南山剳記

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時代が病むということ(鈴木 國文)

時代が病むということ

鈴木國文『時代が病むということ――無意識の構造と美術』、日本評論社、2006年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

著者は名古屋大学医学部保健学科教授(当時)、精神科医。専攻は精神病理学。2007年には日本病跡学会賞を受賞している。私が同学会の総会に出席したのは2010年のことで、日本精神神経学会専門医のポイント認定(C群)がもらえるというので、専門医資格の更新のために業界の皆さんが多数、押しかけることになるわけである*1。鈴木博士は2日目にシンポジストとして参加され、『ミメーシスと創造性―広汎性発達障害とスキゾフレニアの病理から―』と題して講演された由であるが、残念ながら、私は初日のみの参加であったため、お話をお伺いすることはなかった。代わりに、当時、名大の学生総合相談センターで鈴木氏の下で勤務されていた津田均准教授の一般演題『ヴィトゲンシュタインの哲学は精神病理学に何をもたらすか』を拝聴した次第である。その時の話については、『アートと思考 第⑫講 あたかもアートの終焉が世界の起源であるかのように*2にいささか書いたので、参照されたい。

病跡学(pathography)というのは、表現精神病理学(Psychopathology of Expression)とほぼ同じ学問分野であって、傑出した作品を残した芸術家の生涯がしばしばその研究対象となることから、精神医学的、心理学的とは言いながらも、どこか人文学的なにおいのする学際的な研究領域である(芸術家に限らず、バートランド・ラッセルヴィトゲンシュタインフンボルトディラックなど、突出した天才の人生も研究の対象となっている)。人間の内面状態の記述を重視するという点で精神病理学と近く、なりゆきから、力動系の精神医学(精神医学の心理学派、精神分析など)と比較的に親和性を有するようになったものらしい。当のフロイトは唯物的な自然科学として精神分析を定立しようと企図していたのであるけれど、今日、精神分析は科学というよりは一つの思想と見なされている。一方、『精神病理学原論』を書いたヤスパースは、当初から「精神医学は人文学でなくてはならぬ」と言っていたけれど*3、要するにそれはフロイトに対する当てつけであった。1950年にヤスパースの書いた精神分析批判の書が邦訳されて、精神分析に批判的だった東大精神科の主任教授・内村祐之が門下の石川清土居健郎に議論をさせたことが土居の回想に見えるが*4、こんにち病跡学会では、いまや科学にあらずとの中傷にひるむことなく、ときに(フロイトそのままではないけれど)精神分析的な語彙が活発に飛び交って、よそから文系の先生にも特別講演をお願いして(私のときはプルースト研究者の鈴木道彦氏であった)、マニアックな議論が白熱していたものである。もちろんといってはアレだけど、数多くの精神分析本を書いた斎藤環先生(筑波大学教授、当時は爽風会佐々木病院勤務)も参加しておられた。

さて、『時代が病むということ』と銘打たれた本書であるが、いつであれ、どこであれ、人類が病んでいなかった時代などあったであろうか、と思うのは私だけであろうか? 著者はどこかの場所のいつかの時代がかく病んでいたということを説明したくてこの本を書いたのであろうけれど、残念ながら、そのあたりのことについて私はメモを取らなかったので、肝心なことは何も言えない。フロイトによる無意識の発見と、20世紀初頭の美術が生まれた同時性について考察した著作との由である。

残されたメモを見るに、私の関心はヒステリー(こんにち、DSM-IVにおける疾患単位は〈身体化障害〉)の発見者と言われたシャルコー(Jean-Martin Charcot、1825~1893)の事績に惹きつけられたもののようで、そのからみでフロイトブルトンといった有名人の名が本書を賑わすようになる。もっとも本書は、シャルコーのヒステリー研究について、アンリ・エレンベルガーの大著『無意識の発見』にあたることを薦めているので、詳しいことは『無意識の発見』の剳記に譲りたいと思う。ヒステリーは当時流行の病であったから、「時代が病む」とはそのようなことを指すのであろう。自由連想法がヒステリーの治療理論として確立を見たということは注目されてよい。

ところで、サルペトリエール病院におけるシャルコーの講義は当時としては革新的なもので、毎回聴衆が押し寄せたというが、なかんづく好評だったのは、美しい花形の女性患者(たとえば、ブランシュ・ヴィトマンなど)にヒステリー発作を実演させるというドラマであった。この見世物には当時から批判があって、今日からすると、ヒステリーが女性特有の病であるというジェンダーイデオロギーを反映したような疾病感が根強かった頃の光景ではあろうけれど、シャルコーの名誉のために言っておけば、彼は男性のヒステリー治療にも取り組み、その影響を蒙ったフロイトは、ドイツに帰国してからヒステリーを女性固有の疾患と見なすドイツの医学界から批判を受けることになるのである。

シャルコーの名声が早期に失われたことは、エレンベルガーの『無意識の発見』にも縷々説かれているけれど、そこから出発したフロイトブルトンといった人たちの業績は、長く人々の記憶するところとなった。ブルトンは、1928年の『ヒステリー発見五十周年(1876-1928)』において、シャルコー型ヒステリーの発見を〝19世紀最大の詩的発見〟と称える決議を行なっている*5シュルレアリスト、あるいはブルトンと親交の深かったデュシャンといった芸術家が、作品上に〈無意識〉をもたらそうと取り組んでいたことは、シャルコーが一世を風靡した世紀末の時代精神と無関係ではあるまい。斜め読みしただけの私が言うのもおこがましいが、一読をお薦めするものである。なお、私見は脚注に出した。

 

所蔵館

市立長野図書館

 

時代が病むということ―無意識の構造と美術

時代が病むということ―無意識の構造と美術

 

 

 

ii
文化の中で、快・不快の判断はきわめて不合理なタイミングで起こる。

 

本文

 

p.15 ヒステリーは表現の手段であり、詩的発見

アンドレ・ブルトンが「ヒステリー発見50周年」を記念して、サルペトリエール病院の資料室の図像(恍惚状態、激情状態、発作姿態の女性たちの写真)をコラージュにし、「ヒステリーは病理学上の現象ではなく、あらゆる点でこの上ない表現の手段として考えることができるもの」「ヒステリーは19世紀最大の詩的発見」とした(『シュルレアリスム革命』誌上)。

 

p.15 シャルコーによるヒステリーの発見

1878年シャルコーはサルペトリエール病院でヒステリーの研究を組織。ヒステリーという疾患単位を確立した(その経緯はエレンベルガー『無意識の発見』に詳しい)。

 

p.16 シャルコーとサルペトリエール病院

現在、パリ13区、オステルリッツ駅西南に広大に敷地。脳外科、神経科、精神科の先端施設を備え、日本からも多くの精神科医が留学。もともとルイ14世の頃は、老人・孤児・犯罪者・売春婦・乞食など生活破綻者の収容施設だった。中心に大きな教会があり、いくつかの大病院棟群が立ち並ぶ、17世紀様式の町のような造りになっている。パリ中心部近くにありながらも、19世紀のシャルコー当時は古色蒼然たる老人・女性収容所のようになっており、何千人もの老女の大群のイメージは、ボードレールにいくつかの詩を書かせた。シャルコーは、1862年、32歳で病棟院長となり、さまざまな発見でサルペトリエールを先端病院へと変えた。シャルコー三徴候(多発性硬化症)、シャルコー関節(脊髄関節症)、シャルコー氏病(筋萎縮性側索硬化症)などの研究。幼時からすぐれた画才を示し、画像を医療に取り入れ、写真担当部を作ってヒステリー患者の姿をとらえる。野心家、カリスマ、社交家だった。

 

p.17 サルペトリエールを描いた絵画

画家アンドレ・ブルーイエの『サルペトリエールにおける臨床講義』(1887)は、シャルコーの「火曜講義」におけるヒステリー患者供覧の様子を描いた絵。1887年のパリ・サロンに出品。美しい患者を選んで「やらせ」。スター患者たちは喜んで参加したという。絵では、右のほうにグッタリとなる女性が描かれている。*6

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アンドレ・ブルーイエ『サルペトリエールにおける臨床講義』(1887) WIKIMEDIA COMMONS/Paris Descartes University, Paris/FNAC 1133 (Fonds national d'art contemporain)/Photo prise dans un couloir de l'université Paris V


 

p.18 サルペトリエールで学んだフロイトブルトン

フロイトは1885年10月から4ヶ月間、サルペトリエールに滞在し、火曜講義にも接した。「私の心はすばらしい劇場で一夜をすごした夜のように満ち足りていた」と書き留める。ブルトンシャルコー教室の医長バビンスキーのもとで学び、のちにサン・ディジエの精神医学センターに配属、フロイトの著作にも親しんだ。

 

p.19 女性性と芸術

ブルトン「男性芸術家は効果的ですぐれたものを作るにはもっぱら女性の力に頼らなければならない。結局。彼は嫉妬を覚えつつも、女性を男性から区別しているすべてを自分に取り入れようとするのだ」(『秘法十七番』)。

 

p.20 女性はオリジナルのないコピー

ルモアーヌ・ルチアーニ(現代フランスの女性分析家)は「男の子はさまざまなもので遊ぶ。ちょうど彼がすでにそのペニスを弄んだように。しかし、幼い子は遊ばない。少なくとも女性的な遊びと男性的な遊びの間に、共通なものはほとんどない。……人形を相手にしている女の子、あれは決して遊んでいるのではない」。その本質は自分のコピーを作り出そうとすることで、人形はオリジナルのないコピー。人形がなくなるとそれを探す人形愛者。女性は自身がオリジナルのないコピーであり、すでに何かから分割されていると知っている。その先には何もない。男はそれに気づかず、探求の先には真理があると信じているので、男の子はおもちゃを分解して壊してしまう。*7

 

p.24 レオノーラ・カリントン

レオノーラ・カリントン(画家マックス・エルンストの3番目の妻)は、1917年にランカシャーの田舎のカトリック信者の家に生まれた。思春期には反抗的になり、修道院付属の学校で規則に従わずに放校となった。鏡文字で書く頑固な癖があった。14歳のとき、司祭に紹介されると「ねえ、これをどう思う?」と服をたくしあげて裸を見せる。父親が風変わりな人物だったらしいという以外、他のことはよくわからない。最後はスペインの精神病院へ。のちに結婚し、豊かな作品を生み出す。

 

p.27 マリー・チェミノーヴァ・トクイアン

女性画家。『休息』(Relâche、1945)は、下着姿で谷底へ落ちてゆく女性の絵で、顔は見えず、岩に透ける下半身が印象的。エロティックなオブジェやポルノ写真を集め、70歳になってもポルノ映画に通った。1980年、パリで孤独に死んだ。

*1:(公社)日本精神神経学会「精神科専門医制度規則施行細則」30条(1)項に「更新の申請をするまでの5年間に、専門医制度委員会が指定する研修会、研究会への参加等により、別表3による所定の単位を取得すること。また、5年に1回以上日本精神神経学会総会に参加することを原則とする」とあり、精神科専門医資格の更新に際して必要とする取得単位が定められている。資格更新に際して必要な取得単位は、A~C群まで合計40単位以上となっている。

*2:服部「アートと思考 第⑫講 あたかもアートの終焉が世界の起源であるかのように」(『ブランチング13』所収)、クマサ計画、2015年。web版は、http://branching.jp/?p=2807

*3:とは書いたものの、出典が思い出せない。たとえば土居健郎は、物的な「自然科学的事実」と「人文科学的事実」の区別を重視し、後者に「心的な事実」と「歴史的事実」を包含したとされる。一方、フロイトは歴史的事実と物的事実を混同していたといわれる(熊倉伸宏・伊東正裕 『「甘え」理論の研究―精神分析精神病理学の方法論の問題』、星和書店1984年)。26年前に読んだ本なので、ヤスパースについての言及があったかどうかは定かではない。

*4:土居健郎精神分析と東大精神科」(東京大学精神医学教室120年編集委員会東京大学精神医学教室120年』、新興医学出版社、2007年)、159頁。この件については、拙著「アートと思考 第⑪講 展翅、残虐の実践としての」(『ブランチング12』所収、クマサ計画、2015年、web版はhttp://branching.jp/?p=2630)にいささか書いた。「もともと日本では、精神分析は非本流の地位に留め置かれてきた。戦後、東大医学部の内村祐之が米国流の精神分析が蔓延することを警戒し、対抗軸としてヤスパースを持ち出したのがことの発端で、第一、東大の精神神経科は生物系、心理学科も実験系を標榜し、精神分析は保健学科の土居健郎くらいだった。教え子から精神分析医になったのは一人だけ。しかし、家裁調査官研修所に出講していたこともあり、家裁調査官で精神分析学会の会員という人は存外多いのである」。

*5:アンリ・エレンベルガー『無意識の発見~力動精神医学発達史』(上)、木村敏中井久夫監訳、弘文堂、1980年、117頁。

*6:シャルコーの講義でも特に優れていたのが「火曜講義」であり、『サルペトリエール火曜講義集』(1889)なる講義録によって知られるところである(エレンベルガー、同書、148頁)。一方で、エレンベルガーは「毎火曜日の午前が新患を医師、学生を前にして診察する日に充てられていた。シャルコーが鋭い臨床眼を発揮し、きわめて複雑にもつれた症例の病歴を解きほぐして、稀有な疾患さえも迅速正確に診断するさまを見るのは学生や医師たちには楽しい見ものだった。しかし最大の呼び物は毎金曜日午前に行われる荘重な講義だった。(…)それからその疾患の患者が連れて来られる。時には患者の入って来方それ自体が派手な見ものだった。(…)問診でシャルコーと患者が交す対話は劇のようだった。いちばん目覚ましい劇(ドラマ)はヒステリーと催眠術の講義だった」(エレンベルカ―、同書、110~111頁)と述べているから、あるいは「金曜講義」を描いた絵ではなかったかという気もしてくる。

*7:読書時の詳しいメモがないのではっきりしないが、「オリジナルのないコピー」という言い回しは、一つには、ボードリヤールシミュラークルという概念に多くを負うものである。あるいはその前段にあるベンヤミン的な複製は、シミュラークルの第2段階である(写真などのこと。最初からオリジナルとコピーの区別がない純粋な複製であり、これを〈生産主義的シミュラークル〉などという)。第3段階のシミュラークルについて、ボードリヤールは「シミュレーションとは、領土、照合すべき存在、ある実体のシミュレーションですらない。シミュレーションとは起源(origine)も現実性(réalité)もない実在(réel)のモデルで形づくられたもの、つまりハイパーリアル(hyperéel)だ」(ジャン・ボードリヤールシミュラークルとシミュレーション』、竹原あき子、法政大学出版局、2008年、1~2頁)と言っている。ディズニーランドのような虚構の集合体が現代のシミュラークルとして挙げられている。どこまで突き詰めても、そのモデル(起源)となる現実の事物は存在しないのである。アイロニーによって真理は無限に後退し続けるのであるが、真理に意味を、仮象に無意味を割り当てるとするならば、男性にとって人形遊びはまさに真理とかかわらない無意味な虚構ということになるのであろうけれど、このような男性的な真理観は、19世紀後半以降、厳しく問い直されることになる。また、フレーゲヴィトゲンシュタインの系列で考察された「否定の論理」は、デュシャンの思想に継承されたもののようであるが、あるものの否定は、もととなったものを消し去ることができず、もとのものを否定することによって、かえってそのものを命題中に浮かび上がらせるという奇妙な性質をもっている、という。たとえば、〈アート〉に対する〈アンチ・アート〉というものは、アンチのあとに〈アート〉という、もとの肯定的な言明をそのまま保存している。また、〈アート〉とは、〈アンチ〈アンチ・アート〉〉のことであろうから、〈アート〉の起源が〈アンチ・アート〉にある、と考えられなくもない。オリジナルと派生物の区別は容易ではない。もう一つ、デリダにならえば、ある出来事において語られる〈起源〉そのものが〈不在〉のものである、という場合を考えることができるだろう。アメリカ独立宣言は、〈本来的に独立した人民〉によって宣せられたものではなく、そのような虚構の人民によって〈独立〉という出来事が行為遂行的に宣せられたものである。人民の独立が天与の資格であるという仮構は、独立宣言によって生み出された捏造の理念であって、ここでは、独立宣言が不在の〈起源〉を生み出すという〈行為〉を遂行しているのである。人形遊びに見られるさまざまな設定も、その場で前触れなく到来する〈出来事〉(どうも私は、過去にこれを事実的な〈起源〉に対して〈暴力的起源〉と呼んだらしい。拙著「アートと思考⑨ 『芸術・フォア・反芸術・アンチ・どっちも・どっちでも』」(『ブランチング10』所収)、クマサ計画、2014年。web版は、http://branching.jp/?p=2359。)であって、〈起源〉をもたないものである。真理は〈事実〉としての〈起源〉をもつが、人形遊びの物語において、そのような真理は問われないのである。そこに真理を問うことは、かえって物語の全体を無意味なものにしてしまうに違いない。なお、ジェンダーイデオロギーに対抗する立場からすれば、男女の〈性差〉など事実上ないに等しいということになるので、男子に特有の遊びも、女子に特有の遊びも、「男らしさ」「女らしさ」と同じことで事実確認的なものではなく、観察者が行為遂行的に作り出した現象ないし幻想ということになるのかもしれないが、俗に〈性差〉といわれるものが、なべて文化的に形成された取るに足らないものであるという見方については、脳科学進化心理学の観点からは異論があるようだ。両性のいずれが優れているかなどという価値判断は、ほとんどナンセンスなものであるけれど、文化的なジェンダーに対し、脳機能的ないし生物学的な両性の差異を軽視すべきではないという考え方である。たとえば、進化心理学の立場からは、生物学的な差異が両性の繁殖戦略(進化学的な適応度を高める行動)を異なったものにし、時の生産方式において優位を占める性の繁殖戦略がジェンダーを規定するということが説かれるのである。