南山剳記

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ジェンダー視点に立つ男性の心理学の課題~なぜ「男性の心理学」なのか(柏木 惠子)

ジェンダー視点に立つ男性の心理学の課題~なぜ「男性の心理学」なのか

柏木惠子「ジェンダー視点に立つ男性の心理学の課題~なぜ「男性の心理学」なのか」(柏木惠子・高橋惠子編『日本の男性の心理学――もう1つのジェンダー問題』所収)、有斐閣、2008年

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【服部 洋介・撰】

 

解題

複数のレポートをおさめた『日本の男性の心理学――もう1つのジェンダー問題』の編者による、いわば全編の総序。ここだけ読めば一冊のあらましはだいたいわかってしまうので、時間のない人にはおすすめである。実際には各レポートの要点をかいつまんだものであるけれど、ここでは特に出典は示さないので、気になる方はご自身で確かめられるがよろしかろう。ただ、先に挙げた長谷川寿一博士の『殺人動向から考える男性心理~進化心理の視点』について触れた箇所については、対応ページを記した。

この序論のなかで興味深いのは、米国の心理学者ホーナーが提唱した女性における成功回避動機(the motive to avoid success)という考え方と、それに続くギリガンによる女性には男性とは異なる特有の道徳的発達の様態があるという指摘(高橋惠子・湯川隆子「ジェンダー意識の発達視点~男らしさもつくられる」)であるけれど、成功回避動機の研究には問題点が多く、そもそも〈成功を回避する〉とは何ぞやという構成概念の曖昧さから始まって、手法の信頼性という問題もあって、諸研究において定まった結果を得られないという難点があった。ホーナーの考えた〈物語作成法〉なる手法にしても、「こんなんで実際、成功不安があるかないのかなんてわかるんかいな」という話であるけれど、私にやらせたら、徹底的にネガティヴな話を作って「こいつ大丈夫か!?」ということになるであろうから、なんか違うことがわかってくるような気すらしてくる(笑)。

統計を取れば何らかの傾向が数値化されてくるのは当たり前のことではあるけれど、それをどう解釈するかということになると、問題は当初ホーナーが想定していたよりも複雑だったようで、今日では単純に成功回避動機の有無を性差に回帰させるのは困難と見なされているようである。また、質問紙法による成功回避動機尺度の質問項目にも今一つ答えにくいものが多くて、〈成功〉というものを是が非でも競争と結びつけなくては気がすまないようなものが多く、〈成功〉とは所詮、集団のトップに立つことであったり、ゲームに勝つことであったりと、今じゃ大して魅力的とは思えないことばかりである。それに、一口に集団といってもいろいろなものがある。

人間、握れることなら多少の権力も握りたかろうし、人に支配されるよりは対等でありたいと思うであろうけれど、どうでもいい分野で一番になっても仕方がない。という意味では、成功回避動機というのは、この種の事柄から受けるデメリットがメリットを上回っているという考え方の度合いを示すものであろうけど、なんか雑多な要素も入り込んでいて、自分が成功することと他人が成功することをどう評価するかをゴッチャにしているようで、イマイチよくわからないものもある。ひとまずのところ、個々の質問項目を一通り読んだ上で、唯名論的に「成功回避とはそういうものだ」と理解しておけばよいだろう。研究者が特定したい性格特性が把握できれば、活用の道も開けるであろう。ただ、〈成功〉という字面から受けるイメージと内実が異なることもあるだろうから、レポートを読むときには注意したいものである。

研究によっては面白い報告もあって、1990年に発表された藤岡秀樹・高橋久美子両氏の「成功回避動機についての研究」(『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要 第1号』所収、1991年)によると、高校生と大学生を被験者として成功回避動機を測定する質問紙(FOSS)を実施し、達成欲求・支配欲求や性役割期待との関係を調べたところ、その主な結果は、

 

(1)高校生・大学生共に、成功回避動機に性差は見られなかった。
(2)成功回避動機の強い者は弱い者と比べて、男女共、達成欲求は弱く、男子のみ支配欲求が弱いことを見出した。
(3)成功回避動機と性役割期待尺度の女性性とは関連性が認められなかったが、男性性とは部分的に関連性が認められた。つまり、成功回避動機の強い者は弱い者と比べて、伝統的な性役割観(男性性次元)を強く持っていることが、部分的に認められた。
(4)Hornerの用いた物語作成法で測定された成功回避動機は、FOSSとある程度の関連性を認めることができた。(以下省略)*1

 

とのことである。これだけでは何のことかわかりにくいとは思うけれど、参考までに挙げておく。

いずれにしても、いわゆる〈成功回避〉ということのうちに、何らかの効用を認めようという姿勢は、倫理的なものにある新しい次元を切り拓くものと見てよく、なんでもかんでも〈成功〉側の尺度で評価するのはどんなモンよと思う人は、ぜひ本論からインスパイアされるがよろしかろう。かつて当たり前のように行われていたパワハラが、今ではイカンというのも、かつて〈成功〉を促進するものとして評価されていた男性的属性のある種のものが、今では社会的デメリットを生じさせるものと見なされるようになった結果であろう。もちろん、目的と手段は別のものであって、今日なお目的としての〈成功〉そのものは否定されるものではないけれど、その〈成功〉に他人を全面的に巻き込んで同一化しようなどということは、たとえ〈成功〉をめざす企業の内部であっても許されえないということになるであろう。ということになると、自然、〈成功〉の程度にも制限を課すということが出てきても不思議ではない。資本主義終焉論というのは、その一つのあらわれということができるように思われるが、ジョヴァンナ・フランカ・ダラ・コスタ風にいえば、資本主義こそは、女に対する男の暴力としての家事労働を根拠づける制度ということになろうから*2、〈成功〉の評価にかんする性差の研究であるとか、〈成功〉の押しつけ問題というのは、資本主義における価値観の問い直しという面をもっているのであろう。けっきょくそれは、男性における伝統的な役割期待を問い直すことでもあるのだ。

 

所蔵館

市立長野図書館(143ニ)

 

関連項目

長谷川寿一「殺人動向から考える男性心理~進化心理学の視点」

高橋惠子・湯川隆子「ジェンダー意識の発達視点~男らしさもつくられる」

金井篤子「職場の男性~ワーク・ライフ・バランスの実現に向けて」

 

日本の男性の心理学―もう1つのジェンダー問題

日本の男性の心理学―もう1つのジェンダー問題

 

  
p.1 セックスとジェンダー

「性は人種・民族と並んで個人の力で獲得・変更が不可能な生得的特性を基盤におく、優劣とは無関係な社会的カテゴリーである。にもかかわらず、長らく多くの社会で男性と女性は序列化され、女性は男性より劣る存在として位置づけられ、公私さまざまの場面で差別の対象となってきた。20世紀後半になってようやくその不当さが認識され、差別を生んできたメカニズムが探求されるなかで生物学的性と社会・文化的性が区別され、前者をセックス、後者をジェンダーとすることとなった」(1頁)

 

p.4~5 女性における成功回避動機

「達成動機づけは、業績や成功が重視される工業化社会において格好のテーマとして盛んに研究されてきた。その強さは成功物語に対する反応の分析によって測定され、男性が女性よりも強いという性差が認められて、女性は業績・達成への動機づけにおいて劣ると暗黙に考えられてきた。ホーナーはこれに疑義を唱えた。すなわち男女の達成動機づけの特徴は単に達成動機づけの高低、つまり達成志向の強弱としてとらえることでは不十分である。その差は単に強弱という量的な差異ではない、何をもって「達成」とするかについての質的な差が重要であると。さらに何事かをする場合、女性は失敗しないように努力するばかりではない、(失敗ではなく)「成功」回避というメカニズムさえあることにも、ホーナーは注目した。女性の達成行動は(男性とは異なり)常にトップになること、成功することだけが目標になるとは限らない、女性にとってはトップになることは=成功でも達成でもない、むしろそれを回避する傾向さえあるとの指摘であった」(ホーナー(Horner, 1968))(4~5頁)

 

p.5 男性の尺度で女性を評価するのは間違い

「このような達成の質に留意し成功回避というメカニズムに注目したのは、女性は行動する場合に常に周囲の人々との調和や他者からの期待や評価を大事にする、せざるをえない立場にあるという、女性の社会・文化的状況に注目してのことである。このことから、それまで人間の動機づけとして一般化されてきたものは男性には該当するが、異なる社会・文化的状況に生きる女性には必ずしも該当しないことにホーナーは注意を喚起したのである。心理学において人間=男性であり、その物差しで女性を理解することの不当さを批判し、人がおかれている社会・文化的状況の重要性を指摘したのである」(5頁)

 

p.5 男性と女性では求められる道徳的資質が異なる

ギリガン(Gilligan, 1982)『もうひとつの声』は、男性とは異なる女性の道徳性発達の特質を指摘。女性の場合、身近な他者との関係が否応なく大きな位置を占めるため、

 

「他者の期待に応え、他者に配慮し調和的な関係をもつことは女性にとって公正だの正義だのといった抽象的な原理によって行動すること以上に必要とされ重要であると。女性と男性はそれぞれの生活圏で求められ必要とされる資質の差が異なり、これが男女の道徳的発達を質的に異なるものとしているのであり、この差を無視して同一の物差し上で高低や遅速、優劣を論じるべきではない、と」(5頁)

 

p.16~17 家族をもつことが一人前の男性の条件だが、家族役割は担わない

「「家族もち」という言葉があるが、それは男性の属性(身分)を示すものとして用いられるのが通例で、女性にはほとんど用いられない(ちなみに女性の属性用語としては「子もち」があり、女性にとっては子の有無が重要視されている)。このことは、男性にとって家族・妻子をもつことが一人前の条件のように見なされる、その反映である。しかし男性は「家族をもつ」が「家族をする」、つまり家事や育児など家族役割を担うことはきわめて少ない。(…)家族はもつが、家族は自らはしない、そして生活はもっぱら職業なのである。このような状況は日本の男性の心と行動の発達と無縁ではないのである」(16~17頁)

 

p.17 殺人の危険世代

殺人の多さは若者より中高年。「かつては殺人は20代がピークであったが、近年、それは激減し、40代、50代男性の増加が注目されて危険世代と見なされている」「若者のひけらかし行動は、どんな時代においても芸術や文化における創造性の源泉であり、社会革新の担い手である」。(長谷川寿一「殺人動向から考える男性心理」(48~50頁))。長谷川によると若者は殺人率の低下と並行してリスク回避を強め、今度は内向き傾向に。

 

p.17 過労死は男性特有の現象

過労死は男性特有のもの。男性は一家の大黒柱を自認し、また、そのように期待されており、「積極的」「理性的」「リーダーシップ」などの役割期待を負わされている。これを重視するほど職業にのめり込み、それ以外の活動は余計なこと、窓際やリストラは男性の沽券にかかわる。妻子を養うために地位を高めたいが、それは男性である自分の存在意味とかかわること。妻を働かせるのは男の甲斐性のなさという考え方は今でもある。うつ、出社拒否、過労死はこうした仕事中毒の延長線上にあると言えよう。当人は仕事中毒自体をよいことと思い、仕事に酩酊している。これが過労死の前駆的症状ではないか。過労死については、労働時間からすると女性の方が男性より長いのに、過労死は男性が多い。出典はp.14、p.15にあり。米国では女性の過労死の方が多いが、男女の差は小さい。オランダでは週あたり900分、日本より家事労働が少ない。女性は家事にも従事して複数の活動で応用や柔軟な対応を可能にし、それが気分転換や発想の転換をもたらす。これが、女性が過労死しない背景と見なせよう。

*1:藤岡秀樹・高橋久美子「成功回避動機についての研究」(岩手大学教育学部附属教育実践総合センター編『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要 第1号』所収、1991年)、161頁。

*2:ジョヴァンナ・フランカ・ダラ・コスタ『愛の労働』、伊田久美子訳、インパクト出版会、1991年、8頁。