誰のために法は生まれた(木庭 顕)
誰のために法は生まれた
木庭顕『誰のために法は生まれた』、朝日出版社、2018年
【徳武 葉子・撰】
凡例
★は撰者の私的書き込みです
p.32 ポトラッチ 競争的贈与
返せないほどの贈与をどさっとすると相手をノックアウトできて、完全に服従させることができる。
★IR汚職事件では誰が誰をノックアウトさせたかったのか。
p.50 犠牲の強要
犠牲強要の仕方というのは暴力的になる。
p.63 本来の法とは
グルになっている集団(犠牲強要型の集団など)を徹底的に解体して、追い詰められた一人の人に徹底的に肩入れするのが本来の法。集団というものの構造をよく理解していなければならない
★桑原朝子教授(北大教授、法学博士)の論文「近松門左衛門『大経師暦』をめぐって」に詳細説明。
p.67 犠牲を強いる徒党
オレたちにはオレたちのやり方がある、文句を言うな、という場合には必ずそこには徒党があって、誰かを犠牲にしている。犠牲を生まないためにはオープンさが大事
p.86 担保の発達した日本社会
相対的に日本の社会ではブツを担保にとるのがとっても好きで、やや異様に発達している。金銭から生じる支配的服従を法は警戒する
p.98 窃盗がいけない理由
窃盗はなぜいけないかというと、必ずグルだから
★サザエさんに出てくる唐草風呂敷を背負った泥棒はなぜいけないか。ネズミ小僧に仲間はいたのか(個人的な覚書)。
p.72 映画『自転車泥棒』
イタリア映画『自転車泥棒』1948年(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)
★書籍『自転車泥棒』呉明益/文藝春秋 2018年発売
内容に関連性はないが、第二次世界大戦という共通点はある。
p.111 イタリアでは子供を叱ってはいけない
イタリアでは子供をぶつのは絶対ダメ。叱ることもダメ。子供はいつも楽しくニコニコしていなければならない。
★『子どもの人権を守るために』木村草太編/晶文社
p.121 占有
現在という一瞬で切って、前後の事情を捨象して、ある人がある物をとってもいい状態で保持している、これが占有。
★例えば自分の健康、精神。
p.124 占有という原理がない日本社会
日本の社会には占有という原理がないから悲惨。暴力的に「オレの物だ!」「自由だ!」となる。これは自由ではない。自由の侵害をさせないのが自由。
児童虐待の考え方が弱い。カップルのDVも同様に弱い。自由を奪った場合は容赦なく介入するべき。
p.128 信用の崩壊
信用のシステムが壊れると、ただ何か物を握っていることしか信用できなくなる。→若者に圧力となる。
p.137 ローマ喜劇『カシーナ』
『カシーナ』プラウテュス作 紀元前200年ローマ喜劇
p.143 近代法はローマからの借用
↑発達した夫婦財産制が生まれる前夜。近代法はこの後期に発達した概念を根こそぎ借りた
p.164 劇中劇では徒党は個人に負ける
劇中劇のルールは必ず徒党が個人に負け、原則この結果がそのまま政治、つまり裁判の決定になる。
p.165 法の中核は民事法
民事法が法の中核。憲法や刑法は民事法と政治のミックス。
政治という仕組みは実力が完全に排除されて、言葉だけが通用する都市の中のさらに特別な空間で展開される
p.166 法律家は緊急避難を重視する
法の立場というのは最後、正義がどちらにあるか、ということにはほとんど興味をもたない。
法律家は正しくなくとも緊急に危ないほうを大事にする。
p.168 ローマ喜劇『ルデンス』のギリシャ的発想
『ルデンス』紀元前200年ローマ喜劇 ギリシャ的な考え方が原作から残った。
p.184 人身の自由を最優先するローマのルール
人身の自由が関わっている時には、誰であろうと駆けつけてきて、ブロックする。その人がまず優先。ローマ独特のルール。
p.185 一旦ブロックの機能
一旦ブロックの機能を使えるのは、徒党に対して個人を守る側だけ
p.189 物証と個人の自立
物証の世界というのは、非常に強い個人の自立と、とっても関係している
p.193 正義は後から裁判で追及する
まず法があって、一旦ブロックする。そしてゆっくり政治、つまり裁判で正義を追及する。
p.199 信頼できるシステムがない
実物を握り締めていることだけが確かなことだという取引、信用世界も大規模に発達しうる←日本の経済
つまり、みんなが信頼できるしっかりした信用システムがない。
p.204 考え方をぶつけ合おう
主張をぶつけ合うだけでは利益と利益を調整して結論を出すのと変わりない。考え方と考え方の衝突でなければ透明性は生まれない。
p.206 古典の力
本物の古典の力はすごい。そこはやっぱり人間の歴史の土台を作ってきたものだから。
p.217 親族と集団概念
親族ってものになぜ人間がこだわるかというと、それは「集団」を概念するため。
p.218 親族と友は同じ言葉だった
ギリシャ語では「親族」と「友」は同じ言葉。
p.219 集団思考と差別
集団思考である以上、区別と差別をしなければ生きていけない。
「法の下の平等」原理→味方の内部は差別するな。
誤解→敵と対決するために味方は団結しろ。
p.222 利益本位の考え方は集団単位の考え方
利益ですべてを考える考え方というのは、実は集団と集団が何かをやったりとったりしている時の基本的なものの考え方。今の支配的な考え方。
p.224 デモクラシー
◇人々を集団思考=利益思考
◇個人を自由にする…集団から遠くなったような錯覚→結局集団を生み出す
p.230 『アンティゴネー』に関して
肉親なのに埋葬しないということに反対しているのではない。敵だから埋葬しないという考えに反対している。
アンティゴネーは反血縁主義…私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです。
情緒的な血縁主義とは正反対。集団に寄りかかったりしない。強烈な個人。
p.241 真のデモクラシーとは
デモクラシー万歳で安住するようなのはデモクラシーではない。徹底的な病理分析の手をゆるめないのがデモクラシーである。誇り。
p.269 因果連鎖、解釈、論証要求
「ってことはどういうこと?」因果連鎖と解釈を掘り下げる。
「なぜですか?」論証要求も大事。
命令した方の権力が撹乱される。
p.272 自由な言葉
自由な言葉により初めて言葉が機能する。ギリシャ人の考え。
p.284 個人をないがしろにすれば社会が滅びる
追い詰められた個人をないがしろにすれば、そもそも社会全体が破滅。
p.327 日本の法律家は占有に敏感でない
日本の法律家は占有に敏感でない。法的問題イコール権限の問題と考える。
p.334 まずブロックの手続きをとれ
一旦ブロックの手続きがないと、そのチャンス、つまり他と切り離して、実力行使だけで裁判するというチャンスが失われる。緊急ストップはとても大事。
【占有訴訟】日本では例外 ※占有保持請求本訴ならびに建物収去土地明度請求反訴事件 最高裁判決昭和40年3月4日←この事件で原告が負けて、占有訴訟が行われなくなった。
p.340 合祀事件
自衛隊らによる合祀手続きの取消等請求事件
最高裁判決昭和63年6月1日
p.362 被告適格
被告適格 古典的な防御の手段
ホッブズ(1588-1679) ギリシャの政治システムを知り抜いている 再現は無理→エキスは何か分析→近代国家
p.371 武力衝突を律する
武力衝突の問題は占有をモデルにして規律しなければならない。実力行使を解体するための原理。
p.373 取られる前にブロックしろ
攻撃されたら抵抗していい、ブロックすることは許される。これは占有であり権利ではない。一度取られたら取り返すための実力行使は違法となる
★自衛隊の中東地域での活動期間は1年、派遣260人
p.380 精神と身体は占有の重要な対象
人間にとってとりわけ大事な占有は精神と身体
p.381 人権は占有のものであって、権利ではなかった
権利というのは、今持っていないものを獲得しうるということ。人権は決して攻撃的には使えない。権利ではなく占有だから。権利なんかにしてしまったから、原告になって訴えなければならなくなった。
p.385 信教の自由
フランス…信教の自由は個人にしか認めない
アメリカ…団体にも自由を認める
p.391 後世のことも考えよ
自分が死んだあとのことはどうでもいいと考えるべきではない。いちからやり直していると進歩がない。世代を超えて生死を超えて連帯していく。