南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

がぁごん、イタリアへ行く

前頭側頭自閉軒全集抄②

がぁごん、イタリアへ行く

 

長野県士族にして音楽家がぁごん氏が、苦学してイタリアへ行くという。理由は、ほとぼりが冷めるまで言えない。日本の楽壇にもイロイロ事情ッてモンがある。そして、その関係者ン中には、私にも面識のある大先生がおられるンで、あと30年くれえは何も言えねえ。
だから、がぁごん氏がどんな音楽家かということはしばらく措くとして、とにかく日本じゃ収まりきれねえ御仁ッてことで、つい一昨日、玉繭葉子先生から回状が来て、がぁごん氏の渡航費をカンパするから、尺布寸鉄と雖も一木半銭と雖も、必ず勧進の詞に答え、各奉加の志を抽んでよ[1]ッてご命令、ほかならぬ玉繭先生からのお頼みとあっては一も二もなく引き受けた。
まア、私も今現在は貧乏じゃねえが、前頭側頭型認知症の疑いをかけられてる身でもあるから、将来は貧乏になるのはまちげえねえ。しかし、ここはがぁごん氏に賭けてみようッてことになった。
しかし、コチトラ、音楽で海外をめざそうッて思ったことは、オギャアと生まれてから以来(このかた)、一遍もねえ。イヤ、学生の頃に、ベルリン・フィルに一曲書いて献呈しようと思ったことはあった。いま思い出したよ。
どんな曲かッていうと、バルトークみたいなのを考えていたような気がする。弦楽四重奏曲だな。ずいぶん前のことだが、県民文化会館でバルトークのコンサートがあった。アレも、高校ンときで、多分、音先からチケットをもらって、マルサンと一緒に行ったんだよ。当時はわけわかんなかったよ。マルサンとか、寝てたよ、となりで。
で、この計画、なかなか野心的で面白そうに思えたが、オケのフルスコアを書くのがイヤで、やめた。後年、多楽章制交響詩[2]を途中まで書いたが、それにしたってスコアはパソコンで書いた。

交響組曲『ゴールデンドーン』総譜(2002
第1曲「オーヴェルチュール」のスケッチ。多少はスコアを書いていたらしいことがわかる。
移調楽器もいったん実音で書いたようだ。

ところで、私の知ってる指揮者も、ナント、自作曲はパソコンで作ってる。『フィナーレ』ッてソフトを使って作ると、実際のオケに指示してやらせるよりも、自分の思った通りに作り込めるからスゲエって言ってたね。でも、これ以上やると、実際の人間が音楽をやる必要がなくなッちまいそうな気がしてやめた、と言う。
私の頃は、こういうのをDTM(デスクトップ・ミュージック)と言って、私なんかはつい数年前まで、PC98の〈マルチキャンビー〉[3]っていう旧機の〈ウィンドウズ3.1〉(〈ウィンドウズ95〉が出る前のOS)で『バラード』[4]ッてソフトを使って作曲してた。つーか、そのこと自体がアートだよ。〈ウィンドウズ3.1〉が動いている実機なんて、世界に一台しかないんじゃないの? そういや、俺の高校の校長室に古いプレイエルがあって、実物は世界に三十二台、音が出るのは三台とか聞いた。[5] で、今は『ケークウォーク』[6]ッていうDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)ソフトを使ってるが、こっちはすごく音がイイ。それもフリーソフトだからね、マジで。
『バラード』のときは基本、MIDIなんだよ。だいたい俺は機械とか苦手だからよ。音は苦労したよ。『ケークウォーク』は、基本、MIDIじゃないんだよ。そこに生のオケ音源とかVSTでプラグインすると、結構イイ。俺はイギリスのスピットファイア・オーディオ社のやつを入れた。BBC交響楽団の演奏をサンプリングしたやつもある。それは有料だけどね。だけど、せっかくの技術を、俺はあまり活用してない。数曲に使っただけで、疲れたよ。学生のときは年間40曲くらいは書いた。もしこれがあったら、スゲエ喜んだと思うよ。
しかし、俺もどんな曲をベルリン・フィルに書こうと思ったんだろうね(だからバルトークなんじゃねえの?)。ただイイってだけのオケ曲をくれてやったって、イイってだけの曲は、クラシックにもポップスにもゴマンとある。作曲家が腕試しをするなら、交響曲ッてのは、一応、今も通用する曲種だ。そこでどれだけ新機軸を打ち出せるかッていうのは、意味があると思う。
しかし、これをやらせたらオメエ、佐村河内(さむらごうち)氏のほうが俺よりもよっぽどうまくやるよ。まア、本体は桐朋の新垣(にいがき)サンだったけどな。俺も新垣サンに頼みたいよ。佐村河内サンよりはチャンと楽譜わたすからさ。
しかし、ゴーストライターなんて、ソリャどこの世界でも常識よ? まア、佐村河内サンの場合は、難聴の体で、世間に与えた影響とかもあって、騒ぎになった。
学者にもゴーストで糊口をしのいだ人はいる。立教で教えてた歴史学者藤木久志先生がゲロってる。俺も医学部のレポートの代筆を頼まれたことがある。バイオエシックス生命倫理)のやつだ。報酬は五千円ッて言われた。困ったモンだよ。それに吝嗇(ケチ)だよ。引き受けたかどうかは、ご想像にお任せする。
玉繭先生も出版社から頼まれたらしいよ。「作品のアイディア使わせてちょーよ」ッてな。それも金は出さねえッていうから非道(ひで)え。楽曲もパクられたらしいぜ。どこかのホールのこけら落しの楽曲に応募したら、何年かして有名歌手の曲に使われてたッて話だ。世間てのは、そんなレベルなんだよ。〈チャットGPT〉と同じで、データを食わせたらパクられる。AIだけの話ぢゃねえ。みんな言ってるよ。

で、専門家の評価を聞くと、伝・佐村河内作の『交響曲第一番 HIROSIMA』は、基本的には既存のイイ曲の集合体として書かれてるらしい。評価する人も多い。そこに映画音楽的な要素もあって、絶妙なクラシック・クロスオーバ―に仕上がっているらしい。さすが新垣サンだよ。自分の名前で出しても相手にされなかったとは思うが、そこは自分で出してほしかったね。現代アートの場合、ゲージツ家のセンセイは監督してるだけで、実際の作業は何十人でやってる場合もある。佐村河内サンにしても、本来、それだけの話ッて気もするな。小椋佳だって、音符も楽器もできねえッて『徹子の部屋[7]で言ってたよ(多少、ギターは弾けたらしい)。そこでの話だったか覚えてねエが、
「アレンジャーの人に鼻歌で吹き込んだデモを渡したら、まったく違う曲になって返ってきた」
ッて言ってたような覚えがある。梅沢富美男の『夢芝居』なンて、俺らはイントロしか知らねエが、あの有名なイントロッて編曲家の人が書いたんだってね。小椋サンが笑ってたよ。[8]そのうち例のAIが何でもやるようになッちまうから、議論自体がどうでもイイことになるんじゃねエかな。
「チャイコとマーラーを足して、ちょっとシェーンベルク風に」
ッて言やあ、勝手に作曲してくれるようになる。予言しとくぜ。

それはともかくも、新垣サンも言ってるように、『HIROSHIMA』は調性音楽で、あくまで現代音楽の本流じゃないんだよ。しかし、有名オケに曲を書いてやろうってことになれば、現代音楽をやらないといけないと思うんだよ。まア、俺にやらせて面白くなりそうなのは、まったく前代未聞な、ある意味、素人のやりそうな音楽だろうね。ジョン・ケージぐれえは軽く超えられるよ。いや、だったら早くそれをやってよッて話だろうが、俺もつい向きになって調性音楽バッカリやってたから、ろくな曲がない。だって、つまんないもん、斬新な曲ってさ。作ってるうちに、
「何やってるんだろう、俺」
ッて、絶対になるよ。マックス・ウェーバーも『音楽社会学』で、調性から外れたこむずかしい音楽について、

きわめて非合理的な表現手段を使用するということが、不自然で異様な、わざとらしい耽美主義者の気取りと、主知主義的エピキュリアニズムとの所産としか考えられないことが珍しくない。[9]

なんて言ってる。彼にとっての「合理的」ッてのは、

和声の上で合理的な、和声音楽に用いうるような音程組織を有していること。[10]

だった。それはつまり、和声的三度による主和音の上に音素材を組み立てる理論と調性的な音階法ッてことだ。だいたいの人はこれだよ。
それに、ただ新しけりゃイイってもんじゃねえ。理論がないとさ。俺は音楽理論のほうはそんなに詳しくないしよ。そこは高校ンときから和声理論にのめりこんだノン宅さん[11]の出番だな。
なわけで、フツーの曲を書かせたら、もっとウマイ奴はゴマンといる。わざわざ俺がやらなくてもイイわけよ、そんなのは。俺なんか凡庸の極みだよ。まア、昔、プロから、
「器用にイロイロ書くねえ」
と、半ば呆れられたが、ハッキリ言って大したもんじゃねえ。高校ン時に英語で読まされたラッセルか誰かのエッセイに、
「今は昔と違ってワーグナーのような天才を待つ必要はない」
と、書かれていたような気がするが、こうも教育が普及して豊かな社会になると、音楽家なんて無数に出てくる。絵とかもそうだな。ろくなのはいねえがな。
だが、俺よりは多少はマシだ。いくらでもいるんだよ、そういう奴はな。イイ曲を書く奴は死ぬほどいる。ウマイ奴も腐るほどいる。スゲー時代になったと思うよ。ついつい聴いててグッとくるのを作ってシメエだよ。そのうち、AIに取って代わられて、誰が創ったかすらわからなくなる。天才なんてマジでいらなくなるよ。
もっとも、俺みてえなのの本当の才能はそこじゃねえ。だが、どうも安易に流れてダメだ。なんかめんどくせえしよ。そういや、藝大の作曲科でスゲエ変な卒業作品を作った人がいたよ。アレはすごかったね。イヤ、俺もとある曲をネットで公開したら[12]、外国の人(アゼルバイジャン系の人かと思う)から、
「スゲエ変な曲」
ッて言われたことがある。イヤ、アレはチャンとした調性音楽よ? たぶん、映像の効果が強かったんじゃないのかな。あれは確かにヘンな世界観だったよ。仏の世界を視覚化したやつなんだが、そこになんかマニアックな真言とか音声を合成してね。そしたら玉繭先生が、
「この世界に行きたい。どうやったら行けますか?」
ッて言い出した。そこまできたらホンモノだよ。
そういやハリウッド版『ゴジラ』のテーマには、お経とか、お祭り男[13]の声とか、イロイロとフィーチャーされていて、知ってる人も多いと思う。サントラのメイキング映像を見ると、お経パートの坊さん、なんか寝そうなんだよ。お年だから、頑張って経文を見てるのがイイよ。
「ソイヤ!」
とか、
「般若ぁー」
とか言っててさ。
ベアー・マクレアリーの空気感のあるオーケストレーションも良かった[14]。アレも変則編成で、見た感じ、ホルンは6本あった。ボーンは4本、トランペットは3、4本、テューバ2本、バスーン2本、クラリネット1本は見えた。他の木管は見えなかった。その分、弦とホルンを厚くしている。映像だけでスコアを見たわけじゃねえからアレだが、金管がブワァーってのはイイよ。音が透徹するように書いてある。
もとになった『ゴジラ』のテーマを書いたのは伊福部昭だ。最高だよ。さすがは伊福部先生だ。あの前のめりな拍子の取り方がアイディアだよ。これを9拍子という人がいるが、たぶん、あの主題は、8分の4か4分の4の単純拍子と、8分の5か4分の5の混合拍子からできているフレーズで、複合拍子の9拍子じゃない。俺なら2、2、2、3で振るよ。でも、コレやると怒られるんだよ。
「美しくない」
とか言われてさ。4、5なんだろうと思うよ、指揮法的には。確かに楽意を伝える上でもそう思うよ。でも、5拍子のところでわかんなくなるよ、振ってる方がさ。

ところで高校ンとき、班室[15]で賭け麻雀が横行していたんだが、そこでみんな、なぜか『ゴジラ』のテーマを歌ってるんだよ。変な歌詞をつけた奴がいて、
ゴジラゴジラゴジラメカゴジラ、ゴシラ、ゴシラ、ゴジラと……」
ッてやつだよ。なンだったんだろうね、アレもさ。

文芸班・SF研での麻雀の様子
漫画『ひな×ゆき子ちゃん』(2007年)に描かれた班室マージャンの光景。

そう思って調べたら、なんと、素人が作ったやつらしいよ?[16]
それも、あの坂本龍一がNHKのFMラジオで募集したやつらしい。『坂本龍一サウンド・ストリート』ッてのに送りつけられてきた福岡市のトガミマサノブという天才の著作人格権無視の大作だ。それも86年に出た『DEMO TAPE – 1』ッてレコードに入ってて、CDにもなったらしい。坂本龍一も絶賛して、
「今までなんでこれがなかったのか不思議なくらい、ほんッとにすごいですね、これは。もう、呆れて開いた口がふさがらないって感じですけどね」
「これね、耳から離れませんね、ずっと。昨日から僕はずうっと歌いっぱなしです、頭の中で」
「ちなみに矢野顕子も好きだと言っておりました」
だそうである。[17]


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どうもあの曲の例のフレーズはラヴェルの『ピアノ協奏曲 ト長調』の第3楽章からとったものらしいが、あそこだけを徹底的にクローズアップして換骨奪胎、ゴジラにしちまうのはスゲエ。歌詞までつける阿呆は出るしよ。ロドリーゴを『必殺仕事人』のテーマにしちまうのと同じだな。どちらも原曲を超えてる。脱構築だな。

で、高校ンとき、その班室で麻雀やってた一人の、
——キャサ台(たい)。
ッてのが、時代劇が大好きで、いつも、
チャララ~
ッて、仕事人のテーマとともに人を斬って困るんだよ。
だから俺ァ言ってやッたよ。
「ありゃロドリーゴだぜ。聴いてみな」
で、みんな、
「うっそォー」
ッてことになり、以後、仕事人のテーマは、
——ロドリーゴ
と、呼ばれるようになった。『アランフェス協奏曲』の第2楽章だな。
このキャサ台、
「クラシックはいつも同じ終わり方でワンパターンだから嫌だ」
ッて、テクノばっか聴いてたが、その後、東京の大学で合気道部の部長サンになった。ま、不敵な男だったよ。
キャサ台のことは別にイイ。
とにかく俺も、いろいろ混ぜたかったよ。経でも真言でも雑音でもさ。木遣りとか歌ってる人を呼んだりしてさ。そういや、学生の頃、人斬りウーウン斎ッて友達がいて、沖縄へ旅行に行ったというから、
「沖縄を音楽にしてみようよ」
ッて、持ち掛けたことがある。
すると、ウーウン斎は、
「だったら、東京を音にできるかい?」
と、怒っちまッた。もちろん、俺の答えは、
「ああ、できるとも」
だったらしい。東京で音を拾って、サンプリングして曲に混ぜるッて言った気がするよ。[18]
今ならそんなの技術が安価になったから造作もねえことだよ。だが、昔はわりとむずかしかった。じゃどん、そいが容易にでくっごつなったちゅうとに、どげんしたこつか、おいにはもう何(ない)ンやッ気もなか。悔しかねー。ほんのこつ悔しかど。
学生ン頃、思い描いちょったこっが目ン当たり現実になったちゅうとに、おいだけがこげん老いさらべて歯痒(はが)いか。いま生まれてきた人(し)がうらやましか。
若かうちにやろごたッことは、何(ない)でンやッちょきやんせ。年を取って知恵がちてくッと、いろいろ面倒(てそう)なっでじゃ。

ま、俺みてえなのが一人や二人いなくても、代わりはいくらでもいる。そう、ウチらにはジブリ作曲家の久石譲がいるじゃねえか。ナウシカの歌はよかったよ。最高だよ。ッて、あれは細野晴臣か? そこだけYMOぢゃねーか!?

がぁごん氏が功成り名を遂げた暁には、この記にも多少の価値が出ると思う。うまくいったら、タンホイザーを歌ってくれって頼んだよ。そのときはノン宅のトロンボーンで伴奏してもらうよ。トランペットのところも容赦なく頼むから覚悟しときな。

 

                           〈2023年4月15日・一部敬称略〉

 

[1] 養和元年、重源の東大寺再建の勧進帳の文言。

[2] 2002年から翌年にかけて作曲されたもので、しばらく交響詩とされていたが、2018年の段階でSymphonic Suite 'Golden Dawn'と改称されたようである。だとすると、交響組曲である。

[3] NECの98MULTi CanBeシリーズの初号機で〈PC-9821Cb〉といった。1994年10月発売。MS-DOSでも動いたため、モヤシの奴がDOS画面からしか立ち上がらないように設定しやがって苦労した。2022年までは起動が確認された。1995年3月購入。

[4] 正式には『Ballade for Windows』(Roland)という。

[5]坂本龍一先生を哭す』参照。プレイエルの台数等については、高校時代に聞いた校長の訓話にでも出てきたかと思う。ただし、明文の史料を欠くため、真偽のほどはわからない。しかし、このことについての文書はあったと記憶している。

[6]Cakewalk by BandLab』(BandLab Technologies)。

[7] テレビ朝日徹子の部屋』、2018年3月8日放送。

[8] 『『夢芝居』はいいかげんに作ったら大ヒットしてびっくり 異色のシンガーソングライター小椋佳』(『WEB女性自身』)、2023年2月5日記事。

[9] マックス・ウェーバー音楽社会学 音楽の合理的社会的基礎』、安藤英治・池宮英才・角倉一朗訳、創文社、1967年、185頁。

[10] ウェーバー、同書、28頁。

[11] 南澤玉繭の長女。国音在学中はトロンボーン研究室長。

[12] 『第八浄阿頼耶』(2021年)。

[13] 正確には太鼓奏者の人たちらしい。むしろお祭り男たちと言いたい。

[14] ベアー・マクレアリ―『Godzilla: King Of Monsters』、ADA/ウォータータワー、2019年。

[15] 文芸班、SF研究同好会の合同班室。

[16]CDジャーナル』のリサーチ記事に出ていた。https://www.cdjournal.com/main/research/-/1326(2001年8月7日掲載)。

[17] YouTubeに当時の音源が上がっていた。動画「福岡市 ゴジラ」を見よ。https://www.youtube.com/watch?v=r8tQas2ZBLo(2023年4月25日閲覧)。

[18] 『FF NEWS芸術対論』Vol.1(1997)第8章『ニュースをリバースする男』に「「東京の音を録音してきて」て彼に頼んで、あとでその音をDTMと混ぜようってことで、ラジカセを2台もってきて、1つのラジカセのフォンともう一つのやつのマイク端子をコードでつないで生録音の音を流して、さらにラジカセとMIDIをAUXでつないで、全部の音を同時に一つのアンプで再生しようとしたわけ」とある(40頁)。とんでもなくアナログなトラックダウン方式である。