南山剳記

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心霊現象の心理と病理(C・G・ユング)

心霊現象の心理と病理

C・G・ユング『心霊現象の心理と病理』、宇野昌人・岩堀武司・山本淳訳、法政大学出版局、1982年

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【服部 洋介・撰】


解題

本書は、その前半にユングの学位論文「いわゆるオカルト現象の心理と病理」(Zur Psychologie und Pathologie sogenannter occulter Phänomene, 1902)を「心霊現象の心理と病理」と題して収録し、後半に週刊誌Die Zukunft XIII(1905)に掲載された評論「潜在記憶」(Kryptomnesie)を収めたものである。訳者のひとりである岩堀氏はチューリッヒユング研究所におられたようだが、詳しいことはわからない。

さて、第一の論文は、ユングが、交霊会における自身の従妹の様子を観察した記録を主に、このような人たちが夢遊状態で発現する人格の変容、知的能力の増進といった現象について考察を加えたものである。その最後の方で、霊媒が語る壮大な作話が、潜在記憶を体系化したものであるという仮説が示される。ここでは、当人が何らかの形で知り得た様々な情報を、覚醒時にあっては到底不可能な能力を発揮して、知的創作物へとまとめあげる無意識の能力というものが強調されている。続く「潜在意識」では、この考えがいささか展開されて、のちに披瀝される「創造性の源は集合的無意識にある」という考えが萌しているように思われる。このあたりから早くもフロイトとの路線の違いがあらわれはじめるのであろう。

ところで、私も小学生の頃から所謂〈こっくりさん〉の観察記録をつけており、症例収集には余念がなかったので、西洋版〈こっくりさん〉というべき〈テーブル・ターニング〉を用いた交霊会の様子を記述した本書の姿勢は、それなりに誠実なものであると首肯できるものである。もっとも、ユング霊媒の回答の正確さを評価しているけれど、私の小学生時代の経験では、霊媒が未知の真実を言い当てた驚嘆すべき事例は一例しかない(知人の報告を含めても、わずかに二例である)。しかし、〈こっくりさん〉のお告げは、しばしば参加者を惹きつける魅力的な生彩を放つ文学的な内容をもって語られるのであって、それ自体、興味深いものである。私みたいな意識に覚醒しきった人間には、到底真似できない芸当である。

そしてもう一つ、ユングは先行研究を参照しながら、入眠・出眠時幻覚についての興味深い記述を行なっている。詳しいことは、当該箇所の抜き書きを参照してほしいが、入眠・出眠時幻覚の達人である私からすると、いささか物足りない感じがしなくもない。網膜のかすかな自己発光現象が幻覚の引き金となるというユングの記述には、疑問が残る。たしかに、暗闇で眼球運動を行なった際に、かすかな光知覚が起こるというのは経験上、確かなことであるし、わずかな光を過敏に知覚するようになるというのも事実であろう。しかし、そのようなきっかけがなくとも、この種の幻覚というのは起こり得るもののようである。ユングとしては、なるべく合理的な説明をしようとしたもののようであるけれど、ユングほど感受性の高い人物であれば、もっとブッ飛んだ幻覚体験の一つや二つ、きっとしていたはずであると勘繰るのは私だけではあるまい。*1なお、本書の原注50に示された幻覚事例は、白昼堂々、私が体験したものとよく似ていたので、書き留めた次第である。このような幻覚は、ある種の霊媒が示す創造性に比べれば、ありふれてとるに足らないものであろう。

なお、本書の初っ端に、論文が考察の対象とする人たちを「精神病質」と名指しする箇所が出てくるけれど、これは〈サイコパス〉の訳語ではないので、注意されたい。そのあたり、ユングが何を言わんとしているのか、訳者もいろいろと困惑した形跡が見られるが、今とは病名も疾患単位も異なる時代のこと、むべなるかなと思われる。

また、関連する剳記については「関連項目」を参照されたい。

 

関連項目

エーリッヒ・ノイマン『芸術と創造的無意識』

鈴木國文『時代が病むということ――無意識の構造と美術』

河合隼雄『中空構造日本の深層』

 

所蔵館

市立長野図書館(146 ユ)

 

心霊現象の心理と病理

心霊現象の心理と病理

 

 

 

「心霊現象の心理と病理」(1902)

 

p.1 精神病質の病像と天才との近縁性

「精神病質(精神病に近い生来性の性格異常で、その程度のはなはだしいものという意味で使ったものと思われる)といわれるものの範囲は広いが、学問的にはてんかん、ヒステリー、神経衰弱の病像とは区別されている。しかしこの精神病質という広い領域において、めずらしい意識状態が、個別的にではあるが観察されており、その解釈に関しては、諸家の一致した見解はまだない。つまり文献に散見されるナルコレプシー(急に発作的に眠り込んでしまう病的状態)、嗜眠症(ねむけのような形で意識混濁をおこすもの)、自動遊行症(てんかんやヒステリーの患者で無意識にさまよい歩くもの)、周期性健忘(心因による部分的記憶脱落が周期的に繰り返されるものであろう)、二重意識(二重人格のことであろう)、病的夢想、病的虚言(空想を真実として述べ、自分では真実でないと承知していながら真実であるかのごとくふるまい、みずからもその芝居に夢中になっているもの)などがこれである」(1頁。カッコ内は訳者の割注)

これらの状態は、一部はてんかん、一部はヒステリー、一部は神経系の疲労状態(神経衰弱)、あるいは一部は独立した疾患と分類されることもあって、患者は様々な診断を受ける。

「実際、この状態は、前記精神障害からの区別がきわめて困難であるばかりか、場合によってはその区別はまったく不可能でさえあるが、他面その特徴のなかには、病的に劣ったものというのではなく、正常な心理現象と、いやそれどころか優秀なもの、つまり天才の心理現象と、ただ似ているという以上に近縁なものもある」(1~2頁)

 

p.3 原発性夢遊症はわりと稀な現象

「重症ヒステリーの部分現象としての夢遊症は、未知の現象ではないが、病理学的な一特殊型としての、つまり独立した一疾患としての夢遊症は、ドイツ語の関連文献が数えるほどしかないということからもわかるように、かなりまれなものといえよう。ヒステリー性色彩をおびた精神病質に基づくいわゆる原発的夢遊症は、決してありふれた現象ではなく、さらに詳細な研究に値するものである。というのは、それがときとして多くの興味ある観察を提供するからである」(3頁)

 

p.19~20 精神病質研究の意義

ヒステリー性の色彩をもった精神病質の領域には、あれこれの疾患のものだとされる症状が見られるが、どの疾患にも確実に分類されえない多くの現象がある。この状態の一部はすでに独立した疾患とされていて、たとえば、病的虚言症、病的夢想症。これらは、まだ科学的逸話として記録されているにとどまっている。この状態を示すのは、常習性幻覚者か熱狂者で、詩人、芸術家、聖者、予言者、宗派創設者などとして周囲の注目を引いている。多くの場合、精神状態の成因は不明。観察する機会がめったにないから。

「こうした人物がしばしばもっている大きな歴史的意義を考えると、彼らの特質の心理的発達がより詳細に洞察できるような科学的資料を所有することが望ましいのである。今日ではほとんど無価値となってしまった一九世紀初頭における霊物学派の所産をのぞくと、ドイツ語圏の科学的文献中、この問題に関する観察をおこなったものはきわめてすくない。そればかりかこの領域の研究をはじめから嫌悪しているのではないかとさえ考えられるのである。われわれのこの領域に関する知見は、もっぱら英仏語圏の研究者の業績に負っている。それゆえ、この方面におけるドイツ語圏の文献を豊富にすることは望ましいことであろう。このような考えからわたしは、いくつかの観察を発表しようとするに至ったのである」(19~20頁)

 

p.21~24 S・W嬢の観察

1899年、1900年にS・W嬢の観察。ユングの母方の従妹。医者として診察したわけではないので、ヒステリー性ディグマータ(無痛感、ヒステリー球、咽頭反射欠如などの身体症状)などの身体的検査はしていない。S・Wは15歳6ヵ月、改革教会派。父方祖父は教養の高い牧師、しばしば覚醒時幻覚があった。以下にエピ・パトグラフィ的な親族の病歴が述べられる。つづいてS・W本人の生育歴。夢遊病が進行するまで程度の高い内容の本を読んだことがない。テーブル・ターニング(Tischrücken)に興味をもって、1899年7月、女友達や兄弟とやってみると、彼女がすぐれた霊媒であることがわかった。荘重なお告げ、とくにお告げの牧師調の響きが皆を驚かせた。心霊は霊媒の祖父であると称した。

 

p.24~26 トランス時のS・Wの様子

以下に、ユングの観察の様子が記述される。夢遊症の会話においては、亡くなった親族の特徴をすっかりそなえた調子で、きわめて巧みに真似て、参加者に強烈な印象を与える。陶酔、雄弁、まなざしは輝いて情熱的、もっぱら文語体のドイツ語で話し、覚醒時の心もとなく当惑しきった態度とは対照的に、自信に満ちて流暢だった。気高いまでの上品さ、変化する感情状態をこのうえない美しさで表現。エクスターゼのあとにカタレプシーが起こり、一分間に100回という呼吸促迫が二分続く。のちには自分で発作を誘発できた。霊媒になったときの会話をどれほど記憶しているかについてはよくわからないが、おぼろげながら知っているようだった。トランス時に語った内容を再現して聞かせると、その内容について怒ることが多く、何時間も不機嫌になった。

 

p.29~30 まとまった幻覚は心霊会以降に生じた

S・Wは、ついに白昼でも心霊の姿を見るようになった。5、6歳の頃、夜半に指導心霊である祖父の姿を見たというが、この幼児期幻影があったという客観的な証拠はない。このあと最初の心霊会までこうしたことはなかった。入眠時に暗がりの中で火花が見える光視症(Funkensehen)をのぞけば、要素的幻覚が生じたことはなく、幻覚は当初から系統的に、全感覚に同じように生じた。S・Wは、心霊の話が真実かどうかについては知らないが、心霊の実在はまちがいなく、見たり触れたりできると述べていた。

 

p.32~33 参加者の質問に答える

半夢遊症様状態でのS・Wの雰囲気はおごそかで、宗教性がかもされていたが、指導心霊の語る聖書や宗教書からのおしゃべりの影響はなく、作り話の多くが、覚醒時の関心事を総動員した内容となっていた。テーブル・ターニング実験のときにこの状態が突如出現、エクスターゼに移行、会合参加者の比較的簡単な質問を言いあてたり、答えたりすることができた。テーブルの上に手を置くか、彼女の両手に手を重ねればよい。だが、物理的接触なしに心の中で念じても、以心伝心は成功しない。

 

p.38 ゼノグロッシーらしき事例

第五回の交霊会(1899年9月)における夢遊症発作。S・Wは会話調の外国語訛で話し続けた。その訛はフランス語、イタリア語の響きに似ており、あるときは、フランス語、イタリア語を思わせるものだった〔表現が重複しているが、あくまで原文の要約〕。流暢で優雅だが、きわめて早いテンポでいくつかの言葉が理解できるだけで、記憶できない。ときどきwena、wenes、wenai、weneといった言葉がくりかえされる。話し方は自然そのものであって、おどろくばかり。外国語で話したことを後でS・Wに伝えると、怒り出した。翌日に再び発作が起こってS・Wが寝入ると、ウルリッヒ・フォン・ゲルベンシュタイン(U・ v・ G)なる男があらわれた。北ドイツ訛の標準語で話し、なかなか雄弁。

 

p.45 文句のつけようのない標準語を話した

S・Wは標準語をほとんど話せないのに、U・ v・ Gはほとんど文句のつけようのないドイツ語を、愛嬌のある慣用句やお世辞をいっぱい使ってしゃべった。

 

p.46 エクスターゼと人格交代

S・W嬢はエクスターゼ中の自動的現象を全部忘れてしまっていることが多いが、その場合には、これらの現象は彼女の自我とは違った人物たちのものである。大声で語ることや舌語り(特に宗教的エクスターゼ中にわけのわからないことを言い出すこと。語る人がこれまでに知らなかったギリシャ語、ラテン語を話すこともある)といった、彼女の自我と直接に関連のある現象は、すべてよく覚えているのが普通だった。42~43頁によると、祖父の霊が憑いて自作(?)の詩句を口にした。内容や表現からして、何らかの宗教冊子に由来する文章であることは明らか。

 

p.61 次第に失調してインチキに

やがてエクスターゼは生彩を失ってきたのでユングは脱会、S・Wは他の集まりで発作を試みるようになったが、インチキに走った。今ではかなり大きな商店の店員で、勤勉、忠実、性格もよくなって、落ち着いて好感をもたれるようになっているという。

 

p.84~85 入眠時幻覚

眼球内現象の役割が大きく、幻覚性朦朧状態の前に光視症が出るのは、きわめて弱い網膜の自己発光現象が強く見えたもの。幻覚発生の際に眼球内の光知覚が役割を果たして、入眠前の空想的表象に素材を与えるとシューレは言っている。完全な暗闇というものはなくて、かすか光があちこちにあらわれて、多種多様な形をとる。そして空想が生き生きとしていれば、容易に何らかの既知の形姿をつくりだす。暗闇における眼球内現象と視覚領野の興奮は幻覚を起こしやすい。

「入眠とともに判断力が消滅し、空想の自由にかける場が与えられ、その結果、ますますいきいきとした形姿がつくりだされるようになる。暗い領野内のかすかな光とか、もやとか、変化する色とかに変わって、特定のものの輪郭が現われる。入眠時幻覚(眠りに入ろうとする状態に現われる幻覚で、正常人にもあり、夢と同じく見える像であることが多い。目がさめているという意識があり、また自分が見ているという意識がある)はこのようにして生ずる。幻覚形成の主力は当然空想であるから、空想ゆたかな人が入眠時幻覚を見やすいことにもなる」(85頁)*2

 

p.85 入眠時幻覚と夢の関係

「入眠時の形象が、正常な睡眠の夢の形象と同一であるとか、あるいは夢の形象の視覚的基盤になっているということは、十分にありうることである。たとえば、モーリーは、自己観察によって、入眠時に浮かんだのと同じ形象が、ひきつづいて見た夢の対象でもあったことを確認している。同じことをG・トルムブル・ラッドは、もっとはっきりと証明した。練習によって彼は、入眠二分ないし五分後にぱっと覚醒することができるようになった。このとき往々にして彼は、網膜に輝いて見える形姿が、たったいま夢に見ていた形象の輪郭であることに気づいた。そのうえ彼は、ほとんどあらゆる視覚的な夢は、その形を網膜の自己発光現象から受けとっているとまで考えている」(85頁)

 

p.85~86 光の形象化という幻覚のあらわれ方について、他の事例

このような光の形象化は、他の幻想家にも見られることで、ジャンヌ・ダルクの場合、最初は光雲が見えていたが、しばらくたってそこから、聖ミカエル、聖カタリーナ、聖マルガレータが現われた。スウェーデンホリーには、一時間ばかり輝く球と明るく燃える炎以外なにも見えなかったが、一時間後、ちゃんとした形をもったものを見て、天使の霊だと考えた。エルゲンスブルクにおけるベンヴェヌート・チェリーニの太陽の幻影も同じようなものだろう。フルールノアのエレーヌ・スミスの場合の幻覚の出現の仕方は典型的。

 

p.111~112 無意識の能力増進

無意識の能力増進の分野について論及、精神病質のあらゆる面を公平に考慮に入れたいと思う。これは自動症的過程であって、本人の意識的な心的活動の産物ではない。テーブル・ターニングを通して、他人の比較的長い一連の考えを読み取ることが、果たして企図振戦から帰納的推論によってできるだろうか、わたしにはわからない。熟練すれば可能かもしれないが、そのような熟練はわれわれの症例ではただちに除外されるので、意識的感受性よりもすぐれた無意識の感受性の存在を想定するほかない。夢遊症者についてのたくさんの観察がこの想定を支持する。

 

p.112~116 潜在記憶、無意識の思いつき

次にみられる無意識の能力増進の例は、潜在記憶(Kryptomnesie)と呼ばれる過程。

「潜在記憶というのは、記憶像を意識化することであるが、この場合はじめから記憶像そのものが認識されるのではなく、偶然の機会にあとからの再認か抽象的判断を通して、二次的にはじめてそれとわかるのである。潜在記憶の特徴は、出現する像がそれ自体としては、記憶像の徴表をもっていない点、つまり、該当する上意識の自我コンプレックスと結びついていない点である」(112~113頁)

イメージが感覚領域の媒介なしに精神内界を通して意識にのぼる「思いつき」などもそれ。その因果の連鎖は本人にも不明のままで、これ自体はよくある現象。研究者、文筆家、作曲家が潜在記憶のために誤って自分たちの着想を独創的なものと確信するが、あとから批評家から原典を指摘されるということがよくある。多くは個性的な表現になっているので、盗作との非難をまぬがれるが、重要な考えが含まれている章句などの類似は、盗作と疑われても仕方がない。というのは、重要な考えというのは多少なりとも自我コンプレックスと結びついているので、まったく意識から消えてしまうということはないから。ニーチェも、若い頃に読んだとるにたらない内容の詩を半意識的あるいは無意識的に、ツァラトゥストラの中でかなり正確に再現している。

 

p.119 潜在記憶による体系を組み立てる無意識の能力

潜在記憶が感覚を介して幻覚として意識にのぼる場合、潜在記憶が運動性自動症(テーブル・ターニングなど)を介して意識に現われる場合についての説明があり、結論的に、潜在記憶は夢遊症者がときおり示す直観的認識という、めずらしく驚嘆すべき事例の基本現象というべきものだという考えが示される。企図振戦運動の解読には、敏感というだけでなく、感情的な繊細さも必要で、これは個々の知覚を結合してまとまった統一のある思考にする。このことは、無意識の領域における認識過程が、意識の認識過程と類似していると仮定した場合。とにかく、無意識においては感情と概念がそれほど明確に分かれておらず、場合によっては一つになっているという可能性に留意すべき。多くの夢遊症者がエクスターゼにおいて示す知的高揚はめずらしいものだが確かな観察される事実であり、ケルナーにおけるハウフェ夫人の例は、彼女の正常な知能を超えた能力増進と見なしたい。ハウフェ夫人が潜在記憶で知り得たことを体系化するのにどれだけの知力が費やされたか、それをどう評価するかは好みの問題だが、患者の若さと知性の程度からすると、これは尋常なことではない。

 


「潜在記憶」(1905)

 

p.131 新しいものはあらかじめ無意識で考えられている

精神的に創造的な仕事をしている人はみんな無意識に依存していて、あらゆる新しい考えや思考連合は、あらかじめ無意識において考えられている。あらたな精神の道をたずねる者はみなこの不安定な地盤の上をさまよっているが、嘆かわしいのは自己批判なきもの。空想の世界では何事も手に入るので、新しい考えをさぐっているものはたちどころに仮象に喜ばされる。しかし、これは宗教史や群集の心理だけでなく、詩人、作曲家なども同様、ある思いつきが目新しいものだと信じたい気持ちにならなかったものはいないだろう。この上なく偉大で、独創的な天才でも、錯誤とその結果から逃れることはできない。

 

p.132 ヒステリー患者の性質は天才にふさわしい

「このためゆたかな精神の持ち主と精神病者は渾然としていて、ロムブローゾのことばを借りれば、天賦の才をそなえた狂人もいれば、狂気の天才もいるということになる。きわめて日常一般的な変質徴候のひとつに、ヒステリー、つまり自己統制と自己批判の欠如がある。ノルダオのように、えせ精神医学的な仕方で天才の中の狂気をかいでまわらなくても、ヒステリーに類似したある種の精神状態なしには、たしかに天才など考えられないといえる。シューペンハウアーがいみじくも述べているように、強い感受性、つまりヒステリー患者のもつ繊細性と情動性といったものは、天才にふさわしいものなのである」(132頁)

 

p.132 天才の才能はひとつのヒステリー症状

ヒステリー患者の大部分の発症理由は、強い情動が付与され、無意識の奥深くの記憶群が制御されなくなり、患者の意識と意志とを制圧するから。女性なら恋の幻滅であったり不幸な結婚であったり、男性なら社会的地位の不遇、不当な評価など。患者は日常の情動を抑圧しようとするが、これが悪夢や発作の原因になる。天才も精神的コンプレックスを背負わなくてはならないが、背負える場合は喜んで引き受け、背負いきれない場合にも苦しみながら耐えていく。つまり天才は自分の才能がもたらす「症状行為」の遂行を強いられているわけで、自分の苦悩を詩作し、描き、作曲する。これらの前提は、創造的才能に恵まれたものすべてに多かれ少なかれ妥当する。

 

p.133 芸術作品は過去の着想の継承と再構成

新しいのは組み合わせだけで、素材の方はほとんど変わらない。

ベックリンの色彩も全部、すでにそれ以前の巨匠たちに見られたものではないだろうか。ミケランジェロの作品の指、腕、足、鼻、首は、すでに古代ギリシャ・ローマになんらかの手本があったのではないだろうか。たしかに、傑作の細部は、必ずといっていいほど昔からあるものであり、やや大きめな(組み合わされた)まとまった部分も、たいてい継承されてきたものである。だからといって巨匠は、過去のものの全断片をひとつの新作品へと同化することを、軽んじはしない。われわれの心は、たえず根っから新しいものをつくりだすほど、際限なくゆたかなわけではない」(133~134頁)

 

*1:ユングの秘書であったアニエラ・ヤッフェによると、ユングの超常的体験は当初はさほど頻繁ではなかったというから、この学位論文を書いた当時は、後年よりもいささか醒めていたのかもしれない。

*2:入出眠時幻覚の説明については、ユングの原注50に興味深い話が載せられている。スピノザは出眠時に「汚ない黒色のブラジル人」を見た(Hagen, Zur Theorie der Hallucination, p.49)という。また、「オティリエは、ときどき薄暗闇のなかで、にぶく光った部屋にいるエドワードの姿を見る。Cardanus, De subtilitate, p.358:ベッドのすそにわたしは像を見た。それはいわば円と曲線から成っていて、樹木や動物や男たちや、整列した軍隊や、武器や、楽器などをあらわしており、交互に上下し、次々と出てくるのである」(146頁)とある。