マインドアサシンかほる 説法その1②(服部洋介)
マインドアサシンかほる 説法その1(②)
服部洋介『マインドアサシンかほる』説法その1(気がふれ茶った会 編『気がふれ茶った会』第1号)、気がふれ茶った会、1995年
【服部 洋介・撰】
解説
すでに①で書いたように、かれこれ25年ばかり昔、18歳の頃にものした漫画。バカバカしくてじつによいと思うけれど、残念ながら、だんだんつまらなくなるのはいかんともしがたいところで、だいたいどんな漫画もそういうものではないだろうか。こういうものは、描こうと思えばいくらでもチャンと描けるけれど、このようにして取り上げるに値するものは、チャンと描いていないものであることが多い。まこと祝祭的なものであって、放埓で、不毛、思想の蕩尽としかいいようのない性格のものである。
目下、大陸よりSARS関連コロナウイルスの新種〈2019-nCoV〉というものが上陸し、なるたけ人ごみに出かけないようにとのお達しが出ているから、いよいよ事態は緊迫、家でネット漫画など見て過ごす人も増えるに違いない。「マイアサかほる」は、一見ナメた漫画だが、存外勉強になるような点もあるので、ある意味で〈学習漫画〉といえるものである。そういえば、私も小学校の頃に所謂〈学習漫画〉を読んで、貧乏に苦しんでいた三条西実隆が能書を生かして古筆を書き改めて謝礼をもらったり、周防の大内氏に銭2000疋と刀1本で四位の位を世話したりと、そんなシーン*1が深く印象に残っている。実隆といえば、宗祇から古今伝授を受けた和歌の達人であるが、当時のならいとて、連歌もやった。どうもこの人、連歌のエッセンスを和歌に取り入れてしまったらしく、『清水宗川聞書』なる歌論書には、「実隆や後柏原天皇の歌を見て習うのは毒ぢゃ。歌は悪くないが、どうもクセがつく」と「一位殿」が仰っていたという記述がある*2。清水は水戸の光圀が招聘したことでも知られる歌学者だが、なにぶん後世の人なので、実隆に会ったことはない。おそらく「一位殿」というのは、師の飛鳥井雅章のことであろう。「マイアサかほる」も、第1話の段階では連歌をテーマとする漫画であったから、一応、触れておく。
関連項目
マインドアサシンかほる 説法その1(①)
マインドアサシンかほる 説法その1(③)
マインドアサシンかほる 説法その1(④)
マインドアサシンかほる 説法その1(⑤)
マインドアサシンかほる 説法その1(⑥)
マインドアサシンかほる 説法その1(⑦)
前回までのあらすじ
賭け連歌で一儲けしようとたくらむ村川氏。京都で連歌師を募ってヤクザな地下競技場で連歌バトルに挑むも惨敗、借金に追われる身となってしまったのですが……。
『犬菟玖波集』にも載りそうにない、しょーもない歌の応酬をくりひろげるヤクザと暗黒歌道。皆様、勝敗の行方には大してご関心なきものと思いますが、続きはまた次回!