南山剳記

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マインドアサシンかほる 説法その1⑥(服部 洋介)

マインドアサシンかほる 説法その1(⑥)

服部洋介『マインドアサシンかほる』説法その1(気がふれ茶った会 編『気がふれ茶った会』第1号)、気がふれ茶った会、1995年

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【服部 洋介・撰】

 

解説

すでに縷々述べ来ったように、25年ほど昔、18歳の砌にものした、世にもくだらなすぎる漫画。しかし、随所に当時の世相を偲ばせるアレコレが活写されており、100年もすれば案外と貴重な史料になるのではないかと思われるが、時事を茶化したようなろくでもないジョークも少なからず含まれており、若気の至りというほかない。もっとも、100年もすれば、そういう部分の史料価値の方がより高くなるのではないかという気がしないでもないが、現段階では炎上の危険性の方が高いので、そのような箇所は墨塗とする次第である。あしからず。

 

関連項目

マインドアサシンかほる 説法その1(①)
マインドアサシンかほる 説法その1(②)
マインドアサシンかほる 説法その1(③)
マインドアサシンかほる 説法その1(④)
マインドアサシンかほる 説法その1(⑤)
マインドアサシンかほる 説法その1(⑦) 

 

前回までのあらすじ

日本の悪者どもの頂点に君臨する、どう考えてもまっとうなお稲荷さんとは思えない、ナントカ派・稲荷教団の某Yさん。その独裁体制を打破しようとしてヤクザの宮尾会と暗黒歌道のマルサンが、ついに某Yに反旗を翻した。自前の流派剣術で某Yに挑む宮尾会だが……。

 

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るろうに剣心』によると、正しくは「戦術の天才・土方歳三の考案した平刺突」であるらしい

 

このあたりは、『るろ剣』に対するオマージュというよりは、もはや愚弄の域に達しておって、まこと恐縮である。のちにものした『SHIMOYAN物語』という漫画には、「飛天御剣流」ならぬ「シュマルカル天御剣流」なる最強の流派が登場するが、どっちにしても和月先生のお叱りを蒙ることに変わりはない。

 

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しかし、秒でかわされた平牙突

 

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あくまでも決戦志向を放棄しないヤクザ。

 

なお、この二刀流、作者の創案になるものではなくて、あくまでも宮尾氏が編み出されたものである。念のため。

 

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しかし、まったく歯が立たない二刀流。

 

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ヤクザを助太刀しようとする暗黒歌道だが……。

 

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あえなく持病で自滅した。

 

この耳慣れない症例は何かというと、その出典は、X JAPANのアルバム『ART OF LIFE』に寄せた市川哲史のライナーノーツの次のような一文にある。

 

そもそもこの大作の誕生の契機となったのは、89年11月22日、渋谷公会堂ライヴ終了後の楽屋でYOSHIKIが、「過労性神経循環無力症」によって倒れた事件だ。*1

 

今般の新型コロナウイルス騒動では、音楽イベントの自粛を呼びかけてホリエモンから「大御所ミュージシャンによる圧力だ」と批判を受けたYOSHIKIであるけれど、じつは暗黒歌道のマルサンのビジュアル的なモデルはYOSHIKIだったということが、このような史料によって実証されちまうのである。

 

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ターゲットをより弱そうな奴らに切り替える、ヤクザ。

 

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抗戦意欲旺盛なアサシンとドイツ騎士団

 

 

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どれだけ好きなんだ、そのたとえ。

 

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またしてもマルの叫びは墨塗だ。

 

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自信とは裏腹に、一瞬で返り討ちだ。

 

なお、矢野右京大夫が発した「ファイエル」という文句であるが、どうもこれはドイツ語「Feuer」、英語でいうところの「fire」であるらしく、長らく私のまちがったドイツ語観によるものと思いこんできたが、かえりみるに、どうもこれは『銀河英雄伝説』に由来するものであるらしい。念のためにググってみると、「ファイエル」とは銀河帝国公用語で、砲撃の際に用いられる用いられる号令であるとのことである(『ニコニコ大百科』)。なお、当該ドイツ語の正しい発音は「ファイエル」ではなく、「フォイアー」なのではないかという暇な議論も見られるけれど、こんなどうでもいい雑知識を調べるにも、当時であれば、わざわざ木村・相良版のドイツ語辞典を引っ張り出してこなくてはならなかったことを思えば、この25年の技術的進歩には、隔世の感すら抱かしめるものがある。なにしろ、当時はといえば、つなぎっぱなしのインターネットなんてものはなく、会員制のパソコン通信しかなかったのであるから。

さて、そもそも当時、パソコンなどというものをもっていたのは、一部のコアな理工系男子ばかりで、パンピーワープロとパソコンの何が違うのか、それすらイマイチよくわかっていなかった。矢野右京大夫のモデルになった矢野氏も早くからパソコンを使いこなしておられたが、当時のパソコンなんてのは、まずDOS画面から立ち上がるわけで、アイコンなんてものは必ずしもついてはいなかった。で、その矢野氏のお宅に遊びに行くと、アニメ版『銀英伝』(おそらくレーザーディスク)や、第二次世界大戦の実録映画を観るのが恒例行事となっており、そこで「ファイエル」を刷り込まれてしまった可能性が高い。

なお、この漫画が世に出た1995年に「Windows95」が発売され、世の愚か者が争ってこれを買い求めたのであるけれど、多くの人にとっては、結局のところ、パソコンとは、「メールができるワープロ」程度のものにすぎなかった。ビル・ゲイツはコンピュータ普及の先にコミュニケーションの無料化、つまり常時接続のインターネットの普及ということを想定していたようであるけれど、日本におけるブロードバンドの普及は20世紀末を待たなくてはならなかったから、当時の私などは、インターネットを無料開放していたコンピュータ専門学校のエントランスホールへ行って、そこに設置されていたパソコンでインターネットのやり方を覚えたくらいである。もっとも、大学にはネットのつながるパソコンもあったけれど、登録制になっていて、他学の人と健全なメールのやり取りをするのが関の山、あまり気が進まなかった。

ところで、日本のブロードバンド発祥の地はどこかというと、意外や意外、長野市川中島であるといわれている。これは、国内初となる商用ADSLインターネット接続サービスとして注目を集めたが、これを可能としたのは、川中島町有線放送の農村有線放送電話網を使うという裏技であった。しかし、これには事情があって、実験を担当した信州大学名誉教授の中村八束博士によると、ADSLの普及ということにかんしては、ISDNを掲げるNTTとの激しい攻防があって、ずいぶんとやりあったようである。一方で博士は、大学には早くから光ファイバーを入れており、企業や家庭向けにはADSLを普及させるという構想をもっていた。その後、ADSLを通じて高速インターネットがどのようなものであるかが広く知られることによって、ADSLを通り越して、世間は急速に光回線に切り替わるようになって今日に至るのであるけれど、それが定着するまでには熾烈な戦いがあったのである。もっとも、光を導入して以後のNTTの回線の引き方などは理にかなったものであって、さすがと思わせるところがあったと博士は回顧しておられた。*2

なお博士は、PC98とコンパチをめぐる抗争にも関与しており、「黒船襲来」「最初の黒船は信州大に上陸」と雑誌に書かれちまったとの由である。そのころ博士は、キャンパスネットの構築にかかっていて、日立のHネットや富士通のFネットとも抗争をくりひろげていた。博士によると、「インターネットを入れたのも信州大学が一番早かったと思う」との由である。当時は、学生がキャンパスの地下に潜って線を引いていたという。*3

なお、伊那や川中島におけるブロードバンド実験に手腕を発揮したのは、ポーランドxDSLを学んだ平宮康広氏であって、2000年には信州大学工学部の非常勤講師となっている。このときの世話教授が中村博士で、NTT回線を使ったxDSL実験を断られたため、農村有線を紹介してほしいと平宮氏から依頼されたのがきっかけであったようである。2001年、ソフトバンクBBの技術本部長に就任、以後2005年まで、いわゆる「Yahoo! BB」網の設計・構築を主導されたとのことである。

ちなみに、中村博士は母校のOBであって、たしか、私が高校一年生のときに、「最年少で大学教授になった数学者」という触れ込みで、母校に講演に来られたのを記憶している。後年、博士にお会いした際に確認したところ、講演のことはよく覚えておられた。なつかしく思い出される事どもである。

 

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暗黒歌道も瞬殺だ。

 

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無理もない感想だ。

 

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よくあるバイアスである。

 

ヘンな自信をつけてしまったアサシンとドイツ騎士団。稲荷教団に対して下克上をしかけようと目論むが……。結果は次回!(見なくてもわかるような気がするけれど) 

*1:市川哲史X JAPANART OF LIFE』付属のライナーノーツより、1993年。

*2:中村八束、インタビュー、2014年4月8日。

*3:中村、同上。