南山剳記

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音楽と教育――社会学的アプローチ(ジョン・H・ミュラー)

音楽と教育――社会学的アプローチ

ジョン・H・ミュラー「音楽と教育――社会学的アプローチ」(N・B・ヘンリー編『音楽教育の基本的概念』所収)、美田節子訳、音楽之友社、1986年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

本論文は、全米音楽教育者協議会の1957年度年鑑に掲載された論文集『音楽教育の基本概念』(ネルソン・B・ヘンリー編、Basic Concepts in Music Education)に収められた論文の一本で、1958年に公刊されたものである。本論文はその第4章を構成している。

さて、「音楽と教育――社会学的アプローチ」と題されたこの論文は、19世紀以来、今日まで続くロマン主義的な芸術観に一撃を加えようという趣旨のもので、著者のミュラーは、その拠って立つ理論を社会学的美学と呼んだ。それもそのはず、ミュラーは当時、インディアナ大学社会学部の主任教授であった。本剳記では、主にそのあたりを抜き書きした。

私がこの本を手に取ったのは、2001年3月18日のことで、かれこれ19年前のことである。たしか私は、ワーグナー研究の真っ最中で、とはいうものの、楽劇や舞台神聖祝祭劇をやろうなどという気もさらさらなかったので、交響詩の作曲に注力していた。私は音大を出たわけでも藝大を出たわけでもないので、いわゆる音楽の専門教育を受けたわけではないけれど、専門家の指導をいささか受ける機会があって、とにかく器用になんでも書いたので、そのことだけは感心された。もっとも、劇伴の作曲家になれるほどの技術的な引き出しを持ち合わせていなかったので、せいぜいそれっぽいものを書けるという程度のものでしかない。

というわけで、社会的に求められる音楽を創造する能力には恵まれなかった私であるけれど、困ったことに、自分を満足させる音楽ならそこそこ作れるときていたので、ウッカリすると、貧乏暮らしの中、誰にも理解されずに最高の芸術を求めて葛藤した挙句、どこぞの屋根裏で孤独に死んでゆくという、〈芸術家貧乏神話〉を実演しかねないようなところがあった。これは、ロマン主義研究の大家バーリンが、その『ロマン主義講義』のなかで示した、ロマン主義における生活上の理想とよく一致するものである。その理想とするところは「完全無欠さ、誠実さ、何か内なる光りに自分の生命を捧げる態度、自分のもつすべてを犠牲にするに値する、生死をともに賭けるに値する何らかの理想に対する献身」であり、結果、ロマン主義の芸術家は「第一義的には、知識にも、科学の進歩にも、政治権力にも、幸福にも関心をもたず、就中、生活への順応とか、社会の中で地位を得るとか、政府と折り合いよく暮らすとか、さらには国王や、共和国に対する忠誠とかに関心をもっていなかった」し、彼らは「自分の信仰のためには最後の一息まで闘い抜く必要性を信じていたことを見出したことであろう」*1というのである。

バーリンによると、人間精神におけるこうした理想主義的な態度というものは、比較的に新しいものであって、近代の産物と言うべきものであった。このようにしてロマン主義者たちが作品上にもたらそうとしたものとは、芸術家の中を無自覚のうちに吹き抜ける神的霊感であり、無意識的で自然的な精神であった。ゆえに芸術作品とは、作者が単に意識的な形式を押しつけた構成プランの産物ではなく、〈芸術〉は、合目的的な〈技術〉とは明確に区別されるものでなくてはならなかった。いわゆる狭義の〈芸術〉とは、コリングウッドにあっては、ロマン主義の芸術を指したのであろうし、ゼードゥルマイアにしたがえば、現代芸術のある種のものは、いわゆる〈芸術〉からは区別されなくてはならないものであった。

このようにして近代に成立した芸術観が、こんにちでもまだ一定の信仰を勝ち得ているのも事実であろう。ミュラーのいう社会学的美学は、このようなエリート主義的な芸術観が、芸術の唯一の評価基準ではないことを明らかにしようとする理論的枠組みである。それは、ロマン主義的な〈象徴〉としての芸術に対して、〈アレゴリー〉的芸術の再評価を試みたガダマーの方向(『真理と方法』)を、社会学的に発展させたものであるけれど、本論文にあっては、その大まかな考え方が示されるにとどまり、科学的な方法論、すなわち、芸術の社会的機能をいかにして定量的に記述するかということは明確にされないが、音楽作品というものを一つの〈商品〉として取り扱い、その〈商品〉であるということが、音楽作品の外形と、その芸術的価値を決定するという考え方を提示するものとみてよいのではないかと思われる。音楽作品や演奏会というものが〈商品〉であるとするならば、合目的的な商品開発のために、どのような教育が必要とされるのか。それが教育論としての「音楽と教育――社会学的アプローチ」の眼目である。

もし、ロマン主義的な音楽というものが純粋に存在するとするならば――もっとも、ミュラーはこの点についても懐疑的なのではあるけれど――、にもかかわらず、そのロマン主義的な音楽が、いまやロマン主義的な精神において奏されていないという事例については、個別に挙げることができるであろう。あまり知られていないことであるけれど、クラシックの音源を、ポップスのレコーディングと同じように多重録音で録るということはままあって、これは、ロマン主義の美学が重んじた、有機的な自然や無限の総体といった宇宙的な感情と人間における魂の照応といった神秘的で形成的な活動の産物としての〈芸術〉というよりは、きわめて緻密な構成プランにもとづく、意識的で計画的な活動としての〈技術〉に近いものであろう。その初期の例として、指揮者のジョン・マウチェリは、次のような逸話を挙げている。

 

偉大なマエストロたちの録音を聴き「勉強」するとしたら、私たちはある事実に直面することになる。録音がどのように行われたかを知らなくてはならないのだ。たとえば、片面最大五分しか録音できない原盤に直接録音されたのか。それでテンポが決まったのか。それとも事前に演奏時間を計っておいて、指揮者とエンジニアが曲を二つに分けて録音したのか。偉大なワーグナー指揮者であるカール・ムックは一九二七年に、『パルジファル』の「聖金曜日の音楽」を三つの部分に分けて録音するという提案を拒否した。その結果、作曲者の息子であるジークフリートバイロイト祝祭劇場の指揮台に上り、父親の「聖金曜日の音楽」を録音した。

ムックはその後考えを改め、二年後にベルリンで自分のテンポを完全に守りながら「聖金曜日の音楽」を録音した。おかげで、それをひとつにつなぎあわせた彼の録音を今も聴くことができる。*2

 

わざわざバイロイトに芸術の殿堂を建てて、ここでしか聴けない音楽の祝祭をやろうと企図したワーグナーが聞いたらカンカンになるかも知れないけれど、こんにち音楽を奏する側も、それを享受する側も、おそらく、純粋にロマン主義的な仕方で芸術に対しているということはありえないわけで、奏されるスコアは同じものであっても、そこで体験されるものを芸術体験といってよいのか否か、判断に苦しむところである。しかし、これはまだ良心的な例である。平林直哉氏によれば、クラシックのレコード現場は堕落しきっており、「リハーサルから演奏会までテープを回しっぱなしにして、ミスの少ない箇所、聴衆の雑音の入っていない箇所をつぎはぎし、お客のいるときといないときの響きの違いも機械で調節し、レコード(CD)が完成するのである。こうした修正作業をおこなうと雰囲気感の乏しい、透明感のない濁った音質になりがちである」*3というのである。ンなモンは世に出さずに廃棄しろと平林氏は言う。チェリビダッケあたりなら、そんなことは許さなかったであろうし、そもそも機械を介入させると音が歪むと難色を示していた。その点は、シャルル・ミュンシュも明確に同意している。それでもミュンシュは、音楽の専門集団であるオケと、必ずしもそうではないエンジニアとの緊密な連携を図ることが指揮者の一つの仕事だと了解していたが*4クナッパーツブッシュには耐えられないことであった。ワーグナーのロマンまみれの巨大作品を細切れにして録音できるほど器用でもなかったので、代役としてショルティが起用された。おかげでショルティも、今ではすっかり大家としての評価が定着している。

今ひとつの例を挙げよう。これはチェリビダッケに師事したファゴット奏者・エーデルマン氏が、カラヤンについて述べたことであるが、カラヤンというのは念入りにリハをするが、コンサートではオケにまったく注意を払わず、瞑目して、俳優のような美しい動作をつくることに注力していたが、これらはオケに指示を与えることを意図したものではなかった、という。これが昂じてくると、次のようなことが生じてくる。

 

カラヤンは、映像製作のためにプレイバック・レコーディングの手法を最初に導入したクラシック音楽家のひとりである。この手法はご存じのように、音楽を先に録音しておき、その後に映像だけ撮影して重ね合わせ、実際にオーケストラがコンサートで演奏しているのを撮影したように視聴者に信じ込ませるものである。カラヤン交響曲のコンサートやオペラを指揮している映像が数え切れないほど出回っているが、ほとんど実演ではなく、実演を装ったものである。

カラヤンは彼自身の完璧なイメージを残したいと望んでいたので、コンサートをライヴで録画することを許可しなかった。プレイバック・レコーディングによって作成された彼のフィルムは、彼自らがスタジオにこもって自分自身のすべての映像を編集し、その後に公開を許可した。*5

 

80歳のカラヤンベルリン・フィルと共演して、長大なハープシコードのソロを生で弾いて世界から称賛を浴びたという映像がある。じつはこの映像、エーデルマン氏が同フィルのメンバーから聞きかじったところでは、カラヤンハープシコードは音が出ないように細工されており、別の音楽家の演奏を後からかぶせたものであったという*6。ほとんどポップスのPVである。エーデルマン氏はこのあたりを問題視して、チェコのクロメリッツで『今日の芸術におけるマルチメディアの浸透』と題する論文をもとに講演を行なった由である。氏は「生演奏の音楽とマルチメディアが結託しているという問題点に対するマエストロ・チェリビダッケの解答こそ、私のアプローチを導いてくれたものであり、私の論文と講演の基調となるものである」*7と言っている。少なくともチェリビダッケは、テレビ録画でもインチキをしなかったというわけだ。しかし、あの極上の悪夢のようなカラヤンのフィルムは傑作で、私などもついつい見入ってしまうものである。一種の映画と見るべきであろう。〈商品〉としても実によくできた作品で、さすがバーンスタインと二人でクラシック界を牽引した〈帝王〉というだけのことはある。カラヤンを悪く言う人たちも、カラヤン亡き後、その有望な後継者が見当たらないことについては意見の一致を見出すようである。

けれど、これには別の意味合いもある。トラックダウンされ、レコードとして世に出たものは、ときにライブよりも演奏として優れたものになるため、これを模範演奏として後世の指揮者たちが〈レコ勉〉に励むことになる*8。かくいう私も、即興で弾いた曲の印象的なフレーズをつなぎあわせて一曲にした前科があるので(プレイバックで映像を作ったこともある)、人のことは言えない。しかし、やはりこれも一つの範例であって、聴音と演奏能力に優れた人がこれを聴けば、きちんとライブで再現することができるという寸法になっている。そもそも、クラシック音楽が確立された時代に、たまたま作品を記録する手段が楽譜(規範的楽譜)しかなかったというだけで、実際に鳴り響く音よりも、作品として視覚的な音楽表記が重視されたというにすぎないと指摘する人もいる*9

さらに進んで、生演奏では実現できない音楽の制作が録音技術の進歩によって可能となるわけだが、極端な話、ロックバンドのライブに行って「CDと全然ちがうじゃないか、ヘタクソだなこれ」というようなことも起きてくるわけである。ビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンは、「一部の人は、レコードで聴いたものを期待してライヴ・パフォーマンスを見に行く。どうしてなのだろう? その二つはまったく別のものなのに」*10と言ったというが、私もそんな気がする。なお、マーティン卿はYOSHIKIの楽曲のクラシック・アレンジとプロデュースを担当しているが(アルバム『Eternal Melody』、イーストワールド、1993年)、正直、アレには感心しなかった。2曲目の『Vanishing Love』(グラハム・プレスケット編曲)を除いては。それはともかくも、ロックやポップスの場合、世間に出回っている譜面などというのは、聴音の専門家が録音を聴いて耳コピしたものであるから、音源の方が楽曲の「あるべき姿」なのであって、譜面はその不完全な模造品(記述的楽譜)にすぎない(X JAPANART OF LIFE』のスコアのイントロに漠然と「木管」と書かれていたのを思い出す)。かといって、レコードが生演奏にとってかわることはできないけれど、じっさい、模範となる19世紀の録音もないのにロマン主義の精神がどうのと言ったところで、証明のしようがないのも事実であろう。

もっとも、ロマン主義の作品を演奏するということは、単に19世紀の時代様式を模倣再現することを目的とするものではないから、仮にその時代の録音が残っていたとしても、それが絶対ということでもない。それ自体、興味深いものであったとしても、指揮者にとっては一つの参考に留めるべきもののようである。案外、「アレ?」というようなもので、現代の趣味には合わないものも多いのではなかろうか。マーラーあたりにはいささか自作演奏のピアノ録音も残っているから(名指揮者ではあったけれど、オケ録音は残っていない)、そこからマーラーの考えについては窺い知ることもできようけれど、そもそもロマン主義というのは「われわれがそのあらゆる歴史家から教えられているとおり、どんな種類の普遍性にも反対する感情的な抗議」(バーリン*11であるから、作品を解釈する人がロマン主義者であるならば、それだけで十分というような気もしてくる。それぞれの解釈者が、それぞれのロマン主義において、マーラーをロマン的に演奏すれば、それでよいのである。

しかし、現実にそれで済まされるということはありそうにない。けっきょく、それを聴取する現代人の聴体験から極端に乖離した、あまりに特殊な解釈というものは、支持を得にくいものであろうし、その公演機会も限られたものとなるであろう。しかし、ブラームスも自作のコンチェルトをめちゃくちゃな速度で振ったことがあるし、リヒャルト・シュトラウスモーツァルトを高速で振って新聞記者から非難を受けたことがある。これらのことについてのミュンシュの答えはこうだ。「あなたは間違えることがあるし、それはだれにでもあることだが、しかし、感ずる通りに、心底から確信し、熱意をもって、誠心誠意、演奏するなら、〈批評家たち〉が攻撃しようと、神様はきっとあなたをお許しくださるだろうと私は思う」*12。このレベルの大家になると、ライブ演奏がメチャクチャでも、かえって面白がられるようなところもあるらしく、熱心なファンからすると、曲を聴きに来ているのか、指揮者を見に来ているのか、そこはロック歌手のコンサートと同じで、よくわからないところもあるのであろう。呂律の回らない状態でステージに現れた玉置浩二には食ってかかるファンもいたようだが、逆に不平を言う観客に、演奏を中断して論争を吹っかけた指揮者もいた。クラシック音楽の音聴取体験には、知的な理解ということも含まれるので、楽曲の解釈や演奏そのものの質を重視する聴衆が比較的に多いと考えられるけれど、ポストモダンマーケティングの視点からすると、常軌を逸したエキセントリックな演奏方式が、かえって注目を浴びる可能性も捨てきれない。これらのことはすべて〈商品〉の機能なのであって、クラシック音楽の知的な見かけというのもそうであろうし、興行収入は指揮者の人気次第という面があることも、正直、否めないことのようである。先の平林氏からすると、ハイティング、アバドバレンボイムなんてのは無能者で、クラシック界低迷の元凶だと容赦ないが*13、ダメだとわかっちゃいながら、これ以上、クラシック業界が地盤沈下を起こさないように、評論家も口をそろえてこうした指揮者を賞賛しているから、ますますアカンという*14

ゆえに、〈社会学的美学〉というものがあるとしたら、芸術の現実的様態として、このあたりの事情を考慮に入れるものでなくてはなるまい。現実のグチャグチャの挙句、結果的に芸術として後世に残るものが芸術作品なのであって、このことをミュラー国民投票に例えている*15。これはとりもなおさず、〈商品〉としての音楽作品が社会的承認を得るためには、いかなることに留意すべきかということを学ぶのが、音楽教育の眼目となることを意味している。いまや経営学修士よりも芸術学修士のステータスが高いといわれることを考えると、あながち突飛な考え方ではないのかもしれない。

対して、ロマン主義の美学にあっては、支持者不在でも芸術は成り立つ。芸術作品が世に出るとか、芸術をもって生業とするという場合には、支持者不在ではいかんともしがたいが、ある人が芸術表現をおこなうこと、それ自体について考えてみると、ロマン主義的な動機というものは、あながち無視できないものである。ミュラーは、芸術がいまだに神的な霊感を盾に天才神話にドップリ浸かっていると指摘する。科学においても芸術と同じような神秘的な精神過程があるが、そのことは公言されないし、ほめたたえられもしないとして、成年期に達した科学に対し、芸術がまだ幼年期にあることを問題視する*16。しかし、どうもそういうものでもないらしく、何の役に立つかわからんような基礎研究をやって、ウッカリとノーベル賞なんぞとりやがったオッサンの話なんか聞いてみると、科学者っつったって、芸術家と大してかわらないような感じがする。何の役に立つかわからないのに好きなことをやらせてもらえる科学の方が、よっぽど優遇されているわけで、それというのも、現代社会において、芸術よりも科学の方が、より精神的で高尚なもの、保護するに値するものという評価を受けているからにほかならない。かといって、そんなロマンを科学室のなかで追求できたのも今や昔の話で、今日ではそういうわけにもいかなくなっている。ラッセルが言うように、理性的であるということは、目的に対して手段が合理的であることを意味している。今日の科学予算というものは、役に立ちそうな、収益の見込めそうな、そうした説明の可能な研究プロジェクトに対して支出されるものであって、大学の研究室でも、とりあえず好きに使っていいよという基礎校費はどんどん削減され、外部のコンテスト資金を獲得することが推奨されるようになった。ポスドクいっぱい雇ってさ。なるほど、そこまでいけば科学も立派に理性的なものである。そのうち、AIにとってかわられるだろうけどね。

対して、芸術家というのは、大学や国立劇場にでも奉職しないかぎりは、基本的に民間人であるから、どこでどんな芸術に取り組もうと、そこは自由である。ミュラー教授がこの論文を書いた戦後間もなくの時点では、まだまだ本気度マックスなロマン主義的芸術家がいたのかもしれないけれど、芸術の専門家というものは、基本的には科学と同じように、音楽なら音楽の理論や語法を学び、名曲の書法を研究して、音素材の扱いに習熟するものであるから、インスピレーションだけで能事畢れりというものではない。とはいっても、どうも芸術的な真理というものは、科学に比べると普遍性がないもののようで、科学法則というものは、誰がどう学んでもおそらく教わる内容は同一で、その真理であることが誰の目にも明らかであるがゆえに、誰もがそれを役立てることができるものであろうけれど、芸術における真理というのは、各人、テンでバラバラで、世間には見向きもされなくても、作った本人にはそこそこイケるという作品などは、とくに厄介なものである。こればっかりは本人の思い入れなので、周囲が何と言おうとも、譲らなアカン筋合いはどこにもない。ミュラー教授に言わせれば、この態度がダメなのである。だが、俺ら素人には関係ない。飯はよそで食えるからね。

しかし、芸術で飯を食っている人たちからすると、そういうわけにもいかなかったようである。たとえばストラヴィンスキーは、聴衆の好みの変化に応じて、スタイルを変えて『春の祭典』を振っていたというから、巨匠といえど、時代の変化に乗り遅れないように必死であったわけである。結果として、演奏はどんどん機械的で暴力的な、つまりは現代音楽的なものになっていったという*17。そりゃストラヴィンスキーロマン主義者ではなかったからだと言われればそれまでだが、芸術の外形的なものを形成する要因として、このように外部的なものの働きに着目するのが、社会学的美学の立場ということになるのであろう。例えば、啓蒙時代の音楽というものは、悟性的なものとかかわらない感覚的な娯楽という捉え方をされていたから、文芸や視覚芸術よりも低い評価に甘んじるものであった。ずいぶんと軽薄な聴き方をされていたもののようで、社交の場にふさわしい具体的な感情を表現するものであったから、そこへきて〈純粋感情〉などという得体のしれないロマン的なものを表現でもされようものなら、「ふざけンな」ってことになったに違いない。実際、フランスあたりでは、何を表現したのかわからん大交響曲なんてバカげた妄想は、しばらく理解されなかった。音楽の外形を決定する要因として、当時の社会習慣の変化、音楽聴取ついての考え方の変化、音楽消費の文化的変化といったものが漸次影響したらしいことがうかがわれる事例である。

この視点には興味深いものがあって、かくいう私も、学生時代に『大衆音楽売り上げ倍増計画の今昔』*18という文章のなかで、バロック時代に生み出された音楽作品が、いかなる需要にもとづいて生み出されたのか、どのような社会的背景においてあのようなものとして形成されたのか、同時代人の聴取態度や批評家の見方などを参照して考察したことがある。いま読み返すとなんだかわからん読み物だが、おもしろいのは、当時、バッハよりも売れていたテレマンを、小室哲哉と比較して考察したところであって、しきりにマーケティングの重要性ということをいっている。社会学的美学の根底には、このようにして消費者ニーズを追った作品と、ロマン主義的な芸術作品のあいだに何か根本的な相違があるのだろうかという問いが横たわっているのである。少なくとも世に出た作品というものについては、一つの〈商品〉として見なくてはならぬというのが、この派の考え方である。くりかえしになるが、こんにちでは、芸術音楽の代表格というべき大交響曲の普及についても、音楽外的なものが果たした役割を重く見る説が提起されていて、マーク・エヴァン・ボンズ氏(ノースカロライナ大学チャペル・ヒル校教授)の近著によれば、ベートーヴェンに始まる「これらの交響曲は、器楽曲に新たに見出された高い美的価値を広めるのに役立ったことは疑いないが、その価値の高まりが生じた原因としては、比較的小さい役割しか担って」*19おらず、「むしろ、この新たな見解を推進したおもな原動力は、芸術の本質に対する姿勢の変化に、音楽と哲学の関係に対する姿勢の変化に、そして、まさに聴く行為そのものへの新しいアプローチのほうにある」*20とのことである。

ある楽曲をどのようにして売り出すか、同じ商品をターゲティングや宣伝戦略なしで世に問うた場合、その商品に価値が認められるようになるまでに、どれくらいの時間を要するのか、あるいは、価値を認められることなく埋もれてしまうのか? 作品というものは、そもそも現前しなければその価値を問うことすらできない。つまり、その作品が世に出た時点で、適切な保護的措置が取られなければ、その作品に永遠の価値があるや否や、論ずることさえできないのである。超複製技術時代である現代では、情報のゲートキーパーとしての巨大メディアを経由せずに、インターネットを通じて作品を世に出すことが可能となっているから、これらの問いは、すでに重要なものではないのかもしれない。というのは、ネット上にアップされた作品は、どんなものであれ、巨大なサイバー空間に半永久的に保存されうるからである。とはいっても、それらすべてが公平に人の目に触れるわけではないから、依然として、作品の価値は作品そのものに存するのか、あるいは、その作品が価値あるものであるとする美学的宣伝によって付与されるものなのか、価値の形成プロセスの問題は残るであろう。これらの宣伝が案外重要であったという事情を、ミュラー氏は、モーツァルトの頃にまでさかのぼって強調するのである。

なお、アートの世界にも同じような問題があって、村上隆氏が『藝術闘争論』のなかでいささか述べている。そのなかで村上氏はしきりとハーストをとりあげて、〈近代芸術〉とは異なる、英米流〈現代ART〉の考え方について説明している。ハーストというのは、90年代にYBAと呼ばれたアーティストたちの代表格で、サメやウシを真っ二つにしてホルマリン漬けにしたアレで有名な御仁であるから、ご存じの方も多いかと思う。ケアリー=トマス、スタウトの両氏によれば、YBAの活動スタイルというものは、「鑑賞者をあえて挑発し、自己宣伝に熱心で、評論家にも気を配る新しいスタイル」*21で、「みずからも仲間入りを果たしたいと願う国際的な美術界に特有な作法にも神経質なくらい目配りを忘れない」*22ものであったという。YBAの多くは「80年代後半にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに属し、校長のジョン・トンプソン、ならびに教育者としても影響力の大きいアーティストのマイケル・グレイグ=マーティンの教えを受けた」。その教育方針とは、次のようなものであった。

 

(…)絵画や彫刻といったメディアごとに線引きする旧来の教え方を廃止し、複数のメディアに習熟することを重視すると同時に、世間一般の中でアーティストの占める位置について批評するよう指導した。アーティストは何事も他人任せにせず、自分でする態度を身につけるよう促される。作品を制作すればそれでよしではなく、作品が展示され、人々の目に触れるようにするところまで、自分で責任をとることが求められたのである。80年代を通じて政府は国民に自主的な事業家精神をもつように呼びかけたが、カレッジの方針はこれともうまく一致した。*23

 

これらのアーティストを後押ししたのが、ブレア政権の「クール・ブルタニア」政策であったという。

 

18年続いた保守党政治に終止符が打たれ、面目を一新した労働党が1997年に政権につくと、新世代の創造者たちの一匹狼的で快活な姿勢が文化の刷新を目指すトニー・ブレアの意欲とうまく一致し、若々しく、創造力に富む英国発のすべてのものを「クール・ブリタニア」の名のもとにひとまとめにして世界に向けて売り出し、輸出しようという動きが高まる。*24

 

わが国にも「クール・ジャパン」という国策のブランド戦略があったけれど、その着想のモデルは、先行する「クール・ブリタニア」にあったといわれる。当の村上氏は、国のやり方に批判的であったけれど、「クールジャバンはアホすぎる」と題する記事の中で、面白い提言をしている。

 

(…)アイデアを出すとすれば、コミコン(米カリフォルニア州で開かれる漫画など大衆文化のコンベンション)などで、国際的な漫画、アニメの賞で日本人が受賞するよう、ロビー活動をすべきです。海外で「やっぱり日本人のやっていたことは正しかったんだ」と認められるような、上手なコミュニケーションを促進する縁の下の力持ちを造り上げることです。*25

日本には、高松宮殿下記念世界文化賞などいろいろな賞があって、外国人に賞を上げています。それは国際交流としてはいいことです。ただ逆に、国際社会の中で、日本人が評価されるという舞台もあるはずです。そういう国際的な賞を、たとえば、任天堂ゼルダを創った宮本茂さんが受賞するといった例を作らないとまずい。日本人が日本人を表彰する自画自賛では駄目です。*26

 

つまりこれは、宣伝ということである。人間というのは単純なもので、やはりナントカ賞のようなものには弱いもののようである。そのためには、日本人が受賞できるようにバンバンとロビー活動を仕掛けろというわけである。ロビー活動の本場である米国で剛腕ロビイストとして鳴らした人の著書を読んだことがあるが(すでにブックオフで売り払ってしまったけれど)、早い話がコネの世界である。なるほど、これは社会学的にも大変興味深いところである。いまの時代、いささか議論が古いような気がしないでもないが、世界はまだまだコネで動いている、ということなのであろう。つまるところ、コネづくりのやり方を覚えよというのが、ゴールドスミス・カレッジの教えでもあった。

ロビー活動が重要なのは、世界遺産の登録にしても、捕鯨問題にしても、オリ・パラの招致にしても同様で、何もアートに限ったことではない。どういうわけか、戦後の日本に五人しかいない五輪招致委員会長のうち二人が母校のOBときていて、古来、山国育ちで偏屈といわれてきたわが県民に、そんな才能があったとは、いささかおどろきもしたものだが、案の定、ときに失言をやらかして、招致の足を引っ張る局面も、あるにはあった。黒いカネのウワサも、あるにはあった。ともあれ、そうしたわけで、私も母校が文科省からスーパーグローバルハイスクールの指定を受けた際、初年度の研究成果発表会にアドバイザーとして招かれ、英国における「クール・ブリタニア」やロンドン五輪のレガシー活用といった観光振興策について世間話程度に話してきたが、文科省にもチャンとその手の専門研究家がいて、名刺など交換したことを覚えている。でも、本音を言えば、五輪が来ようと、ナニが世界遺産に登録されようと、私はそんなことで観光になんか行きゃしないけどね。まァ、ある意味、世界遺産になっても誰も入れない沖ノ島なんてのは面白そうだね。

そうしたわけで、母校では、社会的コンテクストを踏まえた価値形成であるとか、その発信であるとか、具体的な手法についても思いつくところを述べてきたけれど、そんなことにばかり躍起になってもいかがなものかということを考えないわけでもなかった。折りしもSTAP細胞事件で理研の笹井先生が亡くなった頃で、あの人も研究の組織化や説明能力に長けた人であったけれど、なんで自ら命を絶たなアカンことになっちまったのか、そんな話も生徒の皆さんにはした(みんなキョトンとしていたけれど)。科学の世界にあっても、研究者はトレンドに敏感でなくてはならないし、新しい価値の枠組みを説明するということに長じていなくてはならないことは、アーティストと変わるところがない。科学研究もアート制作も、このような発明主義の制約の中で営まれているのである。

もちろん、内気な芸術家が社会に背を向けて、ひたすらまじめにその道に打ち込んだ結果として、作品の素晴らしさが認められ、陽の目を見るという可能性もないではないであろう。しかし、すでに『メタロギコン』の剳記で見たように、陽の目を見る作品とはいかなる作品かということをリサーチせずに、やみくもに制作して成功を収めたとしても、それは理性的なやり方ではなく、たまたまうまくいっただけのことであろうから、確実で効率的なものとはいいがたい*27。社会的承認を得ることを目的とするのであれば、ミュラーの言うように、社会経済を研究し、消費者動向を分析する術を身につける努力をしなくてはなるまい。このような考え方は、じつに西欧的である。

もちろん、芸術におけるディレッタントの地位が高かった時代もあったから(たとえば、ウィーン楽友協会は、当初、プロの入会を禁じていた)、アマチュアリズムの価値が完全に否定されるようなものでもないであろうが、問題の一端はここにもあって、一般にプロをアマよりも上位に置く社会的価値観そのものが、〈社会学的美学〉出現の基盤となっているのである。プロの音楽家などというのはバッハの昔からいたであろうけれど、近代芸術の出現以降、音楽演奏の専門家というものを、ただの雇われ人ではなくて、何か高尚な存在と見る風潮を生じたため、実際には商品経済の只中にいる音楽家というものが、あまりに現実から乖離して浮世離れしたものとしてとらえられるようになり、よくわからない事態を生じているというのも、一面の事実であろう。豊かな時代になると、芸術家になりたい人もワンサカ出てくるため、ミュラー氏も業を煮やしたもののようである。音楽といえど、社会的連関の中でとらえられるべき実用の学であると、ミュラー氏は言いたかったのであろう。この文脈でいくと、芸術家にあって消費者ニーズを探ることは、工業製品の研究開発者と何ら変わるものではないという理屈にも頷けるのではないであろうか。

反対に東洋では、詩人の詩、書家の書、料理人の料理などというのは、俗なるものの最たるもので、プロの仕事からくる商売気というのは、鼻持ちならないものであるとの見方があった。それでまず、万巻の書でも読んで俗気を去れという人格主義が出てくることにもなるのだが、そうやって、万事、自由に伸び伸びやってたんじゃア、技術的方法論を突き詰めた西洋文明には太刀打ちできねえ、東洋の精神的遺産の神髄はこの〈自由〉ということにあるけれど、ここは規律を学んで、西洋に対抗せなアカンと言った人がいた。言わずと知れた大川周明である。日本人というのは元来、他のアジア人と同様、器械的な規則に従うことには不慣れであったのだ。漱石が、ロンドンできちんと行列をつくって並ぶイギリス人を見て感心したことからも、そのことがわかる。内的な自由を、西洋のように社会組織として外にあらわすために、怠惰から目覚めよと、大川は言った。まるで村上氏の説と同じで、戦勝国が文化的に構築した〈現代ART〉のルールを理解しようともせずに、自分の好きなように作品を作って、世に容れられないと嘆く〈自由という名の野良犬〉なんてのは、村上氏からしたらまったく困ったシロモノなのである。この現代版の〈東西対抗史観〉については、「アートと思考④ ART=マネーのポスト・コロニアリズム」(町田哲也編『ブランチング5』所収、クマサ計画、2013年)ですでに書いたので、参考までに挙げておく。

なお、ミュラー氏の提起した方向性は、今では幅広く受け入れられるようになったもののようで、ブランドン大学、レイクヘッド大学、ウィルフレッド・ローリアー大学の音楽学部長を歴任したグレン・カールーザース教授は、次のように書いている。

 

音楽や音楽家を社会的コンテクストから論じるという最近の傾向は、その他の多くの分野にも見られます。例えば、1980年代のニュー・ミュージコロジーに触発されて、主流の音楽学の関心も、「作品そのもの」から「本来の場所にある」音楽に向けられるようになりました。「実証的であるより、批判的な音楽学であれ」というカーマンのスローガン(1985)に刺激されてか、この新たな関心は一般的な音楽雑誌から研究書に至るまで、ほとんどの研究で顕著に見ることができます。音楽史の教科書ですら、版を重ねるごとに、音楽を社会的あるいは歴史的な背景から把握しようという傾向が顕著になっています。*28

 

結果、音大生のキャリア教育においては、課程の目標や方法が見直され、学生たちが授業で修得したスキルが、現実にどのように応用されるのかが重視されるようになったと、カールーザース教授は言う。社会が音楽家に求める役割も変化して、「今や音楽大学を卒業した演奏家が、チケットを購入してくれた聴衆を前にクラシック音楽を熱演している姿は、もはや想像できない(…)」*29とまで言われているのである。そのような状況の中で、起業教育や音楽テクノロジーが音楽教育のカリキュラムに含まれていないことは、きわめて問題であると、カールーザース氏は指摘している。1970年代までの芸術教育で重視されていたのはソリストとして活動するためのスキルを身に着けることであったが、20世紀も終わりに近づくと、この考え方は変わったという。

 

「すべての人に音楽を」という音楽教育と音楽学習の民主化が、音楽家の仕事を変え、ヨーロッパのコンサート中心主義も見直されました。地域の音楽活動の活性化をめざすプログラムでも、個人からグループへと対象を変化させたのです。またよい演奏家の養成よりも、他のすべてをさしおいてでも、学生自身や他の人たちがいい人生を送れるように教育することを、音楽大学は目標とするようになったのです。
こうした変化の中で、音楽家がICTに強いことが重要な役割を果たします。コミュニティを活性化して維持していくうえで、テクノロジーが果たす役割を強調して、しすぎるということはありません。テクノロジーはあらゆる場所で、音楽活動への参加を促してくれるからです。児童・生徒であっても、頼りになるソフトウェアを使えば、手の込んだ音楽を作曲することもできます。とにかく、ますます多くの人が、インターネットを通して、必要なときに世界中の音楽にアクセスできるようになったのです。*30

 

このような教育で、ロマン的な音楽家が育つということは、まずないであろうと思われるけれど、現実社会の中で音楽を仕事にして飯を食うという、まったくロマン的とは言えない実際的な課題に応えるカリキュラムは、確かに必要なものであろうと思われる。ロマン的な内面をどう涵養するかについては、東洋の文人のように、各自で取り組むほうがふさわしい。ただし、ロマン的な天才を演じることで、大衆が熱狂するということを考慮に入れれば、インターネットにおける自己宣伝や、セルフ・プロデュースの技術を学ぶことによって、音楽家が路頭に迷うことなく生涯をまっとうできる道もまた、開けるのであろう。YOSHIKIがドラムをブッ壊すのは、カラヤンの演技と同じで演奏上は何の役にも立たないであろうけれど、本人がスッキリする上に、観衆が喜ぶときているから、やめるわけにはいかない。「どんなによい曲を作っても、聴かれなければ意味がない」という趣旨のYOSHIKIの発言が残っているが、X JAPANが世に出た初期の頃、バラエティ番組の企画で、飯屋の客に絡みながら、ゲテモノ的と呼ばれた過激なスタイルで演奏していたのも、視聴者の関心を惹くことを目的としたパフォーマンスであったわけで、これも消費者を挑発するポストモダンマーケティング的宣伝の一例と言えるのかもしれない(ただし、現在ではコンプライアンス的に逆効果のものもある)。

啓蒙時代の社交的な音楽享受のあり方から、ロマン時代における真剣な聴衆の登場という聴取文化の変化は、音楽家と音楽作品、その演奏というものの存在様態を規定してきたけれど、その事情は現代でも変わることはない。カールーザース氏は言う。

 

別の言葉で表現するならば、音楽の生産と消費がいつ、どこででも行えるようになったことで、音楽家の役割もたちまちにとめどなく広くなったのです。そうなると好奇心の強い音楽教員なら、学生たちの人生において、これからの音楽が果たす役割は何かと、再度問うてみるでしょう。音楽学者なら、音楽の「意味」がコンテクスト、すなわち音楽が享受されたり、伝達されたりする時代や場所から切り離せないことを、よく知っています。演奏家ですらも、社会の関心に応え、急速に変化する世界において、社会を変える役割を担うために、こうした問題について議論することも厭わなくなっています。
(…)かつては何でもできるということは専門家ではなく、アマチュアであるとみなされていましたが、今ではこの汎用性こそが音楽家の競争力の源になっているのです。しかし汎用性というのは、一朝一夕に獲得できるものではなく、積極的に教えてもらったり学んだりしないと獲得できません。学生たちも早い段階から、学問、音楽、テクノロジー、企業、ネットワーキングなどのスキルを修得するようにしなくてはならないでしょう。これらのスキルを組み合わせて使用するときが、きっと来ます。*31

 

この取り組みを早くから実践している学生たちは、教会やレストランで演奏し、音楽教室で教え、楽器店で働き、演奏団体の指揮、青少年センターや老人施設でボランティアにいそしむなどして、有償・無償を問わず、学内外でネットワーク作りにつながる活動を継続しているという。この事情は日本の音楽大学でも同様のようである。ついでに教授やレッスン指導者のカバンもちなどをして将来の仕事にありつこうという人もいるくらいで、そんなことに気疲れして、音楽を仕事になんかするもんじゃないと悟る人も少なくないようである。私もそう思う。こんなにゴチャゴチャ人間が出てくる活動など、正直、たまったもんじゃない。しかし、音楽というのは往々にして集団的な活動になりがちなものであるから、生演奏は社交性の高い人に任せて、私などはネットの音楽配信サービスの使用に習熟した方がよさそうである。

長々と書いたけれど、音楽と社会のかかわりということが教育上の問題となった、比較的に初期の論文であることに注目されたい。そのうえで、職業音楽家になろうとする人のために、アングロ・サクソン型資本主義のシステムをしっかりと教え、自己宣伝からコネづくり、業界特有の階級制度とプロトコルにもきちんと目配りさせるゴールドスミス・カレッジ流の実業教育を音楽の世界にも導入すべきか、一考されたい。

 

音楽教育の基本的概念

音楽教育の基本的概念

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 単行本
 

 

所蔵館
市立長野図書館

 

関連項目

グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」 

 

 

本文

 

p.119 音楽は社会的要素に基づく集合的活動の一つ

音楽は神秘的な存在でも、インスピレーションによって高められた精神状態でもなく、また紙の上に並べられた記号でもなく、根本的には、ある特定な環境のもとでなされた人間の行動の一形態と考えられる。この行動は、他のあらゆる確立された人間の行動組織と同様に、本質的には、過去から社会的に受け継がれた多くの社会的要素に基づく集合的活動である。教育は、この受け継がれたものを、世代から世代へと伝えるために公に制度化された行為である。(119頁)

 

p.122 音楽で成功するには、マーケティングが必要だ

現実的に言えば、音楽にたずさわる人、学校の先生、オーケストラの指揮者、自分の作品が演奏されることを切望する作曲家などは、みな、社会生活の中にどっぷりつかっているのである。(122頁)

よって、社会生活について知ることは、成功の上で必要なこと。それは、洗濯機の製作者が消費者行動や社会習慣、市場動向について知るのと同じこと。

 

p.123 音楽家は忙しいだろうが、科学者と同じで常に学ぶ必要がある

しかし、こうした教養教育に音楽家や作曲家がかまけている時間はない。技術の維持に非常な負担が要求される。また、そもそも音楽は世俗的活動ではないといわれている。しかし、医者や科学者が巨大な伝統を受け継ぎ、学識を維持し、知的・肉体的技術を維持するのにも負担はかかる。孤立主義に陥らないために、学ぶ必要がある。

 

p.124 音楽の創造には消費者動向がかかわっている

美学が扱うものは、

消費の過程と、派生的に、消費のための創造の過程を扱うものである。したがって、この定義によれば、純粋に独立した音楽の境界線をただちに越えて、人間性と社会組織の領域へ入り込むことは明らかである。なぜなら、音楽の消費の基本的原則をよく分析すると、消費者の人間性、習慣、欲求などが、ただちに関係してくることが判明するからである。(124頁)

 

p.124 シェーンベルクといえど、他人の評価は気になった

シェーンベルクは、自分の聴衆をいささか軽蔑し、自分自身の自己表現感覚を、音楽の質の基準としたのであるが、彼のような人でさえ、自己表現の満足感だけしか得られなかった時には、大変な不満を表わしたことがしばしばあった。消費者(聴衆)が拍手をするのは、命令されたからではないだろう。(124頁)

 

p.124~125 社会学的美学とは何か

ロマン主義は、根本原理そのものから異なった美学を発展させた。作曲家は超自然的インスピレーションを受けた予言者で、その表現は「神権」によって正当とされたもの。しかし、

社会学的美学は、超自然的存在の哲学よりは、むしろ消費者の人間性と社会組織を出発点とするものであり、嗜好の科学と、嗜好を決定するいろいろな要因に関係するものである。(124~125頁)

 

p.125 ロマン主義的芸術観のほかにもいろんな基準がある

ロマンティックな傾向の人には、そのように美学論の重点を置き換えることは、無教養な大衆の好みに迎合して、高尚な芸術を犠牲にするように思えるかもしれない。しかし、社会学的アプローチに対するそのような反発は、その主義の大変な誤解である。エリートの芸術社会学があるように、大衆の芸術社会学もある。したがって、それぞれの基準――それがどんな意味のものであれ――を放棄しようと言うのではない。それはただ、現存する基準の多様性――すなわち複数の基準――を理解し、現実社会において認められる事柄に基づいて、好みの相異と変動を説明するものにほかならない。(125頁)

 

p.125 作品は自立した価値をもつというが、実は理論や宣伝にまみれている

楽家は美学的思想との関連を公然と否定する。「音楽をしてみずからを語らしめる」と主張するが、それがうまくいっていることは稀で、みずからの創造の結果を何の保護手段も加えずに世に送り出す作曲家はほとんどいない。イデオロギーを相当はっきりと明らかにしている。

いつも喜んで受け入れられるとは限らない大衆社会に対して音楽を送り出すには、説明や言いわけ、または弁明を、あえてせざるを得なかったのである。彼らが書いた本は、読まれるべくして書かれたものであり、多様な美学体系の原則である。(125頁)

モーツァルトからシェーンベルクまでそうだった。

 

p.125~126 しろうとの美学への貢献

また、しろうとの意見も美学に反映される。なかでも知的で社会性のある人は、人々の趣味の多様性や不一致を調和させようと努力するが、この理性的な活動が美学の原理と理論の発達を促す。

 

p.126~127 音楽の性質をめぐる考え方の違

音楽の性質とは何か。経験的・社会学派は、「音楽=快い音の調和」と捉えるが、ロマン派は、音楽は耳に快くなくてもよく、娯楽を求めるだけの人は最高の芸術に無関心だと考える。シェーンベルクは「高度な芸術の特徴は知的内容であり、美ではない」と言った。

 

p.127~128 凡人には1世紀かけて音楽を理解する義務がある

極端なロマン主義の原理では、芸術作品は超自然界の存在者で、自律的で独立した存在。それ自体の内的発達の歴史を有する。芸術の知識は、経験的に物事を考える普通の人間には与えられない。天才のみが超自然界と接触でき、芸術を理解し、インスピレーションによって芸術を創造する。これがカリスマ原理。ロマン主義のカリスマ的原理では、美は人間が作るものではなく、対象の中に存し、天才によって発見され、再創造されるので、凡人には天才の自由を批判する能力も、制限する権利ももっていない。それを理解するのがしろうとの義務。美は社会の経過に影響されず、逆に社会に豊かな精神的恩恵を与える。芸術家の自己表現についての感覚が芸術作品の質を規定する直接の規準。

ところが、その義務を正しく果たすためには、通常、少なくとも一世紀は要すると言われている。そのことを極端な言い方で言えば、音楽が人間に順応するのではなく、人間が音楽に自己を順応させるのである。「偉大な」音楽や美学が何世紀もの間生き残るのは、この考えを確証するように思われる。(127頁)

これは本質的にワーグナーシェーンベルクがもっていた思想(128頁)。

 

p.128 ひとりも感動しなくても芸術作品は存在しうる

シェーンベルクショーペンハウアーの説に賛同して言った。

「作曲家は、世界の最も深い内部に潜む本質を明らかにし、比較的少数の人にしか理解されないような最深の知恵を言い表わすのである」「芸術作品は、それに感動する人がひとりもいなくても存在する」音楽は「最高司令官から潜在意識的に受け取られるものである」つまり作曲家は、聴衆の要求によって汚染されることが少なければ少ないほど自己の使命に忠実であり得るのである。(128頁)

作曲家は、聴衆の要求によって汚染されることが少なければ少ないほど、自己の使命に忠実でいられる。

 

p.128~129 音楽作品も他の社会的な発明品と同じようなもの

経験的・社会的観念は、音楽を人間が考え出したものと定義する。他の社会的発明品、政治、宗教、経済などと同じく、環境に存在する諸勢力の刺激によって変化する。イデオロギー、理論、伝統、実践、美的良心から成立する。この美的良心ゆえに、善良な人たちが「すぐれたもの」を選択し、悪質なものを拒否する。ゆえに音楽も他の発明品と競争して、人の注意を惹かねばならない。新しい音楽が一般的価値を犯せば、批判、拒否される。しかし、一世紀にわたって格闘し、新しい価値となることもある。パウルヒンデミットは言った。「聴く人が集中しうる知覚の継続時間を考慮すべき。また非常に高度な協力をたえず強要し、聴衆の注意力を弱くするようなことは避けよ」(129頁)。

 

p.129 芸術も科学も同じように発想されるもののはずだ

科学的思考と同じく、手段と経験者の精神的内容の限界の中でしか働かない。科学=理性的、芸術=インスピレーションの産物という区別は不公平。科学室の中にも神秘的な精神過程があるが、そのことは公言されないし、ほめたたえられない。科学は、いわば成年期に達している。

 

p.143~144 音楽作品の寿命

音楽作品の歴史は、社会的承認を求める実験の歴史である。そして社会は、これらの実験の最中にあって、どれがどれくらい長く生き残るかを決定する、いわば国民投票を絶えず行なっているのである。(143~144頁)

 

p.144 バッハには、長命な作品を書く意図はなかった。クラシックの独占に対する不満

十九世紀を通じて、作品の長命ということが価値の基準として認められるようになった。ところが、モンテベルディ、バッハ、ハイドンモーツァルトなどはみな、聴衆にすぐ聞いてもらうために作曲したのであるから、彼らには、この基準はおかしく思われるだろう。しかし、作品の長命ということは、今日では、ほとんど動かしがたい真価のあかしとなっている。しかもそのことが、多くの芸術家のほとんど熱狂的な願望となっており、彼らは社会が自分たちに追いつくまで認められることを待つと主張することさえある。

しかしながら、社会学的に言えば、そのような基準は、価値の普遍的なというよりは、周期的なものであることを、繰り返し言っておかなければならない。事実、クラシックの独占は過去の王道であり、そのために現代の作品の「正当な」位置が、先取りされるという不満の声が、そこここに聞かれるのである。これはコンサート・ホールと学校という土俵で戦われる倫理的—美学的問題である。(144頁)

*1:アイザイア・バーリンバーリン ロマン主義講義』、田中治男訳、岩波書店、2010年、12頁。

*2:ジョン・マウチェリ『指揮者は何を考えているか 解釈、テクニック、舞台裏の闘い』、松村哲哉訳、白水社、2019年、275頁。

*3:平林直哉「あとがき」(『図説 指揮者列伝』所収)、河出書房新社、2007年、115頁。

*4:シャルル・ミュンシュ『指揮者という仕事』、福田達夫訳、春秋社、1994年、90頁。

*5:フリードリヒ・エーデルマン『チェリビダッケの音楽と素顔 元ミュンヘンフィルハーモニー首席ファゴット奏者の回想録』、中村行宏・石原良也訳、アルファベータ、2009年、47~48頁。

*6:エーデルマン、同書、49頁。

*7:エーデルマン、同書、49頁。

*8:なお、指揮者の三澤洋史氏も書評『小川榮太郎フルトヴェングラーカラヤン」』において、〈レコ勉〉する側の立場から、カラヤンの録音について、次のように述べられている。「カラヤンは、自分が録音する時には、自分のレコードで人が勉強し易いように、意図的に演奏していたに違いない。しかも極上の音で!」(http://cafemdr.org/RunRun-Dairy/2020-1/MDR-Diary-20200127.html?fbclid=IwAR00uSqjgLSJ4wm0Lw1DHG5b2rWkwD2Cz1YNVPHTOETN4WQ9gjYGXM4iYwk)。なお、カラヤンが音をつないだかどうかは定かではない。

*9:増田聡・谷口文和『音楽未来形 デジタル時代の音楽文化のゆくえ』、洋泉社、2005年、113~114頁。

*10:増田・谷口、同書、117頁。出典は、ジョージ・マーティン『耳こそはすべて』の116頁とのことである。

*11:バーリン、前掲書、11頁。

*12:ミュンシュ、同書、86頁。

*13:平林、同書、114頁。

*14:平林、同書、116頁。

*15:ジョン・H・ミュラー「音楽と教育――社会学的アプローチ」(N・B・ヘンリー編『音楽教育の基本的概念』所収)、美田節子訳、音楽之友社、1986年、143頁。

*16:ミュラー、同書、129頁。

*17:マウチェリ、同書、278~279頁。

*18:服部洋介「大衆音楽売り上げ倍増計画の今昔」(『気がふれ茶った会』5号所収)、気がふれ茶った会、1996年、42頁以降。

*19:マーク・エヴァン・ボンズ『「聴くこと」の革命 ベートーヴェン時代の耳は「交響曲」をどう聴いたか』、近藤譲井上登喜子訳、アルテスパブリッシング、2015年、32頁。

*20:ボンズ、同書、32~33頁。

*21:ジー・ケアリー=トマス/キャサリン・スタウト「英国美術の20年 1984年から現在まで」(森美術館編『英国美術の現在史 ターナー賞の歩み』所収)木下哲夫訳、淡交社、2008年、126頁。

*22:ケアリー=トマス/スタウト、同書、127頁。

*23:ケアリー=トマス/スタウト、同書、127頁。

*24:(ケアリー=トマス/スタウト、同書、126頁。

*25:村上隆村上隆(下)「クールジャパンはアホすぎる」 「未来国家・日本」が抱える大問題」(『東洋経済ONLINE』2012年12月7日、佐々木紀彦取材)より。https://toyokeizai.net/articles/-/12029?page=4

*26:村上、同記事。

*27:該当する箇所として、次を参照せよ。ソールズベリーのヨハネス「メタロギコン」(上智大学中世思想研究所 編訳・監修『中世思想原典集成8 シャルトル学派』所収)、甚野尚志/中澤務/F・ペレス訳、平凡社、2002年、658~659頁。

*28:グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」(ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』所収の第6章)、久保田慶一編訳、春秋社、2018年、103~104頁。

*29:カールーザース、同書、106頁。

*30:カールーザース、同書、107頁。

*31:カールーザース、同書、107~108頁。