南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

まゐ子奇譚

前頭側頭自閉軒全集抄⑨
まゐこ奇譚

まゐ子(『旭山玉繭洞妖怪図彙』より)

昔、武蔵国は戸田てふ所にマヰ子てふ者ありけり。
日頃、木の下にて遊びけるに、さみしき余りに
人にチョッカイして咳をさすとか云々。
人が構はず横臥せば、益々構って咳させ候。
村人困りて仏に苦情申しき。
仏怒りてマヰ子・眷属を調伏し玉ふこと、経に見へたり。
今、其の木を美女木と云ひ、マヰ子住みたるとか云ふぞ。[1]

埼玉に
「美女木」
というところがある。
去る3日、その美女木から姪が来た。
美女木というだけあって美人である(5歳)。
この姪、両親も理解できない不思議のところがあって、ときどき大人にもわからぬようなことを言う。なぜかはわからないが、私の部屋に入り浸っている。

さて、姪が来て2日もすると、何やら急に喉が痛くなり、その後、数日もすると、夜も寝られぬほど咳きこむようになった[2]。治ったと思うと、余計にひどくなる。眠ると休まるどころか悪化するからいけねえ。
そこで、人に勧められて近所の内科に行くと、
「じゃあ、レントゲンと血液検査させてもらっていいかい?」
ッてことになった。
「正直に言うよ」
この言い方は、医者が死期の迫った人に何か告知するときの口上だ。
「レントゲンだけど、肺に影は映ってないのよ」
ッて、なんなんだよ、死ぬんじゃねえのかよ。
「だけど、血液検査してみたら炎症が起きてる反応が出てるのよ」
見てみると、確かにCRPの値が高けえ。
で、その血液をさらに検査会社に回して、何の病魔が取り憑いてンのか、調べてもらうことになった。

CRP(C-リアクティブプロテイン
基準値は0.30mg/dL。炎症状態で上昇するため、細菌・ウイルス感染症などが疑われる指標。

その4日後、結果を聞きに行くと、
「検査の結果なんですが」
と、医者はクイズの正解を発表するみたいに言いやがる。
「なんと、まゐ子プラズ魔肺炎でしたー」
「えー、マジかー」
「そうなんですよ」
そんな子どもがかかるやつ、どこから来やがったんだ。まあ、美女木からだろうな。姪もコホン、コホンとやってたよ。
「新型コロ助やインフルエン蔵の勢いに押されて影を潜めてるんだけど、まゐ子や百日咳もまだまだしつこく隠れてるんだよ、ウン」
そういう次第で、抗生物質を数日分もらって、しばらく飲んだ。
玉繭先生からも薬草が届いたので、煎じて飲んだ。さらに梅干を胸に当てて寝ると、咳にイイって言う。それをまゐ子が喜ぶのか嫌がるのかわからねえが、玉繭子はそれで治ッちまうらしい。

マイコプラズマ抗体半定量PA法)
1gMクラスの抗体の測定値。発症後1週間目で上昇するため、マイコプラズマ肺炎への感染がわかるという仕組み。基準値は40倍未満。

ところで、『旭山玉繭洞妖怪図彙』によると、このまゐ子、人にかまってもらいたさに、そこらの人に取り憑いて咳をさせるというので、仏が怒って調伏したと経に書いてある、という。妄説と思って侮る人もあるが、チャンと経に出てる。
宋の施護が訳した
『仏説一切如来真実摂大乗現証三昧大教王経』
ッて経がある。
これはいわゆる『金剛頂経』の30巻本で、唐の不空三蔵が訳した3巻本は、その最初のパートだけだったというので、
『初会金剛頂経
などという。日本で『金剛頂経』と言ったら、普通はコレだ。
で、その30巻本の巻第十『降三世曼拏羅廣大儀軌分第六之二』に、こんな話がある
「時に金剛手大菩薩、亦た鉤召一切瘧疾等鬼の大明を説いて曰く」
金剛手菩薩という人が、一切の〈瘧疾〉等の鬼を召喚する呪文を説いて言った。呪文の方は長げえから割愛する。なお、〈瘧疾〉ッてのはマラリアのことだが、他にもいろんな病気たちがやって来た。
「是の大明を説く時、彼の瘧疾等諸持病鬼、鉤召に悉く須彌山頂外の曼拏羅に来たる。周匝して住す」
この調子だと話が終わらねえから簡単に言うと、病気たちの言うには、
「菩薩様、手前どもは人の精気を吸って露命をつなぐ者にございます。それをやめよと仰せられては、手前どもは立ち行きませぬ」
そこで菩薩は
「清淨自業智印大明」
ッていうありがたい呪文を唱えて、印を結んで病気たちに見せた。そして、
「是の如き印契を随応に顯示し已(おわん)ぬ。汝諸瘧疾等鬼、速かに当に馳散すべし。もし然らざる者は必ず其の命を壊すべし」
と言うと、病気たちは教勅をかしこんで、それぞれの本処に帰ったという。
〈随応〉とは〈随類応同〉であろうから、病気たちの種族に応じて教化したという意味だ。呪文の名前からして、彼らのもつ業を浄める方法を教えてやったものらしい。
「話を聞いたらとっとと去るがよい、じゃないと北斗神拳でアベシだぞ」
と、脅しを加えたので、病気たちは逃げ帰った。自分で呼んでおいて勝手なものである。ともあれ、あとは病気たちが教わった通りに真言を唱え、印を結べば、問題は解決である。病気たちも人に迷惑かけずに生きられるって寸法だ。
しかし、どうもまゐ子は言うことを聞かなかったらしい。菩薩の目を盗んで、姪にくっつき、俺んちまで来やがった。

しかし、ふと考えた。
まゐ子の潜伏期間は2、3週間だ。
だとすると、まゐ子を連れてきたのは、姪じゃねえ。
まゐ子は美女木だけじゃねえ、どこにでも潜んでいる。
医者も言ってるよ。
そして、今日もどこかで、誰かにかまってもらいたくて、行旅人が来るのを待っている。

 

                                 〈2023年5月17日〉

 

[1] 『旭山玉繭洞妖怪図彙』、2023年5月17日図に見えたり。

[2] 『自閉軒日録』、2023年5月5日条ほかに見えたり。