南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

社会とつながる音楽家(カールーザース)

社会とつながる音楽家

グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」(ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』所収の第6章)、久保田慶一編訳、春秋社、2018年

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【服部 洋介・撰】


解題

本剳記で紹介する「社会とつながる音楽家」は、ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』(2012)の第6章として執筆されたもので、著者は、カナダのブランドン大学、レイクヘッド大学、ウィルフレッド・ローリアー大学の音楽学部長を歴任したグレン・カールーザース氏である。先にミュラーの『音楽と教育——社会学的アプローチ』(1957)の剳記解題で、かなり長々と引用したから、くりかえしになるような部分もあるけれど、ミュラーの論稿が書かれた戦後まもなくの頃に比べれば、職業音楽家を取り巻く状況の変化は、その速度を増しており、今やロマン主義精神にかぶれた音楽家の出番など1ミクロンもなくなっている。カールーザース教授は、リーマンショック以降、没落に歯止めがかからない音楽大学のカリキュラム刷新ということを訴えているが、そのためにも、音楽家は専門家としての特権意識を捨て、社会の中で多様に活動し、コミュニティに貢献する能力を身につけることが求められているというのである。今や音楽大学における非演奏的な教育の比重は、演奏スキルを身につけるための教育と比べても、劣るどころか重要性を増しており、ソリャ本末転倒なんじゃないのって気もしないでもないが、わが国における大学教育というものも同じ課題に直面しており、エンプロイアブルな職能にかかわりのない教養教育などという概念は、今や死滅しつつあるもののようである。そもそも、私の頃の国立大学には、就職課という部署それ自体が存在しなかった。国立大学で初めて就職課を置いたのは、一橋大学だったと思う。97年秋の金融破綻を受け、就職氷河期といわれた、あの頃の話だ。今や大学側としても卒業生が路頭に迷わないようにキャリア発達の世話を焼くのは当然のことであるし、就職説明会に親がついていくという現象も戯画的に報じられている。そうなるといささか極端な事例だけれど、こうした問題はひとり日本で発生したものではなくて、実はすでに海外で先行して出来していたことどもなのである。

その意味で、音楽家を社会・経済のなかに位置づけて教育しようとするミュラー社会学的なアプローチは、先進的なものであったというほかない。カールーザース教授は、学生たちと社会学者との交流を推奨しているが、ここまでくると、いよいよ芸術もオシマイって感じがする。しかし、社会学的に見ると、ロマン主義の大芸術家というのはみな実業家であって、社会に背を向けて神的な世界に閉じこもっていたわけでは決してなかった。つまるところ、真のロマン主義者がいるとすれば、ゴッホのように人知れずどこかでオダブツになっていたに違いなく、生き延びて名を成した音楽家というのは、みな演奏以外のスキルを多分に身につけていたに違いないのである。どんな非演奏的能力が必要なのか、それは本文の抜き書きをご覧いただきたいが、しまいには必死すぎて大学側の本音もポロッと書いてしまっていて面白い。「鍵となるのは、学生をどれだけ入学させればどれくらいの収益につながるかという、価格モデルなのです。おそらく今後も広く大衆受けする科目を、どんどん提供していくことになるでしょう。市場でシェアを維持するためには、大学は公共機関や企業などとの連携を充実させ、推進していかなければならないでしょう」*1。なるほど、正直で大変よろしい。

これが個人の問題であれば、芸術家がどうやって生きようが、特に問題ということもないのであろうが、音楽大学ともなれば、国のカネも何かしら投入されているであろうし、学生たちの期待に応える責務もあろう。これも一つのビジネスであろうから、大学をツブしてしまったら困る人たちも出てくる。学生は音大を受験せずに、もっと社会的ニーズの見込まれる分野に進学すればよいであろうけれど(実際にそういう現象が起きていると、カールーザース教授は言う)、教員としては困ったことになる。日本でも、国立大学から非実務系の文系学部を締め出して、私学に丸投げしようという動きがあるが、公共のカネに頼るとロクなことはない。少なくとも、いろいろと制限が生まれるのも事実であろう。私も国のカネをとってくる仕事をしているが、それはそれで煩わしいものである。これからの音楽家には、こうした助成金獲得のためのスキルも必要になるし、書類仕事もできなくてはならない。私も知り合いの美術家からカネ獲得のための申請書の作成について相談を受けたことがあるが、彼らときたら、申請書を作る以前に、お上が定めたフォーマットをいきなり「書式破壊」してしまい、事業計画書の作成に進むことができなかったという。いや、それはマズイ。なお、芸術関係にかぎらず、工学系の事業計画の相談をもちかけられたこともあったけれど、私も極めて多忙だった頃でもあったので、途中から、国立大学の研究者や、科学技術振興機構のマッチング・プランナーを紹介して丸投げしてしまった経緯がある。相談者は非常にアクティヴな人で、その行動力と実行力には実におどろかされた。実際、わずかな期間でアイディアを製品化して販売実績もあったから、大したものである。この人の経歴はおもしろくて、有名実業家の秘書をつとめたのち、企業から資金を募ってヒマラヤにのぼった登山家でもあり、陶芸家の夫を支える経営者でもあり、紆余曲折の結果、新たな事業を思い立たれたのであったが、とにかくアイディアの展開が早いため、説明がまったく追いつかないというのが玉に瑕であった。

さて、カールーザース教授によれば、音大の学生にも、こうした多様な経験が必要であるという。かといってヒマラヤに登る必要はないであろうが、ヒマラヤに登るための事業計画やスケジュール調整、資金調達の能力は、音楽家にとっても必要なものであるという。実際、私の知っている音大卒業生も大したもので、音大時代に様々な活動に駆り出された結果、社会に出てからずいぶんと役立つ能力が身についたもののようである。「どうせ音楽しかできないんでしょ?」という見方は誤りであるという。ケンブリッジのキングス・カレッジで初めて音楽を専攻した女性として知られる英国のピアニスト・スーザン・トムス氏も、次のように書いている。

 

(…)音楽家たちは、オーケストラ、バンド、室内楽アンサンブルなどの活動で培った、さまざまな職業で活用できる汎用的スキルを、もっと自慢に思うべきです。リハーサルや公開演奏会の経験は、本人たちが意識しなくても、多くのことを教えてくれたはずなのです。

楽家たちは自律的に物事が考えられますし、チームで働くこともできますし、集中する方法も学習しています。遠い目標に向かって辛抱強く取り組むこともできますし、ネットワークの作り方も知っています。コミュニケーション力もあり、自己アピールもできます。複雑な日程も調整できますし、緊張や不安をコントロールすることもできます。そして仲間たちの会話するときの社交辞令をも、心得ています。こうしたことすべてによって、音楽家たちは、音楽以外の仕事においても、その仕事のさまざまな領域でうまくやっていきます。*2

 

なるほど、音大生の学生生活というのはハードで、先輩の公演も見にいかなアカンし、かけもちで演奏会にも出なアカン、レッスンもあるし、研究室のアレコレもあるし、地域の音楽教室に出かけたり、ホールも押さえなアカン、教授のご機嫌取りもせんなナラン。ものすごいスケジュールである。おかげで汎用性の高い能力は身についたが、音楽を仕事にするのは絶対にゴメンということにもなったらしい(笑) まったく、聞くだに壮絶である。

しかし、いざ音大を出て、音楽家として生き延びるためには、まだまだやらなくてはならないことがある。クラシックの演奏家には永遠の変化が必要であると、サウス・クロス大学のマイケル・ハンナン准教授は指摘する。

 

芸術におけるフリーランスと同様に、音楽のフリーランスもビジネスです。ビジネス・マネジメントに何が必要で、自分の作品を聴いてくれる聴衆をどのようにして広げていくのかがわからないような音楽家は、自分を安売りするしかありません。しかもたいていのプロの音楽家は生きていくために、さまざまな活動をしていますが、これらの活動は決して生きていくためだけに行われているわけではありません。音楽家であるということは、演奏家、作曲家、編曲家、プロデューサー、オーガナイザー、監督、教育者、研究者、批評家、思想家、プロモーター、広告家、ファシリテーターという多くの顔をもつことです。これまでに教育や経験を通して獲得したスキルを活用する方法は音楽家にはたくさんあります。そしてたいていの音楽家はこのような形で活動できることを誇りに思い、満足しているのです。*3

 

ハンナン氏は、音楽家がこのようにいくつもの顔をもつことを、ギリシア神話のプロテウスにたとえて「プロティアン」と表現する。かつて、ドイツ観念論の哲学者のうちでもとくに難解といわれたシェリングが「プロテウス」と呼ばれたが、それはどちらかという否定的な意味においてであった。考え方がコロコロ変わると見られていたからだ。一方の「プロティアン」というのは肯定的な意味で、多才で適応力が高いさまを指す。私は音大では学ばなかったけれど、一時期、専門家から教育を受ける機会があって、そこでもこの「プロテウス的であること」が重視されていたのを思い出す。今にしてみれば悪くないプログラムであったのかもしれないけれど、私はいささかウンザリして、まったく適当にしか受講しなかった。

ところが、イザ逆の立場に立ってみると、私というのは案外、プロテウス主義的な輩だったらしく、母校が文科省からSGHに指定された際、国から予算がついてるのに、ただなんとなく勉強して終わらせたんじゃアカンから、この事業自体を実社会で価値化して、研究の成果を実業的に発展させる手法まで取り組みの中に入れるべきだと、担当の先生と話もした。まあ、さぞ迷惑な提案であったろうと恥じ入るばかりである。そもそもSGHという課程自体にあまり関心のない先生方もおられるし、生徒の熱意もまちまちであったから、教員にとっても生徒にとっても、SGHというプロジェクトは、相当な負担であったろうし、もし私が生徒だったらこんなのは絶対にかかわりたくない手のシロモノである。ただ、私の経験からすると、子どもの興味関心を特技といえるほどの実際的な能力に育てようとするならば、やはり、教育の組織化ということは欠かせないように思われる。もっとも、外向的で積極的な子どもであれば、私たちかが世話を焼かなくても、こうしたカリキュラムに積極的に取り組むであろうけれど、私のような〈自由という名の野良犬〉には、まったく効果はないであろう。現代の教育というのは、このような形でどんどんとエンプロイアビリティ(employability:さまざまな職業で通用する能力)*4を強調する方向に向かっているのであろうと私も実感するところであるけれど、おそらく、結果としては、社会的な能力の高い人と低い人との格差は拡大せざるを得ないであろうと思われる。

このような能力を、すべての人が獲得できるかというと、現実にはむずかしいのかも知れない。私も年を取ってからは、本当にそういうのにウンザリし始めている。呑気に同じ仕事だけして暮らせるなら、よっぽど安心である。なぜそれが許されないのかということについて、根本的な社会構造や経済構造に立ち入って考察すると、とんでもなく長くなってしまうからやめておくけれど、工業技術の発展によって、人間が労働から解放されるという展望を抱いたわれわれの先輩たちが、見事にその期待を裏切られたのには、それ相応の理由がある。AIが登場して仕事がなくなるなら万々歳のはずであるが、それでも人類がさらに高度な産業を展開して、新たな仕事を作り出し、それに適応していかなくてはならない事情というのは、音楽家たちがプロテウス的な変化を求められるのと変わるところがない。今や私としては、社会において享受される過剰なサービスや利便の総量を減らしてでも、人類の労働を軽減させることがぜひとも必要であるように思われるけれど、そう簡単にはいかないのにも、やはりそれ相応の理由というものがあるのである。

いずれにしても音楽教育の問題というのは、このような面から見てみると、教育全体の問題の縮図のようでもあるから、まこと興味深いものである。すでに私は「姫の歴史を研究するのは無意味か」と題する文章で、大学教育の問題について一考しているけれど、これからの大学というものが、ある程度まで実業学校化するのは、やむを得ない流れなのであろうと思わなくもない。社会史的に見れば、音楽にとどまらず、大学というものもまた、時代からその存在様態を規定され、変化せざるを得ないものであるということは明らかだからである。大学がこれまでに果たしてきた社会的機能を、これからも有用なものとして残していきたいということであれば、結局はその収益モデルを示さなくてはならないであろうから、思い切った改革も必要であろうし、大学の価値というものを広く社会に説得することも必要なのであろう。とりわけこのことは、わが国の人文社会系の学部・大学院にとっては死命を決する問題に直結するものであろうけれど、かねてから、大学教育における文系分野の縮減について絶対反対の立場を崩さない経済学者の佐和隆光先生(この人の過去のお説については、すでに「姫の歴史を研究するのは無意味か」で取り上げさせていただいた)は、新聞紙上で何度か論陣を張って、人文社会領域の研究が、今まさに役立とうとしていることを力説しておられる。佐和先生は、伊集院静氏の小説『ミチクサ先生』から、東京帝大の建築科を目指す漱石に対し、「それより文学をやりたまえ」と忠告した友人の話を引用する。文学なら何千年後にも伝えられる大作もできる、それが新しい国家の役に立つというのである。佐和氏は言う。

 

忠告に従い漱石は大学で英文学を専攻するのだが、その実、漱石の大作は今もって読み継がれている。それが「国家のため」になる時代、社会のために役立つ時代が、人々を労働から解放する人工知能のおかげで、今、目前に迫っているのだ。労働から解放された人々の関心は、生産や経済を離れ、哲学、歴史、芸術、純粋自然科学へと移行することは請け合いなのだから。*5

 

なるほど、さすがはランズバーグの『ランチタイムの経済学』の監訳者だけのことはある。人類が「労働から解放され」ること、つまり〈失業〉状態というのは、ランズバーグからすれば一概に悪いことではない。

 

ジャーナリストは失業率を経済全体の良し悪しを表わす指標に使いたがる。だが失業をめぐる議論においては、ふつう、失業が人々の望む状態であるという事実が見過ごされている。余暇を何もせずにのんびりと、あるいは好きなことをして過ごすのは、一般に好ましいこととされている。しかし、それが「失業」という名で呼ばれるとなると、突然、悪者のように聞こえる。*6

 

まったくその通りである。ところが、AI時代になっても、なんでか私たちは、AIにはできない仕事とやらに駆り立てられるわけである。そりゃAIにできない仕事は多々あるだろうけれど、それって何か高度な仕事なのであろうか? 案外、カネになりにくい仕事だったりするんじゃないの、とか思ったりしなくもない。もちろん、AIやロボットにもできないむずかしい仕事というのも多くあるであろうけれど、そりゃ凡人にはどうしようもないような仕事なのであって、すべての人間がそういう非凡な人間になっちまったら、世界はどうなっちまうんだろうと、私なんかは逆に思うけどね。しかし、そういう仕事をしないと、これからはカネなんてのはもらえないわけで、要するに、このカネというやつが労働そのものよりも重要な、いわば労働の〈黒幕〉なのである。言ってみれば、AIがどれだけ人類の仕事を肩代わりしてくれたとしても、ローンを組んで家を買った人の借金をどう返せばいいのかという話である。その人は、仕事をせざるを得ないであろう。ところが、AIが仕事をしてくれるものだから、カネを返そうにも仕事がない。嫌でも労働を作り出さないと破産である。それも、カネになるのはAIにはできない、高度なスキルを必要とする仕事ばかり。このあたりまでくると、もはや本末転倒である。ま、カネなんてのは国のした借金の借用書からできているわけだから、労働が減らない事情もなんとなく察しがつくであろう。

こういう状況の中で、AI時代の労働スキルを磨くってのは、そもそもどういう意味なのかということも考えないでもないし、漱石みたいな大作家も大学教育で作ろうってことになると、ソリャ音楽教育とまったく同じ発想なわけで、それはそれでしんどいもの、いずれにしても有能な人のやることである。まあ、一人でできないことも、分業することで楽になるということもあるであろうから、音楽家や文学者がすべてのことに責任をもたなくとも、マネジメントの専門家とジョイントすることで、より多くのコンテンツを世に問うということも可能になるのであろう。そういう方向でアーティストを支援しようという実業家もいないわけではない。ありがたい話である。ただ、かくいう私なども、アート・プロジェクトを手掛けている方から「こういうのは、正直、文章を書ける人が大事なんだよ。ねえ、何か文章書いてくれない?」と頼まれたりしても、ついつい「いやいや、そんな売れそうな文章とか思い浮かばないんで」と断ってしまうくらいで、この年になると、努力してモノを考えるのも嫌になる。好き勝手書かせてくれよってなっちゃうわけだ。若い頃は面白がって、ネットの小説投稿サイトに作品をアップして、ある分野で(ごくニッチなジャンルではあったけれど)アクセス・ランキング1位をとったこともあった。どういう時間帯にアップすればアクセスが伸びるのか、どんなキーワードがユーザーにアピールするのか、そういうことを試して自己宣伝に励んでいたのだが、今さら自分でやろうって気力はない。

ともあれ、有能な人は、言われなくても抜け目なく社会で生きていくであろうから、あまり心配したものでもないけれど、問題は、あまり社交的でもない芸術家を、当の大学教育でどうにかできるのかって話である。このまま放置しておいたら、抜け目のない人間がどんどん抜け目なくなるだけで、ラッセルが危惧したような事態が拡大する一方である。これはすでにラッセルの『人生についての断章』の剳記で書いたことであるが、再掲しておくこととする。1932年の文章である。

 

十九世紀自由主義の標語であった自由競争は、疑いもなく多くの取柄を有した。それは諸国民の富を増大させ、手工業から機械工業への移行を加速し人為的不正を除去して、才能への門戸開放というナポレオン流の理想を実現した。しかしそれは一つの大きい不正――不平等な才能にもとづく不正をそのまま放置した。自由競争の世界では、神が活動的で抜け目ない者に作った人間は金持ちになり、他方その長所が自由競争に向かない人間は金を稼げなくなった。その結果、大人しい瞑想的なタイプの人間はいつまでも無力にとどまる半面で、権勢を獲得した人間は、自分の成功が自分の徳行の賜物だと信ずるに至る。それゆえ負け犬の人々は、成功を招くような種類の能力を持った代弁者を見出す機会を絶えて有しない。*7

 

実生活での成功を生む資質は、必ずしも最大の社会的効用をもたない。一例を挙げれば、多くの発明家が窮迫して死ぬのに反して、その発明を利用する事業家は巨利を博す。このような例外的事例ほどではないにせよ、呑気で少々愚鈍で、そしてあまり活動力のない普通の平凡な市民も、当然一人前に扱われるべきであるのに、彼自身、それに必要な活力を持たぬゆえに、自分の言い分を効果的に唱道することができない。*8

 

成功への技倆を持たぬ人々にも、彼らの権利がある。そしてこの種の技倆の持主のみが成功を収める環境で、彼らがこの自分の権利をいかに確保するかは、難しい問題である。自由競争が社会正義の実現の手段である、という信念を放棄する以外にこの解決策はない。*9

 

しかるに、AIで仕事がなくなろうというのに、われわれが労働市場で競争力を上げ続けなくてはならないというのは、とどのつまりはカネのためなのであるけれど、カネってやつは、ベルナルド・リエター(昨年亡くなったベルギーの経済学者)の表現を借りれば、「使用者間で「協調」より「競争」を促進するように設計されて」おり、また、「工業社会の旗印である「永続的な経済成長」を可能にした影の功労者であり、エンジン」でもあった。さらにマズイのは、「このマネーシステムにおいては個人が財産の蓄積(富の貯蓄)を奨励し、それに従わない人々は懲らしめられるようになっている」*10というようなものなのである。今どき「永遠の経済成長」とか、グレタさんに怒られんぞ、と私なんかは思うけどね。もちろん、リエターは、こうしたマネーの性質を問題視しているわけである。

ま、一応そういうことも考えながら、本書を読まれるがよろしかろう。佐和先生は、西洋の大学をほめちぎっておられるが、デリダの頃のフランスがそうであったように、西洋の大学教育といえども、必ずしも古き良き昔のままではいられなかったもののようで、アングロ・アメリカン方式の金融経済が世界を席巻するさなか、欧州古来の知性主義なるものがどれだけ尊重されているのか、おぼつかない面もあるんじゃないのかなあ。その事情は、西洋の偉大な文化遺産であるクラシック音楽を教授する音楽大学においても変わるところはない。日本の大学教育を考えるうえでも、裨益するところの少なくない読み物といえるのではないであろうか。

なお、本書においては、西洋の学生さんがなぜボランティア活動にいそしむのかということも明らかにされるから、日本の学生さんも、ただ履歴書に書いておくためという消極的な理由ではなしに、エンプロイアビリティの獲得をめざしてこれにいそしむのがよろしかろう。

 

関連項目
ジョン・H・ミュラー「音楽と教育――社会学的アプローチ」

 

所蔵館
県立長野図書館

 

音大生のキャリア戦略 音楽の世界でこれからを生き抜いてゆく君へ

音大生のキャリア戦略 音楽の世界でこれからを生き抜いてゆく君へ

  • 作者:ドーン・ベネット
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2018/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

本文 


p.103 社会学的な音楽研究の先行例

社会と音楽あるいは音楽家との関係に関する研究は、過去75年間で増えた。ポピュラー音楽文化に関するアドルノの難解な文章(Adorno & Simpaon, 1941)からレスラーの読みやすい社会史研究『男性、女性、ピアノ』(1954)、そして70年代までの幅広い研究まで多様。レイノア『音楽と社会:1815年から現代までの音楽の社会史』(1972)、『中世からベートーヴェンまでの音楽社会史』(1976)、その他、シェパード、スモール、フリスなど、90年代までの研究が挙げられる。

 

p.103~104 作品そのものから社会的コンテクストへ

音楽や音楽家を社会的コンテクストから論じるという最近の傾向は、その他の多くの分野にも見られます。例えば、1980年代のニュー・ミュージコロジーに触発されて、主流の音楽学の関心も、「作品そのもの」から「本来の場所にある」音楽に向けられるようになりました。「実証的であるより、批判的な音楽学であれ」というカーマンのスローガン(1985)に刺激されてか、この新たな関心は一般的な音楽雑誌から研究書に至るまで、ほとんどの研究で顕著になっています。(p.103~104)

 

p.104 外面的なキャリア支援が必要になっている

前世紀の音楽研究のすべての分野の特徴となった、「これまでを考え直す」という傾向の中にあって、アイデンティティ研究の方も音楽教育に熱心に目を向けたとしても、驚くべきではないでしょう。音大生のキャリア発達を担当する専門形ですら、教育課程やワークショップを再構成するにあたっても、目標や方法を再考し、学生たちが授業で修得するスキルが、実際どのように応用されるかを重視するようになったのです。簡単に言えば、音大生と彼らを支援する人たちが、キャリア・プランやカリキュラム指導など〔訳注:学生たちの内在的な面に介入するのではなく〕、学生たちの外在的側面からの支援を追求することが多くなっているのです。(104頁)

 

p.106 クラシックの一分野の専門家ではもはやダメ

世界は急速かつ劇的に変化しています。かつて正しいと思われていたことが、今では誤りということが多々あります。音楽大学のカリキュラムもしかりです。今や音楽大学を卒業した演奏家が、チケットを購入してくれた聴衆を前にクラシック音楽を熱演している姿は、もはや想像できないからです。クラシック音楽のひとつの分野だけの専門家である(これは19世紀の産物です)という時代は、よほど特殊な場合を除いて、もう終わってしまったのです。例えば、リサイタルをするにしても、ビジネス感覚、柔軟なレパートリー、そして聴衆とステージとの相互交流を促すコミュニケーション力が求められています。(106頁)

 

p.106 かつては専門的なソリスト教育が重視された

1970年代までの芸術や芸術教育では、専門家になることが良いこととされてきました。ソリストとしての仕事をするためのスキルが重視され、音楽修業の主たる目的も、演奏家という人的資本に向けられてきました。まさしく競争的な環境において成功を収めることのできる演奏家の養成でした。個人の育成、うまく演奏できるスキルの修得が第一であって、その他のことは二の次で、最初の目的の役に立つことばかり重視されたのです。(106頁)

 

p.107 ソリスト教育よりも人生や社会のためになる教育を

しかし、20世紀も終わりになると、多くの音楽大学で、こうした音楽修業に対する考え方が変わりはじめたのです。「すべての人に音楽を」という音楽教育と音楽学習の民主化が、音楽家の仕事を変え、ヨーロッパのコンサート中心主義も見直されました。地域の音楽活動の活性化をめざすプログラムでも、個人からグループへと対象を変化させたのです。またよい演奏家の養成よりも、他のすべてをさしおいてでも、学生自身や他の人たちがいい人生を送れるように教育することを、音楽大学は目標とするようになったのです。

こうした変化の中で、音楽家がICTに強いことが重要な役割を果たします。コミュニティを活性化して維持していくうえで、テクノロジーが果たす役割を強調して、しすぎるということはありません。テクノロジーはあらゆる場所で、音楽活動への参加を促してくれるからです。児童・生徒であっても、頼りになるソフトウェアを使えば、手の込んだ音楽を作曲することもできます。とにかく、ますます多くの人が、インターネットを通して、必要なときに世界中の音楽にアクセスできるようになったのです。(107頁)

 

p.107 音楽家の役割は社会的コンテクストに規定されている

別の言葉で表現するならば、音楽の生産と消費がいつ、どこででも行えるようになったことで、音楽家の役割もたちまちにとめどなく広くなったのです。そうなると好奇心の強い音楽教員なら、学生たちの人生において、これからの音楽が果たす役割は何かと、再度問うてみるでしょう。音楽学者なら、音楽の「意味」がコンテクスト、すなわち音楽が享受されたり、伝達されたりする時代や場所から切り離せないことを、よく知っています。演奏家ですらも、社会の関心に応え、急速に変化する世界において、社会を変える役割を担うために、こうした問題について議論することも厭わなくなっています。(107頁)

 

p.107~108 音楽家はオールラウンダーになることを求められる

(…)かつては何でもできるということは専門家ではなく、アマチュアであるとみなされていましたが、今ではこの汎用性こそが音楽家の競争力の源になっているのです。しかし汎用性というのは、一朝一夕に獲得できるものではなく、積極的に教えてもらったり学んだりしないと獲得できません。学生たちも早い段階から、学問、音楽、テクノロジー、起業、ネットワーキングなどのスキルを修得するようにしなくてはならないでしょう。これらのスキルを組み合わせて使用するときが、きっと来ます。(107~108頁)

 

p.108 実社会でのチャンスを探せ

早くから時代を先取りしている学生たちは、ネットワーク作りにつながる活動を精力的に継続。教会やレストランで演奏し、音楽教室で教え、楽器店で働き、演奏団体の指揮、結婚式や葬式で演奏し、青少年センターや老人施設でボランティア活動をしている。有償だったり、学外活動科目の単位になったりしている。こうした活動が、実社会に隠れているチャンスの発見につながる。

 

p.109 カナダにおける音楽の生産と消費

カナダでの音楽の仕事について考えるとき、この国の音楽の生産と消費のレベルを知っておくことは重要。もっとも、学生たちは需要と供給を考えて、プロの音楽家になりたいと思っているわけではない。カール・モーレイは『音楽の仕事:カナダの学生のためのガイド』の中で、こう言った。

この国の今後25年間のオーボエ需要に関する市場調査をしてから、オーボエを専攻するのを決めたり、やめたりしたという人がいるだろうか! 音楽家になりたい動機はさまざまだろうが、このような調査結果を見たりはしないものだ。(Green et al., 1986, p.177)(109頁)

 

p.109~111 カナダの音楽分野の雇用状況

そうはいっても、学生たちが雇用の機会を確かめたくなるのも理解できる。音楽の世界はヨーロッパ諸国では相当に変化しているが、カナダの状況はまだまだ安心できる。クラシック音楽のコンサートに参加する人口はわずかながら増加する傾向。音楽の消費の増加も、音楽生産、文化・サービス産業の高まりを受けたもの。現代のカナダにおける文化芸術分野の雇用の見込みはよいが、音大卒業生の雇用状況は他の分野ほどよくないし、収入レベルも一般に高くない。2007年の時点で、学部卒の平均年収は23,700カナダドル、未就職率12%、他の分野の学部卒の平均年収は36,000カナダドルで、未就職率は8%。しかし、音大卒業生は自分のこれまでの音楽修業を高く評価していて、アンケートを見ると、再び同じ大学(学部)に入りたいという人は音大生の場合88%で、他大学の卒業生の78%よりも比率が高い(Job Futures, 2007, p.2)。

 

p.112~113 オーケストラの問題点

「オーケストラ・カナダ」は、カナダのオーケストラの現状に関する研究を独自に委嘱。その第3フェーズで30の提言が行われた。第1フェーズで行われたステークホルダーへのインタビュー調査(Chandler & Ginder, 2003, 4月30日)のレポートには次のような文章があった。

 

数少ない例外を除いて、カナダのオーケストラの団員はもこれまでの修業や経験に比べて、給与面では比較的恵まれていません。その結果、採用や楽員の数の減少もさることながら、音楽やそれ以外の仕事で、アルバイトをすることが多くなり、練習やリハーサルの時間が削られています。(Chandler & Ginder, 2003, 4月30日)(113頁)

 

プロの演奏家というのは、他の人を楽しませる演奏だけをしていればいいという思い込みが垣間見られるのではないか。プロの生活は、練習、リハーサル、本番がすべてであって、それ以外は煩わしくて歓迎されないものという考え方が残ってはいないだろうか。このような考え方は昔ほど強くない。演奏家もそれだけでは儲からないし、他の人がいるからこそ演奏ができる。そのような考え方には限界があって、互いに交流することにさほど関心がない若い世代にさえもたやすく受け入れられないだろう。

 

必要がなければサービスを必要としない10代や20代の人々にとって、オーケストラの演奏会というのは、他人が作り、構成し、演奏した音楽を聴くという、まったくの受け身の状態に置かれてしまう時間であって、それほど魅力的ではないでしょう。こうしたことが、世界中のオーケストラが必死になって、自らを反省しなくてはならない状況に追い込まれた理由のひとつなのです。(113頁)

 

p.113~114 オーケストラ楽員の多様な生き方

聴衆を呼び戻すためにオーケストラはあり方を見直さなくてはならないし、満足できる仕事をつづけるためにも再考が必要。プロのオーケストラでずっと仕事を続けていたいと考えていた演奏家も、今では仕事を広げてフリーランスになる人が増えている。大都市の周辺に多く、トロントの周辺では、劇場、オペラ、バレエ、現代音楽、映画などで演奏する機会が多く、パートタイムかシーズンごとの仕事。臨時収入だけでなく、ダイヴァーシティ(多様性)も得られる。ひとつのオーケストラで長く仕事をしていると浮き沈みもあって、意気投合できないところもある。多くのオーケストラ楽員は補助的収入としてレッスンをしているが、ここでも刺激を受けることが多い。音大の非常勤や個人レッスンもあるが、そこでの常勤職は魅力的で、希望者が増えている。キャリア・チェンジして安定した収入を得たいという人も。

 

p.115~116 大学と社会のつながりが重視されるカナダ

大学教員の労働条件は一般的にとても良い。標準的な授業時間は1週間に18時間を超えることはない(通常は12~15時間)。オーケストラ団員には教えることは求められないが、大学教員には演奏家であり続けることが期待されている。終身雇用(テニュア)と昇進のための研究業績審査では、審査員は候補者の演奏した会場などを調べる。放送の場合は地域放送なのか、地方放送、全国放送か、演奏会は自主演奏会か、シリーズの一部なのか、CDは国内のみの販売か、国外でも販売されているのか、そして、商業系レーベルか、独立系か。それ以外にも、カナダの大学教員には、コミュニティへの貢献が求められている。教員の責任の配分は、伝統的に、教育40%、研究(創作、演奏を含む)40%、コミュニティへの貢献20%。古い基準ではこれらの責任は別々のものと考えられ、優先順位がつけられていたが、今日では総合的に評価される。別の言葉で表現するならば、大学教員の役割とコミュニティでの役割が同等に扱われている。カナダでは大学と社会の幅広いつながりが重視されている。

 

p.116~117 現代の音楽家像について

オーケストラ、大学、レコード会社、音楽出版、そして音楽業界の他の分野は、グローバリゼーション、すなわち新しい世界経済と主にテクノロジーによって推進される新しい秩序と、うまく歩調を合わせて発展しています。同じように、プロティアン・キャリアを歩む音楽家の誕生も、変化する社会や個人の価値観を反映しています。(…)この新しい種類のキャリアは今ではもう普通になっています。個人の好みから労働市場の要求まで、その理由はさまざまですが、今では数え切れないほど多くの音楽家が、音楽の幅広い仕事に、絶え間なくあるいは同時に従事しています。実際に、さまざまな企画したり実行したりする能力が、労働市場では極めて高く評価されているのです。さまざまな活動をミックスして、内的(個人的)あるいは外的(社会的)要求に対応することで生活が頻繁に変化することも、決して珍しいことではありません。多くの音楽家にとって最終の目標は、私生活と仕事を統合して、パートナー、家族、そして仲間の共同体において、音楽の充実した仕事人生を歩むことなのですから。(116~117頁)

 

p.117~119 ケーススタディ:マリーの場合

1998年に音楽学部を卒業、さまざまな仕事を経験。卒業後の2年間は、地域の合唱団をボランティアで指揮。同じくボランティアで伴奏、別の合唱団の副指揮者、高校の音楽劇の監督もした。シンガーソングライターのバックコーラスで歌い、演奏旅行や録音にも参加。卒業の年に、女性室内合唱団の設立メンバーのひとりとなって活動。教会の合唱団として歌い、現地在住の作曲家のオペラ作品にも出演、声楽を教え、声楽のピアノ伴奏もする。しかし主たる収入源は、演奏ではなくて、学生時代にアルバイトから始めた大学の音楽図書館の正規職員。2001年に「カナダ室内楽合唱団」の設立メンバーとなり、オーディションでメンバーを構成、毎年2回、演奏会。ボランティアだが、彼女は合唱団の音楽監督として、資金計画を立て、国内の演奏ツアーを企画した。収入増のための助成金申請の書類を作ったり、広報のためのウェブサイトや報道資料を作成した。2001年にフォーク・バンドを結成、精力的に北米ツアー、2010年にはイギリスで初の海外公演、CDを4枚リリース。団体の運営はほとんど彼女、レコーディングやツアー予約、広報、会計、助成金申請は夫が手伝っている。卒業してからの4年間に、彼女は20以上もの音楽活動に従事した。これが彼女の複雑なアイデンティティを培った。2003年に夫の大学院進学にともなってトロントに移住、そこで彼女はプロの有名な合唱団の一員になった。2007年にウィニペグに移住、夫が音楽振興協会に採用され、マリーはボランティアとして音楽フェスで働き、やがてコーディネーターとして正式採用。フォーク・バンドや合唱団のツアーやレコーディングも続けていた。彼女の成功の要因は、才能、能力、適応力。多くの時間を頼音楽家との活動や音楽団体のために使った。複数のジャンルの演奏家で、経営者でもあった。彼女のキャリアはまさに、自らでチャンスを生み出し、すばやく適応し、演奏は活動全体の一部にしか過ぎないという、モデルそのもの。現代の成功した音楽家の典型であると言える。

 

p.120~122 音楽を社会的に位置づけること

音大生の多く、とりわけ演奏の学生は、社会の問題にほとんど関心をもっておらず、今後カリキュラム設計していく場合には、彼らの気質に合わせる工夫も必要。メモリアル大学のそれが参考になる。5つのことが推奨されているが、その1として、音楽や音楽家が社会において果たす役割を理解し、聖地用段階にあるアイデンティティを自ら探索すること、とされている。たとえば音楽史の授業で、社会背景を考えるにしても、準備なしではいけない。ブランドン大学のバロック音楽の歴史の授業では、ヴィヴァルディの音楽がエレベータ、レストラン、モールなど至る所で聴こえてくることについてのレポートを書かせる。定型的な曲をどう聴いているのか? こうした話題から、現代社会の中に楽曲を位置づけることができるようになる。その2は、コミュニティの成員との相互交流を促すサービス・ラーニングへの参加を促すこと。その3は、社会学の研究者との交流。その4は、将来の予期せぬ変化に対応するための生涯学習のスキルを修得しておくこと。音楽家としてうまくやっていくための「プロ養成コース」が開設されている。その5は、コミュニティでの公式・非公式の演奏経験を広く積むこと。ブランドン大学では、コミュニティ・ミュージックの地域、国内、国外の実践例を調査して、その意味をグローバル的に理解することを求めている。

 

p.123 音大のカリキュラムの再構築、演奏と非演奏のバランス

たいていの大学のカリキュラムは、一貫した流れを欠いてバラバラ。演奏の学生たちは教員から分断され、さらに演奏の学生と教員は理論や音楽学の教員からも分断されている。とはいえ、最近では分野間のつながりも重視されるようになっている。演奏と非演奏の学習が仕事のうえでもうまくバランスがとれて融合するのにはどうすればよいのかに関心が高まり、学部のカリキュラムも再構築されつつある。

 

p.124 特権的専門家はダメ

多くの機養育機関、オーケストラ、オペラ団体、その他の音楽機関には、コミュニティに対する責任を真剣に考えて、社会のニーズを読み取ることが求められている。音楽家の将来にどんな落とし穴があるのかはわからないし、大学や学生もついつい自分の想像の範囲でしか行動しない。カリキュラムと基本的指針(ポリシー)は常に時代と社会を反映したものとなっていなくてはならない。プロの音楽家が生き生きと活動し、コミュニティも活性化するには、社会に砦を築いて、ひとり専門家であるように特権的にふるまうのではなく、適応力をもってオールラウンドに仕事をし、人々と相互に認め合える関係を築かないといけない。そうすれば、音大生の未来も明るいものとなるだろう。

 

p.127~128 リーマンショック後の現在、音大の入学者は減少

本書を執筆してから10年間の間に、音楽大学・学部に進学する人の数が減少し始めた。抜本的なカリキュラム改革が必要。これに付随してステムSTEM系の学部〔訳注:科学Science、技術Technology、工学Engineering、数学Math〕への入学者が増加しているのには相関関係があるように思われる。2012~2016の間に数学学部への入学者が33.8%増加、同じ割合で音楽学部への入学者が減少した。もちろん、音楽を勉強しようと思った高校生全員が、数学を選んだわけではない。工学、科学、農学も増えている。芸術分野全体から科学の分野へと、若者の関心が総合的にシフトしているのだろう。政府が卒業後に必要なエンプロイアビリティを早くに修得することを推奨したり、音楽学部が高等教育全体のニーズや関心にいかに対応できていないかに言及したりしたことで、この傾向に拍車がかかった。高校の音楽教師が言うには、いい生徒が音大に進学しないのは、音大の教育内容が堅苦しくて、時代遅れなものだからだという。しかし、改革は現在進行中。コミュニティ・ミュージックの分野での新しい学科や専攻を設立、従来の分野の不足分をある程度補っている。オンラインで科目の多くを提供しているポピュラー音楽の学科にも、多くの学生が入学。

鍵となるのは、学生をどれだけ入学させればどれくらいの収益につながるかという、価格モデルなのです。おそらく今後も広く大衆受けする科目を、どんどん提供していくことになるでしょう。市場でシェアを維持するためには、大学は公共機関や企業などとの連携を充実させ、推進していかなければならないでしょう。こうした連携が大学と社会との連携も強化します。(127~128頁)

 

*1:グレン・カールーザース「社会とつながる音楽家」(ドーン・ベネット編著『音大生のキャリア戦略――音楽の世界でこれから生き抜いてゆく君へ』所収の第6章)、久保田慶一編訳、春秋社、2018年、127~128頁。

*2:スーザン・トムズ「はじめに」(ドーン・ベネット編著、同書所収)、iii頁。

*3:マイケル・ハンナン「音楽家のプロティアン・キャリアを考える」(ドーン・ベネット編著、同書所収の第8章)、184頁。

*4:ドーン・ベネット「日本の読者の皆さまへ」(ドーン・ベネット編著、同書所収)、iii頁。

*5:佐和隆光「文系学部は「無用の学」なのか」(『信濃毎日新聞』2019年12月8日付朝刊)。

*6:ティーヴン・ランズバーグ『ランチタイムの経済学』、佐和隆光監訳、吉田利子訳、ダイヤモンド社、1995年、181頁。

*7:バートランド・ラッセル「成功と失敗」(『人生についての断章』所収)、中野好之・太田喜一郎訳、みすず書房、1979年、210頁。

*8:ラッセル、同書、211頁。

*9:ラッセル、同書、212頁。

*10:ベルナルド・リエター『マネー崩壊――新しいコミュニティ通貨の誕生』、小林一紀・福元初男訳、日本経済評論社、2000年、11頁。