南山剳記

読書記録です。原文の抜き書き、まとめ、書評など、参考にしてください。

人生についての断章(バートランド・ラッセル)

人生についての断章

バートランド・ラッセル『人生についての断章』、中野好之・太田喜一郎訳、みすず書房、1979年

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【服部 洋介・撰】

 

概要

ラッセルのエッセイをまとめた『人生についての断章』の抜き書き。原題『MORTALS AND OTHERS』、副題「Bertrand Russel’s American Essays 1931-1935」。ハリィ・ルージャ(サン・ディエゴ州立大学)編、1975年。ラッセルの死後に刊行された。1930年代初頭に『ニューヨーク・アメリカン』をはじめとするハースト系の新聞の文芸欄に寄稿されたエッセイで、大部分は読み捨てにされていた。マックマスター大学のバートランド・ラッセル資料館、ロンドンのバリ・ファインバーグ・アンド・コンティニュアム社の協力で出版。ラッセルのエッセイは高校時代の英語の教材としてよく読まされたものだが、ジジイの言うことだのを聞かない若い人にラッセルの話をするとやたら共感されるところを見ると、21世紀の今日でもラッセルの言うことは革新的ということらしい。権力論の研究者でもあったラッセルだけあって、パワハラ問題についての鋭いツッコミや、食品ロス問題、資本主義終焉論を先取りした議論もある。面白そうなあたりをメモしておいたので、お読みいただきたい。なお、出典と所見は脚注に記した。

 

人生についての断章

人生についての断章

 

 

所蔵館 

市立長野図書館

 

 

  

 p.12~14 結婚は単なる社会制度。自由恋愛を保証する醒めた倫理が必要

「アダムとイヴの堕罪の結果として、性という行為が罰として課されるに至ったと教えられるが、たしかに私自身も今日における性の機能を見て、この見解に同調を感ずる面が無しとしない」(12頁)

性の作用のために周囲の青年男女は何らかの点ではなはだしい苦痛を蒙っている。そこから苦より快を味わってきたと答えることができるだろうか。

「男性支配の昔は、事態は簡単だった。つまり男は好きなことを行ない、女はこれに服従した。この流儀では、人類の半分が幸福を、残り半分が不幸を味わったといえる。しかし男女の同権が要求されている今日では、この種の協定は不可能となる。女も男と同程度に幸福になるようにと改革者は企図したのだろうが、彼らの実際上の成果は、男も女と同水準まで不幸になったにすぎない」(12頁)

男女が首尾よく結ばれて末永く幸福に生きれば万事好都合としても、この単純で平均的な教訓を人々は断固遵守しない。妻が夫に飽きるか、夫が妻に飽きるかのいずれかで、これは大変悲しい事実だ。しかし、これらの不幸は全部「性は幸福の源泉」だという誤った観念のせいだという説明もある。歯医者にかかる時間があまり楽しくないからと、歯医者を変える人はいない。性から不幸が生まれると予期する人は、結婚で不幸になっても離婚はしないだろう。

「この見地はけっこう古くから唱道され、実際それには多くの伝統的徳目が結びついている。しかし本当にこれが最善の結論であるのか? 私はそうは思わない。もう少し念入りな現実認識と嫉妬や不機嫌についての自己抑制が何よりも大切だと私は信ずる。われわれの時代のゴタゴタの大部分は、詩的で無政府的衝動たるロマンチックな愛を、単なる社会制度にすぎぬ結婚と混同することに由来している。フランス人はこの種の間違いをしていない。だから概して、彼らはこの点で、イギリス人やアメリカ人よりも数等幸福である」(13~14頁)

「倫理は必要だが、それは新しい倫理、つまり何よりもそれは今日行われている出来事を十分考慮に入れた、醒めた現実主義的な倫理でなければならない」(14頁)

*1

 

p.21~23 われわれは機械を活用して余暇を持てるし、勤労至上主義から脱却できる

ラッセルは雌雄の大鴉が餌の生肉を食べるのを見た。雄が雌を追い払い、先にやわらかい部分を食べてしまった。

「人間の食事も弱肉強食の状態でまかなわれるとしたら、どんなことになるかと私は考えざるをえなかった。血気盛んな若者にとっては、腹が一杯になって、まことに結構かもしれないが、女、子供、老人にとっては、丁重な振舞いについてのルールがある方がずっと有利だろう」(21~22頁) 

「すべての文明は、特にその美的な側面を考えると、技巧的である。作法、良い話言葉、良い文章、良い音楽、良いダンス等、人生に美をそえる一切のものは、自然な衝動の否定ではないにせよ、粗野な仕方よりもむしろ心なごむ仕方での自己実現をめざすそれの訓練に立脚している」(22頁)

北ヨーロッパの人たちは、仕事は美徳という信条が身にしみついたために、今も南ヨーロッパにかろうじて残っている優美さを失ってしまった。北ヨーロッパ人の勤労第一主義の信条によれば、重要なのは、ものを作る時の経過や仕方ではなくて、結果としての産物それ自体ということになる。われわれはけっして美しいとは言えない家を建て、その中でただ栄養をつける食物をとり、愛情もなしに子供を作っては、彼らの自発性と優美さを破壊する教育にゆだねる」(22頁)

「このような事態は人間が機械化されるにつれて、避けられない不幸であろうか。私はそうは思わない。われわれは今までにあまりにも仕事にふりまわされてきて、肉体的および知的労働の束縛からの解放の手段として機械を十分に活用してこなかった。われわれはその気になれば、もっと余暇を持てる。われわれはその気になれば、われわれの子供たちを、組織の中の便利な歯車にしてしまわないで、彼らの衝動を芸術的に表現できるように教育することもできるはずである。われわれがそうしないのは、われわれは美よりも力に愛着するからである。しかし、ひたすら力のみを追い求めることが、幸福になる最良の策であろうか。人間性にはほかにいろいろな要素があり、それらは少なくとも同等に尊重すべき価値を持っている。機械時代が人間性の他の諸要素にも然るべき位置を与えるようになるまでは、新しい文明は本当に健全だとは言えない」(23頁)

*2

 

p.25~26 美徳は本来不快なものであるという事実

「たいていの大人が何とかして、楽しい体験を持ちたいと考えているのは、世間一般に認められている事実であるのに、逆に苦労なしには立派な人になれないという大義名分を子供たちに教えるために、すべての権威が動員されるべきだとも信じられている。明らかに、こうすれば子供たちを美徳に親しませるのに効果があると思っているからであろうか、美徳は本来不快なものという事実を立証するために、教育当局はわざわざ不愉快でお固い先生をまわしてよこす。私は、最も望ましい人間については、これと違う考えを持っている。人間は快活で明るく親切で、ノーよりもイエスと答えたがる性質を持つべきであり、自分自身にノーと言いたがる人たちは、おおむね他人とくに子供にたいしてもノーという権利があると信ずる傾向がある」(25~26頁)

*3

 

p.28 経験によって自身の偏見を確認すること

「政治上にも道徳上にも、世界中の政治は三十年間どころか五十年間も六十年間も七十年間も、世の中を「子供のころ」から知りぬいてきた老人たちの手にほとんどにぎられていると言ってよい。たいていの人間は物事を経験しても、自分の予断をあらためて確認するだけで何も学ばないゆえに、老政治家はすべて、彼らが物事を経験する以前に彼らがすでに思いこんでいたことを、経験を通じて確証したと信ずる。経験のみから何ものかを学ぶには、科学者の気質の本質とも言える一種の虚心な境地に自分を置かなければならない(ただし多くの科学者は、この虚心さに欠けていることも事実だが)。科学は経験の上に成り立つゆえにこそ、われわれは科学を武器にして経験を予知し、「子供のころから」の経験よりも確実に物事を知ることができる」(28頁)

「世界は、広い意味でわれわれが構成するものである。われわれの理論が世界を形成し、われわれがその理論を信ずることでその理論は真実味をおびる。別の信念が通用している異質な社会では、世界もまったく違った様相を呈する。したがって、自分が抱いている偏見が自らの経験で確認されたとしても、異なった経験はまったく異なった一群の偏見を確認したのかもしれない」(28頁)

*4

 

p.30~32 生存競争から逃げる者は金銭より他のものを尊んでいるのではなく、臆病と見なされる

「人間の感情は確かなものよりも不確かなものに向けられるから、人間の感情的な性格は、その人が住んでいる社会組織の影響を直接受けて決定される。収入が変動しなければ、人間は金銭についてあまり考えないし、社会的地位が変わらなければ、家柄を鼻にかける俗物などにはならないだろうし、自国が強大であり外敵も歯が立たないならば、熱狂的な愛国者にならないであろう」(30頁) 

「世の中がこのように不安定である結果、人々は、以前よりも金のことで頭が一杯である。昔は、この現象はごく一部の人に限られていたが、今ではほとんど世間一般のことになっている。経済的な不安定の当然の成り行きで、人間は激しい生存競争から逃げようとしないし、逃げる者は軽蔑される。つまり生存競争から逃げる者は、巨富よりもほかのことを尊んでいるのではなく、臆病であるがゆえに逃げていると解釈される」(31頁)

「若者の精神形成に影響を及ぼすあらゆる媒体を通じて、金銭面での成功の理想像が若者たちに見せつけられる。(…)芸術家でさえかせいだ金額で判断されるようになった。金銭ではかられない価値は、軽んぜられるようになる。あらゆる繊細な感受性は、競争におけるハンディキャップとなり、失敗の烙印と見なされる」(31頁)

「百年前までは、金持ちは、ある程度の教育と教養を身につけていた。それなしには、彼らは尊敬されなかった。今では教育と教養は以前にもまして、貧乏人だと軽蔑されている学校の先生や大学の教授だけのものとなり、したがって金持ち階級の教養のレベルは近頃とみに低下している。こういった文化面での損失は、社会機構の変更なしには是正されそうにない。しかし現にこのような損失があるということは、今日の世界がまだ完全でないと思える理由の一つであるので、その事実を認識することは大事である。人が自分の経済的な社会的足場を失う危険もなく、またそれをたやすく獲得することもできない世界は、金以外のものが重きをなす世界である。したがって、もし諸悪の根ともいえる拝金主義をなくしたいのならば、その第一歩として、だれもが十分に持ち、持ちすぎた人間がいない社会組織をつくり出さなければならない」(31~32頁)

*5

 

p.57~59 進歩が速すぎて神経がすりへってヒステリーになる

石器時代から人類は徐々に進歩の度合いを早めてきた。この過程にはあるべき限界がないのか。その限界は人間の神経組織の中に見いだされると信ずる。子供たちは石器時代と基本的には同じ神経組織を持って生まれてくるこの神経組織は、時折り起こる戦争と個人同士の争いを別にすれば、固定化した習慣と変わりばえのしない日々の生活に適合している。なので人間は四六時中変化する環境では神経をすりへらす。

「そのうえこのような環境では、一つ一つの世代が、以前とちがって老年層からの助けなしに、自分自身の生活習慣と将来の可能性を考えなければならない。若者が誤謬を冒すのは当然であるが、老年層が若者のためを思う時に、これよりもさらに大きなあやまちを冒す破目になる」(58頁)

進歩の度合が現在のロシアや中国並みもしくはそれ以上になると、全人類はヒステリー状態になるだろう。それが人類の進歩の今後の速度の自然な限界になると予測する。

「人間の知的水準が徐々に低くなって、発明の数も少なくなればそれは右の動きへの唯一の歯止めとなりうる。それが現実に起こりうるならば、人類の進歩を人間の神経がたえられる程度の落着いたペースに押さえることができるかもしれない。私は世界の教育制度がこの喜ばしい結末をもたらしてくれるだろうと、ほのかな期待をよせている」(59頁)

*6

 

p.67~68 天才を抑えない環境

「個人がめざましい業績をあげるには、二つの条件が必要である。第一に、能力である。これはある程度まで生まれつきであり、ある程度は教育の結果である。第二の条件は、並みの人間にはできないことが自分にはできるという確信である。(…)本当の天才は常に謙虚である、という馬鹿げたことを述べた人間がいたが、これは事実とは正反対である。能力ある若でも彼がもし謙虚な性格ならば、親や友人に嘲笑されてその天才は抑えられる。それはね自分は天才だと自任してもそれが実際に証明されなければ、世間はこれを嘲笑するからである。だれもが将来偉業を果たしうると考えられ、自分で天才だと意識してもねたみ半分の失笑を買わないような環境こそが、若者にとっては望ましい理想郷である」(67~68頁)

*7

 

p.69~71 食品ロス、労働によって需給のバランスを取る

「今の世界は、二つの不幸をかかえている。それは商品をほしいが買えない人たちと、商品をもっているがそれを売ることができない人たちがいることである。売れない商品を抱える人たちは、色々と巧妙な手を使って、余剰商品をさばこうとする。仕事をしていないのに労賃を払うのは、賃金労働者を堕落させるから、彼らは売れる当てのない品物を作り続け、その挙句色々な手段を用いてせっかく作った商品を破壊して行く。コーヒーの過剰生産に悩むブラジルでは、コーヒー豆を機関車の燃料にしたり、さびしい山間でそれを火葬用の台架の上で燃やす。ゴムの供給過剰の場合には、現地人がゴムの原液採取の作業をやめないので、事態は一層始末が悪くなる。(…)今ではむしろ害虫が歓迎されている。世界の綿作は、かつて綿実象虫の被害に怯えたが、今ではその害虫は綿の過剰生産をおさえるので、かえって歓迎される」(69頁)

「今では労働が、いや労働の習慣のみならず、さらに悪いことには、労働の生産性を一層上げる方法を追求しつづける習慣が、人類の大部分に深く浸透した。人間の労働の成果をだれかが楽しんだらさぞ素晴らしかろうと、一瞬でも考える人はいない。われわれは禁欲的価値観を持ち、労働を美徳だとしている。その結果、生産は善であり、消費は悪となる。この禁欲主義的偏見が、人類の半数は過剰生産のために貧乏であり、他の半数は過少消費のために貧乏になっている現代の制度を生み出した」(70頁)

「綿の害虫は腹が空いた時に綿を食べるに反し、われわれ人間は綿とその消費者とを完全に分断した上で、商況が悪いなどとぼやいている。商況を改善するには、需要を有する人に商品を供給する方法を何とかして見つけねばならないが、今までのところ人類全体の知恵をもってしても、この問題を解決できない」(70~71頁)

「頭が正常な人たちは、生産過剰による失業は、長時間かけて解決さるべきだと言うが、経済の機構を再び正常にもどすには、個々の経済活動が常に利潤を生まねばならぬという要請を捨てることが不可欠である。アメリカの西部やカナダでは、食料が腐っているのに、世界中の工業地帯では、飢えた失業者の群れがひしめいている。もしあまった食料が飢えた人々に届けられ、彼らがアメリカ西部の農民の需要を満たしうる労働に従事するならば、個々の資本家が利潤をあげなくとも、世界は全体としてずっと豊かになる。個人的利潤という動機が今では通用しないことは明らかであり、世界の経済状態を回復しうるものは、組織化された社会の努力だけである」(71頁)

*8

 

p.114~116 協力を強調しすぎると個人の才能に影響を及ぼす

「今日では民主主義の影響をうけて、協力の美徳が過去において服従の美徳が占めた位置に取って代わった」(114頁)

昔の先生なら「君は従順ではない」というところ、今は「君は非協力的だ」というが、要するにこれは同じことである。

「どちらも生徒が先生の期待に添わなかったわけだが、前者の場合は先生は為政者として振舞い、後者の場合は、先生は民衆つまり他の生徒たちの代表として振舞う。(…)先生の意図は、生徒に素直さや暗示感応性や群居本能や因襲尊重の精神を教え込むことにあり、その結果は独創性や進取の気性や非凡な才能を抑えつけることになる。何か価値ある仕事を成し遂げた大人は、子供のころ滅多に「協力的」ではなかった。概して彼らは孤独を愛し、本を抱えて教室の片隅に逃げ込み、野蛮な仲間の注目を逃れて、ほっとする生徒であった。芸術家、文筆家、科学者として名を遂げた人たちのほとんどは、子供のころ、仲間の嘲笑と軽蔑の的であり、先生の方でも生徒が風変わりでは具合が悪かったので、たいていの場合多数派に組する場合が多かった」(114~115頁)

これからの教師は、非凡を感知し、子供の非凡が生み出す内心の当惑を抑えることを学ばなければならない。でないと、アメリカの最高の頭脳は15歳になる前に迫害を受けて消滅することになるだろう。また、協力という徳は理想としても不完全で、社会のために生きるとは、社会がしていることに追随することではない。協力の美徳しか持ち合わせない人は、劇場が火災になったら群衆とともに逃げ出すだろう。戦争に突入する際の国民の心理状態もこれと同じ。しかし、ラッセルとしては、個人の独創性を是認する考えを極端に拡張する気はない。ただ、

「現代では一つには民主主義的な感情の結果として、また一つには機械生産の複雑化のために、社会的協力の教義があまりに強調される危険をはらんでいると思う。協力の美徳があまりに強調されると、比較的自由で無政府的な形で現れる個人の才能に対してのみならず社会進歩に不可欠な形の個人の才能にまで、それは致命的結果を及ぼしかねない」(116頁)

なので、「社会の方針に即応することが美徳のすべてである」と信じる人にはゴドウィンのような極論も少しは教訓になる。

*9

 

p.127~128 道徳はそれ自体が目的化し、そのために他人への悪意がカムフラージュされる

「お説教の本質は、詮じつめれば虚偽にほかならない。本当の理由ではないことを理由として述べることにその本質がある」(127頁)

道徳は空言ではなく、科学的根拠のある忠告と同じくらいに、単純明快な理由がある。間違っているのは、道徳がそれ自体のために存在しており、われわれの行為とはまったく無関係という観念。道徳に反する行為は有害な行為であり、概して社会的に有害な行為に対しては、その当事者に不利益になるような社会的制裁が存在する。意志の道徳と並んで、心情の道徳というものがあって、それを私は否定しない。良い行為とともに良い感情もある。それを持たせるようにすることは、この上なく大切であるが、それは説教では実現されない。それは別に高尚な感情を持ち出さなくても、若者にもわかってもらえる。罪というものを信じるならば、罪人を悔い改めさせることができるという願いにかこつけて、彼への悪意を正当化できる。これは罪を信ずることの効果であり、この信念を放棄したら、道徳を楯にして罪人へのわれわれの憎悪をカムフラージュするのはむずかしくなる。

「心情の徳は、主に思いやりの情と気立ての良さに帰着すると、私は思う。しかしこの種の性質はお説教ではなく、健全な消化力と健全な体質と恵まれた環境によって生み出される。「まわりの者が皆不愉快な思いをしても、あえて自分の義務を果たせ」という言葉は、サディスティックな本能をくすぐるお説教である。「もっと沢山青い野菜を食べれば、隣人への憎しみが多少は減る」という言葉は、科学的道徳であって、けっしてお説教ではない」(128頁)

*10

 

p.132~134 難儀な規律が業績を生むか? そのようにして生まれた業績はどんな影響を与えるか

「彼らインテリ〔ラッセルの友人仲間〕は、この世が酷薄な舞台だから、幸福を肌で体験せず、したがってそれを味わってみたいとも思わぬ人間しかそれに耐えられないと言い、他方で、世間の一般人は、自分が現にあるような人物になれたのはけっして幼時の幸福のおかげではないと語る。つまり、自分の今日あるのは、それと逆に厳しい規律と世間で揉まれた厳しい体験、克苦勉励の努力の賜物なのだ、と彼は語る。こう語る人間の言葉に嘘はない。間違いなく彼自身はこの種の方法で、今日の彼自身を築いたはずである。ただこの体験から、ただちにこの方法の正しさが立証されるかという点は、彼自身が考えるほど確実ではない」(132頁)

「すべての偉大な業績はある種の難儀の産物であった、とこの種の人は主張し、サモア島人のように、子どもの時期いや青年期でさえ幸福に包まれていると伝えられる人間は、現に文明に何一つ貢献しなかった、と指摘するにちがいない。だからわれわれはもし一人残らず幸福だったならば、たちまち豚の境遇に落ちこむに決まっている、と彼は言う。どうやら彼の確信によれば、豚は知的な人間よりも、はるかに多い幸福量を享受しているらしい」(133頁)

「私個人として言えば、大事業達成の特効薬が、彼の宣伝するように簡単なものだとは到底考えない。(…)不幸な人間が、その難儀を乗り越えて偉大な業績を達成した例外的な事例においても、たいていの場合、その業績が彼にとって現実からの逃避であるという事実によって、多少の歪みを受けるものだ。必ずとは言えないまでも、大部分の事例において、この逃避的特質はこの作品に逞しい健全な感覚を帯びさせない。その上、偉大な業績は、有益であると同程度に有害である場合が多い。アッチラの幼時はきわめて不幸なものだったと私は信ずるが、歴史は不幸にもこの点に沈黙している。明らかにナポレオンが幼時に貧困で屈辱的な体験を味わわなかったならば、あれほどの家系崇拝や好戦的気性は生まれなかったと思われる。ナポレオンが豚の幸福に満足しうる心境であったならば、人類にとって幸いだったことは間違いはない。多くの偉人の実際活動や理論に見られる残酷な要素は、彼らの経歴がそれと自覚されぬまま、その幼時に嘗めた不幸に対する、世間への復讐に他ならぬという事実に由来する」(133~134頁)

*11

 

p.142~143 その人の身になって考えることと、その人がしていることを考えること

人を理解するとは、その人の身になって、その人の内面がわかるまで判断することであるというが、一方では、実際家は、外側からの判断を重視する。これはその人が「どのように感ずるか」か「何をするか」のどちらに力点を置く判断かということではないか。後者の場合、その人をまったく外部から見る方が賢明だろう。たとえば、英国がインドでしていることについて、

「たいていのイギリス人の目には、インド在住の同胞は、蒙昧主義や偏狭な思想や迷信に抗して、勇敢に文明の恩恵を普及すべく苦闘しているように映る。他方ほとんどの外国人には、インドのイギリス人は、権力を振い搾取を強要する残忍な専制君主としてしか映らない。インド在住のイギリス人がどのように感じているかを知りたければ、われわれはイギリス人の視点に立たねばならない。だがイギリス人がインドでしていることを知りたければ、外国人の視点を取らねばならない」(94頁)

*12

 

p.142~143 破滅を前に拱手傍観せずに民主的な立場から語れ

今日、科学によって何かが知られるかとエディントンのような科学者は疑問視、経済学者は世界の交易についての公認の学説が、万人を貧乏に陥れていると感づいている。政治家は国際協力の保証や戦争の予防についての方策を持ちえず、哲学者は人類に何らかの指針を与えることができない。積極的意見の持主は、自分の意見の馬鹿らしさに気づく能力がないという実情。この状態が今後も継続するなら、世界は取り返しのつかない不幸に。

「インテリ層の懐疑主義は彼らの社会的無力の原因であり、しかもそれ自体が彼らの怠慢の産物である。行動に価するいかなる事業も、この世に存在しないのであれば、たしかにそれは拱手傍観の口実となる。しかし破滅が切迫している段階では、いかなる傍観の口実も無用である。すべからくインテリは、彼らの懐疑主義を一擲して、万人が嘆き悲しんでいる現実の悪についての責任を分担しなければならない」(143頁)

そのためには民主主義の立場から正当づけられる言葉を語るすべを覚えること。
*13

 

p.164 倫理は軍事力に依存している

「人間の利益が、動物自身の利益よりも格段に重要だとみなすに足る客観的理由は、一つもない。動物がわれわれを滅ぼしうるよりも一段と容易に、われわれは彼らを滅ぼしうる。これがわれわれの優越性の唯一の実質的根拠である。われわれが芸術や科学や文学の価値を認める理由は、それらがわれわれ人間が得意とする部門だからである。(…)われわれが彼ら〔動物〕の言い分を誤りと認定しうるのは、恣意的権力の行使によってのみである。すべての倫理体系は結局、戦闘用の武器に依存している」

*14

 

p.184~185 権威による論証は現在のことがらについてわれわれが考察する必要を免除しない

アリストテレスは正統主義の典拠となり、その誤謬の立証なしには学問の前進は不可能となった。その影響はきわめて有害だが、大筋では過去の問題。

「しかし偉大な人間の権威を絶対的なものとして引合いに出す態度は、けっして消滅していない。古い世代の物の考え方と全面的には一致しない若い世代に対しては、必ず以上の見地にもとづく議論が持ち出される。「お前はだれだれよりも賢明だと自分で思っているか?」と立腹した親や教師は叫ぶ。実はこの「だれだれ」という人物は、ほとんど例外なしに親や教師に異論を唱えた者なのであるが、この事実は無視される。「だれだれ」は別の環境に生きていたゆえに、必ずしも今日知られうることがら全部に通暁してはいない。たとえこの「だれだれ」が保守主義者の想定通り賢明だったとしても、それは必ずしも彼の意見が現在の状況下で指針として役立つ、という理由にはならない」(184頁)

大昔の人間の見解がそのまま現在のことがらについてわれわれが考察する必要を免除するドグマとなりうるいかなる主題も存在しない。しかも、その

「偉大な権威を獲得した人間が、実はその時代においても、あまり聡明な人物でなかった事例もけっして少なくない。世間で賢者の評判を得る一つの方法は、その時代の偏見を熱烈な雄弁で擁護し、その弁舌の修辞で自分の推論能力の不足や、同情的理解の失敗を蔽いかくすことである」(185頁)

雄弁が非合法化されれば民主政府に及ぼす危険性は減るだろうが、それが不可能な以上、

「われわれの救いはただ一つ、探究的科学的態度を養う教育制度の樹立でしかない。おそらくもう二、三世紀を経て後に、これが試みられると思われる」(185頁)

*15

 

p.189~191 美への愛着は社会的良心と背馳する場合がある

かつて金持ちの男性は妻の衣裳よりも自分の衣裳に金をかけた。よって、女だけが高価な衣裳で身を飾るのはまったく現代的な慣行。英国ではピュリタン主義、大陸ではフランス革命が華美な服装を危険なものにしたのではないか。半ズボンをはいた男は、首を刎ねられる危険が強く、そこでズボンをはいたら快適だったので、その後も着用したのでは、とラッセルは思う。19世紀に貴族に代わって金満家が社会を支配するに及んでこの変化は定着し、彼らは事務所で働かなくてはならなかったので、美々しい服装は労働と結びつかなかった。かつては男も美々しい衣裳で異性の好意的注目を集めることができた。武芸の練達よりも香水の方が効果的だったとシェイクスピア劇のホットスパーは言っている。現在では男が女性から尊敬を勝ちうるのは並外れた体力、強力な個性で自己を際立たせるか、世間で例外的成功を収めるか。女が男たちの分野で競争する事態になるならば、美服を遠ざけると初期の女権論者は考えたが、間違っていない。もしも、女性が野暮な実用的制服を着るようになれば、男の取り柄と女の取り柄は一緒と見なされるようになるだろう。男が女の美質を判定する際の基準が気まぐれなのは確かだが、容易に矯正できない。

「これは美への愛着が、社会的良心と背馳する多くの面の一つにすぎない。この背馳は困ったものに相違ないが、私にはその解決方法がわからない」(191頁)

*16

 

p.192~194 現に存する富を分配しても説得力がない

社会主義者は上等な葉巻を吸うべきか」という問いについて、

「自分と考えが違う人々が何をどこまですべきなのか、という点に関する平均的人間の見解には、非常に多くの考えの混乱がある。(…)私自身のこの点に関する習慣は、率直に言って、何ら高貴な倫理的原理に依拠していない。私は滅多に上等な葉巻を吸わないが、それは私が金銭上の余裕がないゆえにすぎず、ただで他人からもらえれば喜んで吸いたいと思う」(192頁) 

社会主義を擁護する者にしては、私のこの種の対応策はあまりにも単純で当然すぎしないか、と多くの人は考えるだろう。彼らは多分私に、「世界中の財物が世界中の住民の間で、平等に分配さるべきだと君が信ずる以上、皆の持ち分以上に君が取るいかなる大義名分があるのか?」と問うだろう」(192~193頁)

そこで世界中の全収入を査定すると、年収5ポンドになるかどうかもあやしい。この金額で暮らそうと宣伝しても効果があるかも自明ではない。よしんばヨガの訓練で食事なしに生きられるようになっても、本を書くのに必要な紙やインクやペンを買う金はなくなってしまう。

社会主義者たる人間は、現在存する富が平等に分配される理想社会を唱道しているように思われては駄目である。一段と合理的組織のおかげで、世界の富を格段に増加させることが可能だ、という想定が彼の主張にとって不可欠である。社会主義千年王国では、誰もが皆、時折りは上品な葉巻を吸うことができるだろう」(194頁)

*17

 

p.196~197 ユーモア崇拝について

「不幸にして私はユーモアを解しえぬ極端に例外的人種に生まれついている。私が自分のこの不幸な宿命にはじめて気がついたのは、大戦の最中にイギリス軍事省に呼び出されてそう宣告された時であった。私が世間並みにユーモアのセンスを備えていたならば、私は毎日何千人という兵士が火器で吹き飛ばされている事実に高度のおかしさを感ずることもできただろうが、残念ながら、私は微笑する気にさえならなかった」(196~197)

*18

 

p.210~212 自由競争は最初から不正

「十九世紀自由主義の標語であった自由競争は、疑いもなく多くの取柄を有した。それは諸国民の富を増大させ、手工業から機械工業への移行を加速し人為的不正を除去して、才能への門戸開放というナポレオン流の理想を実現した。しかしそれは一つの大きい不正――不平等な才能にもとづく不正をそのまま放置した。自由競争の世界では、神が活動的で抜け目ない者に作った人間は金持ちになり、他方その長所が自由競争に向かない人間は金を稼げなくなった。その結果、大人しい瞑想的なタイプの人間はいつまでも無力にとどまる半面で、権勢を獲得した人間は、自分の成功が自分の徳行の賜物だと信ずるに至る。それゆえ負け犬の人々は、成功を招くような種類の能力を持った代弁者を見出す機会を絶えて有しない」(210頁)

「実生活での成功を生む資質は、必ずしも最大の社会的効用をもたない。一例を挙げれば、多くの発明家が窮迫して死ぬのに反して、その発明を利用する事業家は巨利を博す。このような例外的事例ほどではないにせよ、呑気で少々愚鈍で、そしてあまり活動力のない普通の平凡な市民も、当然一人前に扱われるべきであるのに、彼自身、それに必要な活力を持たぬゆえに、自分の言い分を効果的に唱道することができない」(211頁)

では、どうすればいいかというと、自分とは違ったタイプにも関わらず、自分たちの利益を追求してくれる代弁者を見つけないといけないが、巧妙な政治家は自分こそその種の人間だと説きつけて当選する。しかし、社会的迫害に対する個人的な不満を感じる理由を持たない限り、彼は自分の目的を達成するや否や、自分を権力へと押し上げた平均的人間の不満を軽蔑し始める。

「生まれつき頭が悪いことは不運であり、しかも自由競争社会では、この初期の不運は、彼が成功にありつけないという事実によって、一段と深刻になる。愚かな者の利益と言い分が彼らの中のだれかによって、効果的に代弁され擁護される余地は最初から存しない。さりとて頭のいい人間の心に頭の悪い人々への共感を生み出すに好便な、軽度の迫害というものも考えられない」(212頁)

「成功への技倆を持たぬ人々にも、彼らの権利がある。そしてこの種の技倆の持主のみが成功を収める環境で、彼らがこの自分の権利をいかに確保するかは、難しい問題である。自由競争が社会正義の実現の手段である、という信念を放棄する以外にこの解決策はない」(212頁)

*19

 

p.218 競争社会の廃絶

「例外的特権〔貴族〕に依存する安泰は不正であり、それゆえに自分に好都合な社会的不正のための口実を見い出そうとする人間は、当然の性向として歪んだ道義感覚を身につける。これとは対照的に、自由競争での勝者にほかならない現代社会の支配者たちは、冷酷無慈悲さをはじめ、競争での成功を実現するさまざまな行為や賞賛の価値を過大評価する。このたがいに対照的な二つの悪徳の防止方法は、一つしかない。安泰さはそれが社会的不正を伴わぬ場合にのみ、美徳となる。したがって単なる恵まれた少数者ではなく、万人のための安泰がなければならない。これは実現可能である。現在の競争社会さえ廃絶されれば」(218頁)

*20

 

p.219~221 思ったことをそのまま言ってもらっても困る

「たいていの若者にとって、教育は総じて辛い過程であろうが、なかでも正しい社会的品行を教えこむ修身(公民)の教科は、最も苦痛が大きい部門であろう。私は時折り公園で遊んでいる子供たちのそばを通りかかって、「お母さん、あの変なおじいさんはだれ?」とはっきり叫ぶ彼らの大きい声を聞きつけるが、必ずそれに続いて「しーッ、黙って!」という怯えた押し殺した声がやって来る」(219頁)

嘘を言ってはならないと教えられつつも贈物をもらったら必ず嬉しそうな顔をするように親から教えられるので、子供は道徳的に困惑する。

「この主題の核心は、聖人は儀礼なしに生きうるし、たしかに儀礼は聖人らしい性格とは両立不可能だ、という点にあると私は思う。しかし常に誠実でありたいと考える人間は、怨恨や羨望、悪意や邪推などの感情を免れていなければならない。われわれは大部分の者がこれらの悪徳の要素を備えており、人に不快を与えないためには臨機応変たらざるをえない。われわれが皆聖人であるはずはない。したがって聖人の徳行が不可能であるならば、せめてわれわれはあまり人に不快を与えぬように努めるべきだろう」(221頁)

*21


 
p.222~223 ヴィクトリア朝の人たちは沈黙していても感情が察せられるものと思っていた

世の中には時代に応じて、人々が誇りたいもの、沈黙したいもの等々がある。ラッセルが生きている期間だけを通しても、それらは大幅に変わった。

ヴィクトリア朝の人間は、自己の鋭敏な感情とその雄々しい自制を誇示した。つまり彼らは、自分の心の深い悲しみが、明からさまな言葉による表現や、降りかかった悲劇的事件への本人自身の言及をまつまでもなく、他人が推測することを期待した。したがって外から見える行動は少なければ少ないほどよく、劇は可能なかぎり、本人の魂の内面にかぎられるべきだと考えた」(222頁)

現代の最先端の若者は、冒険に際して格別何の感動も覚えなかったことを誇示して、感受性を軽蔑する。かつての詩人は激しい愛は強調したが、その相手の名前は伏せた。現代の詩人は、それら名前が出ることは意に介さないが、自分の心がそれに動かされたと判断されることを嫌う。自制は不安にもとづくので、この変遷は不安の種が変わってきたことを意味する。昔は礼節と品位の極めて厳格な約束事があったので、それを犯すと非難され、遵守して苦痛を嘗めると尊敬された。現代人はこうした虚飾を回避するが、これが原理化されれば新しい虚飾の源泉になる。これがまだ反感を買わないのは、権力者がそれを使用していないから。ラッセルの見通しでは、彼らの子供世代は、逆に一世代前の感情主義に憧れて、感受性を振りかざすような気がする。

「どんな時代でも変わらぬものは、老人たちは退屈で馬鹿げているという信念である。それは進歩の原因であるがゆえに、最も健全な信念にちがいない。希望が存在する余地のない唯一の時代、それは若者が老人を尊敬する時代にほかならない」(223頁)

*22

 

p.228 歴史研究

「六世紀に生きたボエティウス以来ずっと世人は哲学が与える慰めについて話題にしてきたが、私自身は実は、もっと多くの慰藉を歴史研究から引き出してきた」

*23

 


あとがき中野好之

 

p.248 悪に助勢するなかれ

ラッセルのモットーは「愚民大衆の尻馬に乗って、悪に助勢するなかれ」だった。

 

p.248 ラッセルの業績

ラッセルは記号論理学の発展過程での金字塔『数学の原理』を代表とする論理学者、分析哲学者であるほか、社会改革家、平和運動家として知られる。晩年、最後まで老いの情熱を傾けた水素爆弾廃絶やキューバ危機回避のための努力は、彼亡き後、新聞の社会面を賑わせることもなくなり、『数学の原理』も、刊行後10年にして出たウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のことさら刺戟的挑戦的に書かれたアフォリズム形式の断案の強烈な魔力で往年の輝きを失った。

 

p.248~249 高校英語で読まされるラッセルのエッセイ

「今日の我が国でラッセルの著作が比較的手近に読まれるのは、英語の教科書で他律的に読まされるエッセイの類を別にすれば、おそらく『西洋哲学史』(市井三郎訳)や『西洋の知恵(図説西洋哲学史)』(東宮隆)ではないかと思われる」

 

p.249 論理実証主義の外側にある行動領域

ラッセルの標榜した論理実証主義は、「彼自身の言葉によれば、「真理についての科学的忠実さという美徳」をこの学問分野に導入する方法を考案し定式化するものであった。従来さまざまな哲学者によって唱道された主義主張は、あるいは経験的事実によっては検証しえぬ領域に属する空語として拒否され、あるいは単に主観的な信条に委ねらるべきものとしてその学問領域から排除されるが、究極的価値の問題にかかわる信念ないし感情に関することがらは、あくまでもこの種の科学的哲学の領域外に厳として存在する。社会問題についての彼の考察と実際運動は、徹頭徹尾この種の明晰な哲学上の認識にもとづくものである」。

*1:出典「性関係と幸福と」(1931年8月5日)

*2:出典)「技巧礼讃」(1931年9月9日)

*3:出典)「口紅を使ってよい人々」(1931年9月14日)

*4:出典)「経験の教え」(1931年9月23日)

*5:出典)「希望と恐怖」(1931年10月7日)

*6:出典)「時代への適応」(1931年12月23日)。なお、ラッセルは別のところで現代教育による知的水準の低下を嘆いているので、最後の文は皮肉であろう。

*7:出典)「国家の偉大さについて」(1932年1月20日

*8:出典)「世界は発狂する?」(1932年1月27日)

*9:出典)「協力について」(1932年5月18日)

*10:出典)「お説教について」(1932年6月11日)

*11:出典)「子供は幸福であるべきか」(1932年6月)

*12:出典)「他人の身になって考えること」(1932年3月23日)

*13:出典)「現代の懐疑主義」(1932年6月20日

*14:出典)「動物が口をきけたなら」(1932年9月14日)

*15:出典)「尊崇について」(1932年11月9日)。デュシャンなども「ある時代の代表作は、時代の凡庸さを示すもの」と言っているが、その時代の人に最もわかりやすく、受け入れやすいものが、結果としてディスクールとして保存される資格を獲得しえたのだという考え方。その場合、それは必ずしも真理ではなく、その時代の権力や多数派やおもねった結果ということになる。時代を超越した真に新しいものが受け入れられることはないため、そのような言説が過去に保存されることはなく、保存された言説は常に現在の後追いにすぎないということ。

*16:出典)「衣裳について」(1932年11月23日)

*17:出典)「社会主義者は上等な葉巻を吸うべきか」

*18:出典)「ユーモアのセンス」(1932年12月7日)

*19:出典)「成功と失敗」(1932年1月11日)

*20:出典)「経済的安泰について」(1933年1月25日)

*21:出典)「臨機応変の才について」(1933年2月1日)

*22:出典)「自制の仕方の変遷」(1933年2月8日)

*23:出典)「歴史の慰め」(1933年2月22日)