南山剳記

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殺人動向から考える男性心理~進化心理学の視点 (長谷川 寿一)

殺人動向から考える男性心理~進化心理学の視点

長谷川寿一「殺人動向から考える男性心理~進化心理学の視点」(柏木惠子・高橋惠子編『日本の男性の心理学――もう1つのジェンダー問題』所収)、有斐閣、2008年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

東京大学で副学長をつとめ、昨年退官された行動生態学者・長谷川寿一博士の小論で、詳しい書誌は控えていないが、2005年に書かれたものと思われる。2008年の『日本の男性の心理学――もう1つのジェンダー問題』(柏木惠子・高橋惠子編、有斐閣)に収められたもの。副学長時代は、東大に海外からの留学生を増やそうと諸改革に尽力されていたように記憶している。2014年に総長選に打って出たが、理学部長の五神真氏にやぶれて涙をのんだ。妻の眞理子氏も行動生態学者で、こちらは総合研究大学院大学の学長で、共著も多い。いずれ剳記を書く予定の『進化と人間行動』(東京大学出版会、2000年)などが代表的である。

もともと心理学で博士号をとった人で、早い話が進化心理学の視点から男性の攻撃行動、なかんづく殺人について考えようという、刺激的な論文である。昨今、「人間とは何か」ということについて、脳科学が身も蓋もない知見を発表しては世間の顰蹙を買っているが(笑)、その点は進化心理学も同様で、人間の行動に隠されたなんだかガッカリな真相を、数理モデルを駆使して立証しようとするものである。しかし、その仮説には大いに納得させられるところがあって、人間というものについてのろくでもない幻想を払拭して、ものごとを現実的に考えるための材料を提供するものである。進化学は実験科学ではないので、その説明は、どこまでいっても統計的な仮説に留まるものであるけれど、じつに興味深いものである。

けっきょく、この分野の諸問題というものは、個体がいかにして適応度を高める繁殖戦略をとりうるかという命題に帰着するものであるから、ときにフェミニズム系の社会学における人間規定というものと、いろいろ衝突するところがあるのも事実であろう。このあたりの齟齬を埋めるのは意外とむずかしいことで、個々の人間は特殊な実存としての存在様態をとってあらわれるのであろうけれど、類としてのヒトというものに、ある特定の傾向が存在するということは、統計的な事実なのであろう。その傾向が生物学的な基盤にもとづいて決定されるのか、それとも社会制度や文化によって規定されるのか、いずれにしても、私たちがそのような規定に絶対的に服従しなくてはならないということはないということに違いはないように思われる。

ここで紹介する小論は、ひとまず性淘汰から男性の殺人動向について考えようというものであって、そのあたりを中心に内容を要約したものである。いわゆる若者の「ひけらかし行動」(見せびらかし)として、芸術表現を殺人と同列に置く下りは、いささかショッキングに思われるかもしれないが、これは米国の進化心理学者ジェフリー・ミラーの仮説を引いたものであろうと思う。ミラーからすれば、高度消費社会というのも「見せびらかし」の産物なのである。その一方で、若者の「ひけらかし行動」がなくなってしまえば、社会は活性を失い、あらゆる革新は停滞するであろうと、長谷川氏は予測している。また、小泉改革以降に拡大した経済格差は、若者のリスク行動を助長し、社会不安の懸念材料となることが指摘されている。将来の安定した展望が開けない状況で、リスク行動に訴えることが適応度を高める上で応分にペイするという見込みが高まれば、なるほど、犯罪が横行する危険は高まるのかもしれない(これは結果論として説明したほうが適切かもしれない)。あるいは、若者の家族回帰が進むなど、より慎重に生きることが適応度を高める上で寄与する行動ということになるのか、あるいはともに真なのかも知れないが、少なくとも、前世紀の終わり頃と比べれば、若者の考え方というものも、ずいぶん変わってきたように思われる。さらなる研究が望まれる分野である。

なお、進化心理学の本丸である配偶者選好や繁殖戦略の問題については、『進化と人間行動』の剳記に譲ろうと思う。参照されたい。

 

所蔵館

市立長野図書館(143ニ)

 

関連項目

柏木惠子「ジェンダー視点に立つ男性の心理学の課題~なぜ「男性の心理学」なのか」

高橋惠子・湯川隆子「ジェンダー意識の発達視点~男らしさもつくられる」

金井篤子「職場の男性~ワーク・ライフ・バランスの実現に向けて」

 

日本の男性の心理学―もう1つのジェンダー問題

日本の男性の心理学―もう1つのジェンダー問題

 

 

p.45~46 性淘汰とは

・オス間で生じる配偶者をめぐる争い(同性間淘汰)。
・メスによる配偶者選択(今日ではメスが交尾の決定権を握る証拠が挙がっている)(異性間淘汰)。
・最近ではメス間の競争やオスによる配偶者選択の研究もある。
・配偶者えらびをしようとするメスをオスが妨害したり、行動の自由を奪う配偶者防衛行動(交尾後の同性間競争を含む)。雌雄の利害は一致せず、性的対立が存在する。

 

p.46 進化は種の保存という観点では説明されない

60年代までは生物は種の存続のために行動すると見なされてきたが、今日では、生物個体の繁殖と生存機会をめぐる競争の結果が進化であると説明され、雌雄の繁殖戦略は一般には一致しないとされる。

 

p.47 殺人は性淘汰と関連した人間の適応行動と結びついているという説

進化心理学の代表的創設者であるデイリーとウィルソン(1988)は、殺人の背景にある心理メカニズムは性淘汰と関連した人間の適応行動と結びついていると論じた。

 

p.48 若者の殺人率が低下することで日本の殺人率は40年にわたって低減

40年にわたって殺人率が下がっているのは日本固有の現象。このことは、日本では若者の殺人率の極端な低下によって達成された。ところが、80~90年代には、40~50代男性が20代前半より殺人率が高くなり、世界的には例がない(世界的には、ユニバーサルなパターンで20代前半の男性に殺人率のピークがある)。1935~45年の戦時中に幼少期を送った人々の殺人率は、中高年になっても落ちていない。

 

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戦後日本の年代・年齢別男性殺人率(長谷川,2004)

 

p.48 繁殖に有利な地位や資源を得るための攻撃行動

デイリーとウィルソン(1990)の研究では、年齢別同性内殺人率は10代後半~20代前半の男性に顕著なピークがある。これは性淘汰の理論からすると、繁殖行動が本格化する時期で、哺乳動物のオスの攻撃行動のピークも繁殖行動とリンクしている。多くの若いオスが事故や闘争で死んでゆく。ヒトの男性にとっても、この時期に地位を獲得し、資源を確保することがその後の繁殖の可能性に大きく寄与する。闘争心、自己顕示欲、メンツ、評判にこだわり、リスクをおかしてでもそれを守ろうとする。リスキーな乗り物に乗ること、激しい表現の芸術も、そのあらわれ。殺人の動機はつまらない意地の張り合いや、些細な口論からの喧嘩で、動物界と同じ。

 

p.50 成長時代においては将来が期待できるため、リスク行動は減る

若者の殺人率の低下は、高度成長、高学歴化と対応している。経済格差が縮まったのも、日本の特異性。アメリカとは異なり、みなが豊かになると同時に貧富差が縮小(所得格差の指標であるジニ係数の低下によって示される)。デイリー、ウィルソンによると、将来への期待予期が高いとリスク行動をとってもペイしないため、終身雇用社会では殺人は起きにくいとされる。だが、青年がひけらかし行動をとらなくなると、社会的活性は低下、不登校、鬱が増える。

若者のひけらかし行動は、どんな時代においても芸術や文化における創造性の源泉であり、社会革新の担い手である。(50頁)

バブル崩壊以後、殺人率の減少が止まり、今後は殺人率が上昇していくことが予想される。世界銀行の統計では、2005年現在、日本の経済格差は依然として世界最低水準だが、小泉政権以降、格差は拡大しており、社会不安の懸念材料となっている。*1

 

p.50~51 なぜ社会が豊かになっても戦中世代の殺人率が下がらないのか

戦中世代は、時代の風の利を受けた団塊世代と以降の戦後世代とは対照的に、戦前と戦後の価値観と社会制度の相違の中間で、自己の存在規定に最も苦しんだと思われる。あるいは、より直接的な影響として、幼年期の戦争に伴う体験(飢餓感や親の愛情の不足)が長期的効果をもたらしている可能性も考えられる。もし戦中世代が、戦後の世代より心の問題を多く抱えているとしたならば、メンタルヘルスにもその兆候があるのではないかと予測でき、精神疫学的な分析が望まれる問題である。(50~51頁)

 

p.51 男性の女性に対する攻撃と配偶者防衛

通文化的には、男性間殺人についで男性による女性殺しが多い。進化心理学的には、オスはメスの行動を強制的に制限する「配偶者防衛行動」を頻繁に行い、人間もその例外ではない。パートナーが他の男性と性的交渉をもつことを厳しく監視し、女性の行動をコントロールしようとし、不義の交配があると暴力的手段に出る。ストーキング、DVは監視心理の表現と考えられる。各国の男性の女性に対する殺人の動機を見てみると、性的嫉妬、性的コントロールを理由とするものが目立つ。地方裁判所判例分析の結果、1950年代の日本では全体の81%、90年代では86%が性的嫉妬・配偶者防衛がらみの殺人。デイリー、ウィルソンもこの傾向が通文化的であると指摘している。パートナーがすっかり他の男性のもとへ行ってしまった後でさえ起こりうる。

*1:ここで示された見解については、「アートと思考⑤「10×10」~アートをめぐる学芸会論争史~」(『ブランチング6』所収、クマサ計画、2013年)にいささか書いた。曰く「労働もまた超モノ化を遂げている。供給が需要を上回る「豊かな社会」では、われわれは、もはや、何のために、何の必要があって眼前の労働に取り組んでいるのか、どうしてこれ以上、人々の需要を喚起しなくてはならないのか、説明困難な不条理に陥っている。しかし、特に世間に必要がないからといって労働しないわけにはいかない。われわれはマネーを受け取り、(できれば金融機関に)貯蓄しなくてはならない。「現在のお金のシステムは、近代工業時代の世界観から無意識のうちに私たちが引き継いでいるもの」であり、「時代の支配的な感情と価値観とを設計し推進する最高実力者としてふるま」い、「また、この通貨は、使用者間で「協調」より「競争」を促進するように設計され」ており、「工業社会の旗印である「永続的な経済成長」を可能にした影の功労者であり、エンジン」にして、「このマネーシステムにおいては個人が財産の蓄積(富の貯蓄)を奨励し、それに従わない人々は懲らしめられるようになっている」(ベルナルド・リエター)からである。アートも必然的にマネー社会の中に位置づけられており、その中で目に見える形で現前化を遂げた者だけが、芸術家の名乗りを許される。この分析が正しいとすれば、協調的というよりは競争的な、リスクを恐れない闘争心や自己顕示欲に富む者ほど、現代アーティストとして成功する見込みがあるということになろう。進化心理学の視点からすると、これらの傾向は繁殖開始期のオスの性淘汰的な本性をあらわしている。ところが、戦後成長とポストモダン状況の進展の中で、日本は世界でも類のない男性殺人率(性淘汰的な顕示行動の最たるもの)のおどろくべき低下を実現した。残念ながら中高年男性の殺人率は大して下がらなかったが、若者は殺人率の低下と並行してリスク回避を強め、今度は内向き傾向に転じた。「若者のひけらかし行動は、どんな時代においても芸術や文化における創造性の源泉であり、社会革新の担い手である」と長谷川寿一は指摘する。しかし、自己顕示欲に取り憑かれた一部のエリートが主導する「一将功成りて万骨枯る」型の階級構造は、もはや永続困難な状況を迎えようとしている。クリントン政権に参画したロスコフ元アメリカ商務省国際貿易担当副次官が、グローバル・エリートたちに「もっとも恩恵を必要としていない者に恩恵をもたらし、権力者にさらなる力をあたえ、もっとも弱い者たちのもっとも差し迫った要求さえ無視」していると、その責を問うている現代世界の窮状が、性淘汰的な攻撃性と独占欲の発露によるものだとすれば、そうしたものに経済・文化・芸術といった人間的装いをこらしただけのシロモノに刺激や創造性を求めるといった発想は考え物だ。そうなると、学芸会とハイアートのどちらが世界の平和に貢献しているのか、ちょっと微妙な問題になってくるだろう」。文中、リエターの引用は『マネー崩壊――新しいコミュニティ通貨の誕生』(小林一紀・福元初男訳、日本経済評論社、2000年、11頁)、ロスコフの引用は『超・階級 グローバル・パワー・エリートの実態』(河野純治訳、光文社、2009年、524頁)による。web版はhttp://branching.jp/?p=1623