南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

芸術と創造的無意識(エーリッヒ・ノイマン)

芸術と創造的無意識

エーリッヒ・ノイマン『芸術と創造的無意識』(ユング心理学選書6)、氏原寛・野村美紀子訳、創元社1984

剳記一覧 :: 南山剳記

 

【服部 洋介・撰】

 

解題

著者ノイマン(Erich Neumann、1905~1960)はユングの高弟で、深層心理学の基礎を築いた一人。本書はそのKunst und schöpferische Unberwusstes, Rascer Verlag; 1954の全訳。巻末の解説によると、ノイマンは1905年生まれ、1927年にベルリンで哲学の博士号をとり、1933年に医師の資格試験に合格したとある(Wikipediaには、エアランゲン大学で哲学博士号とある。どちらが正しいのかはよくわからない)。1934年と36年にチューリッヒユングのもとで研究に従事、ユング派の分析家としてエラノス会議でも活躍、1960年に没した。どちらかというと、その業績は臨床面より理論面に顕著とされる。*1

さて、この頃は、まだ前代の天才崇拝の余韻が残っていたのか、ノイマンの芸術論というのは、ほとんどロマン主義を論じる哲学者の風で(バーリン卿は、ベルクソンの観念にあってシェリングのうちにないものはほとんどないと言ったが、ユング派の芸術理論もシェリングを思わせるものである)、芸術家というのは、いわば「超個人的なもの」にアクセスした「聖なる狂人」なのである*2。曰く、芸術家はその預言者的な性格から、その時代精神に最も欠けたものを作品として時代にもたらすのであるが、このようにして日常性を超えるとき、彼らはその時代の外的な文化規範を参照するのではなくて、直接に自身の内的な体験から新しいイメージを生み出すのであって、この内的体験は現実の体験とは直接に関わらない、「超個人的なもの」に由来する体験だというのである。この「超個人的なもの」をふつう「集合的無意識」と呼んでいる。ユングはこれを次のように定義している。

 

集合的無意識とは心全体の中で、個人的体験に由来するのではなくしたがって個人的に獲得されたものではないという否定の形で、個人的無意識から区別されうる部分のことである。個人的無意識が、一度は意識されながら、忘れられたり抑圧されたために意識から消え去った内容から成り立っているのに対して、集合的無意識の内容は一度も意識されたことがなく、それゆえ決して個人的に獲得されたものではなく、もっぱら遺伝によって存在している〔個人的無意識がほとんどコンプレックスから成り立っているのに対して、集合的無意識は本質的に元型によって構成されている〕。*3

 

なるほど、創造的なイメージがある特異な心理状態から生み出されるという言明は、経験的には真らしく思える。そうして意識上にもたらされたイメージの内容、ないし創造性の全体というものが、漸次あらわれでてくるような種類のものではなく、ときに突発的に、あたかも一夜にして作品の外観を激変させることがあるということも、同様に真らしく思われる。大芸術家ともなると、常にこのような内発的な力と外界の矛盾と格闘し、無意識的なものを自覚的に統御して、無時間的で永遠の、超越的な芸術作品を生み出すというのである。

このような意味で、創造的な経験というものは、他の日常的な経験とは様態を異にする特殊な経験ということができるのであるけれど、このような状況をユングは元型的なそれと呼んでいる。元型〔archetypus〕とは、集合的無意識の原古的な型のことで、「太古から存在している普遍的なイメージ」*4である。したがって、この種の芸術家を調べれば、その作品中に、大昔から受け継がれたある〈型〉 が見出されるはずである。それはあらゆる文化に普遍的に見られるシンボルであったり、物語においてくりかえされる同一のモチーフであったりするわけだけれど、肝心なのは、それが個人的な創案になる意識の産物ではなく、人類共通の普遍的な無意識に由来する生得的なイメージであるという主張にある。それは単に先行する表象から知識として学ばれるものではない。たとえばユングは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「禿鷹シンボル」を扱ったフロイトの論文を引き合いにして、レオナルドが当時の教養人に読まれていたホラポルロの『象形文字』からこのシンボルを知った可能性について言及している*5。なるほど、禿鷹シンボルは元型的なモチーフではあるけれど、レオナルドがそれを文献で知っていたとすれば、それは単に文字で書かれた情報を摂取しただけのことであるから、そのような図像が、人類が普遍的かつ先天的に保有している心理的イメージのあらわれということはできないのである。まして、互いに何の影響もないところで、元型が時間不変的に世界のあらゆる文化において発現しているということを証明しようにも、クリーン・ルーム内の実験とは異なるので、科学的には困難を伴うであろう。

そうしたわけで、純粋なフォームに注目する現代美学の洗礼を受けた研究者の中には、芸術を語るのにフロイトはもちろん、ましてユングだのはさらにご法度という人もいて、この連中の理論をもちだしたら最後、学問の体が保てなくなると考えられているもののようである。アートの解説をする者が精神分析だの、分析心理学だのの理論(つまり、個人的なものであれ普遍的なものであれ、目に見えない無意識を原理とする理論)に頼っては、ただの憶測に堕してしまう、というわけである。とりわけ日本では、精神分析はさして陽の目を見なかったけれど、どういうわけか、文化庁長官までつとめた河合隼雄は日本初のユンギアンであった。ユングと同じで、幼いころから感受性の強い人であったらしい。なお、生物系を標榜する東大医学部の精神科では、精神分析は敵視されていたもののようで、本邦における精神分析研究は慶應義塾大学を中心に発展を見たもののようである。もっとも、古沢平作は東大の脳研究室に日本における精神分析の拠点を置こうと考え、当時の精神科主任教授の内村祐之の賛意を取りつけた。慶應が主流となるのは、1954年以降のことであるといわれる*6

学生時代、私は個人的に女子美術大学村山久美子教授(芸術心理学、当時は助教授)に教えを受ける機会があったが、彼女が若かりし頃には、フロイトユングもまったく教わる機会がなかったと嘆かれていた。もともと実験系の心理学を専攻された先生であるから、むべなるべしとも思われるけれど、芸術家の創造性に関する研究もされていたから、私がお話を伺った頃には、力動系の臨床家のようなことも仰っていた。友人の絵を題材に絵画投影分析などをして議論したものである。当の私は、高校の現代文の試験でさんざん深層系の心理学テキスト(フロイトユングアドラーなど)を読まされてきたから、フロイトだのユングだのは、当時におけるほとんどブームであった。かくいう私であるが、高校時代、とにかくよく授業をサボっていたので、しまいには職員室に呼び出され、そこで「アニマ・ムードに取り憑かれていますので」と、ユングばりの自己分析を披露して、担任を呆れさせたという次第である。

本書は、芸術家の超越的性格を力説するもので、芸術家諸君が泣いて喜ぶような内容になっているけれど、いささか芸術家の天才神話が独り歩きしているような感もなきにしもあらずで、現代の歴史学の進歩から見るに、内容的にいささか古びたものとなっている。たとえば、ベートーヴェン交響曲の意義というものを、その音楽的天才に求めるような見方は、こんにちではいささか安易に過ぎるような気もしないでもない。今や、大交響曲の普及ということに関して、作品そのものが果たした役割は比較的に小さなものであったという考え方が提起されるようになっている。しかし、ノイマンの理論からすると、文化・社会の分野における新思潮というものは、当代の時代精神を補償する集合的無意識の働きによって生み出されるものであるから、今度は、民衆における音楽聴取の態度を変化させることに大きな役割を果たした哲学者や文学者というものが、預言者的な天才としてフォーカスされることになるであろう。しかし、この〈起源探し〉に絶対的な正答が存するか否か、疑問といえば疑問である。もっとも、ノイマンの立場からすれば、当時の時代精神の限界を突破して、ベートーヴェンの芸術作品が今なお評価されているということが重要なのであって、19世紀初頭の経緯はさして問題ではないのかも知れない。これこそが現前する「芸術の超越」の証拠とされるからだ(なお、ノイマンベートーヴェンらしき人物に言及しているのは本書では1カ所のみであって、詳細なものではない)。

いまひとつ、オランダ絵画の黄金時代に出現した風景画の傑作を例に考えてみよう。それを描いた芸術家が、神話画や歴史画を頂点に位置づける当時の時代精神に反発し、その天才的直観をもって近代の精神を先取りしていたと見るべきか、単に富裕な市民が力をもったオランダ社会において、新たに画家のパトロンとなった市民層が、彼らの見慣れた北ヨーロッパの広々とした海洋風景を好んだことが、地誌的風景画の発達を促したと説明すべきか、われわれはどちらの説明に納得を感ずるのかという問題である(どちらの説明も卵と鶏の関係で、けっきょくは何も説明していないのではあるけれど)。前者は著名な偉人の天才性を重視する傾向にあるけれど、たとえばアナール学派をかじった人であれば、(いささか退屈を感ずるかもしれないけれど)そのような解釈に同意しないだろう。時代に画期をもたらした社会構造の変化、それを促した技術の革新などに、文化表象の移り変わりの背景を求める考え方もあるのである。

もっとも、その点はノイマンも自覚していたようで、芸術家がある時代の文化に欠けていたものを補い、次の時代精神を先取りしてゆくという説明が結果論にすぎないという批判については、理解していたもののようである。すべての文化のすべての芸術をそのようにして理解できるのか、ロマン主義以前の芸術についても同じような解釈が成り立つのか、一応、疑問としておかなくてはならない点であろう。このあたりは、ガダマーが『真理と方法』で一考しているところである。そこでノイマンも、本書が考察の対象とするところを20世紀前半の同時代美術に限定せざるを得なかった。ノイマンの説にしたがえば、少なくとも現代の芸術家というものは、まず当代の社会制度や価値観に肯ぜず、かつ、その作品が元型的なものを表出し、かつ集合的なものを個人のうちに統合したと見なされる人に限られるので、そのようなものが芸術だと一方的に言われても、いかがなものかという意見が出るのも事実であろう。ノイマンからするとシャガールはよくてダリはクソだということになるのだが、私からすればシャガールもダリもナンボのモンか、大して興味はない(マグリットにはいささか興味を覚えるけれども)。芸術の永遠性にかんする真理問題のあたりから、ノイマンの話はまったくよくわからなくなる。けっきょく、ダリはたんに俗悪な個人的無意識の表現者であり、シャガールは時代を補償する真の芸術家であったという言説がよくわからなくなるのは、「時代の補償」という概念が十分に定量化されていないためである。シャガールが何をして、時代がどのように補償されたのかという説明変数と目的変数の関係が今ひとつ不明瞭であるし、ことによっては説明変数と目的変数の取り方がさかさまであるかもしれないから、そうなると、シャガールの位置づけというものも、せいぜい時代の一現象というようなところへ格下げせざるをえないものとなるであろう。

とはいえ、芸術が教会や宮廷に従属していた頃でさえ、いわゆる芸術家というものが、たんに芸術という分野に特別な才能を発揮するだけの平均的な人間であったかというと、それはそれで疑問が残るものである。もちろん、たんに絵が得意であったとか、彫刻がうまかったとか、音感に優れていたというような、それだけのことで偉大な作品を残した人もいたには違いないであろうけれど、往々にして風変わりな人も少なくはなかった。これは芸術家に限らず、その時代の偉大なる変人すべてに当てはまることで、政治家でも哲学者でも軍人でも科学者でもよいのだけれど、元型は造形的なものとして表出されるというユング派の理論からすると、そのようにして生み出された芸術作品を、臨床的に観察された元型的状況にある患者たちの作品と比較することが重要視されたのであろう。

そのようなわけで、〈創造的な〉人間といえば、多くの人は芸術家を思い浮かべるのであろうけれど、病跡学の対象とするところは、芸術家のみにとどまらない。上に挙げたように、すべての〈創造的な〉人たちの内面や行動というものを記述的に追っていくことで臨床的な知見を積み重ね、何らかの了解をめざすということが、病跡学の目的である。ある種の創造性の発現というものが、きわめて特異な出来事として経験されること、また、ある創造的な人がものを認識するときのやり方が、創造にたずさわらない人たちのそれから大きくかけ離れているという見解は、私の観察するところ、(他に例外はいろいろあるにしても)あながち的外れなものとは思われない。実際、そこに理論に還元可能なナニかが存在するか否かもよくわからないけれど、理論というのはしょせん理念的なもので、すべての人間にすっかり当てはまるというものではない。創造的であるとされる人たちの間でも、その創造性の様態というものはかなり異なるように思われるからだ(そこで〈真に〉〈創造的な〉人たちとはだれかということになると、理論がない以上、私にはまるで答えようがない)。

集合的な文化規範のなかから特異な個人があらわれるということを、どのように説明すればよいのか、また、そこに何か人類共通の目的論的な意義を見出せるかどうか、その点、ノイマンの説明には腑に落ちない点が多々あるけれど、それにしても、傑出して創造的な偉人があらわれるには何か理由があるはずだと考えるのは、もっともな思いつきである。サルトルは『方法の問題』(1957)において「ヴァレリーが一個のプチ・ブル・インテリであるということ、このことに疑いはない。しかし全てのプチ・ブル・インテリがヴァレリーであるわけがない」と述べたというが*7、早い話が、特殊のなかにあらわれる時代の普遍性と、普遍性のなかにあらわれる個の特殊性の相関がここで問われることになるのである。この図式も何やらシェリング哲学の焼き直しのような気がしないでもないが、個人と時代というものを、厳密な伝記的研究と社会調査によって結びつけようというのが、サルトルの〈伝記的評論〉という方法論なのである(学術的なものに対して、「評論」といって語尾を濁しているわけである。オルテガ・イ・ガセットが「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイに通じる濁し方である)。

こういうことは、人文科学の方法でちゃんとやれば、相応に妥当な推論が可能になるようにも思われるけれど、ただし、それが自然科学の物的事実ではないということには注意を要するところである。たとえ歴史学的に実証が可能といっても、それは実験による実証とは異なったものなのである。経験科学が、その場で経験的に真偽を判ずることのできる悟性的な真理にかかわるのに対し、数学や論理学は、経験を待たずに真偽を判ずることのできる理性的な学ということができようが、一方、人文学的な〈出来事〉というものは、その結果を待ち、後世になって初めて真偽の判断が可能となる、特殊な意味論に属するものである。たとえばノイマンは、ヒトラーというエセ予言者を例に挙げているが、ヒトラーが登場した時点では、米国にすらその手腕を高く評価する世論があったほどで、あのままドイツが勝っていたら、ヒトラーは自己成就的に真の予言者となっていたことであろう*8。かれが時代を補償する英雄であったのか否か、かれが出現した時点で客観的に確定することはできなかったのである。新規の芸術作品の評価についても、同様の問題がつきまとうであろう。このように、人為が介在する事象を安易に物的事実と比較することはできないが、実は、そこにも生物学的な(いわゆる)〈本能〉と同じ程度には〈経験的な〉法則が働いていると見るのが、ユングの考えのようである*9

なお、剳記に取り上げたのは、本書のごく一部「芸術と時間」という一篇のみである。いろいろ書いたわりにはお粗末な話だが、ご容赦いただきたい。なお、あわせて、『時代が病むということ――無意識の構造と美術』(鈴木國文)の剳記もお読みいただければ幸いである。上に書いた事柄を補うものである。

 

 

所蔵館
市立長野図書館(書庫)

 

関連項目
鈴木國文『時代が病むということ――無意識の構造と美術』

C・G・ユング『心霊現象の心理と病理』

河合隼雄『中空構造日本の深層』

 

芸術と創造的無意識 (ユング心理学選書 (6))

芸術と創造的無意識 (ユング心理学選書 (6))

 

 


「芸術と時間」

 

p.92~93 人間の内奥における集合的無意識

本書の考察の対象は、みずからが生まれる時代に対する芸術の関係、とくにわれわれの時代に対する現代芸術とする。これは文化心理学による試論なので、集団にとっても個人にとってもきわめて重要な心の現象として芸術を捉えることが大切。その出発点は無意識の創造的機能でなくてはならない。無意識はつねにもっぱら造形的にはたらく。無意識は

「「自然」と呼ばれる、外界の形象をみずから生みだす未知のものに照応する、もうひとつの未知のものが集合的無意識、すなわち宗教、儀式、社会秩序、意識、さらに芸術も含めて、人類の内部のすべての精神的形成物が生まれる場である。(92~93頁)

 

p.93 元型は時代や文化のなかでさまざまな形姿をとる

集合的無意識の元型はそれ自体は形をもたない心理的な構造であるが、人間が形づくる芸術のなかで外化され可視的になる。この場合元型は媒体を通ることによって変化を蒙る。すなわち元型がとる形は、元型が現れる時代、場所、集団、個人の布置、によってさまざまに変る。(93頁)

 

p.93~94 様式史は取り扱わない

「われわれの課題は、ひとつの文化の内部で個との元型の発展のあとを辿ることでもなければ、同一の元型がさまざまの文化の中でとるさまざまな形を追求することでもない」(93頁)。様式の時代区分ごとに元型がとる表現形式に美学的様式史的な観点からかかわるつもりもない。人類にとっての芸術の意味と、人類の発達のなかで芸術が占める位置を問うのが目的。

 

p.94 原初的な状態においては芸術も集団的な現象としてあらわれる

人間の意識発達が始まるころの心の原初的状態にあっては、無意識的、集団的、超個人的な因子のほうが意識的で個人的な因子よりも重要で目立ちやすい。同じく芸術もはじめは集合現象で、集団の生のなかに統合されている。個人として芸術がおこなうそのやり方も、やはり集合的状況の表現である。無意識の創造活動がもっとも活発な「偉人」が集合体に方針を与える立場にあるときも、みずからの創造物を個人としての自分のわざとは考えず、先人、祖霊、トーテム、神のはたらきに帰すという形であらわれる。

 

p.96 芸術作品とは無意識を意識化したものである

意識が発達しすぎるほど発達してしまったこんにちでこそ、ほとんどの場合に情緒や感情の要素が芸術的なものの本質と結びついているようにみえるが、意識の未発達な段階ではそうではない。未開人や古代の文化にとっては聖なるものに形を与えることは意識を与える、いやそもそも意識を創造する現象である。意識を通過してはじめてまだ漠然とした、しばしば混沌としているようにみえる、神秘のさまざまの力によって動かされている世界に、区別の可能性と秩序が生まれる。つまり古代の人間にとってはまさに芸術的な造形力によってこそ、世界の内部における関係の認識が可能になるのである。(96~97頁)

 

p.99 芸術家が専門化することで、他の成員は創造的活動の受容者に転じる

芸術という創造的な造形現象のなかに、人間が歴史の経過のなかで心の原初的状態が崩壊していくあとを辿ることはできる。発達に伴う個人の個性化を意識の相対的独立化によって芸術の創造性が集団のなかに統合されているという状態は解体、分化がすすめば、詩人、画家、彫刻家、音楽家、舞踏家、俳優、建築家などが職業集団として個別の機能を果たすようになり、集団の他の大多数の成員は創造活動から離れ、受容するのみになってしまう。しかしも個人の孤立も、芸術家の集合体からの分離もじつはそれほど進行していない。

 

p.100 集団の集合的無意識時代精神の補償へとはたらく

集団のなかにも集合意識(文化の規範、教育の向う方向、めざす目標、個人の意識の発達を決定する、文化の最高価値の体系)と、新しい展開、変化、革命、革新を準備する集合無意識という二つの心の組織がはたらいている。

 

p.101 決定的なのは集合的無意識である

自我と意識ではなく集合無意識と自己こそ窮極の決定因である。人間とその意識の発達は、内発する力と無意識の内的な方向とによって決まる。意識と無意識の間にすでに対話のある、弁証法的な稔り豊かな関係が成立していても、この事情に変りはない。(101頁)

 

p.105 偉大な芸術は時代の価値観と対立する

芸術の時代へのかかわりかたは、ユングのいうように文化規範に対する補償。

だが、このような心の布置は、この種の偉大な芸術にほとんど必ず伴う宿命的な悲劇を理解させてくれるものでもある。文化規範を補償する、とは文化規範に対立することであるが、これはすなわち時代の意識および価値観に対立することである。(105頁)

 

p.105~106 芸術家は同時代人の意識から遠く隔たる

芸術家の内部の創造的な層が一定の段階に達し、根源的なイメージがかれの内部で形をとり、その時代にとって必要なものとして生まれでようとするとき、芸術家は周囲の人びとの意識から遠く隔たり、それだけいま生起しようとしている決定的な事象のほうに近い。そのとき芸術家は、みずからの時代の今後の運命となるものを語り、形づくるのである。(105~106頁)

 

p.106 ルネサンスの芸術から地の元型が復権する

たとえばルネサンスの造形作品は永らく西洋の芸術を規定したが、人間の自由な動きとか、遠近法、立体感、客観的色彩など、純粋に芸術的なこととはまったく別の意味がある。外界の風景を忠実に描くために中世の象徴的な世界が放棄されたということではなく、ここで大事なのは、中世を支配していた天の元型に対立する地の元型が戻ってきたということで、この時代の「自然主義」もやはり心の背景で元型の構造に転換が起ったことの象徴的な表現なのである。

 

p.108 地の元型のはたらきはフランス革命にも作用

フランス革命、哲学的唯物論、聖母被昇天の教義まで、抬頭する地の元型のはたらきは及んでいて、この元型は新しい文化規範の中心要素となるもの。

 

p.108~109 時代の規範を顚覆するときに芸術家の機能は宗教的なものに高まる

その時代にとっての必要なことが芸術家の身の上におこるが、かれはそれを知らず、欲さず、たいていはその本来の意味を理解すらしない。それゆえ芸術家は予知能力者、預言者、宗教家に近い。現存する規範を表出するのではなく、それを顚覆するときにこそ、芸術家の機能は宗教的な意味にまで高まる。

 

p.109 人類は意識化して文化規範を代表する人は既存の社会を守る側に立つ

人類が発達し、専門化と分化が起った結果、根源的な心の状態ではだれもがもっていた深層との近さは失われた。文化規範を表出する規範の代理人たちは内的な直接的体験という根源の火に近いところにはいないし、意識された合理的な面、芸術と文化の容器を守り強化する勢力をかれらは代表する。聖なるものとの創造的な対決は、文化規範の表出を目的としない個人のものとなる。

 

p.110 芸術家は文化を超え出るが、一方で、文化と最も深く結ばれている

集合体および時代に対する芸術家の関係について。

芸術家が文化規範を補償すべきであるとするなら、まずかれが文化規範によって捉えられ、それをみずからのうちで体験し、その先へ出ることが、前提となる。みずからの属する文化の時代が抱える困難に無意識であれ悩まなくては、芸術家は時代の渇望を将来鎮めるものと定められている、あらたに湧きだしてくる泉に到ることはない。すなわち創造的な人間は、しばしば眼にはみえなくとも、みずからの属する集団とその文化に深く、文化という容器とその価値に守られて暮らしている一般の人よりも深く、文化の代理人にくらべてさえさらに深く、結ばれているのである。(110頁)

 

p.111~112 芸術家は集合的無意識に導かれ、やがて個性化する

創造的な人々は、それぞれ別個に自分の運命を捉えているが、心の場の統一性に結ばれていて、同一の方向へ動かされる。ふつうこれを「時代精神」と呼んですませている。これはあらゆる領域で同時に超個人的な無意識的なものが自己を実現し、その時代の精神を形成すると公式化して言ってみても、まだ控えめな言い方である。決定的なのは、自覚されている意識ではなく、集合的無意識の方である。最初は集合体に条件づけられているのが個人の宿命だが、やがて個別化して、当初の無名性や、集団に統合されたありよう、彼を包み込んでいる様式の支配からも自由になる。これが時代に対する芸術の個性化の端緒。

 

p.112~113 芸術の超越

これを芸術の超越と呼びたいが、集合体に縛られたありようからの超越で、無意識の道具でも、元型の一断面の表出でもない。無時間性、永遠に達したもの。文化規範に捧げられた面は強いので、それを周到に認識した上で論ずべきだが、そもそも他文化の芸術を理解できるかという反論もあろう。

 

p.113 芸術の永遠性は実在のものか

芸術の永遠性は一目見てそれとわかるものではない。世界中の芸術を体験することのできる可能性自体、われわれ現代人に特有の現象のひとつであって、キリスト教の教義なしに、どんなキリスト像が、仏教の教義なしにどんな仏陀像が理解されようか。もしわれわれが経験できるのは、じつはわれわれに対する、またみずからの時代に対する、芸術作品の関係だけだとしたら、超越の段階とは幻想で、芸術家もかれらの時代に一歩先んじていたというだけのことなのだろうか。

 

p.114 個性化した芸術家はわれわれの範例

芸術家の伝記に興味を抱くこと――これも、個人が前面に出てきた西洋の前世紀の産物である――にわれわれは慣れている。かれらの生涯を古代の英雄の神話的な生涯のようにわれわれは経験するが、ただこの偉人たちのほうがわれわれに近いので、かれらの悩みや勝利のほうを身近に感じ、実際の隔たりの大きさにもかかわらずわれわれの個別存在の尊厳がかれらによって保証されるように思うのである。かれらの生涯の紆余曲折のあとを辿らせるものは、無意味な好奇心ではない。かれらの作品と生涯が、われわれが個性化とよぶある統一を表現しているという意味で、かれらがわれわれの範例だからである。(114頁)

 

p.114~115 時代に欠けている新しいものを作り出すゆえに芸術家は孤独

芸術家のだれもが無意識の自己表現のような創造への衝動に応えることから始め、成長するにつれて時代によって規定され、学ぶものとして文化の伝統を相続し、伝統の子になる。だが、時代の伝統を徐々にこえて成長してゆくにせよ、いっきにとびこえてその時代に欠けている新しいものをもってくるにせよ――文化規範の表出の段階にとどまるのではないならば、そして真に偉大な芸術家は決してとどまることはないのだが、ついに孤独となることはほとんどまちがいない。だがこの孤独は、なだたる大家として讃仰を受けるか、小さな社会の名オルガン奏者として暮らすか、聴覚を失って、あるいは貧窮のうちにあるいは狂気のうちに生涯を終えるか、ということとは関係がない。このような偉人の場合はつねに、みずからのうちで動く力とのまた外界の時代との対決が結局は自己表出になってゆくようである。そしてそのときかれらは芸術もみずからの創造的な生活がもつ象徴的な現実をも、ほとんど超えてしまう。その作品のなかで元型的な力というこの世ならぬものが、この世界の内的生命として現実のものになる。(115頁)

 

p.115 大芸術の無限感は時代の拘束を受けない無時間的なもの

大芸術家の場合は元型的な内的な力と外界の時代との対決が結局は自己表出になっていくようで、この段階の人間の作品には聖なるものの象徴的な世界があらわれ、この世界では内と外、自然と人為の対立も克服されているようだ。時代に縛られた形式の条件づけられたありようを、人格の創造的な統合が超越するので、作品の様式の特徴を述べることはもはやできず、意識的にも無意識的にも歴史上のいかなる時代にかかわりをもつということはない。この超越的な芸術を宗教的と呼ぶこととする。バッハの信仰心と中国の風景画が示す無神論的な無限のひろがりこそ、このような超越のふたつの形としてわれわれが経験できるからであり、この最後の段階のさまざまな表現形をも、創造的な人間が生み出しうるかぎりのもっとも宗教的なものと見なせる。

 

p.130 芸術はもともと規範に反する無意識的なものの侵入だったが、デタラメでもない

実際は非合理的なものの芸術への侵入は、シュールレアリスムが看板として利用するずっと以前から、時代の表現として正統的なものであった。意識による統御の放棄は、意識一般の関係認識のてがかりとなる文化規範および価値が崩壊したことの結果であるにすぎない。そして夢、病気、狂気がシュールレアリスムによって芸術の本来の内容へと高められ、無意識に書いたり色を塗ったりすることが最高の目標と定められたとしても、これは偉大な創造的人物が苦しみ悩んで学んだことの、後代の戯画でしかない。かれらはすべてマイナスたちによってひき裂かれたオルペウスの印をつけているのである。

それゆえ芸術は、われわれの時代の表現であるかぎりにおいて、個別にみれば「作品」というものの完成された性格をもはやもたない断片のよせ集めでしかないようにみえる。また多数の「凡庸」な芸術家にとっては状況に規範が欠けているということが「規範」となり、こうしてさまざまの「イズム」が生まれる、ということも理解できないことではない。(130~131頁)

 

 

p.131 大芸術家は無意識を意識に統合して制御するが、ダリみたいなのはダメ

だが、ここでも大芸術家は群小芸術家とはことなって、

前者はこのような状況を完全に意識して道具として利用し、内面から湧いてくるのだが実際はやはり制御されている感情と内容のさまざまな動きからなるひとつの流れに、このような外界の現状を溶かしこむ。かれらの名はクレー、シャガール、あるいはジョイストーマス・マンという。だが凡庸な者たちは規範がないという原則を綱領としてそれに身を委ね、たとえばダリのように、自分と世間を喜ばすために自分の排泄物を文学的または造形的に描いてみせたり個人的なコンプレクスを展示したりする。(131頁)

 

*1:エーリッヒ・ノイマン『芸術と創造的無意識』(ユング心理学選書6)、氏原寛・野村美紀子訳、創元社1984年、171~172頁。

*2:ノイマン『意識の起源史』(下)、林道義訳、紀伊國屋書店、1985年、567~568頁の記述を見よ。もっとも、このあたりは、ユング『「こころ」の諸問題』を敷衍した説とのことである。かくいうユングも「台頭しつつある自然科学的方法論から見れば、「ロマン主義的な」記述心理学はすべて異端であった」などと書いているが(カール・グスタフユング『元型論』、林道義訳、紀伊國屋書店、1999年、78頁)、唯物論的な経験科学が実験によって前進不可能になるところでは、理論的な先入観から自由な立場をとる記述的な方法論が要求されると述べている(ユング、同書、79頁)。このことは、後段で述べる病跡学的な方向とかかわってくる。

*3:ユング、同書、12頁。

*4:ユング、同書、24頁。

*5:ユング、同書、16~20頁。

*6:岡田靖雄「精神科医療史のなかの東京大学精神科」(東京大学精神医学教室120年編集委員会東京大学精神医学教室120年』、新興医学出版社、2007年)、8頁。

*7:第57回日本病跡学会総会における鈴木道彦氏の特別講演『文学研究者の方法――プルーストサルトルをめぐって』(2010)の講演資料より。

*8:林道義は、ユングが『元型論』でトリックスター元型について述べた箇所「しかし意識が危険で不確かな状況の中で動揺すると、影は決してなくなっていたのではなく、少なくとも隣人に投影される絶好の機会をうかがっていたことが、明らかになる。ひとたび投影がなされると、投影する側とされる側のあいだにふたたび原始的な暗黒状態が生じ、そこではトリックスター像の特徴であるすべてのことが――最高の文明段階においてはすら――起こりうるのである。これは俗に適切にもそのものずばり「猿芝居」と呼ばれる。その舞台の上では、すべてが考えられないほどに醜くなり、くだらないものとなる。知的なことが起こるのはほんの例外か、それとも最後の瞬間だけである。政治がこの最もよい例である」(ユング、同書、228頁)を、ヒトラーの事例であると捉えている。「こうして影の性質がしだいに薄れていくと、それはふたたび無意識の中に戻っていき、ふたたび外界へ投影されるようになって、ナチスのような猿芝居が生まれる無意識の要因となる、というのである」(林道義「訳者解説」。ユング、同書、493~494頁)。

*9:「もう一つの誤解は、次のような意見が出てきたところにある。(…)いずれにせよ、そのような意見は全く誤ったものであって、深層心理学は経験科学ではなく、一定の目的に役立てるための工夫にすぎない、という広く流布した見方にもとづいている。集合的無意識という考えは〝形而上学的〟である、という浅薄で知的でない意見もこれと同様である。ここでは実は、本能の概念とくらべることのできる〝経験的〟な概念が問題になっているのである。多少注意深い読者なら、このことは誰でも明らかに理解できる筈である」(ユング「第二版のための序文」(C・G・ユング/R・ヴィルヘルム『黄金の華の秘密』〔新装版〕所収)、湯浅泰雄・定方昭夫訳、人文書院、2018年、9~10頁)。私もおおむね同意見であるが、本能という概念はもとより、物理法則といわれるものにも突き詰めると形而上学性を排除できない部分があるため、これらを唯物的に定式化するためには、観測可能なものだけを事実として取り扱い、数量的側面にのみ着目して定量的な関係構造をモデル化しなくてはならない。しかしこれは本質論ではないため、集合的無意識が存在するか否かの証明というよりは、人類に普遍的なイメージの型が存するか否かの証明ということになるであろう。その型が生得のものか、文化的に学ばれるものであるか、情報の伝播によって共有されるものかを語るものではないのである。ここでは使用された標本の有効性と、その来歴ということが重要になるが、これは歴史学的な問題でもあって、すでに実験不可能な過去の事柄を取り扱う時点で(少なくともヴィトゲンシュタインあたりからすれば)形而上学的なものである。現在観測される事実だけを対象にする分にはよいが、神話や伝承が定着するまでにどのような伝播経路を辿ったかということは、現前的に経験可能な事柄ではないので、どこまでいっても推論にとどまるであろう。ユング集合的無意識という概念を理解する困難さについて「われわれのコンプレックス心理学の概念は、根本的に重要なものはすべて、知的な定式化ではなくて、ある範囲の体験を言い表わしたものであり、たしかに記述することはできるが、しかしそれを体験したことのない者には死語であり、思い当たるところがないのである」(ユング『元型論』、232頁)と述べている。そこで神話比較を通して人類の心的イメージの普遍性を立証する必要性に思い至ったのであるけれど、人間が人間として同じような心の構造をもち、結果として類同的な心の体験をすることがあるのは、おそらくは確かなことであろうけれど、その類似をどこまで拡張して文化的表象に当てはめることが可能かということについては、今のところ慎重にならざるを得ない。