュシャン論においては、芸術作品も人工物として、ある種、述定可能な意味作用を蒙るものとして、一つの道具の如きものになるのである。道具的意味が脱落したのも束の間、別の人間的な意味をまとうのである。ハイデガーにおける意味の圏内は有用性の圏域とほとんど重なっているように見えるが、デュシャンはこの考えをさらに徹底して、無用物としての芸術作品の永続性という概念(道具存在は道具としての存在様態が全面化するほどに有用なものとなり、有用性のうちに消耗され、不要になれば捨てられる。道具の意味はそこで尽きているのである。芸術作品の存在様態は、それとは異なって永遠のものである)を否定したもののように思われる。もっとも、デュシャンの見解はそれだけでもなくて、逆に各時代に保存の優位を勝ち得た作品についての言及もあるのだけれど、あまりいろいろ書くとパスの論が成り立たなくなるような気もするので、このあたりでよかろう。

*4:このあたりの事情については、既出『バルテュスとの対話』の剳記を参照のこと。